きらめき 綴り

困難を抱えた子どもたちと、日々格闘しています。その中での心の煌めきを大切にしています。

文章を書くときに大切にしていること。

私は欲張り人間です。

ご飯やデザートを食べに行ったら、無意識だけど、必ず呟いている言葉が「どれが一番大きいかな?」です。「美味しくて、一番大きいの」が好きなんです。

この、欲張りなところは、文章を書くときにも出現しています。

このブログを書くにあたって、私の1つの悩みどころは、読み手の皆さんのことを意識して、いつ読んでも、「あ、この文章はあの人だ!」と分かってもらえるような、一貫した書き方、例えば文末を「~です。ます。」といった敬体、または「~だ、~である。」といった常体の、どちらかに統一するかどうかでした。

ブログとは、読んでくださる方がいてこそでしょうから、一番認識してもらえる方法で書くほうが、定着してもらえるということで考えれば良いのでしょうね。ブログを訪れる度に、別人の様では、「誰?」と不快感を持つ方もいるかもしれませんから。

だけど、私は、その時々、伝えたいこと、書きたいことによって、その内容に、よりマッチする文末を選ぶことを選びました。

せっかく、書くことの自由を得たわけです。それならば、「こう」と枠に縛られず、1人の書き手だけれど、より多くの表現方法を得ることを選んだのです。

例えば、仕事に纏わることを書く時、そこには子どもたちや、その保護者の方たちが関与するので、会話などが入ったり、デリケートな心情などに触れます。相手のことを思い浮かべて書くと自然と身が引き締まり、文末は敬体が似合うなと感じます。

逆にプライベートについてや、内容に軽快さが必要な時、そして主張したいことがあるといった時は、文末は常体がフィットします。

そうやって、伝えたいことによって、自由に書き分けることを楽しみ、読み手の皆さんにも、より臨場感を感じてもらえたら、と思っています。

 

こうやって、その場その場で文体を変えるとバラバラな感じを読み手の皆さんに与えるかもしれませんが、「文は人なり」、恐らく、読んでいただくうちに、自然と私の内面の人間性というものが個性として滲みでて、分かってくださる方には、私がどんなことに関心を寄せ、何にこだわって書いているかが、伝わっていく、理解していって下さる と、信じているのだと思います。

そういう意味で、私は、文末についての欲張りものです。

 

更に、他に気をつけているのは、リズムと語感です。リズムは語呂というそうですが、もう少し音楽的なイメージです。テンポやリズムがその内容を、より引き立ててくれる気がします。リズムは、例えば俳句なら五、七、五。短歌なら、五、七、五、七、七は有名ですね。或いは、詩の技法である、比喩(別のものに例える)や反複法(同じ言葉を繰り返す)を使ったり、倒置法でわざと語順をひっくり返したり、体言止めで言い切ったり、擬音語(オノマトペ)を使ったりして、文章に変化を持たせたいなとも思っています。

語感というのは、言葉から感じるニュアンスのことです。温かみがある、とか、広がりを感じる、などで、それは人それぞれなのですが、自分なりに、こんな雰囲気で伝わってくれるといいな、と願いながら言葉を選んでいます。

 

私は時々、ちょっとした文章、例えば、我が子の幼稚園卒園にあたって文集に寄せた文章を読んだママ友さんに、「○○さんの文章は詩の様だ」と言われる、といったことがありました。

その頃は、自分が何気なく書いた文章を他者が読んだ時にいったいどういうリズムを感じてもらっているのか、全く分かりませんでした。

人にはそれぞれ、持っているリズムというものがあるとは、思っていますが、今考えると、それ以外にも私の育ちの中では、音楽の存在は大きかっただろうと思います。歌謡曲、ポップス、ロックもそうです。でも先日、大好きなアニソンの帝王、水木一郎さんが亡くなって、少なからずもショックを受け、何となくこれまた大好きなアニメの主題歌たちを聞いた時に気づきました。あの語呂の良さといい、リズム感といい、これは私の文章にかなり影響は与えているな、と。

また、日本昔話の市原悦子さんや、まんが世界昔話の宮城まり子さんの特徴的なナレーションを聞いて育ったことも、影響があるのでは、と。

そんな身の回りに自然とあったリズムたちが、私の根底に流れている気がします。

 

そして・・・

あるはてなブログの書き手さんは、文章を書くときに大体私たちの持つスマホの画面1ページ分、長くても1ページ半を目安に書かれています。このはてなブログですと、公開すると大きめに表示されるでしょうし、広告が入りますから収まりませんが、下書きの段階では恐らく1ページに近いだろうと思います。それ以上長くならないよう、言葉を吟味し不必要な物は削減しておられるのだと思います。それは、その方のモットーが「むずかしいことを やさしく」だからです。

むずかしいことを、やさしく書くには、少ない言葉で的確に伝えたいことを表現しなくてはいけないので、それだけ多くの語彙を持っていることが求められます。短い時間で読みきることが出来ないと、長い文章が苦手な読み手や、忙しい人に読んでもらうこと自体むずかしくなります。やさしくというのは、読みにくさにおいてもやさしくなるように配慮しなくてはいけないのです。

それができるだけの経験と知識を持っている方なのだ、ということが、文章を読むと分かり、さすがだな、それは真似できないな、と感じます。言葉数や量は少ないけれど、その文章や行間から、その人の人柄が立ち上がってくる。それこそ「文は人なり」というのでしょう。

 

逆に、この量という点に於いても、私は欲張りです。

多くの方に読んでいただくために、短めにすればいいのは分かっているのですが、私は、できれば、人や物事に関心を持ち、どのような経緯を辿ってそのような結論に辿り着いたか、といった思考の過程を書きたいと思っているのです。そして、願わくば、その思考の仕方がどなたかの琴線に触れ、何かの折りにお役に立つことができれば幸せだと考えています。

 

それには、細かいところを はしょってしまっては、思考の道筋が分からなくなってしまうのです。だから、あえて、長くなるかもしれませんが、一回のブログで、1つの思考について書ききるようにしています。

 

このように、私は文章を書くということについて意識的に欲張っているように書いていますが、ここに述べただけでなく、恐らく肌感覚の部分も多くあると思います。日々様々なことを感じ取り、それが知らず知らずに滲み出ているところがあるでしょう。

 

自分の分からないそれらの部分を、もしも 読み手の方に教えていただけるとしたら、こんな喜びはないなと思います。

そして、人それぞれ文章を書く時に大切にしていることが違うと思いますので、それらを知ることができる機会に恵まれるといいなと思います。

 

それも、欲張りのうちですよね(笑)