きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

いつの世も不条理。

 

永く世の中は、私たち女性にとって、差別的で不平等なものでした。

 

伝統的な着物ですら、女性が自由には動けないように縛るためのものだったのではなかろうか?と若い頃は思ったものでした。

女性学研究家である田嶋陽子さんが、「そこまで言って委員会」というテレビ番組で、それが役回りかのように、いつも女性差別に対して怒り、強く発言されているのをどこか楽しみに、「そうだそうだ」と共感することも多くありました。

吠える田嶋さんに対して、周りの男性陣がどんな態度を取るかも関心深く、そこで見る様子は恐らく私たちが実社会で権利を主張したときに受ける対応なのかもしれないなあ、とも感じることもありました。

 

男女雇用機会均等法が制定されたのは1985年だそうで、これは当時、労働省婦人局長だった赤松良子さんという方があちこちの企業の社長に掛け合い続け、先に理解を得るなど奔走され、できた法律です。

この法律ができるまでは、女性は20代後半になったら定年退職をしないといけない、とか、結婚をしたら退職、とか、そういうことが当たり前の時代でした。

それまでの女性達は、そういう抑圧された時代の中で、置かれた環境に対しての強い憤りがあったり、人として、せめて男性と同じ位置に立ちたい、というような切実な思いを募らせている人も多くいたことと思います。

性別関係なく、一人の人間として、自分の意志で職業を選び、実現させることができる、たったそれだけの権利を主張したとしても、何らおかしい事では無く、むしろそういう法律ができたのは、当然の流れだったのだろうと思います。

 

そして、そのころの女性たちが、自分たち女性の為に自由への切符を権利という形で手に入れてくれたからこそ、今私たちは、昔に比べて、全くの平等とまではいかなくても、社会の中で、ある程度、自分らしく生きることが出来るようになったはず、、、なのですが。

 

それから約30年後、

安倍内閣によって2013年に「日本再興戦略」が決定され、その中で女性の力は成長戦略の中核に位置づけられ、2015年に「女性活躍推進法」が成立されました。

3年間の育児休暇、待機児童の解消、上場企業の役員に最低1人女性を起用する、という目標を掲げ実施され、実際、保育所定員数も72万人分増設され、出産した女性に占める育児休業取得者の割合は46%と2倍に伸びたそうです。

待機児童0や、2020年までに指導的地位における女性の割合を30%に、という目標には到達できませんでしたが、確かに女性の就職率は上昇し世帯所得も一部増加したというのは認められるところかもしれません。

 

ところが、女性は社会進出したものの、結婚、出産後の復職が難しいのは今でもさほど変わりません。

待機児童の問題もなくなってはいません。

復職できたとしても、家庭に戻れば家事の問題はつきまといます。

男性の育児休暇が幾分か取りやすくなった会社が増えたとはいえ、まだ一部で、制度としてあっても、現実的ではないということはよく耳にします。昔よりずっと家事を手伝ってくれる男性は増えたというのは、私から見ても飛躍的だと思いますか、それは個人差がとても多いことでもあります。

今なお、仕事もし、家事もし、育児も地域の活動も、ともすれば介護もと、一人で全てを背負っている人も、まだまだ多いのが現状です。

 

待機児童の問題や、出産後の復職など、政策として打ち出されはしても、実際に子どもを安心して預けられるだけの施設の整備や人員確保、そして質の問題、女性が管理職になった時の男性側の理解、出産後に元の持ち場に戻ることは当たり前にできるいうような、社会の受け入れ態勢がまだ進んでいない内に、どんどん女性を働かせてしまったことが、今の混乱を招いている部分があるのではないかと思うのです。

 

その後、私たち女性は「労働力」という形で、女性活躍の場を与えようという政策の渦に巻き込まれていきます。

私たち女性は、自分たちの存在が男性と平等なものであると、最低限の権利を手に入れる為に立ち上がったのに、気がつけばいつの間にか、労働力として組み込まれ、専業主婦として家にいては気が引けるような風潮の中に置かれ、その上、仕事に出なければ家計が回らないという状況に、いつの間にか追いやられてしまっていました。

 

