私たち同級生は、高校を卒業してから、度々集まってきた。高校2年の時のクラスの男女仲良しのグループに、時々他のメンバーが加わったり、変化しながら今年35年を迎えた。
私は子育て時代や仕事をしていた超多忙時代にはあまり顔を出さず、最近になって時々参加する程度だが、会えばみんな元気で一気に心は高校生へと戻ってしまうのは同じだった。
私には高校2年生から4年間お付き合いをした人がいた。
その人は、ジェームス•ディーンの様で学年一かと言われるほど格好が良く、他校の女子高生からも駅で待ち伏せされるほどだった。
当時、私はそれが自慢などでは全くなく、ただただ、心がざわざわしていたことを思い出す。
二人共が広く浅くの人間つきあいは苦手だった為、お互いが拠り所、といった関係性だったように思う。
お互いの家を行ったり来たり。遠方に就職してからも、遠い道のりを買った愛車で会いに来てくれた。そのうち、結婚を意識するようになり、その人は自分の母親にも話していたようだが、「まだ若いんじゃないかな?」と言われていたようだった。
程なくして、私たちはひょんな事から別れた。20歳だった。
高校という青春時代からのつきあいとあって、私にとっては甘酸っぱく、いつまでも色褪せない思い出となった。
あれから33年。
1度も同窓会や集まりに顔を出したことのないその人が、今回初めて仲間の誘いに乗ってやって来た。
もう2度と、会う機会のない人なのだろうと思っていた。
会えば色々と聞きたいことがあった。
三ノ宮のあるお店で、私たちは何度も乾杯し直しながら美味しい料理を食べていた。
その人が現れたのは、初めの乾杯をしてから、だいぶ経ったころだった。
仲間の中には、昔の面影を期待していた者もいたのだろうが、33年も経つのだ。お互いに変わっていて当然だろうと思う。
勝手な期待値が高すぎた分、反動も大きかったのか、仲間の内の一人が乗り乗りで呼んだのに、来てみたら全く話しかけなどしないという手のひらの返し様だった。
でも人間、目の色は変わらないものだ。
その人は、日本人にしては随分と明るい黄色がかった茶色い目をしていた。
最近は、目の色について色んな言い方があるようだ。赤茶色ならアンバーアイ。もっと黄みがかった薄茶色はヘーゼルアイ。さすればその人はどちらかというとヘーゼルアイだろう。
で、その人の目の色が昔と同じだ!と、その場にいた誰もが気がついた。同一人物だ。
「久しぶりやね」
それが33年ぶりの言葉だった。
「お母さん、元気?」
「妹たちは?」
なんだか、こういった言葉から、4年の歳月の深みを勝手に感じた。
ただ、外で会っていただけなら家族のことを聞きなどしない。短期間のつきあいなら、恐らくお互いのその後に話題は集中するだろう。
下手をすれば、「あんまり覚えていない」と言われる可能性だってあるではないか。
ところが、記憶力の良い私だけでなく、その人も、ことごとく詳しく当時のことを覚えていたのだ。
高校への通学カバンを神戸のセンター街でお揃いのものを買って登校したこと。
胸に赤い薔薇の刺繍がされた当時人気があったKENZOの白いシャツが私のお気に入りで、当時よく着ていたのだが、これと同じシャツを私がプレゼントしていて、お揃いでよく着ていたこと(お揃いだったことを私はわすれていた)。
私が非常に車酔いが酷かったこと。
進路を相談せずに決めてしまったこと。
などなど、あれこれと一気に話していた時だった。
「その中でも、一番忘れられないのが、、、」とその人がさっきまでのトーンと変わってゆっくりと何やら切り出した。
「なに?」と訝しむ私。
「その中でも、一番忘れられないことがあって。それは言われたことなんだけど。ずっとそれを噛み締めながら今まで生きてきたことがある」「それは、、、ある時、『信頼は、1度失うと簡単には取り戻せないのよ』と言われたこと」
と言うのだ。
そして、
「いつも、ド•正論で、苦し紛れに何か言い返そうと思うんだけど、どこにも間違ってるところがなくて、ただただシュンとしていたw」「だけど、その『信頼〜』のくだりは、特に忘れられなくて、それからずっとその言葉を胸に入れて生きてきた。仕事でも、部下たちに、『いいか?信頼というものはな〜』っていつも話してるんやで」
