初めて出逢った日。その子は、可愛いいつぶらな瞳を真っ直ぐ私に向けていました。もし、その子が自発的に話すことが出来たなら、きっと「だれ?」と聞いたことでしょう。
学習支援についた私は、何をどうすればいいのか分からず、ただただ、お互い目と目を合わせ見つめていました。
文字を読んだり歌ったりすることはできるその子が、音楽の時間に、クラスの皆んなに合わせて一生懸命歌っているのを見た時、その子を含め皆んなを包む教室の空気が、キラキラと輝くように見え、胸がいっぱいになって涙が溢れそうになったのを覚えています。
その出逢いから、およそ11年間、私とその子のご縁は不思議と繋がっていきました。
私には、メンターとなる二人のお子さんがいます。どちらも一般的には重度の自閉症といわれる障がいを持つお子さんです。
重度の障がいを持つ子がメンター?と、思われる方もいらっしゃるかもしれません。
でも、そのお子さんたちがいなければ、今の私は無い、というほど、自閉症の人たちの瑞々しくも豊かな世界を私に見せ、重い障がいがあっても中にいる人格は素晴らしい人達で、私たちと何も変わらない、ということや、どんな風に接すれば心と心で繋がることができ、中にいる人格が表に出てきてくれるのか、といった、とても大切なことをたくさん教えてくれたお二人なのです。
今日は、その内のお一人のお子さんとのお話です。
そのお子さんは、漢字は苦手だったので、低学年の内はクラスの皆んなと同じ学習が出来ていましたが、学年が上がると共に難しくなっていきました。
言葉はある程度の理解は出来ますが、自発的に話したり、会話の往復、また、質問に沿って答えることについては難しく、オウム返しと言われる特有の特徴を持っていました。
例えば、
私「イチゴ、好き?」
子「すき」
私「イチゴ、きらい?」
子「きらい」
私「え?すき?きらい?どっち?」
子「どっち?」
という感じです。
なので、自分の意向を他者に伝えるということは、その子にとっては永く難しいことでした。
側にいる者が、表情や声のトーン、その子の気持ちを読み取り考えながら推し測るしかありませんでした。ただ、いくら頭で考えても、それはその人の感覚でしかなく、なかなかその人のフィルターを外して考えるということは難しいものです。
私が「その子になる」ということは出来ませんが、どうすれば、少しでもその子の身になって、その子が見ている世界を自分のことの様に感じることが出来るかだろうかと、毎日探りながら過ごしていると、自然と、その子の中に入り、その子の目の穴を通して周りの世界を見る感覚というものを身につけていきました。
そのお子さんには、誰にも負けない程の得意なことがありました。
当時、小学校低学年でしたが、3桁✕3桁の掛け算の問題を口頭で出しても、暗算でおよそ3秒で答えを出すことができたのです。
お母さんのお話では、幼い頃から掛け算が出来たということで、数字や計算の力が圧倒的に優れていました。
他にも同じく幼少期から某会社の英語教材を繰り返し聞いていた様で、単語を全て番号と共に覚えていました。
日本語は同じ音だけれど意味が違うという言葉がたくさんあります。その子は分からない言葉があれば、まず「英語で」と私に質問し、英語に直してから日本語を理解するという方法で語彙を増やしていました。
数字だけでなく、英語(詳しく言えばアルファベットや単語)といった流線形の文字にとにかく強く、私は数字•英語脳と呼んでいました。
私が出逢った頃から、授業中手が空くと、教科書やノート、はたまたテストの裏などに、びっしりと数字や英単語を書いていました。勿論、傍にいる者として止めますが、止めても止めても止まるとこ知らずです。それはやはり、頭に次々と浮かぶ数字をアウトプットしなければ、たちまち苦しくなってしまうからだったんだろうと思いました。
時には画用紙いっぱいにぐるぐる素数やフィボナッチ数列を書くので、肩がこるんじゃないかと心配になりました。
その内、ぐるぐる書いていた数字に纏まりが出来だします。何やら数字の後に英単語がひっついたり、四角に入った数字の後に、ひとかたまりの数字がひっついたり。取りとめがないように見えて、その子にとっては何やら意味がある。そんな風でした。その不可解な文字列の意味を解く為に、私はいつしか、その子が書いた落書きを、メモするようになりました。
控えたメモを眺める内に、時々気づきの瞬間が訪れました。例えば、数字の後に英単語がひっついているものは、単位のようなものです。5cm、7minutesの様に、その時好きだった英単語やロゴをひっつけることで、自分だけの「単位」を作っていたのです。時々、その英単語のアルファベットが一文字、違う文字と入れ替わっていることもありました。間違えたのか?というと違いました。わざと入れ替えて遊んでいたのです。