どんどん社会に出よう、という促しにのって、みんな働くようになった結果、子どもを預ける場所がなくなり、大変になった保育士さんが辞めて足りなくなり、不認可の保育所等に大事な子どもを預けなければならないといった悪循環に見舞われているように思います。

 

私たち女性は、ただ、男性と同等に扱われたかっただけなのに、結局、また1つ重荷を背負ってしまうことになりました。

責任の重さや、忙しさからくるメンタルの不調やホルモンバランスの崩れは、妊娠しにくくなったり、産後鬱を増やしたり、子どもが熱を出したら休むことにも神経をすり減らしたり、子どもが不登校になっても自由についていてやることも難しくなりました。

 

仕事をすることの自由と引き換えに、他の幸せを犠牲にすることになるなんて、1985年頃の女性たちは想像していたでしょうか?

 

仕事を選ぶこともできるし、幸せな家庭生活も守られる、という風に、どうして両方をバランスよく手に入れることが難しいのでしょうか。

 

生まれ落ちた時の性別で女性はこうあるべき、と決めつけられるべきではないかもしれませんが、でも実際に子どもを産む事が出来るのは女性だけであり、母乳が出るのも、子どもが求めるのも、母である女性なのだと考えた時、そこには、どんなに釈然としなくても、れっきとした女性にしか出来ない役割があります。

 

今の日本で男性と共に働く、男性並みに働く、ということは、女性として産まれ、与えられたはずの役割が、逆に犠牲になってしまうということが起こるとは、なんとも皮肉なものです。

 

この世は常に、何かに光を当てるとその反対側に影ができます。

私たち女性に光が当たったことにより、その影に子どもたちがなってしまい、そこに歪みが生じたのでは、何のために女性は大変な思いをして働くのか分からなくなってしまいます。

 

家族の中で、誰か1人だけに常に光が当たり、誰かが常に影になる、という光の当て方をやめて、順番に光が当たり、影の部分も順番に持ち回る、というようなことが出来れば、それぞれが家族を思いあってバランスよく生きていけるかもしれません。

 

もう一つ、考えたいのは、女性が男性と平等になりたいと願った結果、気づいたことについてです。

私も管理職として働いた経験から、当たり前のことですが、責任ある仕事は、やりがいがありますが、大変だということです。

専業主婦の時は、週末になると男性が寝てばかりのことに腹も立てましたが、自分が同じ様に働いて見ると、週末に疲れを癒やし、エネルギーをチャージしないと、とてもじゃないけれど、また1週間働くなんてことはできないなことを実感しました。

家族の為に働き続け、重圧に耐え、ギリギリまで倒れないように走り続けることは、並大抵ではないと、嫌と言う程思い知りました。

男性社会は女性社会のそれとは違い、堅い世界だと傍で見ていて感じました。

そんな社会で生きている男性は、やはり大事にしてあげないといけないのかもしれません。

 

昔の男尊女卑は、男性が元々は体が弱いから、守るために大事にされていたところから来ていたのかもしれません。少しでも大きく逞しく育ってもらい、家を支える存在として、大事にされてきたのでしょうか。

戦時中は、男性というだけで戦地に行かされました。

 

そんな男性たちは、男性であることに不満を大きく上げる代わりに、お酒やギャンブルや女性やDVやらをはけ口にして生きている人が多いのかもしれません。

私たち女性は、本当は随分そんな男性たちに守られていたのかもしれないなぁとも思うのです。

 

 

男性にとっても、女性にとっても、子どもにとっても、いつの世も不条理です。

 

それでも歴史は、前の時代の反省を元に、良い方向に改善しようと、ぐるぐる回りながら進んでいます。

今の時代の反省を元に、少しでも次の時代が良いものになるように、政策に踊らされるのではなく、誰かにばかり影の役割を課すのではなく、互いに光と影の役割を分担できるように想い合いながら、自らの選択で幸せな生活を送ることができる世の中になれるよう、行動の先をよく見据えて進む時が来ているのかもしれません。

 

 

投げ銭的有料記事です。

何か心に届くものがあれば、宜しくお願いします。

 

 

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そもそも論。

不登校の原因は、100%親にあるの?

