きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

きらめき療育論:スクールカウンセラー制度は機能しているか?その役割とは。

今や多くの学校に配置されているスクールカウンセラー

子どもさんのおられるご家庭なら、学校からスクールカウンセラーを利用できる日程を知らせるプリントなどで、そういう制度があることをご存知のことでしょう。

中には何度か利用してみた!という方もいらっしゃるかもしれません。

 

1995年に文部科学省において設置されてから28年。

不登校問題や発達障害に纏わる問題に対して、このスクールカウンセラー制度は果たして上手く機能しているのでしょうか?

 

もし、機能しているとしたら、、、。

不登校児は今頃減少の道を辿っているのではないでしょうか?

 

しかし実際は増加の一途。歯止めが効かないところまで来てしまいました。

ということは、上手く機能できている、とは言えないのではないか?と思うのです。

それはなぜなのか?について書いていきたいと思います。

 

皆さん、スクールカウンセラーに相談をした経験がある方はどれくらいいらっしゃいますか?

28年の間に、その存在は以前よりもずっと周知が進んではいるものの、その相談内容の特性上、周りの人に利用することを知られたくないと考える人は多いことと思います。そのためどれくらい利用している人がいるのか分かりづらく、しかも予約制のため、ハードルが高いなと感じるなど、受けてみたいなと思っていても、なかなか利用に踏み出せずにいる方も多いのではないでしょうか。

そういった中で、お子さんへの対応などで切羽詰り、勇気を出して予約に漕ぎつけ、限られた時間内で聞きたいことをできるだけ話せるように、と書き出すなど、準備にも時間をかけて、緊張しながら当日を迎えた結果、欲しかったアドバイスがもらえたよ、という方はどれくらいいらっしゃるでしょうか?

 

私の知る限り、

 

「確かに、話は聞いてもらえたけれど、、、

期待したような具体的なアドバイスはもらえなかった。」

というケースが圧倒的に多いと感じています。

 

確かにスクールカウンセラーは、カウンセラーなので、もちろん傾聴のプロではあります。ところが、保護者はただ話を聞いてくれる人を探していたわけではなく、あくまでも何らかの解決策を探していて、藁をも掴む思いでスクールカウンセラーに辿り着いたのですから、またそこで、ただ話を聞いただけ・・・というのでは、落胆して当然とも言えるでしょう。

まるで目から鱗のアドバイスによって、劇的に解決に進むんじゃないだろうか?という位の期待を持って臨んでいるのですから、期待外れに終わってしまった時、もう万策尽きて、頼れる人は他にもういない位のショックを受けると言っても過言ではないのではないでしょうか。

通常のカウンセリングを受けたことのある方ならご存知かもしれませんが、本当はカウンセラーは、話をただ聴いているだけではありません。カールロジャースが提唱した来談者中心療法なら、話を聴きながら、クライエント自身が本来持っている、良くなろうとする力を発揮できるよう、受容し共感的理解を示しているのです。そこには指示、教示は入りません。クライアントはカウンセラーに共感的態度で受け入れられ、話を進める内に、自由に自分を表現できるようになり、自ら問題の本質に向かい出すことで解決を目指していく方法です。

しかし、これには相性というものがあります。

実はカウンセラーは、傾聴する際には、あたかも自分が経験したかのように、クライエントの身になって共感します。その時、クライエントに対して発する言動が、自分の心の動きと一致していることが大切で、建前では共感しているのに、本当はそうは思っていないのではないか?とクライエントが疑心暗鬼にさせない為に、自己一致していなくてはならないとされています。

しかし、どんなに自己一致させているカウンセラーがカウンセリングしていても、回を重ねていくうちに、途中の過程として、クライエントが勝手に疑心暗鬼になることもあります。それ自体が、クライエントが持つ、生育歴などからなる特徴でもあるのですが、ここでクライエントがカウンセリングを止めてしまえばそこまでですし、逆に、疑心暗鬼になるのは自分の思い過ごしかもしれないと考えて継続していくうちに、カウンセラーへの信頼が回復して信頼関係を結ぶ中で多くの気づきを得て回復していく場合もあります。

