きらめき 綴り

困難を抱えた子どもたちと、日々格闘しています。その中での心の煌めきを大切にしています。

最後の運動会。

これは、今年の夏に書いたものです。アップするかどうか思案していました。

最近になってお母さんの許可をいただき、アップすることにしました。

 

私には12年のおつきあいのお子さんがいます。

小学校の入学式も隣で一緒に出席しました。1年生から5年生までは学校で。6年生から現在までは療育の場で、ずっと一緒に過ごしてきました。

発語も5分の記憶もないとドクターに言われてきた中で、可能性を諦められなくて、物には名前があること、字で表すことができること、書くこと、などを伝え、発音することも練習しました。

記憶が残ることが分かり、少しずつ学習も進みました。字を書いたり何かを学んだりするためには、人の指示を聞いたり、模倣したり、リズムを合わせたりする力が必要です。体が思い通りに動かなくては、それらのことが上手くいきません。

体の回路を繋ぎ、体が思うように動き、発達を促進させるには、運動は不可欠だと考えました。

毎休み時間には、一緒に校庭まで歩く時に腕を振り、体幹を真っ直ぐに保つ歩行訓練から始め、走る、ジャンプする、など段階を経てステップアップさせていきました。

自転車に乗りたそうだと分かった時には、自転車は色々事情があって無理なので、一輪車の練習をすることにしました。私の中での計画は一年間。一年で乗れるようにする、と決めて、それから毎日、暑い日も、寒い日も、一日一時間練習をしました(本人も、したいと希望していたので)。毎日私は一輪車のペダルが当たって青アザができました。

ウソのようですが、それから一年後、本当にその子は一輪車に乗れるようになったのです。

ぐにゃぐにゃだった体幹も、この一年を通して鍛えられ、一輪車の上で自分の力だけでバランスを保ち、自由に漕げるだけの力をつけていました。

憧れの、自転車ではないけれど一輪車に乗って、校庭を自由に走り回るそのお子さんは、文字通り水を得た魚でした。

字も模写できるようになり、言葉も単語30くらいに増えました。もっと知りたい。もっと学びたい。そう彼は私にいつも催促しました。例え重い障がいを持っていたとしても、「学びたい」「もっと出来るようになりたい」「みんなと同じように話したい」という気持ちを持っている。本能として、人間は何らかの形で「良くなりたい、成長したい」と思っている。と、私に教えてくれたのはそのお子さんでした。成長するための刺激を持ってこい、と、脳が指令している。脳が刺激を欲しがっている。そう感じました。だけど、自分だけではなかなか満足するだけのものを得ることができないとき、代わりの刺激、脳が発達し、体と統合するための刺激として感覚刺激を自分に与え埋めているということなのではないか?そういう風に考えて、「行動の意味」を探っていけば、本人たちのニーズ、本来の希望や気持ちを理解してあげられるのではないか? そんな考察に向かうように、このお子さんは私に様々なことを教えてくれました。

小学生3年生になると、運動会ではクラス対抗のリレーが加わります。クラスの一員として、どこまでこのお子さんが、そのお子さんなりにがんばることができるのか、思案する日々が続きました。でも、考えていても始まりません。練習の時には、このお子さん本人が、加わりながらどれくらい「やろうとするか」を慎重に見ながら、バトンをもらう、スタートする、コースに沿って走る、次の人にバトンを渡す、という一連の行動を伝えていきました。

みんなも、このお子さんと共に、一位を目指す気持ちのようで、走る順番をどうすればカバーできるか毎回意見を交わしながら考えていました。このお子さんがそれに応える為には、勿論一足跳びに発達することはできませんが、コツコツと努力する姿をみんなに見てもらうことが大切なのかもしれない、そう考えて、個別の時間に練習することにしました。繰り返し繰り返し練習したことは、体が覚える特性を持っていますから、体に入ることさえ出来れば、本番に観客がいたとしても、自然と行動できるだろう。そう感じていました。

