きらめき 綴り

困難を抱えた子どもたちと、日々格闘しています。その中での心の煌めきを大切にしています。

記憶力の鍛え方。

昨日、アメリカに住む友だちに、「25、6年前に一緒にコンサートに行ったね」ってメッセージを送ったら、案の定あちらは交際範囲がやたらと広く、しょっちゅう出歩いている人なので忘れていて、私に言われて「そうだ!」と思い出したらしい。

 

そういうことが、やたらとあって、友だち曰く「記憶力がすごい!」なんだそうな。

しかし、この友だちに限らず周りの方々から、同じことをよく言われるので、自分ではみんなとどう違うのか分からないけど、「そうなの?」と思うしかない。

自分で分かるのは、何にでも関心が強い、ということくらいか。そして、今見たこと聞いたことは、何度も何度も頭の中で再生して反芻する、ようにしているということ。よく記憶は美化される、と言われるけれど、なるべくなら見た光景のまま覚えておきたいので、忠実に再現するようには心がけている。まあ、人間のすることなので、絶対なんてないけれどね。

こう書いてみると、確かに、忘れないように工夫していたことに気づく。何も、無意識に何でもかんでも覚えているわけではないということになる。

子供のころは、ぼーっとした子だった。いつから記憶に対して意識をするようになったのか?わからないけれど、昔は忘れたくないことを20秒間は繰り返し考えることで、脳のシワとなって刻まれ、覚えることができると言われていた気がする。それを試していたことは確かだ。今はそれは根拠がないといわれるようになったと聞いた気がするからホントのところはわからない。

ただ、忘れないぞ、と意識を強くした事柄は忘れにくいことは確か。

 

今は仕事柄、たくさんの子どもたちの何年も前からの行動パターンや体の動かしかたの変化や、その時々の出来事、そしてそれによる成長といったものを忘れないように頭に刻み込み、一人一人頭の中のファイルに入れてしまっておくイメージで置いている。時々出して開いては、思い出してからまた直す。そうすると経験上忘れにくい。

日報に記録として残しているけれど、そんなものをいちいち探してめくって辿って・・・としていたら時間がかかって仕方がない。覚えている方が効率的。記録は万が一忘れた時や確認の為、くらいに思っておいた方がいいと思っている。

 

昔はぼーっとしていたのに、自動的に記憶力がアップするなんてことは、やっぱりなくて、どこかで知らず知らずに努力はしていた。ただ、他者と比較はしていなかった。自分の中だけでの挑戦のようなもの。ある意味、遊び。

遊びと言えば、何でも試さないと気が済まないので、右手と左手で違う図形を書くとか、鏡文字を書くとか子供の時から今に至るまで、時々思い出して練習したり、指遊びしたり、パッとだけ見て覚えるゲームを1人でしたり・・・。何かと1人で遊んでいる・・・。これは右脳と左脳を繋ぐ脳りょう(漢字がわからないよ)から情報伝達が上手く行くようにと意識して。

 

そして、今、仕事場の皆さんに伝えているのは、とにかく目を見開こう!ということ。

〈目〉というのは、意識の表れだと思う。自閉症の人たちが、常同行動を起こしている時、その人の意識レベルは下がっていると考えられる。起きて動いているけど、覚醒はしていない。意識レベル下がっているので、呼び掛けに対しての反応は薄い。これは重度の人だけではなくて、軽度の発達障がいの人にも当てはまる。自分の内の世界に入っていたり、混沌としていたり、といった状態。そういう時、その人の目は伏し目がちだ。全開でない。トロンと半分瞼が降りている。肩をトントン!として呼びかけて、ハッと我に返ってくれた時にはパッチリ目が開き、意識は覚醒する。

こういう時、原始反射や常同行動を起こしていても理性が戻り、指示の通りが良くなる。

 

これを自分たちにも利用して、目をいつもより3割増しから5割増し開いて、見渡せば、視覚情報がいっぱい入ってくるから、自然と脳も活性化するだろう。光だって5割増し。明るくて刺激的(笑)。瞼を上げるのだって力がいるよ。嫌でも覚醒状態。それをキープするだけの気力もいる。

実はこの気力をキープすること自体、精神力がいるというもの。

結局、記憶力とは精神力なのでは?と思っている。

忘れないぞ!絶対に!という意気込みと、努力次第で、自分の記憶力のキャパが広がるなら安いものではないですか?

人とは比べないでね。自分の今の能力よりアップすればそれでいいのだから。

騙されたと思って試して下さい。ただし、長期的にね。短期間では効果は出ません。