夢か現実か分からなかった。
巨大スクリーンで見れば、ハッキリ表情が映っているのに、テレビ番組やYouTubeでいつも観ているのと同じ、どこか遠い世界の人に感じる。
実物は、直接見ているのに、小さくて、本当に本人だろうかと信じられない。
しかし、今聴こえてくる声は生声だ。
双眼鏡で見てみたらどうだろう?少しは実感が湧くだろうか。
スクリーンと、直接見る小さな実物、そして双眼鏡を通して見る実物、と繰り返し見ていると、余計に頭が混乱し分からなくなった。
12月5日木曜日、神戸ワールド記念ホール。宮本浩次のソロ活動5周年ツアー
「今オレの行きたい場所」
しかも千秋楽。
ある日ふとその情報を知り、その場で夫が申し込もう!と決断してくれ、後日抽選に当たったのだ。
なんという幸運。
自分1人なら申し込んでいなかった。申し込み方だって知らないからだ。夫と違い、こういう分野において行動力は全くの皆無。
その上当たるだなんて。
この5年間、私は本当に宮本浩次の歌に助けられた。この人の歌がなかったら、大きな荒波を乗り越えられなかった。怒涛の渦の中を進んでは来れなかった。それほど大きく強いパワーをもらっていた。
夫はクラシックしか聴かない人だった。歌詞は無い方が良い、という志向だった。
敢えてクラシックに歌詞をつけて歌う平原綾香なら気に入って聴いてくれたが、真逆の志向の私お勧めのやや圧強めのロックたちは、暫く聴くとしんどくなってしまうようだった。
それが、宮本浩次の曲を聴くうちに、段々とその声、歌詞、どれもこれも上り調子の曲調の持つ情熱や深みに魅了されていった。
それほど、人の心の奥に眠っていたものを熱く煮えたぎらせるパワーを持っているのだろう。
今では二人して宮本浩次が大好きになっていた。
席はアリーナ、前から24列目。端の方だがまだ良いほうだと思う。
曲がなった途端、みんな総立ちになった。
あ、皆さんやっぱり立つのね。と、合わせて私たちも立った。
暫く夢現で現実味が沸かずにいた私と違い、夫は早くから受け入れて周りに合わせて立ち上がり、手まで振り喜びを露わにしていた。なんて順応性が高いのだろう。と密かに羨ましく思っていた。クラシックのコンサートにはクラシックのマナーがあるらしい。だから、こういうコンサートにはコンサートのマナーがあるんだな、くらいに受け止め学んでいるのだろう。
私も一緒に立ちながら、冒頭の様に暫くはあれこれ頭の中が渦巻き混乱していた。
ところが、緊張していたのは私だけではなかった。
4曲目宇多田ヒカルの「FIRST LOVE」では、昨日の公演の疲れが残っているのだろうか、いや、残っていて当然。やや神経質な面持ちで、高音のかすれにイライラを滲ませていて、最後に近づくにつれ、早く終えてしまいたいというように早送りになりながらも、自制する宮本浩次の姿が大型スクリーンに映っていた。
ああ、苦しそうだな。大丈夫かな。
そんなことを考えるから没頭できないのだ。
ところが、アンコールを含め26曲の中で、半分過ぎた13曲目辺りから、なにやら宮本浩次の様子が違ってくる。
「喝采」、「翳りゆく部屋」と、宮本浩次にとって思い入れの深い曲が並んだ。この曲の良さも大いにあるが、入れ込んだ想いが体の中に染み渡っていて、それがメロディーと一体となって響く、そんな感じが伝わってきたのだった。
もう、その頃には、私はスクリーンの方を見ることを止めた。
丁度衣装替えで珍しく白いスーツを着ていたこともあって、光が反射して表情が見えやすくなっていたこともある。
ずっと、本人を見て聴いていたら、さっきまでの感覚が消えて、これは現実なんだとようやくしっくり来るようになった。
時々ステージから真ん中に伸びた花道を通って宮本浩次がやってくる。
すぐ真横まで、やってくる姿を見ると「ああ、本当に本人だ」と実感する。
