いじめの芽を見つけたら、すぐ摘み取る方がいい。
芽が伸び、蔓延りかけていても、諦めずに摘み続け、代わりに、萎れかけていた勇気の花の芽に、希望という名の水を与え続ければ、やがてその芽は勢いを取り戻し、大きな花をたくさん咲かせる。
もう何年も前のことです。
私は、あるクラスに介助員として入っていました。
そのクラスには、顔なじみの子ども達がたくさんいました。
それはその子ども達が低学年の時にも、私は主な担当としてその学年に入っていたからでした。
何年ぶりかの子どもたち。懐かしさで知らず知らずに顔が綻びました。
担任の先生は、まだ初々しさの残る若い先生です。
数日、過ぎたころ、私はある事に気づきました。
クラスの子どもたちの表情に、翳りが見えるのです。
低学年の頃は、ベテランの先生に大切なことをたくさん教わってきたその学年。
子どもたちは皆んな屈託がなく、生き生きしていました。
ベテランの先生、特に今は退職された60代の先生方などの多くは、早くに出勤し教室に行き、冬でも窓を全部開け、一晩の内に籠もった空気を一掃させて登校してくる子どもたちを新鮮な空気で迎えておられ、そういう細かな配慮がされた空間で育まれていました。
学年が上がると、みんな思春期の入り口に立ち、屈託の無さというのは減るものでしょうが、皆んなの表情の翳りというのは、そういった頃とは随分と違ったものに見えました。
朝、教室に向かうと、廊下に黒い空気が漂っているのを感じます。
ある日、担任の先生に、「黒い空気を感じませんか?」と伺いました。
先生は、「そんな空気など、感じるということがあるのですか?」と逆に質問されました。
その先生には、まだその黒い空気は見えないようです。
勿論、朝、窓を開けていない、子どもを迎える空気まで気を配っていない、そういう空気の淀みという影響もあるかもしれませんし、それだけではないのかもしれません。
この、黒い空気はどこから来ているのか。私はよく注意して子ども達や先生を観察して過ごしました。
観察していて、初めに気づいたことは、体の小さな子どもたちや、女の子たちの目が、落ち着かず、伏し目がちなことでした。
その事を、担任の先生に伝えてみました。が、「そんなことはないでしょう」との返事でした。
ある日、体育館の入口で、クラスの子どもたちが数人掃除をしていました。私がたまたまそこを通りかかった時でした。
一人の子どもが、同じクラスの小柄な友達の髪を掴んで引きずり倒したのです。
衝撃的な場面でした。
周りにはたくさんの子どもや先生もいましたが、その場面を見た人は、私以外にはいないようでした。それ自体、信じられないことでしたが、それだけ他者に関心を寄せる人が少なくなっていることの現れなのかと愕然としました。
私は咄嗟に駆け寄って、倒れた子どもを起こしながら、「なぜ、こんなことになったの?」と聞きましたが、倒された子どもは「分からない」と答えました。
ケンカをしたの?と聞いても「分からない」というのです、、、。
この先は、いじめのない学級を作るにはどうすればいいか?いじめを起こすお子さんへの対応、いじめられる側のお子さんへの対応、子どもたちの心に希望の光を当ててあげるにはどうしたらいいか?といった方法も書かれています。
いじめ問題に関心を持ち、心寄せている方に一人でも多くお読みいただき、子どもたちへの対応を知っていただけると嬉しいです。