きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

サイボーグなの?

あまり大きな声では言えないが、、、

 

実は、10月末に私はケガをしていて。

 

どうしてそんなことになったか、、、

 

については割愛するけれど、自宅の床にドン!と膝をついた時に床との摩擦で引っ張られたようで右膝の皮膚がパックリ裂けて口が開いてしまった。

 

初めは気づかなかった。

人間ってケガをした時、麻酔の様なものが出るのか暫く痛みを感じないな、とこれまでの経験で感じている。良くできている。

この時もそうだったのか、ただ床で膝を打った、というだけしか感じていなかった。

ところが、すぐに違和感を覚えた。

ズボンの下をつぅーっと伝う感覚に覚えがあったからだ。

あ!と思い、ズボンを捲るとやはり。

流血事件。

膝まで捲ると横一文字に口が開いていた。

その幅約11センチほど。

しまった。

と思った。

瞬時に脳裏を横切ったのは、

「次の日の仕事をキャンセルしなければならない」

「初めての場所に行く予定だったのに!」「いや、今日縫えば明日は行けるか?」

「待てよ?靭帯をやられていたら、1月から始まる新しい仕事が出来なくなる」

「これからの仕事だって、出来なくなるかもしれないぞ!?」

だった。

その間にも血はどんどん流れる。

今メインにしている仕事はどれも運動が必須。幼児親子体操はかなりハードだし、運動療育を指導するにも見本を見せなければならない。介助するには子どもを持ち上げたり、大きな身体の子を支えたりもしなければならない。

「なんてこと。やってしまった」

と、目の前が真っ白というか真っ黒というか真っ青というか。絶望的な状況に思えた。

とにかくそんなことを考えながらも処置を自分でしなければならない。

 

家の救急箱にあった大判の傷パワーパッドを1枚貼ってみた。傷の半分しかカバー出来ないし、縁のテープ部分が傷に当たる。慌てているのでなかなか手頃な物が見つからず、手当たり次第に貼ってみるがしっくり来ない。

どんどん流れる血を拭いながら探し、貼るのは至難の業だった。

ようやくもう一枚同じ物を見つけ、とりあえず傷はカバー出来たが、ほんの少しの隙間から血が漏れ出てしまう。

このまま救急病院に行っても、それまでにズボンは血みどろだし、待合い室を血だらけにしてしまうのは目に見えている。

前回もそうだった。

前回ってなに?については後程触れるが、とにかくこれはこのままでは家を出ることが出来ない。救急車を呼べばいいのかしら。うぬぬぬぬ。

そうだ。ラップを巻こう。

クルクルクル。

下から出ないようにサージカルテープでもクルクルクル。

これで暫くは大丈夫。血だらけだけど、幸い黒のズボンなので傍目には分からない。

しかしうちのマンションは各階にエレベーターが止まらない。2階下へ階段を降りるか1階分上がるかしなければならない。

下へ降りる、を選択した。膝をケガした状態で階段を降りるのは恐怖しかない。

でも降りるしかない。

そうだ、ケガした方の足を先に降ろせば膝を曲げなくても降りられる。

そうして油汗をかきながら歩き、取り敢えず車に乗った。

さて、今回のケガは右だ。ケガをした足でアクセル、ブレーキを踏みながら運転した。

なんで、ケガをしたのに自分で処置し運転までして病院に行かなくてはならないのか、と嫌気が差しそうになったが、そんな感情に囚われていても始まらない。感情を振り捨てて出発した。

これは10針はいくな。

運転しながらそう予想した。

 

待合いでは看護士が現状を確認に来たが、ラップを見て「あ、ラップ巻いてるんやね!上手にしてきたね、じゃ、そのままで良いわ。待ってて」と言って去った。

「ふふん。褒められたよ。だって前回の事があるもの」

とこんな状況でも私はご満悦だった。

そう。前回とは。

 

