私の周りには、とにかく可愛いお子さんたちが、常にいっぱいです。
それは、お父さんお母さん方が大切に大切に育んでこられた子どもたちです。
そのお父さんお母さんのお顔を拝見し、子ども達に関わるお姿を見る度に、そこにかけられた想いや願いを感じ、胸がきらめきでいっぱいになるのです。
この、お父さんやお母さん、そして大切な子ども達の為に、私が出来ることは何か?
そういった想いで、また私も前を向いて進んでいます。
さて、そうやって多くのご家族と接していると、家族の数だけ物語があるなと感じるのですが、その中でも、時々ある法則めいたものを見つけることがあります。
今日、お話するのは子どもたちの持つ不思議な力についてです。
お父さんお母さんの元に、複数人のお子さんが生まれると、自動的子どもたちの意志とは別に、
男の子なら、
長男、次男、三男、四男、五男、六男、、、
女の子なら
長女、次女、三女、四女、五女、六女、、、と、呼ばれることになりますね。
かく言う私は長女でして、何かというと両親や兄弟から「長女でしょ」「長女だから」と言われてきました。
生まれる順は選べないので、一番先に生まれたというだけで、家族の諸々を引き受ける重責を押し付けられるとさすがにかなりの抵抗を感じたものです。
しかし、そう言われ続けると、なんだか知らぬ間に責任感なるものも育ち、結局他の兄弟を率いてまとめていくことになったりもします。勿論、性格にもよるとは思いますが、環境や期待が作る、後発的な性格というものもあるよなぁということは、同意される方も多くいらっしゃるのではないかなと思います。
ところが、反対に「総領の甚六」という言葉があるように、最初に生まれた子どもというのは、他の弟、妹に比べると、おっとりしていて人が良いというか、世間知らずというか、とにかく、すれていないという意味で昔からそう言われているのですが、そこから考えると、長男、長女は本来生まれて暫くは一人っ子の時代があるので、競争相手がおらずおっとりしているが、弟妹が生まれ「長男、長女」と言われる内に、しっかりせねば、と責任感を持ち出すのだろうと解釈されます。言われ続けることによって、その言葉の意味する通りに成長するとは、言霊には不思議な力があるものですね。
さてさて、そういう第一子からしてみれば、その後に生まれてきた弟、妹たちは、とにかく可愛いけれど、手がかかり、兄、姉として自分もまだ幼いのにお世話もしなくてはならないことも多く、甘えたくてもお母さんは大変だからと、グッと我慢してお手伝いしていたりするものです。
お父さんお母さんにとっても、後から生まれた小さな子どもは殊更可愛く思え、自分たちにとって最後の子どもかもしれないとも思うと、ずっとこのままでいて欲しい、できるだけゆっくり大きくなって欲しい、と切に願ってしまうものの様です。
第一子の長男、長女には、とにかく早くしっかりして欲しいという願い(呪い?)がかけられるのに、なんと理不尽なことでしょうか(笑)
その他、一人っ子、二人兄弟というような場合ではご両親にはゆとりがお有りなのでしょうか、それはそれはとても可愛がってお育てのところもあったりします。見ていて、幸せだなぁとお裾分けをもらったような幸せな気持ちになるものです。
そういう家族の関係性などを外から眺めておりますと、特に最近は子どもたちが可愛がられていて、小さい子として庇護されているのを感じることが多いです。
末っ子は特に出来ないことが多いほど親御さんにしてみれば可愛いようですね。
出来ないことを気に留め、悩み、ご相談されながらも、どこかお母さんの心の底に、