全ての人がカウンセリングを受ければ回復できればいいのですが、お互いにタイプがありますから、上手くいくケースばかりではありませんし、上手く回復の道を辿っていくためには、こんなカウンセリングなどしても埒があかないと中断せずに継続させていくことが必要になります。

そういったことから考えても、学校という多くの人が関わる場に1人のカウンセラーで、1人のクライエントに複数回継続して予約を取り面談していくということ自体、なかなか難しいと言えます。

また、継続していく中での回復を目指すやり方を通すカウンセラーと、一回の面談から具体的なアドバイス、教示がもらえると期待して挑む保護者とでは、温度差が出てもおかしくはないでしょう。

生徒へのカウンセリングを行うのには適していても、不登校児を抱える保護者への面談では、保護者や子どもの生育歴などの背景から要因を探るだけでなく、学校側としてどのような連携が出来、対応していくかについても率直に話し合うことが求められます。

また、スクールカウンセラーは、学校という特性上、発達障がいにも精通していなけれはならないとされています。本来は保護者からの相談に、専門家として具体的アドバイスをすることが出来なければいけないのですが、実際には、スクールカウンセラーの全ての人が発達障がいについて深い知識と経験を持っているわけではありません。むしろ、経験のないカウンセラーの方が多いかもしれません。

それ故に、保護者が藁をもすがる思いで相談に言っても、傾聴されただけとしか思えないような対応であったり、多くの人が、

「見守りましょう」

「登校刺激を与えないように」

と言われて帰って来てしまうのです。

 

これは、市の教育センターなどに在中する、心理士でも同じです。

もし、スクールカウンセラーが、発達障がいに深い専門的知識と経験を持っていれば、「見守りましょう」

「登校刺激を与えないように」

とは、言わないはずなのです。

経験の浅い、スクールカウンセラーは、深い知識と経験がないからこそ、

「見守りましょう」

「登校刺激を与えないように」

と、言うしか術が無いのです。

 

学校、支援学級の先生方、そして療育施設の職員たちは、いわば実戦部隊です。直接、発達障がいの子ども達と日々接し、切磋琢磨しています。肌感覚で、不登校になりかけている子どもがいても、まだご両親と相談して、何とかしてでも瀬戸際で食い止めたい、まだそれが可能だ、と熱い思いであれこれと作戦を練っている場合もあるのですが、一度、スクールカウンセラーから「見守りましょう」「登校刺激をしないように」と言われてしまうと、手出しが出来なくなってしまうのです。

挙げ句には、学校に少し登校するとしても、放課後誰もいなくなった教室に登校することを勧められます。勿論色々なケースがありますから、過敏で学校が怖いお子さんにはスモールステップで、人目も人気もない時間でもいいから学校にきて少しずつ慣れ、安全圏だと認識してもらうことが必要な場合もあるでしょう。

全く登校できないよりも、1時間でもいいから登校して、先生と学習できる時間を持つことは大切だと思います。

ただ、発達障がいの子どもたちの中には、朝が苦手(ゲーム依存や起立性調整障害や生活のリズムが後ろに食い込みがち)な子どもたちもいます。

学校が終わる4時頃から登校するパターンになると、それが習慣化され、朝7時には起きて、朝ごはんを食べ、8時前には家を出る生活には戻れなくなります。

1度崩れた生活パターンを、元に戻すのは簡単ではありません。しかも、それはお母さんが1人で奮闘せざるを得ない場合が圧倒的に多いです。カウンセラーや学校の先生は、家の中にまで介入して、子どもを起こして朝ごはん食べさせ、着替えさせて登校させるというようなことはしてくれません。

人目も、人気もない放課後の学校に幾ら長く通っても、友達のいるクラスや校舎に入れるようにはなりません。

もし、一時、自宅でゆっくりする時間が必要だったとしても、それが長くなる前には計画を立てて、上手に学校に戻れるようレールを引くことが必要です。

しかし、大抵は、そこの計画がされていないことが多いです。

何故なら、スクールカウンセラーからOKがでないからです。

実戦部隊で無い、カウンセラーは、

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