今日、お題の1つ、「地元ではあたり前なのに、実は全国区ではなかったもの」について、私は「吉本」だと挙げた。お笑いが生活に根付いた地域で生まれながら育った者として、当たり前だと思っていたものが、実はローカルなものだったと知って、本当に驚いた、と書いた。
その後に、「あぁ、そうだった」と思い出したのが、こどもたちとの「笑い」の日々だ。
自閉症スペクトラムを持つこどもたち。
その中には、社会性、想像力やこだわり 、コミュニケーションに困難を持つ特性から、他者が想像している世界を共有することや、言葉のちょっとしたニュアンスを理解する、他者から投げかけられたものに反応を返す、といったことが苦手な子が結構いるなぁと感じていた。
そんなこどもたちに、私は敢えて試みていることがある。
それは、親父ギャグを振ること。
厳密に言えば、私は親父じゃないので、おばさんギャグになるのでしょうね。
例えば、
こども「先生、トイレに行ってきます!」
私「はい、行っトイレ♪」
この程度のギャグを、やり取りの中に密かに入れている。
日常の中の事なので、私の言葉の中のギャグの部分に気づくこどもたちは、そう多くない。しかも、私は外見上はとても真面目で硬く、到底ギャグを言いそうに見えないらしく、その上サラリと言うので、「ん?」と気づいた子たちは「ハッ❗」っと顔を上げる。
この顔を上げた子たちは、ある意味言語能力、言葉のちょっとしたニュアンスの違いをキャッチし、理解する力、他者の内面の世界を共有する力は割りと高いものを持っている、と分かる。
このこどもたちにとっては、「笑い」はお互いの間の空気感を和らげる潤滑油の役割も果たす。
例えば、プチパニックを起こし、取り乱し、あれこれ良くないことを言ってしまったこどもに、それについて説明しているとき、こどもは自分がしてしまった行為に気づき深刻になる。空気がぎゅーっと煮詰まった時、
「もぅ~。本当に! 悪い冗談は、よしこさんやで!」
を最後に挟む。
こどもは
「はい💦・・・・え?・・・アハハ」と、気が抜け、リラックスすることができる。
すかさず、「もうあかんよ?」と優しく畳み込んであげると、「はぁい♪」と素直に反省し、良い行動に転じてくれる。叱るだけ、よりずっとこどもの心に温かいものと一緒に「気をつけよう」という反省が刻みこまれるから不思議だ。
だけど、中には日常のやり取りの中に混ぜこんだ親父ギャグに気づけないグループもいる。さっきの様にサラリと言った時に顔が上がらないこども達がそうだ。このグループをよく観察すると、更に3つのタイプに分かれる。
①聞こえているけど、面白くないと白けてスルー。
②聞こえているけど、字義どおりに受け取る為、ギャグに気づかずスルー。
③そもそも耳に入っておらずスルー。
の3つ。
どのタイプの子たちも、共通しているのは笑顔がないこと。怒る、すねる、アピールする、楽しい、といった感情はもちろんあるが、パッと明るく弾けた笑顔というものに乏しい。
言葉を私たちと同じように流暢に話し、学力もあるけれど、言葉の解釈が字義通りの②のタイプのこどもたちは、相手がギャグを言っていること自体に気づいていないし、なぜそれが面白いのかわからない。
なぜそれが面白いのかわからない、という点では①のこども達も似ているところがある。面白くなくても笑いなさい、ということではなくて、そもそも、「ユーモア」であるとか、他者と感情を共有・共感するであるとか、そういった部分が未開発なのだろうと思う。
「苦手」だから、絶対にユーモアの力は獲得できないのか。
絶対にパッと弾けたような明るい笑顔を獲得できないのか。
ということに、私の関心はあり、試さずに諦めることはできない、というのもまた、私の性分であり、信条でもある。
なので、根気強く、チャンスを逃さずに、例えスルーされても、白けられても、さりげなく、サラリと日常のやり取りの中でギャグを取り入れることを続けていると・・・。
それまで無表情、私のギャグに無反応、或いは呆れていた子たちが、無表情だけれど、ポツリとギャグらしきものを言いだす瞬間が訪れる。
「もしかして・・・?今のこどもギャグ?」
気づいて声をかけると、無表情のようだが微かに口元に笑みが漏れている。
あぁ、ついに共有・共感性の一歩を歩みだした。
私の心が、小さいけれど貴重な煌めきで震える瞬間。
あとは時間をかけてゆっくりこどもたちのユーモアセンスを磨くのみ。
友だちたちと、冗談を言って笑い合え、楽しい時間と空間を共有することができれば、空気が読めないと仲間はずれにされることも減る。仲の良い友だちだってできるだろう。
そうお一人のお母さんに話してから数年後、確かに1人友だちが出来た、と報告に来てくださった。私の言葉を覚えていて下さったとか。
他者と、笑いを共感できる、笑い合える時間を共有できる力は集団で生きて行く上で大切な要素でもある。
笑いの力を侮るなかれ。
「絶好調、絶好調、校長先生、絶好調♪」
こども達の楽しい声が聞こえる。