そういった、単位を作ったり、スペルを一文字変える、というのが、その子のその時の遊びだったのです。そんなこと、周りの人は誰も気づきません。解読したい、とも思わなかったようです。周りの誰もが、その子が、そんな高度な文字遊びができるとは考えてもみなかったのです。
そこで、私は、「〇〇ちゃん、ここ、ちゃうやん。ホントはNやろ?」と言ってみました。
(お?気づいたんか?)というように、ニヤっと笑いました。やっと気づいた者が現れて喜んでいるようでした。
その頃から、落書きには素数が増えていきました。なんとその子は、素数を6桁や7桁までも覚えていました。なぜ、素数を知っているのか、どうやって覚えているのか、は、誰にも分かりませんでした。そして、それが素数であること自体、気がつく人はいませんでした。
899749、 914239 を見て即座に「これは素数だね」と言える人は少ないでしょう。
この数字はなんだろう?で終わりです。
でも、私はそこで終われませんでした。その子の世界をもっともっと知りたくて、理解したかったからです。本当にその子が書く数字が素数なのか、それから私は時々調べることにしました。調べてみて分かったのは、その子が書く数字は確かに素数だったということでした。
この子のこの能力を、どうやったら伸ばしてあげることができるのだろうか。どうやれば、世の中の人に知ってもらい、将来に結びつけることができるのだろか。私はそれからというもの、この思いをずっと持ちながら関わることになりました。
その子が6年生になった時のことです。
夏休みの自由課題に、算数の自由研究というものがあることに気づきました。私は、何か、その子が持っている力を形にすることはできないかと考えていました。
ある日の理科の授業中、その子ができる課題は終わり、空いた時間をどう過ごすか考えていると、その部屋に素数表が貼ってあることに気づきました。大好きな素数表を見てもらうことで退屈しないようにと思って、本人に手渡したところ、暫く眺めた後、徐ろに私に突き返しました。
「え?なに?」
驚いた私がその素数表に目をやると、いつの間に書いたのか、ところどころに赤丸がつけられていたのです。
にわかには、それの意味するところが分からなくて、ただそのプリントを見つめるしかありませんでした。本人に聞いても何も教えてはくれません。
狐につままれたような気持ちでその素数表を見つめるうちに、体に電撃が走りました。何か、わかった気がしたのです。所謂私にとってのアハ体験でした。
例えば赤丸は、
2 、5 、11、 23 、47と
179、359、719、1439、2879
につけられていました。パッと見はランダムにつけられたように見えます。
でも、2と5と11、そして23には何か法則があるように見えました。
単純に、2を2倍した数に1足すと5です。
5を2倍した数に1足すと11になります。
23も、47も結果的に同じでした。
その子に、その式を紙に書いて見せ、
「こういうこと?」と聞きました。
何も答えてはくれませんでしが、明らかに喜んでいるので正解だったようです。
数日後、今度は紙に
④509、1019、2039 、4079
⑥127139、254279、508559、1017119、2034239、4068479
と書いて私に渡してきました。
「え?なに?どういうこと?」
「これ素数なん?」
いくら聞いても答えてくれません。
私はあれこれ考えては紙に書いてその子に聞きますが、いつもチラっとその紙を見るだけで、(あかんな)というように突き返されました。
何枚も、同じような紙を渡されて、私はなんだか大学教授から厳しく指導されている学生の様な感覚になり、可笑しくて笑ってしまいました。
難問を私が解読するには毎日時間が足りなさ過ぎるので、これは私の夏休みの課題だなと、集中して取り掛かるチャンスが来るのを待つことにしました。
そしてその夏休みがすごい速さで過ぎて、
もうすぐ夏が終わるよ、という8月30日、
私は一念発起してパソコンの前に座り、5時間ぶっ通しで検索しまくり、悪い頭で考えまくり、学びまくって、とうとう1つの仮説に行き着きました。
「これは、素数列の中の、第一種カニンガム鎖というものではないか?」
第一種カニンガム鎖とは、簡単にしか説明できませんが、ある素数を2倍して、それに1足した数もまた素数であり、それが何個か繰り返し鎖の様に繋がる素数列のことのようです。数列は末項以外はソフィー•ジェルマン素数で、初項以外は安全素数になるという条件があるとあります。
④509、1019、2039 、4079 は、4つ繋がるグループ。
⑥127139、254279、508559、1017119、2034239、4068479 は、6つ繋がるグループという感じです。
これはいつだったか、理科室で見せられた赤丸のついた素数表と同じではないか?