そんなわけない。

 

では、

不登校の原因は、100%学校にあるの?

そんなわけない。

 

では、

不登校の原因は、100%学校にないの?

そんなわけない。

 

では、

不登校の原因は、100%親にないの?

そんなわけない。

 

不登校の原因は、学校にある。と言い切ってしまうのはおかしいけど、ない、と言い切ってしまうのもおかしい。

 

不登校の原因は、親にある、と言い切ってしまうのはおかしいけど、ない、と言い切ってしまうのもおかしい。

ということに、気づいてほしい。

 

では、子どもに原因があるの?

 

大人に原因がないのなら、

子どもだけに原因があるの?

子どもに100%原因があるということなの?

 

大人が、どっちに原因があるか?と、すぐにそういう極端な議論ばかりしていると、大人は責任の押し付け合いばかりしているように、子どもからは見えないかしら?

 

どちらかに、ではなく、どっちにも、あるんじゃない?

子どもの為に見直してあげられることは。

 

できることはしてあげましょうよ。

 

初めは少々痛みが生じます。自分にも原因があるのか?と考えるってことは。

でも、それって悪いことじゃないですよ。

学校も親も、おじいちゃんもおばぁちゃんも、社会も企業も政治家も、それぞれが我が身を振り返り、思い当たるところを変えていけたら、きっと変わると思いますよ。

子どもたち。

 

学校も親も、お互いに尊重しあい、労りあい、手を繋げば、必ず、変わりますよ。

この問題は。

 

大事なのは、これからの子どもたち。

 

 

ということは?

やっぱり大人みんなにあるんじゃないですか?

原因は。

色んな意味で。

 

こう書くと、ブーイングが起きるのかな?

 

文章は、その文字だけを読むと、浅い理解しかできませんが、そこにどんな想いや意図や意味、それから、それを書くに至ったその人の背景までを考えて読むと、深い読みに繋がりますよ。

 

問題の、「核」を常に考えていかないと、道ってどんどん反れていってしまうんですよね。

 

抗議!の前に、対話があるといいですね。

 

 

 

投げ銭的有料記事ということで、

心の琴線に何か触れた方がいらっしゃったら、宜しくお願いします。

 

 

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本当の問題はどこに?

どんどん保育所を作ったって、保育士さんがいないんですよ。

 

どんどんにわか保育士さんを増やせたって、質は急に上げられないんですよ。

 

どんどん保育所が出来て、保育士さんが増えて、質が上げられたって、どんどん子どもたちを預けられたら、やっぱり保育士さんたちは大変で、目が行き届かないところって出てきちゃうんですよ。

 

お母さんから離された子どもたちは、どうしてもさみしい気持ちになって、荒れてしまうんですよ。そういう年齢だから。

 

学童は場所に制限があるから、預けられる子が増えれば、それだけ窮屈な思いをするんですよ。

 

のんびり寝転がったりもできないで、人数が多いと大変だから、怒られることが多くって。目が行き届かないから、ケンカや揉め事、いじめが増えちゃうんですよ。

 

預けられる場所の数の問題ではないんですよ。本当は。

 

子育てって、自分が子どもだった時より少しだけ進むくらいが丁度いいんですよ。

 

進み過ぎたら、対応策が分からくなるんですから。

 

ゲームでも、スマホでも、急に変わりすぎて、子どもへの対応が上手くいってないじゃないですか。

 

本当の問題は、預ける場所の問題ではなくて、「お母さん」が無理して働かなくても、ゆったり安心して子どもを育める世の中になっていないことなんじゃないですか?