東京赤羽で生まれ育ったこの人と私は接点の全くない遠い人で、テレビやスマホ画面の中の人、髪をくしゃくしゃにし、理由のわからないことを話しつつ、「この話、続けて大丈夫ですか?」と周りの人を気遣う不思議な人。中国茶や古墳、文豪をこよなく愛し、大量の書籍と共に暮らしている。建物や芸術にも詳しくウンチクを語らせたら素晴らしい。街をその細く長い足で練り歩き、意外と時間厳守という人物像は、スターになるべくして生まれて来たんだなと思わせる。
その人が今目の前で歌っている。
花道で光を全身に浴び、松任谷由実の「恋人はサンタクロース」では白い雪が床から舞い上がり、バックのスクリーンでは大きな雪の結晶が散りばめられながら回っているのを背にノリノリで歌う。
この曲はCDで聴くよりも、生で聴くのが断然いいと思った。とにかく盛り上がる。とても弾ける華々しさで会場が一体になって喜んでいるのが分かる。初めてこの原曲の良さを感じ、「翳りゆく部屋」も合わせてさすが松任谷由実だと思った。そしてその歌を自分の歌の様に歌いこなす宮本浩次。
会場がMAXに盛り上がっていく。
どんどん宮本浩次の調子が上がっていく。
曲に憑依する様に、全身で音を感じ刺激を受けていくと、髪をふり乱しシャツを引き裂き、後ろを向いて観客に向けてお尻ペンペンをする!こうなってくると、もう絶好調!エネルギーの大量放出。
曲はそこから流れる様に「昇る太陽」へ。タイヤが凸凹道を転がり続けるようなスピード感。昇って昇って昇り続けるアップテンポ。声帯が焼け切れてしまうような高音。
それだけでも燃え尽きると思った。
ら?
またそこからの、「Do you remember?」だ。(私の大好きな曲!)
えええ!?まじで!?どうなってんの?
ご存知の方はお分かりだろうが、「昇る太陽」ですでに血管は切れそうになる。そこからの「Do you remember?」だ。
正気の沙汰ではない。
しかしそれが宮本浩次なのだろう。私が大好きな所以だ。
とにかく、自分をどこまでも追い込むことで生きている感覚を得ている人。高音にチャレンジし続けるのも同じだ。そうじゃないと生きている感じがしないのだ。
多くの曲の随所に出てくる「あと何年?」「俺は今人生のどの辺り?」といった歌詞がそれを物語る。常にあと何年歌えるか?生きられるか?そればかり考えている、ずっと与えられた人生を命燃やして駆け抜け続けている。
「Do you remember?」
この曲が作られた2020年、今から4年前、54歳だった宮本浩次が、もっと!もっと!もっと!速く!もっと極限に!と願っていた時に作った曲。同級生で結成しているエレファントではなかなかその望みに手が届きにくくなっていた。ソロとして昭和歌謡のカバーを出したことで、またブレイクし、慣れ親しんだメンバーとはまた違った意味でハイグレードな人たちと出逢いバンドを組んだ。だからって、54歳でこの極みに行くのが凄いが、その想いは曲中に2度出てくる間奏の絶叫に表れている。私はこの絶叫がとにかく好きなのだ。
しかし、皆さん、この曲に、他の曲と同じ様にゆったり腕を右に、左に、と振るのはいかがなものだろう。やっぱりロックは縦ノリだよ?(仕方がないか、、、年齢層が高かったので)
その後
「あなたのやさしさを俺は何に例えよう」
「俺たちの明日」としっとり聴かせ、また鼓舞させる。
終盤になり最新曲「Close your eyes」「十六夜の月」を歌った。「Close your eyes」はnews23のエンディング曲だ。聴けば聴くほどこの曲の良さに気づく。
エレファントカシマシで事務所を転々と変わりながらも、時代に人に求められる曲を作ろうと路線を柔軟に変更した宮本浩次は、1日の終わりにニュースを見終えた人々の想いが自然な形で爽やかに昇華し、またやって来る明日を穏やかに迎えられるように寄り添える曲を作ったのだなと思った。きちんと求められていることをキャッチし、形に出来る人なのだ。そこが大人で凄いと思う。
このしっとりと聴かせるバラードのあとは、本当に幸せにしてくれるこの曲「ハレルヤ」。ハレルヤは神への賛美、喜び、感謝の叫びとされる。この曲はその言葉の意味にまさにぴったりで心を晴れやかにしてくれる。ハレルヤって不思議な言葉だね。
