きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

息子が小学生だった頃。親子で向き合った日々。

 息子が周りと何かが違う、と気づいたのは産まれて3日目のことでした。

出産の際の大量出血で母乳をあげることができず、息子は新生児室で看護師さんからミルクをもらっていました。

廊下を隔てた向こうの新生児室で一際大きく泣く声が息子だということは、なぜだか見なくてもすぐに分かりました。

看護師さんが来て、「ミルクをあげてもあげても泣く。こんな子初めてだ」と言われた時、「そんなことって?」とショックを受けました。

 

発達障がいの子どもたちは過敏(鈍麻もある)で、欲求が強いことがままあります。それはこんな産まれてすぐから傾向として現れていたのかもしれません。

 

夜泣き、癇の虫、抱っこできない、、、。

動き回る、ケンカする、みんなと同じようにお遊戯できない、、、。

などなど、どうしてうちだけ?と何度思ったことでしょうか。

 

娘が産まれたことで、その違いははっきりしました。

あぁ、他の人はこんなに楽で楽しい子育てをしていたのか、、、と、妙に腑に落ちました。 

 

幼稚園に上がれば、登園渋り。

園でも毎日ケンカ勃発。すぐに手が出ます。

その時の定年退職間際だった担任の先生は、息子の手を優しく取り、

「あなたが悪いんじゃないの。この手が悪いの。」

と、愛情を込めて、優しく手をペシペシと軽く叩いてたしなめてくれました。

情報の少ないその頃に、自分で調べて

「うちの子は、アスペルガーじゃありませんか?」

と何度か聞いてみましたが、

「そういうことは、私たちからは言えないの。受診して、とか、可能性がある、とかね」

と、何とも言えない表情で仰ったことを覚えています。

まだ、自閉スペクトラム症という言葉もなかった頃です。

本当は、可能性があると分かっておられたことでしょう。できれば受診して欲しいなとも思っておられたのではないでしょうか。でも、憚られる。

今の様に園から受診してみては?と軽々しく言えない頃だったので、

「もし心配なら、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さんも交えて相談して、意見が揃ってからにしたほうがいいですよ」

とだけ、そっとアドバイス下さったのでした。

 

そうして、何もはっきりせぬまま、小学校へと入学します。

が、やはり周りから逸脱して、先生の手を焼かせることが多かった毎日でした。登校渋りも激しくありました。

1年生から3年生までの担任の先生は、若くて経験が浅くアスペルガーADHDのことなどご存知ない先生ばかりでした。

それでも優しい先生ばかりで、手がかかる息子に苦笑しながらも、なんとか良いところを見つけてくれようと一生懸命に関わって下さいました。

私もなんとかして息子を理解してもらうため、必死に勉強し、息子と格闘し、分かったことを先生に何度となくお伝えました。

下手をすると、モンスターペアレントと言われるんじゃないか・・・。そんな心配は常に頭にありましたが、諦めることはできませんでした。

 

先生方は、みんなお若いけれど、良い方ばかりで、快く受け取り、熱心に関わって下さったことだけは救いでした。

ただ、年度が変わる度、満足のいく申し送りがされることはなくそれだけが残念でした。

毎年自分で1から10まで同じ内容を新しい先生にお伝えしなくてはならないことに「なんで?」と憤りを持ちつつも、それでも困っている息子のために、そして対応に苦慮される先生のためにも、奮起して伝え続けました。

その後、先生方がどんなにお忙しく、年度終わりの転勤が大変なものか知ったのは、私が介助員になってからでした。一人ひとりについて、本来なら手厚く引き継ぎの書類を作成したり話したりするのが良いと分かっていても、それが満足にできない現状を理解しました。ならば、骨の折れることですが、大事な我が子のことを母親である私が毎年先生に申し送りのようにお話ししたとしても、それはある意味、当然だったし、一番の早道だったのかもしれないなと思いました。

 

学校生活の中では、当然トラブル続き。お友達に手を出してしまうことも多々ありました。

その度に、私はお菓子折りを持って相手のお宅まで息子を連れてお詫びに伺ったものです。

そして、渾々と話して聞かせました。

毎回、息子にも言い分がありましたが、世の中は、どんなにきっかけがあろうとも、先に手を出した方が罰せられます。それは理不尽なことですが、それでも、

自分がしてしまった部分については潔く認め謝れる人になってもらいたい。

謝ることで、相手に誠意を見せることができ、相手との関係をまた築き直せるきっかけになる、潤滑油だということ。

手を出してしまったらどういうことになるかということも身を持って知ってほしい。

ということを。

なぜならそれは、将来息子が自分の身を守ることにも繋がると考えていたからです。

 

先生方は親身になって対応してくださいましたが、トラブルが起きた時の対処法などを教えていただくと、私なりに不満を感じるところもあり、どうしたら良いものかと日々思案していました。