 

いつの間にか、「女性活躍」の合言葉に乗せられて、働かなきゃって追い立てられてしまったんですよ。私たちは。

 

「自分らしく輝く」って言葉に、「自分」を見失ってしまっているんですよ。

 

大切なのは、子どもを親がみないといけない仕組みじゃなく、、、って、本気で言ってます?ガクトさん。

 

全てのしわ寄せは、子どもたちにいってしまってるんですよ。

子どもたちは、お父さん、お母さんが良いって言ってるんですよ。

 

公園や、登下校は、みんなで見守ればいいかもしれませんが、だからって親が見なくてもいいってことではないんですよ。

 

保育所や学童は、本当に預けなければ生きていけない人が、最優先で、なんとか預けなくても大丈夫な人は、しっかり自分の手で子どもを育てましょうよ。

 

私達もそうしてもらってきたように、今の子どもたちにも、もう少しゆったりお母さんと過ごす時間が必要なのです。

 

子どもたちに寄ってしまった しわ寄せは、必ず将来返ってきてしまいます。

 

子育ては、大変だけど、今だけなんです。

このかけがえのない時間は。

 

女性を総動員して働かせなければ回らなくなった社会を作ったのは、誰なんでしょうか?

 

なのに、その張本人が、今度は、子どもを放置したら罰するよって言ってるんです。

 

おかしいのは、預ける場所の数ではなくて、全てのしわ寄せが子どもにいってしまうような政策を進めてしまったことなんじゃないですか?

こうなるのは、分かりきっていたことなんです。

 

なのに、それを選んでしまったことなんじゃないですか?問題は。

 

それに気がつけたら、今からでもできることはあるはずなんです。

 

少し、戻らないといけないのかもしれません。時代を。

 

お母さんが、無理して働かないで、安心して子どもの側にいられる生活。

 

本当に預けなければならない人が預けられる仕組み。

 

どうしても子どもを少しだけ預けなければならない時、預けられる信頼できる隣人を持つ、自助グループや場所作りを。

 

でもね、どんなに信頼している人や場所にだって、「万が一」はあるんです。

 

我が子を守ることができるのは、結局、自分だけなんですよ。

 

それだけは、忘れてはいけないんです。

 

大切な我が子を守ること。それって、犠牲ですか?

 

 

 

今回は投げ銭的有料記事とします。

関心をもられた方がいらっしゃったら、お願いします。

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子どもの声。

幼い頃からいつも一人でお留守番してきたAくんが言いました。

「ママ、もう帰ってる?一人は嫌やねん。まだ帰りたくない」と。

 

Bくんが言いました。

「もうすぐかみなりなるんちゃう?そらがくらいよ」「ひとりはイヤや。こわいねん」

 

地震が来たら、どうしたらいい?」仕事先のお母さんに、Cくんはひどい時で75回も電話をかけました。

 

「嫌や、いかんといて〜。仕事休んで〜。怖いから〜」Dくんは必死にお願いしましたが、母子家庭のお母さんは「ごめんね」と言って、出かけて行きました。Dくんは、側にあったビー玉を目一杯投げてTVの画面を割って壊してしまいました。凄まじいほどの憤りでした。

 

「一人でお留守番してる時、テレビをつけてたら、どこかの戦争のニュースが聞こえてきてん。あれ、どこのこと?分からなくて怖くなってお母さんに電話してん」Eちゃんは、ニュースを見て、お仕事に行っているお父さんやお母さんのことが心配で怖くなり、電話口で大泣きだったようです。パニック状態でした。

 

「兄ちゃんが、僕のおもちゃ、取り上げるねん!」とFくん。「お前、うざいねん!!俺の側から離れろ!!」とGくん。2人で留守番していると、いつもひどい喧嘩になってしまいます。誰も仲裁してくれないので、2人は自分たちでどうすることもできなくなってしまっていました。ついに弟のFくんは、2次障害を起こしてしまいました。

 

Hくんのお母さんは、まだHくんが1年生だから、働き出すのは早くない?と止めましたが、新しいお仕事をスタートすることにされました。Hくん、それから元気がありません。今までできていたことも、できなくなってしまいました。理由?「わかんない」ですって。

 

不登校のIくん。お昼のお弁当がいつも食べられません。朝起きてすぐ、ゲームを始めると止められなくなって気がついたら10時を回っているなんてことも。「お母さんが出るときに、ご飯食べてねって言ってくれるけど、忘れちゃうんだよね。誰かがもう一度言ってくれないと、、、」生活の習慣が定着しなくて、これでは学校にいくことも難しいです。

 

「お母さん、お迎え、まだかなあ」Jちゃん。「先生たちいるから大丈夫だよ」

「いやだ!!!お母さんがいい!!!」

 

失敗して残念だったね、よしよし。

「やめろ!!」

どうしたの?