ここにきてこんなに明るくてハッピーになったのに、、、もう本当に最終に差し掛かり、次に演奏される曲にはもう予感があった。
あの曲しかない。
ここに持ってくるのだから、やはり宮本浩次にとってもこの曲は大切で思い入れが強いということだろう。
それが「冬の花」だ。
ああ、この曲をこの歌を、この宮本浩次が歌うのを生で聴くことが出来るなんて。私の人生の中で、本当にそんなことが起こるだなんて。
歓喜に打ち震えた。
このブログにも書いているが、この曲には特別な想いがある。何度も何度も、繰り返し聴いた。
暗く寒い孤独な夜道。右にも左にも倒れ転げ落ちるわけにはいかず、細い塀の上を全力で走るような感覚だった日々。
そういう苦しい想いをしている人の気持ちをただ悲しいと切々と歌うのではなく、ぎりぎりと歯を食いしばりながらメラメラと闘志を燃やし残された力が僅かだったとしても、また立ち上がり一歩足を踏み出して、誰が気づかなくてもいい、自分の中で誇りを持って凛と赤い花を咲かせよと歌っている。
それこそ、宮本浩次の心中なのではないかとも思う。
もう、ここまで来ると、演奏も演出も観客も何もかもが一体になり凄まじい状況になっていた。あまりの見事さに声を失うとはこういうことかと呆然とした。金色に舞い上がる紙吹雪の中で小さな体が光輝いていた。
ここまで人生の厳しさを全身全霊をもって歌いながら、最後はそんな人生にも穏やかに光差し込みまた夢見て歩こうと思える夜明けがやってくるよと歌う。
「夜明けのうた」
ああ、町よ 夜明けがくる場所よ
そしてわたしの愛する人の 笑顔に会える町よ
ああ、心よ 静かにもえあがれ
風がいざなうその先の 新しい明日に
会いにゆこう 未来のわたしに
会いに行こう わたしの好きな人に
会いにゆこう あたらしい世界に
このツアー名「今オレの行きたい場所」を体現した演出だった。
本人に会うまで、遠い世界の天才と呼ばれる一握りの選ばれたスターだと思っていた。生まれながらに爆発的なパワーと素晴らしい声を持つスターだと。
でも、この日、歌う宮本浩次を見ながら、私の中では、逆に私たちと同じ人間なんだなという想いが沸々と沸き起こっていた。東京の赤羽という場所で生まれ、団地で育ち、仲間とバンドを組み、必死に曲を作りデビューした。NHK児童合唱団に入りソロでCDを出すほど歌が上手かったからこそ、紆余曲折しながらもその実力でバンドを率いて道を切り拓いてきた。その陰で、きっと血の滲むような努力もしてきただろう。その姿に嘘が無く、真摯に歌に向き合い、人と接してきたからこそ、破天荒に見えるにも関わらず人に受け入れられ好感を持たれ、素晴らしい人脈と繋がっていったのだろうと思った。
華々しい世界だから、私たちとは無関係に思えるけれど、でも、この日本という国は思っているより小さな国で、そう遠くない土地で、一生懸命自分の想いを歌詞に連ね、曲をつけてレコード会社に売り出し、発表の場を得て本番ドキドキしながらステージに立つ宮本浩次は、私たちが自分の力を信じて四苦八苦しながらも道を探し、やがてそれを認めてくれる人々と繋がり道が拓けていくのと同じなのではないか、とひしひしと感じた。
私たちも、持てる力を余りなく使い、一歩また一歩と進めば、やがて願いに手が届くよと、身を持って教えてくれている気さえした。
宮本浩次が自身の人生を削りながら曲を作り歌っているからだろうか、そんな風に聴いている私にも彼の人生が見えるような錯覚を覚えさせたのかもしれない。
スクリーンに映し出された彼は、恍惚とし、本当にいい目、顔をしていた。
いつまでも元気で活躍してもらいたい。
そして私は、この神戸ワールド記念ホールで、最後になればなるほど絶好調になり、巨大なエネルギーを放出し命燃やす怪物を観たこの日を決して忘れない。
帰り道、夫に、
「私、女宮本浩次になる!」
と言ったら、、、
「もうなってるよ(笑)」
と言われた。