先に手を出した方が罰せられる世の中では、どんなに相手に挑発されて、我慢が出来ず、やむを得ずであったとしても、今のままでは息子の部が悪すぎます。

なんとしてでも、どんなことがあっても、「手を出してはいけない」ということは息子に理解してもらわなければならないし、我慢出来ない状況になっても、自分の感情や行動を抑制してコントロールできるようになっておかなくてはならないし、その為には、そんな極限になるまでに、自分の気持ちやSOSを言語化して他者に伝えられるようになるための力や対処法を身につけてもらわなくてはならない、そう強く実感していました。

その為にも、トラブルが起きた時には、まず

両者から気持ちや状況を聞き取りしてもらうこと。

居合わせた人から時系列で事情を聞いてもらうこと。

両者の言い分、居合わせた人の証言が合致するか検証すること。

辻褄が合わない部分について、丁寧に再度両者から聞き取りをして、背景を探ること。

その後、必ず両者を引き合わせて、自分の気持ちや状況を自分で伝え、相手の気持ちや状況を聞く機会を設けて欲しい。

とお願いしました。

ASDADHD傾向のある子どもたちは、相手の背景を見落としたり、相手の気持ちに疎かったりするために、どうして相手が怒ったり、泣いたりしているのか分からずに、自分が何か先に相手の気に触ることをしていたとしても、分からず、その次に自分が受けた仕打ちからしか記憶を辿れていないことが多いのです。

相手やその場を見ていた人から、その部分について指摘を受けることによって、自分の捉えていた全体像に間違いがあることや、相手の気持ちが分かっていなかったことに気づくことができるのです。

またその逆も然りです。

お互いが発達に困難を抱えている間柄なら特に、相手も息子の背景、状況、気持ちに気づけていなかったということが必ず出てきます。それが食い違いとして出ていた部分です。

そこをすり合わせて初めて、お互いが自分のしたことに気づき、そこについては「ごめんなさい」と謝ることができるし、相手の「ごめんね」についても「いいよ」といってあげることが可能になります。

小学生という年齢では、自分の気持ちや状況を適切な言葉で表現できる子供は少ないですし、短期記憶が弱い子であれば、そもそも覚えていないということが出てきます。言葉の表面上だけでなく、心理面からも考えなくてはならないので、一つのケースだけでも大変に骨の折れる作業であると言えます。

30人前後の子供を抱えた先生が、毎日いくつも起きるトラブルに、対応するのはこうやって考えただけでも大変なことなわけですから、ではどうすればいいか?というと、我が子のことは母親である自分が聞き取る。ということになります。相手の言い分を聞き取った相手方のお母さんのお話も合わせて先生には情報として掴んでもらい、両方の子どもも話し合いに立ち会ってもらえば、ずいぶん先生の負担も軽くなり、見えなかった事情に気付けることも多く出てくることでしょう。

先に手を出したことについては息子は潔く認め、謝らなくてはなりませんが、そのような状況に追い込んだ流れがあったとすれば、それについてはこの話し合いをしてもらうことで明らかになり、相手が悪かった部分については相手から謝ってもらうことも可能になります。息子も少しは救われるでしょう。お互いの勘違いやすれ違いについてもお互いが認識することができて、和解しやすくなります。

 

20年ほど前と言えば、今のような子どもの為の相談事業所も、放課後等デイサービスもなかった時代です。我が子に他者と揉めたときにどうすれば和解し、また関係性を続けることができるか、リスクを回避することができるか、教えてやるには、家で、学校で、上記のように生きたSSTを重ねるしか、当時は方法がありませんでした。

中学になれば、人を殴れば刑罰を受けます。

14歳になれば傷害罪になるのです。

小学校を卒業するまでに、何としてでも止めなければいけない、そう決心していました。

 

それ以降も何度か我慢できずに手を出してしまったことがありましたが、その度に親子でお詫びに行き、息子の見ている前で、

「申し訳ありませんでした」

と頭を下げる事は、恥ずかしく、屈辱的でもありました。

後ろで親が自分のことで頭を下げている姿を見ている息子も、辛く惨めな気持ちだったことと思います。

でも、それでいいのです。

人に手を出せば、どういうことになるか。今の間に、しっかりと見て、感じて、心に刻み付けておかなくてはいけないのです。

そして、息子本人にも当然頭を下げさせます。嫌だと言うのは通りません。

親子で辛い気持ちを抱えて帰宅しながらも、ちゃんと謝ることができたことは認め、絶対に今度から手を出してはいけないよと真剣に言って聞かせました。

 

段々、そういった出来事は回数が減り、息子は中学に上がってからは一度も人に手を上げることはなくなりました。

 

「中学生になったら、絶対にあかんって言ってたから」

後に、息子から出た言葉です。

 

親が子供を守るためにしてやれることは、権利を主張するだけではありません。

 

「自分のしたことの責任を取る」

という姿勢を身をもって教える、ということも、その一つなのではないかと今でも思っています。