「よしよししていいのは、お母さんだけやからな!!」

やっぱり、お母さんじゃないとね。

 

Dくんのお母さんは、母子家庭。自営業をしながら少しでもと夜に仕事が入っても、無理してそれを引き受け、生計を立てておられましたが、「そんなに一人のお留守番が怖かったなんて、気がつかなかった」と後悔され、それからは少しお仕事をセーブして、早く帰宅できるよう調節されました。

 

私たちが、学校で、学童で、療育施設で、どんなに心砕いても、どんなに愛情たっぷり注いでも、「お母さん」には敵いません。

 

 

 

投げ銭的有料記事です。

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子どもの声なき世の中の流れ。

物議を醸していた、埼玉県の「子ども放置禁止条例案」は、取り下げられましたね。

この条例案、今、子育て真っ最中の保護者の方々は、きっとびっくりされたことでしょうね!そのお気持ち、とてもよく分かります。

もしかしたら、自分たちも通報されることになるかもしれなくなったら、大事ですもんね。

 

大人たちの、貴重な意見がたくさん出された出来事でした。

 

あれ?

 

でも、、、

 

子どもたちの声って、取り上げられてます???

 

 

虐待って、子どもたちがどう感じているか?ですよ?

 

 

大切なのは、子どもの視点では?

いじめを消滅させた学級。

いじめの芽を見つけたら、すぐ摘み取る方がいい。

芽が伸び、蔓延りかけていても、諦めずに摘み続け、代わりに、萎れかけていた勇気の花の芽に、希望という名の水を与え続ければ、やがてその芽は勢いを取り戻し、大きな花をたくさん咲かせる。

 

 

もう何年も前のことです。

私は、あるクラスに介助員として入っていました。

 

そのクラスには、顔なじみの子ども達がたくさんいました。

それはその子ども達が低学年の時にも、私は主な担当としてその学年に入っていたからでした。

何年ぶりかの子どもたち。懐かしさで知らず知らずに顔が綻びました。

担任の先生は、まだ初々しさの残る若い先生です。

 

数日、過ぎたころ、私はある事に気づきました。

クラスの子どもたちの表情に、翳りが見えるのです。

低学年の頃は、ベテランの先生に大切なことをたくさん教わってきたその学年。

子どもたちは皆んな屈託がなく、生き生きしていました。

ベテランの先生、特に今は退職された60代の先生方などの多くは、早くに出勤し教室に行き、冬でも窓を全部開け、一晩の内に籠もった空気を一掃させて登校してくる子どもたちを新鮮な空気で迎えておられ、そういう細かな配慮がされた空間で育まれていました。

学年が上がると、みんな思春期の入り口に立ち、屈託の無さというのは減るものでしょうが、皆んなの表情の翳りというのは、そういった頃とは随分と違ったものに見えました。

朝、教室に向かうと、廊下に黒い空気が漂っているのを感じます。

ある日、担任の先生に、「黒い空気を感じませんか?」と伺いました。

先生は、「そんな空気など、感じるということがあるのですか?」と逆に質問されました。

その先生には、まだその黒い空気は見えないようです。

 

勿論、朝、窓を開けていない、子どもを迎える空気まで気を配っていない、そういう空気の淀みという影響もあるかもしれませんし、それだけではないのかもしれません。

 

この、黒い空気はどこから来ているのか。私はよく注意して子ども達や先生を観察して過ごしました。

観察していて、初めに気づいたことは、体の小さな子どもたちや、女の子たちの目が、落ち着かず、伏し目がちなことでした。

その事を、担任の先生に伝えてみました。が、「そんなことはないでしょう」との返事でした。

 

ある日、体育館の入口で、クラスの子どもたちが数人掃除をしていました。私がたまたまそこを通りかかった時でした。

一人の子どもが、同じクラスの小柄な友達の髪を掴んで引きずり倒したのです。

衝撃的な場面でした。

周りにはたくさんの子どもや先生もいましたが、その場面を見た人は、私以外にはいないようでした。それ自体、信じられないことでしたが、それだけ他者に関心を寄せる人が少なくなっていることの現れなのかと愕然としました。