クラスのみんなは、一緒に練習する度に、このお子さんが少しずつ上手になっていることに気付きだします。「○○ちゃんもかんばっているんやな」そう言ってくれるようになりました。がんばっているからこそ、「僕らはもっと全力でカバーせなあかんな」とも。しかし、その年の運動会、クラス対抗リレーで、そのクラスは残念ながら二位でした。あんなにがんばったけれど負けてしまった。落胆したクラスメイトの一部の子たちは、「これは○○ちゃんのせいだ!」と怒り、靴で砂を蹴ってかけてきます。私はそれを見て、言い様のない悲しい気持ちになりました。お母さんも同じ気持ちでした。やり場のない怒り、悲しみでした。

 

カバーする側にも気持ちがあり、カバーするばかりでは疲弊してサポートする気力を失ってしまいます。周りも小学生。自分たちのことで精一杯でもおかしくありません。砂をかける子どもたちを責めても、余計に○○ちゃんへの風当たりは強くなるでしょう。幸いに、この学校はクラス替えが2年に1度なので、次の年もクラスは変わりません。1年かけて、もっと子どもたちに大切な物を渡したい。狙いは来年の運動会。それから1年かけて、今度はバトンタッチやコースを走る練習を始めました。悔しさを噛み締めながら、○○ちゃんと心を一つにして。

やがて、クラスのみんなにも○○ちゃんの取り組みが伝わり始めました。

困難を持った子どもたちが、その子どもなりの精一杯の努力をしている姿を見た時、周りの子どもたちの心の中には、「僕たちと一緒」という気持ちが芽生えます。「○○ちゃんががんばっているから、僕たちもがんばるぞ」と、逆に勇気を渡すことができるのです。

そういった勇気という炎を心の中に灯すことができた子たちは、本当の意味で強くなっています。結果的にクラスが一位になれなくても、がんばった自分たちに自信を持つことができます。その自信が、「プライド」なのだと思います。それこそが私がみんなに伝えたかったことでした。

 

4年生の運動会、そのお子さんは結局無事にリレーを走ることができました。バトンをもらってからは、一人で走り次の人に渡しました。上出来でした。クラスは鬼気迫る勢いで走り、念願の一位になりました。ところが周りのクラスから物言いがあったのです。どうやら○○ちゃんがコーナーに立つコーンを1つ内側を走ったというのです。判定まちになりました。審判の判定が出るまでの間、クラスのみんなにも不安の色が見えました。が、誰からともなく、「もし、○○ちゃんが内側を走っていて、反則負けになったとしても、僕らは力を合わせて全力で走りきった。だからそれでいい。僕らが本当の意味での一位だ」と。子どもたちは、胸を張って立派な表情をしていました。私は感無量でした。2年越しの想いが一気に報われるようでした。私が伝えたかったことを、見事にこのクラスのみんなが掴んでくれたのです。青春ドラマのワンシーンのようでした。

結果は、○○ちゃんのミスはおとがめなしとなりました。○○ちゃんのクラスが堂々の一位になったのです。○○ちゃんのミスがあったとしても、みんなの気持ちと連携の走りが、それを遥かに越えて素晴らしかったからです。2年越しの悲願が達成されて、みんなは泣いていました。

 

教室に戻ったみんなは、めいめい、その喜びを黒板いっぱいに記します。「□年△組優勝!」「ばんざい!」その時、誰かが書いていました。

「○○ちゃんがいての□年△組!!」

こんなことってあるんだな・・・と思いました。

去年、砂をかけたメンバーたちは、○○ちゃんの良き理解者となっていました。諦めずに、働き続けて本当によかったと思いました。

 

あれから7年近く経ちました。また今年も運動会がやってきました。あのお子さんは、一人でコースに立ち、バトンを持って走ってくるメンバーを待っています。その時、遅れて走ってきたクラスメイトの方に○○ちゃんは歩みよりました。速く速く!というように。そしてしっかりバトンを受けとりスタート!。力強い走りでコースに沿って走りきり、次の走者に渡しました。渡し終わると、意気揚々と自分1人で列に戻ることができました。

しっかりルールを理解して、リレーの一連の動きを今、その子は誰の力も借りず全くの1人で完結することができたのです。

 

あの時、一生懸命に練習したリレー。

それが、この「最後の運動会」で、見事に発揮されました。あの時の切磋琢磨は決して無駄ではありませんでした。

その子の笑顔がそれを物語っていました。