きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

「願わくば、我に七難八苦を与えたまへ」

前回ケガしたことを書きましたら、皆さんから温かいメッセージを頂きまして。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

 

先日、車の車検がありまして。かれこれ20年のお付き合いのディーラーさんで、担当者もずっと同じ方にお世話になっているのですが、その担当者さんから、

「きらめきさん、この20年の間、ずっと半年点検毎にお会いしていますが、その度に大変な事が起きてますよね。きらめきさんを見ていると、人生って、本当に色々あるなって思います。どうしてきらめきさんにはそういうことが多いのでしょうね。」

と言われました。

その担当者さんは、私が前に離婚をした時も、そのストレスで目の病気になってあまり見えていなかった時も車の買い替えに系列だけど別の店舗にまで一緒に車を見に行ってくれたり、と、ずっと良くしてくださった誠の人です。

ディーラーで多くのお客様と接しているその担当者さんからすると、長年お付き合いしていてもずーっと何事も起きず穏やかで平凡な日々を送る方もいるのに、どうして私には色々なことが起こるのか?と思わずにはいられない様でした。

確かにね。

そういえば、昔からの友達からも

「きらめきは、波乱万丈だね」

と言われていましたっけ。

別に望んでいるわけではないのですけどもね。

その担当者さんにはこう返しました。

「でも、その度にステップアップしてるよ?」

と。

前にも「運気が変わる前には•••正負の法則、負の先払い」で書きましたが、どうも新しい仕事が始まる前には1つ負の出来事が起こるんですよね。(今回もです)。

誰かが、「良い事と悪い事は皆、同じだけある」と言っていましたっけ。誰かって、美輪さんですが。

良い事と悪い事が同じだけやってくるなら、平凡な毎日を送っていそうに見える人にも人生のどこかでは悪い事が起きているはずです。言うか言わないかの差である可能性もあります。前半に多いか、後半に多いかの違いかもしれません。その人の感じ方の違いもあるかもしれません。こればかりは量ることができないので分かりませんが。

ただ、怪我にしても、その他の負の出来事にしても、起こった負の面にばかり囚われていては大事なことを見落としてしまいます。

せっかく負の出来事が起こったのなら、その出来事が何を意味しているのか?と、視点を移して何か些細なことでも良いから正の面を見つけていくことを忘れなければ、同じ負でも負のままか、正に転じるか、違ってくると思うんですよね。

思えば確かに幼少期の頃から苦労と呼ばれるものが多いこれまででしたけれど、それがあるからこそ、同じ境遇の人の気持ちが手に取る様に分かる部分が多く、それ故に今の仕事に活かされているとつくづく思っているのです。

なので、色んなことがあって良かったな。また1つ、学んだな、といつも嬉しく思うのです。

 

私は既に高校生くらいの年頃には、人生は修行だ、と思って生きてきました。匍匐前進の様な心境で、一歩一歩進んでいる感覚があったからです。

目の前に立ちはだかる壁も、越えずに迂回してはまた同じ壁がやって来る。だから逃げずに越えていこう。そう考えているところもありました。

どうしてそう考えるのか?と、思ったことはありませんでした。ただただ自分の周りで吹き荒れる嵐の中に立って、流されたり倒されたりしない様に、しっかり立っていなくては、と自然と感じていたのだと思います。

でも、ディーラーの担当者さんから言われてみて、ふと、どうしてだろうなぁとぼんやり考えていた時でした。

 

流れて来たYouTubeの動画に、懐かしい「オーラの泉」が目に止まりました。

昔は好きで良く見ていました。信じてはいませんが、自分の知らないこの世の不思議には関心がありました。色々な人の、傍からは見えない人生の不思議について知りたいといった関心でもあったかもしれません。

何気なく見始めたその番組のその時のゲストについてのお話が進んでいた時でした。

不意に、昔の戦国時代の武将の1人。「山中鹿之介」の名前が出たのです。

このゲストの方が、進んで苦労を引き受けている様なところがある、といったことに関連して出てきたのだと思います。

山中鹿之介という人をご存知の方いらっしゃいますか?