 

私は咄嗟に駆け寄って、倒れた子どもを起こしながら、「なぜ、こんなことになったの?」と聞きましたが、倒された子どもは「分からない」と答えました。

ケンカをしたの?と聞いても「分からない」というのです、、、。

 

 

この先は、いじめのない学級を作るにはどうすればいいか?いじめを起こすお子さんへの対応、いじめられる側のお子さんへの対応、子どもたちの心に希望の光を当ててあげるにはどうしたらいいか?といった方法も書かれています。

いじめ問題に関心を持ち、心寄せている方に一人でも多くお読みいただき、子どもたちへの対応を知っていただけると嬉しいです。

 

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大切な我が子がいじめられたら。

ある日、大事なお子さんが、元気がないと気づき、聞いてみると「いじめられている」と告白を受けたり、誰かさんから「お子さんいじめられてるみたい」と教えられたりしたら•••••。

こんなショックなことはないと思うのです。ご両親にとって。

自分がいじめられるより、辛く、我が子の気持ちを思うと居ても立っても居られなくなり、なんとも言えず胸が苦しくなることでしょう。

お父さんなら、「そんなこと、放っておけ」と言うかもしれません。お母さんなら、オロオロして涙が出てしまうかもしれません。

それはいつの時代も変わらないのかもしれません。

ただ、一昔、二昔前なら、放っておいても何とかなっていたかもしれません。何とかなんて、なっていない!と怒られてしまうかもしれませんが、それでもなんだか、そういう時代だったからなのか、なんとか耐え忍び、その時期を通り過ぎることが出来た人が多かった気がするのです。

語弊があるといけませんが、昔も相当いじめは激しかったと思います。お祖父さんお祖母さんの頃なら袋叩きにあうとか、私達の頃なら暴走族最盛期、それこそやっぱり集団リンチとかたくさんありましたし、もっと子供の頃だと水をかけられるとか、溝に落とされるとか、物を壊されるとか、無視されるとか、言い尽くせないほどありました。

ただ、今と違うところがあるとすれば、もう少しオープンだった気がします。わかりやすいところがあって、誰が見てもいじめられていると気づくようないじめ方が多かったかもしれません。

そうではなかったとしても、クラスに1人や2人、そんないじめられている友達のことを心の中では心配していたり、仲間に入れてあげたいと思っていたり、いじめっ子グループから外れようとする子供がいたように思います。そういった子が、陰で声をかけてくれるとか、関心を向けてくれていると分かっただけでも、いじめを受けている人にとっては心強く、希望の光に見えたのではないかと思います。

クラスでは、「仲間意識」というものがあり、これはいじめっ子側の仲間意識だけではなくて、いじめられている子供もどんな子も、同じクラスの一員なんだ、という仲間意識なのですが、こういった意識を持つように私たちは道徳教育を通じて教育されていたように思います。クラスにいじめられている友達がいたら、誰かしら、いたたまれなくなって、「◯◯さんもクラスの仲間なんだ」と問題提起することもよく見聞きしてきました。だからこそ、抑制力としてある程度機能し、バランスが取れていた部分もあるようにも思います。

また、家に帰ればだいたいは母親がいることが多く、家族と過ごしていると、束の間いじめられていたことを忘れられる、というケースも多かったでしょう。週末には腹を抱えて笑えるようなお笑い番組もたくさんありました。

 

ところが今は、いじめが分かりづらくなりました。ネット上では、大人からは実態が見えませんし、多様性の時代の道徳教育では、何が良くて何がいけないか、はっきりと線引をして教えてくれる、または教えられる先生は少なくなりました。

「仲間意識」や、「正しいプライド」についてコンコンと教えてもらえることも少なくなりました。

テレビを見ていても、正義感が燃え上るような良質なアニメや番組が見当たりません。道徳感を親子で学べるようなものもありません。

子どもたちは一人で家にいる時間も多くなり、ゲームは脳を興奮させ、疲れさせます。

体をいっぱい動かして、友達と大笑いして、温かい家族がいる家庭に帰ると守られているような感覚になるということも減りました。

ストレスが多い子供たちは、よりその矛先をいじめという形で、外から見えない形で、誰でもいいから、ぶつけることで解消している。今はそんな時代になったと感じます。

だから、子供同士のことなのですが、全く放っておいても大丈夫かどうか、分からない時代です。

 