もしそうならば、なぜあの子はこれを知っているのか?疑問は募ります。
お母さんに聞きましたが、お母さんですらご存知ありませんでした。
あと一日で夏休みが終わる。
これを何とか形にして、その子の夏休みの算数の自由研究として提出するのはどうだろう?
そう考えた私は、その子が自発的に文書を書くのは難しいけれど、思考していることを代筆するという形で、いつもしていることを文章に起こし、拙いながらも下書きをしてみました。
始業式の日。
その子に下書きを見せてみました。
「いつも書いてるのはこれの事?」
その子の目が大きく見開かれました。食い入るように読んでいます。読み終わり、顔を上げた時、その表情は恍惚としたものになっていました。
ドンピシャだったようです。
(おまえ、とうとうやったな!)
という顔で私を見つめます笑
「〇〇さん。これ、清書する?
もし、清書を頑張ってできるなら、自由研究として出してみようよ」
そう切り出しました。
3秒。思案したのはそれだけで、パッと私の手から紙を取り、鉛筆を握りしめました。
「やる」ということなのでしょう。
その子がそれ程の意欲を見せるのは珍しいことです。よほどなのでしょう。
その子にとっては、例えA43枚であっても至難の業です。それを、文句も言わずに熱心に、一心不乱に清書しました。綺麗な文字を書くというのも難しい中、その子なりの一番丁寧な文字で、清書は書き上げられました。
「がんばったね」
返事はありませんが、その背中は満足そうでした。
清書は、他のお子さんが書いたような立派な出来ではありません。文章も曲がっています。6年生の字にしては幼いかもしれません。でも、誰がこれを自閉症のお子さんが書いたと思うでしょうか。
試しに私の周りにいる数学が得意な先生や、数学の免許を持つ先生方に聞いてみましたが、誰もカニンガム鎖のことをご存知ありませんでした。数学者たちにはメジャーなのかもしれませんが、一般的にはあまり知られていないのかもしれません。
本当は、これを、日頃は自発的な会話にも困難があるお子さんが、調べ、学び、考えていて、こういった形ではあるけれど表に表したものであるということも文章にして書き添えて、自由研究を提出することも考えましたが、応募先の機関がどのような目を持ち判断するかを待ってみようかとも思い、特に説明文はつけずに提出しました。
結果に期待しないと言えば嘘になりますが、拙くても一度は形にして世に出した。その子もやっと考えていることを理解してもらえたという風に喜んでいる。それだけでも満足で幸せでした。
かなりの期間を置いて、忘れた頃に自由研究は帰ってきました。落選でした。
日本は、アメリカなどと違い、その子の様な特殊な能力を持つお子さんに、特殊教育を行うという土壌にありません。しかし、何らかの方法で、然るべき機関に発掘されることがあったなら、可能性がないわけではないかもしれません。
支援の先生が、「これは大学に出すべきものかもしれなかったね」と言っていました。
でも、私にはそこまで出来ませんでした。
なぜなら、その子の人生が大きく変わってしまうかもしれなかったからです。
ご家族の人生も巻き込んでしまうかもしれない大きなことだから。
私の小さな大学教授は、今では青年になり、私に巨大数と日本の特殊能力を持つ自閉症児の教育環境問題という難問を残して卒業し、去っていきました。