歴史好きの方はご存知なのかもしれません。「黒田官兵衛」にも登場したようですし。でも、さほどメジャーな人物ではないように思います。

私はこの「山中鹿之介」という名を聞いて、「まさか」と思い慌てて動画を遡って確認しました。確かにこの名前でした。

 

私は何故かこの「山中鹿之介」に特別な思いがありました。

かれこれもう30年ほど前だと思います。10代だったのか、20代だったのかも分かりませんが、私は一冊の本を手にしていました。

祖母が姫路のずっと奥、岡山にほど近い地方に住んでいましたので、時折親と一緒に帰っておりました。

祖母の家には伯父、伯母、そして従兄弟もおりまして、そのうちの誰かが持っていた本なのでしょう。貸してもらったのか、自分で見つけたのかさえも今となっては思い出せませんが、その本を手に、妙に心惹き寄せられた記憶があります。

何にそんなに惹き寄せられたのかというと、ハッキリしているのはまずはそこに登場する兜と城でした。

私は城好きで、同時に甲冑にも関心がありました。甲冑は、とても重装備で、着て走るだけでも大変なことだと思うのです。あんな物を着て戦国時代の人々は必死に戦っていたのかと、信じられない様な気持ちになります。しかし、その甲冑には、繊細で美しい細工が施され、当時の人にとって自分の存在をアピールする大事な役割もあったことから、その甲冑をみることで人物像を伺い知ることができるなど、奥深い物でもあります。

山中鹿之介の兜には、鹿の角が2本と三日月が施されていた様で、その絵がその本にも描かれていて、それが私の心を鷲掴みにした要因の1つでもありました。今でもその三日月のついた兜が忘れられないのです。

そしてその本に出てくる城は「上月城」で、今はもう城趾しかないそうなのですが、この上月城は祖母の家に向かう道中、迎えの車の中からいつも道端に案内板がひっそり立っているのを眺めておりました。

従兄弟が行ってみる?と何度か言ってくれましたが、何故か、その時は「ううん」と返事をしてしまいます。

でもどこかずっと気にかかり、それから何年か経ってからも、上月城跡について少し検索してみたりと、何か私にとって特別な思いが残っていたのでした。

今となってはその本の題名も思い出せません。ただ山中鹿之介が主人公であったことは確かです。その内容も思い出せないのに、上月城という名前と、三日月のついた兜と共に、その人物像に惚れたというような記憶だけがあります。

 

ところが、30数年も経ってから、先日そのオーラの泉の動画で山中鹿之介について話されているのを聞いて、

「そうだったのか!」

と今更ながら、目から鱗が落ちるような気づきがあったのです。

それが、山中鹿之介が残した言葉、

「願わくば、我に七難八苦を与えたまへ」

でした。

この言葉は、ご存知の方も多いのかもしれませんが、私は全く記憶の中に残っていませんでした。でも恐らく、その言葉を読んでいたからこそ、山中鹿之介の人柄に強く共感し心に残っていたのでしょう。

なぜ、そこまで山中鹿之介が気になり、心に残っていたのか。

今になって、その理由が分かったのです。

「願わくば、我に七難八苦を与えたまへ」

それは、この先もっと高みに昇り、望みを叶える為に、敢えて七難八苦を与えよ、という鹿之介の悲願だったのでしょう。

七難八苦と引き換えに、自分が守りたいもの、得たいものがある。その為なら、どんな苦難にも決して屈しない。そんな意気込みが込められているようで、山中鹿之介は不撓不屈の人であったと言われています。

「不屈」は、私の中にいつも湧き上がってくるワードです。

元々私の中にそういったものがあり、これまでも不屈の精神を持つ人と大切な出逢いをしてきています。

でも、「不屈」だけではなかったのです。

どこか私の無意識の中に

「願わくば、我に七難八苦を与えたまへ」という傾向があったと、気付かされました。

それならば、ディーラーの担当者さんが言った、「どうしてきらめきさんは」の言葉にも説明がつきます。

こつこつと、自分の中で高みを目指す為に、私には何か課せられたものがあるのかもしれません。

修行だ、修行だと若い頃から、思っていたのも頷けます。

あの日、心惹かれ、今このタイミングでひょんなことから「山中鹿之介」と「再会」したのも、何か意味があるのかも?しれません。

今、私に困難が多く巡ってきている代わりに、この先どんな喜びが待っているのでしょうか?

 

いえ、その分もう既に毎回大きな喜びとご褒美を手にしてきているような気がしているんですよ✨