そのいじめの程度にもよるでしょうが、私は、できれば我慢しないで、まずは見聞きされたままのことを、率直に学校の、担任の先生にお話になるのが良いかと思います。

それは、いきなりいじめた相手に怒鳴り込みに行く!、とか、謝らせろ!、とか、そういうことではありません。

「こういうことがあった」ということを、まず、お話し、担任の先生と共有するのです。

不安や悲しみで押しつぶされそうになるかもしれませんが、それはお父さんやお母さんのお気持ちで、実際にいじめに合っているのはお子さんなので、そこは感情が入り乱れないよう、少しコントロールしてもらう必要があります。お子さんにとって、どうしてあげることが一番いいか?を考えるためには、あえて冷静な状態であることが大切です。できれば、お子さんには、落ち着いた様子で、お子さんの気持ちや状況をさりげなく聞いてあげて、大変な思いをしていることに対して、「そっか、そっか、それは嫌な思いをしたね。」と寄り添い、声をかけて上げて、「大丈夫だよ」と伝えてあげて欲しいと思います。学校の先生に話してあげるね!というよりは、そっと先生に伝えてあげて欲しいのです。

親同士が会って、解決しようとすれば、揉めてしまいますので、まずは先生に間に入っていただき、子供同士で解決することができるかどうか、働きかけてもらえるといいと思います。

そして、子どもたちに聞き取りをしてもらうといいと思います。

初めは、いじめられている側のお子さんから。

次にいじめている側のお子さんに。

出来れば周りのお子さんからも。

まず個別に聞き取りをするのは、いじめられている側のお子さんは、いじめる側のお子さんを前にすると、いきなりは言いたいことを言えなくなってしまうからです。

先生との間だけで、安全が確保された状態で、リラックスして気持ちや状況を話すことができるよう配慮してもらえるといいかと思います。

そして双方から聞き取りをしたことは、走り書きでもいいので、必ずその場で、それぞれの言い分を時系列に紙に書いておいて欲しいと頼まれるといいと思います。

なぜなら、先生も人なので、子どもたちから聞いても忘れることもあるでしょうし、大人の考えで、解釈してしまうこともあるからです。ましてや後から記憶を頼りに書いたのでは、子どもたちが発したそのままの言葉が要約されてしまい、肝心な情報が失われてしまうからです。

きちんと三者三様の言い分を、それぞれ紙に書いて残しておくというのは、次の、双方の子どもが顔を合わせて話し合いをする場面でも役立ちます。

どう役立つのかと言うと、それぞれの言い分をすり合わせる時に、その矛盾点が浮かび上がってくるのです。

時系列で、どんなことがあって、いじめられるということになったのか、掘り起こすには、1つ1つの言い分に対して、どうしてこういうことをした(言った)のか?その時どんな気持ちだったのか?を丁寧に聞くことを、先生にお願いしてください。

〇〇くんは、こういってるけど、△△くんはどう?どんな気持ちだった?

じゃあ、その時の気持ちを伝えてみよう。

あれ?△△くんは違うって言ってるよ?どこが違うのかな?

うんうん、なるほど。

△△くんは、その時✕✕だったって。△△くん、その時どう思った?

じゃあ、△△くんもそう言ってみよう。

〇〇くん、△△くんはこんな風に思ったんだって。それってどうかなぁ?