と続けて話してくれた。
これには驚き、参ってしまった。
何故なら、その『信頼は〜』のくだりを、私は今でも強く思っているし、なんなら仕事ではやっぱり職員に対して言っていたからだ。
そして、その「ド•正論」という言葉、、、。
私の隣には1人女の友達が座っていたが、この友達と数日前にラインのやり取りをしていた時だった。
私の良いところとして「正論を言う」をその友達が挙げていたのだ。
普通、「正論を言う」とは、あまり良い意味で使われない。
堅苦しい正論ばかりを言って、相手にも感情があるということを考えていない人、というようなレッテルを貼る時によく使われることが多いからだ。
私としては色んな角度から検討した上で話しているつもりだけれど、こういう言われ方をしてしまうと、身も蓋もないなと半ばコンプレックスになっていたが、この女友達は、それが私の良いところだと言うのだ。
何故なら、私がそれを言うとすれば、よくよく考えた上で、それを言うに値するという結論に至ったということであって、そこにはそれだけの信頼性があるからだ、というのだ。
この女友達も、非常に記憶力が良く、他の友達が言うには洞察力に優れていたらしい。
他の誰よりも私のことを良く知っていた人物だった。
その人物が「それがあんたの良いところ」と言ってくれるのだから、これほど嬉しいことはない、と喜んでいたところだった。
その女友達と同じ言葉を数日の違いで、昔付き合った人の口から33年経った今聞かされることになるとは。
「そんなこと、私言ったんやね。いや、言いそう。というか、今でも言ってる。悪かったね。ごめんね。」
と若き日の非礼を詫びた。
ところがそこでその人は言った。
「いや、その言葉を大事に今までずっと生きてきたんだよ。それがあったから良かったんだよ。」と。
それを聞いた隣の女友達は、とても喜んでくれていた。
「ほらね。ちゃんと、あんたを理解してくれていたのよ。」
そしてもう一つその人が言った。
「昔から、広く浅いつきあいよりも、狭くてもいいから深く人と向き合いたいと言っていたよ。」
まさに。
数日前のラインで女友達は
「陰で人のことを言うくらいなら、面と向かって相手に言うとも言ってたよ」
と教えてくれた。
そうです。その通りです。
この、
『信頼は、1度失うと簡単には取り戻せない』
『深く人と向き合いたい』
『陰で言うくらいなら面と向かっていう(それが例え上司であろうと)』
の3つは、私が今でも人に話している言葉たちだった。
30数年も前の、17、8の頃から、私は変わらず同じことを言っていたのか、、、。
ずいぶん私は大人になり、丸くなったと思っていたけれど、実はその『根っこ』は何も変わっていなかったということになる。
驚愕した。
そして、33年も経った今でも、私が恐らく一番大事にしているであろう、私の『根っこ』『核』の部分に当たる言葉を覚えていてくれて、私を表す『正論』という言葉を使って、さらにそれを私の良さだと言ってくれる2人が同じ日に、私の両脇にいる。
この不思議に私の胸はいっぱいになったのである。
女友達は言った。
「この歳になるとさ、深く理解してくれる人が数人そばにいてくれたら、それで十分だと思わない?」
本当にそうだと思った。
私達は、生きている間に、一体どれだけ深く理解してくれる人に出逢えるだろう。そして、心を込めて手渡したメッセージをずっと大事に生きてくれる人と、一体どれだけ出逢えるだろう。
そんな人と、出逢えるだけでも奇跡ではないだろうか。
そんな、一生涯に何回かの心と心がぶつかった時の煌めきを、私はずっと追い求めている。
その日はみんな終電で帰路についた。
夫は次の朝も早い為、すでに寝てしまっている為、次の日、この一部始終を話した。
夫は私よりも20歳も若いが、昨日の2人と同様に、私のことを理解してくれている。
そして、今、そういう人たちがいたことを、同じように喜んでくれた。
もう、あの33年前につきあっていた人とは会う機会はないかもしれない。
一番熟したタイミングで再会できたことがまた奇跡だった。
そういえば、、、
夫も、その人に似たヘーゼルアイをしている。