きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

壁。

療育のお仕事をしていると、必ず突き当たる壁があります。

カウンセラーのお仕事もそうかもしれません。

 

人と深く交わることが苦手。

自分の意見を言うことができない。

ごめんねをいうのがきらい。

知らないと思われたくない。

などなど、パッと見ただけでは分からないけれど、長くつきあったり、ある一定の関係から更に進んで深く理解しあおうとした時に初めて気づくような心の葛藤。

 

そういったものを誰しもが少なからず持っているのではないでしょうか?

療育のお仕事は、その自分があまり普段意識していない心の奥の癖のようなものを刺激する存在と不思議と出逢うお仕事なのです。

 

例えば、障がいをもったお子さんや、心に傷を負った人と接していると、こちらが悪いわけではないけれど、あえて「ごめんね」と先に折れてあげることで、謝ることのできなかったお子さんが「こちらこそ、ごめんね」と謝りやすくなったりする場面が出てきます。

1つの方法として謝るのだと分かっていても、生い立ちの中で何か素直に謝れない出来事があったとか、謝ったことで不利な境遇になったとか、自分は優秀でなくてはならないと思ってきたのに謝るなんて負ける気がするとか、何か理由があって、謝ることに抵抗がある人は、謝ることができないのです。

子どもたちに、他者と良い関係を築く為に必要なソーシャルスキルとして「ごめんね」を教えてあげたいのに、教える立場の大人が「ごめんね」を言おうとするとなぜかムカムカ。どうしてもごめんねと言うことができない・・・というのでは、非常に困ったことになってしまいます。

同じような場面に立ち会う度に、困難な気持ちになるのでは仕事自体が難しくなってしまいます。

なのに、どういうわけか、ピンポイントで、その苦手な場面をつつく相手に出逢ってしまうのです。

苦手で、苦しくて、直面するのが困難だから、迂回して、直視せず、スルーして見てみぬふりをすると、その時は楽になるのですけれど、しばらくするとまた同じ壁が目の前に立ちはだかるのです。

療育の仕事をする以上、この壁を越えなければ、自分自身も苦しく、療育される側のお子さんも適切な対応をとってもらうことが難しくなります。

なんとか目の前に立ちはだかる壁を越えて、今のステージを抜けていきたいものです。

自分の心の奥にしまったはずの癖、傷、のようなもの。それは生い立ちを振り返ってみると原因やきっかけが見つかるはずです。

でも、これまで歩んできた道を振り返り、今まで心の奥にある箱にしまっていた癖や傷を出そうすると痛みが伴います。当時の想いが蘇るからです。1人では抱えきれなくなるから、伴奏してくれる人が必要です。痛みを分かち合ってくれる相手です。

心の旅をしていきながら、原因となる出来事が見つかると、あぁ、あれがきっかけだったのか、と自覚するに至ります。一度ストンの自分の中で腑に落ちると、それだけで固く握っていた想いは昇華していきます。

昇華できると楽になり、不思議と自分を認めだすことができるようになります。

今まで苦しかった場面が嘘のように楽になり、次に同じ場面に直面したときは、ちょっと「ごめんね」と言ってみようか・・・。となるのです。そうなると、1つ苦手だったこと、困難だったことに向き合いだし、克服の道を歩みだしたも同然です。

 

また、障がいを持った子どもたちと接するということは、障がいをもった子どもたちの世界を知るということであり、その世界を理解することができなければ、その子どもたちの身になって支援することはできないということになります。

 

言葉をまだ未獲得の子どもに、言葉だけで指示を出しても通じません。

言葉を持っていても、話しているその言葉の意味は、私たちが思っている意味とは意味合いが違うことがあります。

言葉を額面通りに受けとる子どもに、「顔から火が出る」と言えば、「やけどしますか?」という答えが返ってくるかもしれません。

障がいを持った子どもたちの見え方、聞こえ方、話し方、感じ方は、私たちとは少し違うことがあります。

私たちが常識だと思っていることは、彼らの常識ではないことがあります。

だけど、悲しかった、つらかった、楽しかった、嬉しかった、という感情は同じです。

どこが同じでどこが違っているかを、彼らの身になって、あたかも彼らの中に入り、彼らの目から見ているかの様に、見える景色を想像して、ある意味一体化して考えたり捉えたりする為には、私たちが持っている常識というものを一旦壊して、再構築する必要があるのです。それは私たちが今まで見ていた世界とは180度違う世界です。

こうやって、今までもっていた常識、概念を1度壊してしまうことを概念崩しというそうです。

これもまた、目からうろこといった体験ができるような壁が次々繰り返しくるので、伴奏者がいたら心強いでしょう。

自分の心の癖や傷を見つめ克服する壁。

概念崩しの壁。

それらを越えて180度物の見え方が変わったら、

 

あとは怖いもの無し。