というように、双方に言い分を聞きながらすり合わせると、お子さんが、自分の言いたいことを上手に言えなかったとしても、最初に個別で聞き取りをしているので、強い相手に言われっぱなしになるということを減らせます。

そして双方の言い分が食い違う点や、時間軸がおかしい点が出たら、それをまた丁寧に聞き取りするという作業をしていくと、だいたい根本の問題がわかってきます。

その根本に働きかけないことには、なかなかいじめを解決することができません。

よくあるパターンの、先生や大人が一方的に、「いじめはあかんぞ?わかったか?わかったら謝れ」という解決法では、相手のお子さんも、何が悪かったのか?どこから悪かったのか?なぜそれがいけなかったのか?どうしたら良かったのか?が、結局分からず終い。自分の気持ちを言うこともできなかったと、怒られたという気持ちだけが残るかもしれません。

怒られた側の保護者も、一方的に怒られた、自分の子どものせいにされた、という不満が募るでしょう。それでは良い解決に向かいにくくなります。

その点でも、聞き取りの時点から、残る形にしてもらえると、これを共有すればいいわけですから、双方で納得がいきやすくなるのではないかと思うのです。

 

そして、先生には、これは悪者を出す為の、作業ではないことをくれぐれもお伝えして下さい。

 

もし、この聞き取りの中で、この出来事のきっかけらしきものが出てきたとして、それが例えば、万が一いじめられる側にあったとしても、それはどんなことがあったとしてもいじめていいということには繋がらないということや、これは大切な人権の問題なんだということを、しっかりと相手側に言い聞かせてもらえるようにお願いしてください。そして、万が一出てきた内容が、大人の配慮で改善できそうなことなら、火種を作らないために、対応してあげるといいかと思います。

 

子どもたちは、実際にはどこからどこまでがいじめで、してはいけないことなのか、よく分かっていないことが多いです。日頃から、して良いこと、してはいけないこと、の線引きを意識して子どもたちと一緒に考えていかないと、こういった人権意識や倫理観という、とても大切な感覚は一朝一夕で養うことができません。

 

もう一つ忘れてはいけないのは、人権感覚や倫理観の未獲得以外に、いじめる子どもたちの心の悲鳴です。ストレスのはけ口として、無意識にいじめに繋がる行動をしてしまう子どもは、何かに困っている場合があります。

そのことについても、聞き取りの中で、よく、いじめる側の子どもの発する言葉やその素振りに注意深く観察してもらうことと、何か困っていることがないかどうかも聞いてあげてもらえるよう、先生にお願いするといいと思います。

 

先生によっては、経験値やそのお人柄によって、いじめへの対応が違ってくるでしょうから、もしまだお若くて、不安そうにされていたら、経験豊富な先生に間に立っていただけるよう管理職の教頭先生や校長先生にそれとなくご相談され、やんわりと共有しておかれるといいかもしれません。そして、必ず報告をもらえるようお願いしてくださいね。

 

子どもたちは、自分の気持ちを掴んだり、それを相手に上手に伝えることや、相手の状況や気持ちを理解したり、といったコミュニケーションの力が弱いことが多いです。いじめられている側の気持ちを聞いて、初めていけないことだと気づくケースも多くあります。上手に伝えられないから、手が出てしまうことも多くあります。

上記したような、子ども同士のやり取りを使い、少しづつ手渡してあげることで、相手に気持ちが伝わる感覚を知り、相手の気持ちや、何が良くなかったかを理解した上で相手に謝ることができたら、それを認められることで、心に一筋の光がきっと差し込むでしょう。もし、良い形で和解することができれば、お互いに一回り成長することができるのです。

 

子どもたちはまだ発達途上。悲しいいじめがまた発生しないよう、小さないじめの内から対処して、一人でも多く、どんな小さないじめも起こらない、起こさない人に育っていってもらいたい、という風に、関わる大人たちが共通認識を持つことができるのもまた大切なことです。

 

最後に、大切なお子さんがいじめられた時、お父さん、お母さんは、お子さんのことがどんなに大切で、どんなに愛おしく思っているか、しっかりと抱きしめて伝えてあげてください。強いとか、弱いとかは一つの見方だけで決まることではないですし、人によって、良いところは違います。そのお子さんの善良なところを、しっかり目を見つめて伝えてあげてください。どんなことがあっても、お父さんとお母さんは味方だと伝えてあげてください。

心に勇気が湧いたお子さんは、本当の意味で強くなります。

 

 

取り急ぎ書いたので、不十分なところもあるかもしれませんが、参考にしていただけると嬉しいです。

 

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