若い頃の蓮舫さんは好きだった。
あの、ド直球さも、鋭さも、若かりし日の蓮舫さんをより輝かす材料でしかなかった。
テレビに良く出ていた蓮舫さんは、聡明で、生き生きとして、華やかだった。
都知事の選挙は東京に住んでいない私の様な者にとっても、その行く末はいつも気になるものだ。それはやはり日本を代表する首都を治める人を決める選挙だからだろう。
それが今回の様に多様な人が立候補し混乱を極めるとは。いつもよりも余計に驚き、どうなるかとハラハラした。
だからだろうか。
人々は、「落ち着き」や「安定感」を求めたのではないだろうか。
小池さんが最善だったかは分からない。カイロ大のことも本当のところは分からない。これまでに政党もコロコロ変わる人だと知人が昔言っていた。だから、本当の小池さんは分からない。
ただ、どんなに揺さぶりをかけられても、画面で見る小池さんは穏やかに目尻を下げて笑っている。その目の奥には到底私たちには伺いしれないものが宿っている。
本心は分からない。だけれども、時には嵐の中には立っていても、それに動じず、多くを語らず、ただ淡々と進む穏やかな強さ、その本心の掴めなさというしたたかさが、どこかどっしりとした安定感のようなものとして、都民の目には映ったのではないか、などと考えた。
蓮舫さんは、議員になってから、随分ご苦労された様子で、どんどん余裕を失っていったように私の目には見えていた。
応援する人たちの声に浮足立ち、興奮する姿をみていると、なぜだか逆に不安定さを感じてしまった。
あまりにテンションが上がったり下がったり、尖ったりすると、周りとギクシャクするのではないかと心配になる。
日本を代表する首都を治める人だからこそ、渦巻く思惑に絡め取られず切り抜けながら、しかし淡々とその目に微笑みを称える小池さんが、トップの器としては大きかったのかもしれない。
その是非は分からないけれど、私もそれなりに年齢を重ねてきて、どんな荒波に揉まれながらも穏やかに微笑んでみせる余裕を持ちたいものだ、と都知事選を見て思った。