学生時代を過ごした西宮市は、広く穏やかな二級河川の武庫川や丸く地域の住民から愛される甲山などがあり、海も近い。
神戸と大阪の間にあり、関西学院大学や神戸女学院など、多くの私立校が点在していて魅力ある人気の街だ。
私は転校が多く通った小学校は3校、中学は2校、そして高校1校になるが、そのどの学校の校歌にも、「武庫の」「甲の」と武庫川や甲山が必ず歌詞の中に入っている。
校歌を歌うことに、何の抵抗もなかった私は、学校が変わるたびにそこの校歌に関心を寄せ、歌詞やメロディーに前校との違いなどを考えながら歌っており、それぞれに愛着を持っていた。
ただ、書いた様に、どの学校にも武庫川や甲山(若しくは六甲)が出てくるので、その時々で、頭の中に流れるフレーズが一体どの学校のものだったのか、ごちゃ混ぜになっていて自分でも分からなくなっていた。
高校を卒業してから35年。
今でもこの思い入れのある大好きな西宮市を訪れる度に、神呪寺や鷲林寺、北山ダム湖がある甲山を見ては遠足で訪れた思い出を思い出し、広々とした武庫川の美しい河川敷や松林を眺めては、その松林の下をマラソン大会で走ったことや、友達と訪れて過ごしたことを思い出した。
そして、その度に小、中、高校で歌った校歌の断片を思い出していた。
今日は、秋晴れ。
ややまだ暑いが、こんな天気の良い日に外に出ない手はない。
夫と、またフラリ気の向くまま出かけ、成り行きで、その武庫川まで行ってみよう!ということになった。
しかし、その時点で既に4時を過ぎていた(途中で美味しいピザを食べていた為)。
武庫川の向こう側(思い出の西宮側)まで行く余裕は無いので、その手前の尼崎側にある西武庫公園を散策することにした。
いつもは西宮側から反対側を見て育ってきた。その反対側である尼崎側から西宮側を見るのは初めて。
勿論、その西武庫公園に来たのも初めてだった。行って驚いた。
ちゃんとした駐車場(有料)もあり、体育館や公園がある。
そして何よりさほど高さがなく枝を伸び伸びと広げて育ったたくさんの木が立ち並ぶ自然公園が広がっていたのだ。
周りには集合住宅が囲んでいる。
多くの子どもや老人たちが、その木陰で平和に穏やかに憩っていた。
まさか尼崎側に、こんなに豊かな公園があったとは。
驚きつつも感心し、夫と広い川が見える場所を求めて歩き進んだ。
やがて、目の前が拓け、長年来たいと思っていた武庫川が現れた。
なんて美しい風景だろう。
この川の流れを何時間でも見ていられると、豪語していた若き日があった。
校歌と共に、私の中に刷り込まれてきたこの土地への想い。もはや、それは郷土愛となっているのだろう。
夫と川辺りに座り、透き通った高い空の雲や、キラキラ光る川の流れ、白い羽を広げて仲間と魚捕りに興じる白鷺たちを眺めた。
ふとまた、私の中からどこのか分からない校歌が出てきて口ずさむ。
そうだ。学校のホームページを見たら、歌詞が載っているはずだ。歌詞をみれば、メロディーも出てくるのでは?
そう考えて、ホームページを探る。
そして分かった。
私の中から一番良く思い出されてきた校歌は小学5、6年生の時に在籍していた小学校のものだった。
なんと、今から43年も前。高校などではなく小学校で、歌詞もメロディーも覚えていたことに自分で驚いた。
こうなったら、ついでだ。その前に通った小学校、2つの中学校、そして高校も全部調べてみることにした。
時間はすでに6時を過ぎて、周りも暗くなってきた。
残りは家に戻ってから。
懐かしの武庫川を後にした。
夜、夫が寝静まってから、そうそう!と思い出し、また調査を開始して、ついに全ての学校の校歌を見つけることができた。
そこでまた驚いたのは、その全ての歌詞とメロディーを思い出したことだった。
子どもの頃に刻まれた思い出は、何十年経っても消えないものだなと実感した1日になった。