あれは5年ほど前だったか。

私はその日人員が足らず、子どもたちの帰りの送迎の車を運転し、3人の子どもたちを乗せていた。

私が乗っている時はキチンとルールを守りお利口さんで乗ってくれる子ども達だ。

1人目の家に着き、お母さんと話しをしている時だった。もう周りは暗く足元が見えていない。少し動いた拍子に目の前がグラリと揺らぎ、次の瞬間、ドン!と横倒しになった。左膝の内側がジンジンする。路面に穴が開いていて、足を取られ、左膝を地面で打ったらしい。

お母さんが心配していたが、大丈夫大丈夫と言ってそのまま車に乗り退散した。

が、嫌な予感がした。暫く走ってから信号待ちで後ろの子どもたちに気づかれないよう、そっとズボンを捲るとえらいことになっていた。左膝の中央がやはりパックリ割れ、下の皮がグッと下に押されるように丸まっていた。

こんなケガは初めてで機が動転したのか段々血の気が引いてきた。貧血を起こしかけている。

しかし、応援を呼んでいる暇はない。

気力を振り絞ってそのまま車を発進させて他の2人の子どもを自宅まで何とか無事に届け、帰りの道中で薬局に寄り、取り敢えず、大判の傷パワーパッドとガーゼ、包帯、サージカルテープを買い込み事業所に戻った。

他の職員は日報をつけている。別室に入り自分で手当てをしたが誰も気づかない。労災の手続きの為に1人だけに後日事情を伝えたが、その日はそのまま振り返りを行い、皆を帰した。

その日は帰宅し、次の日は日曜日で休み。病院には行かず、傷パワーパッドで様子を見た。だが、月曜日になっても血は止まらない。やや傷が塞がりかけているが、塞がりきれない。傷パワーパッドも水風船の様にポンポンに血で膨らんでいるし、これでは仕事は出来ない。

渋々病院に行くことにしたが、3日目ということもあり、傷パワーパッドも足らず、漏れ出て床まで垂れる中、かなり長い時間待合いで待たされてしまい、周りの人の注目を浴びた。

診察の結果、縫うことになった。

この時が人生で初めての縫合だった。

縫うことになるだなんて、とショックだった。

この時は7針。7針も!?と目を白黒とさせた。私にとっては大事件だった。これは良いネタになる(笑)

結局、休んだのは1日で、次の日からまた仕事に出かけた。私の仕事は運動療育だ。指導だけしていても、子どもが走りボールが飛び、縄が回る。それでなくてもADHDの子ども達は本能的に人の急所を見抜く力がある。

警戒しているのに、蹴ろうとしてくる。

お願いだから、それだけはヤメてと足をすんでで避け、難を逃れる。攻防の連続だった。

 

1つ関心したのは傷パワーパッドの威力だった。2日目でひっつき始めていたからだ。でも傷の程度が傷パワーパッドの力を越していたため、結局縫うしかなかったのだが、生半可にひっつきかけていた為、病院ではわざわざそれをまた切り開いて縫われてしまい、余計に痛かったし、麻酔の効きも悪く、とても痛い目をした。何より縫い難かったのか縫合跡があまり綺麗でなかった。こんな事なら我慢しないですぐに縫ってもらえば良かった。と後悔した。

 

そんな経験があったから、今回右膝をケガした時には、

「縫う!」

と即断できたし、応急処置もできた。

経験は宝だ、と思った。

 

診察室に入るのは少し緊張した。

前回の先生は少し取っつきにくそうな方で、あまり丁寧な説明がなかったから。

でも今回の先生は違った。

穏やかで優しそうだった。

麻酔を刺しても前回の様にチクチクしない。ほんの少し「いて」っと言うだけで、「まだだね〜」と言って麻酔を追加して打っていく。

だから実際に縫い始める頃には全く痛みはなく、「こんなに痛くないんだぁ。なんだか凄いなぁ。修理を受けるロボットみたいだ。」と、とてもリラックスした気持ちで処置を受けることが出来た。

 

結局、12針縫った。

「結構な傷だよ」「救急車で来なかったんだね」

と言われた。絶対に救急車で来ないといけないわけではないが、救急車で来る人が多いだろうね。ということだった。

そっか、救急車呼んでもいいくらいだったか。なのに、その足で運転して来たよ(笑)と自分で自分が可笑しくなった。

 

しかも、「縫った当日はダメだけど、次の日からシャワーで傷に水がかかってもいいよ」って言われ、更に

「ガーゼは血が滲まなくなっていたら、別に明後日くらいからは貼らなくてもいいくらい。ただの保護だから。それに、どんどん曲げていって」と言う。

これには驚愕した。

実際は、怖いから傷にシャワーを当てるのは3日目からにして、ガーゼは3日目には汚れなくなったが、運動が仕事なのと、就寝中の保護の為にも長く貼り替え、つけていた。

3日目辺りで気付いたことだが、なんだか縫合後がとても綺麗な気がしていた。

日に日に皮膚が繋がり切り口が1本の線に繋がっていく。

抜糸までの2週間の間、その様に感心し、あの先生、きっと上手だな、と染み染み考えていた。

ところで、ケガをしてからというもの、縫う前の麻酔がほんの少しチクリとした以外は全くと言っていいほど痛くなかった。

通常よりも多い本数の麻酔を打ったとはいえ、痛み止めももらい、麻酔が切れた後どれくらい痛みがやってくるだろうかと戦々恐々としていた。なのに、抜糸までの2週間の間も全く痛みがなかったのだ。

なんで?と不思議で仕方なかった。

しかも、さすがに縫った当日と次の日は仕事を休んだが、3日目から小、中、高生の子どもたちと一緒に運動療育で走り、1週間後には幼児との体操教室で歌って踊って走っている。

膝を床に付くことはできないし、90度以上曲げることは無理だが、その他は可能な限りこなしている。

春にぎっくり腰をした時も、そのまま体操教室で歌って踊って走り、誰にも不調だと気づかれなかった。

 

それは、これまでのスポーツの経験から、身体のどこに力を入れればカバーすることが出来るか知っていてコントロールしているからだけれども、実際は油汗を書きつつ極限状態にもなっているので、かなりの精神力を要している。

そこまでしてでも、仕事に穴を開けたくない、というか、開けなくてもいけるんじゃないかなと、どこまでいけるか自分に挑戦しているのかもしれない。そんな自分にも驚いているが、それ以上に今回ばかりは、痛みが全く無いということに、驚いている。

 

痛みさえなければ、

はい、ケガしました〜。(壊れました〜。)

縫いました〜。(修理しました〜。)

仕事行きました〜。(直りました〜。)

って、あまりにも簡単で、人間って、もはや機械と同じなの?

ロボットみたいじゃないか?

 

人間が進化したのか、医療が進化したのか。

 

抜糸の日、穏やかで優しい先生がソフトなタッチで12本の黒くて堅い糸を一本一本丁寧に抜いていく。

ちょっとチクっとしますよ〜。と言うが、麻酔もしていないのに、やっぱり全く痛くない。きっと上手に素早くシュッ!と穴から抜いているのだろう。幾ら膝は鈍いと言っても、左膝の時とは雲泥の差だった。

全て抜糸の終わった傷跡をもう一度確認の為先生が見直して言った。

「うん。我ながら綺麗だ。」 

と。

 

そうですよね!やっぱり綺麗ですよね!

先生お上手ですね!

先生で良かったです!

 

と、嬉しくなって興奮気味にお礼を伝えた。

 

12針のケガは大変だったが、上手な先生との出逢えたことには感謝しかなかった。

そして、この1ヶ月は何度か書いているように本当に忙しい日々だった。その最中にこのケガまで加わり悲惨そのものだったが、それも無事乗り越えることができ、自分のメンタルの強さを再確認したし、縫って3日目から走っている自分に感心している。

私ってサイボーグなのかしら?

 

あれから1ヶ月。

こうしてブログでも告白できるようになった。

 

もう大丈夫です。