きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

悲しみと喜びは同時進行。

この言葉。

宮本浩次さんの言葉です。

 

2011年に、宮本浩次さんと生田斗真さんが対談してるんですね。

前にもYouTubeで観たことがありました。

昨日、空いた時間に、上がってきたその動画をまた見てみようかなと何気なく思って見ていたんです。

宮本浩次という人は、歌わせたら度肝を抜かれる上手さなんですけど、トークがまた良いんですよ。面白くて、いや、深くて。

ええ、本人も仰ってますが、その「大きな身振り手ぶりほどは、中身があることを言ってない」ということも、ままありますとも。

でもね、時に本当に唸ってしまうような本質的なことを仰るんですよ〜。

それで、今回唸ってしまったのが本日の題名にさせてもらった

「悲しみと喜びは同時進行」

でした。

だって、昨日アップしたコンサートの記事でだって感じて書いてますし、このところちょくちょく書いている内容にもありますが、正負の法則といいますか、なんか、新しいことが始まる前にはあまり嬉しくないことが起こったり、でもそのあまり嬉しくないことが起こったことによって、大きな気づきを得て、物凄く幸せを感じる、感謝する、成長する、次のステージへ行く、ということを、このごろとても強く感じていたところに、この言葉ですもの。

イムリー過ぎでした。

歌っている姿からも滲み出ていましたが、ご本人もやっぱりそう感じていたってことですよね。

前に観た時は全然気づきませんでした。それは私がそういうステージにいなかったからなんでしょうね。

 

そして、続けてこうも言ってます。

「人って、ぎりぎりになると、とても力を出す。」

「人って、生きているところで、前向きなんだよね。」

って。

 

そうなんですよね。

「ぎりぎり」

になることが必要なんです。

もうダメだ。後がない。万事休す。

という崖っぷちに来て初めて、人は爆発的な力を出すのです。

「火事場の馬鹿力」もそういうことでしょう?

 

そういう意味では、「性善説」とか「性悪説」とかって言葉がありますが、この人は、「性前向き説」なんでしょうね。

人は、どこか崖っぷちにいても「前向き」なんだ、「そうなろうよ」「そうなれるはずなんだ」とどこまでも信じてる、ってことだと思うのです。

 

そして、別の動画では、泉谷しげるさんと本上まなみさんとの対談でこうも言ってます。

 

「年齢を重ねるとみんな、元気が無くなっちゃう人がいる。安定感が出ちゃうのは仕方ないし、それが不幸だとは思わないけど、、、

それは丸くなったのとは違う。なんかちょっと淋しい。

『もっと素敵なものがあるだろう?』と思っちゃう」と。

 

だから、そんな元気を無くした人々に、

さあ出かけよう!

さあ旅に出よう!

さあ頑張ろう!

ハレルヤ!

と、この人は、いつも歌い、元気を無くした人々の背を押す歌を歌うのだろう。

本人もそう言っている。

それが、

冬の花」であり

「悲しみの果て」であり、

「俺たちの明日」なんだろう。

 

悲しみの果てに 何があるかなんて

俺は知らない 見たこともない

ただあなたの顔が浮かんで消えるだろう

涙のあとには笑いがあるはずさ

誰かが言ってた 本当なんだろう

いつもの俺を笑っちまうんだろう

 

部屋を飾ろう コーヒーを飲もう

花を飾ってくれよ いつもの部屋に

悲しみの果てに 何があるかなんて、、、

悲しみの果ては 素晴らしい日々を送っていこうぜ

悲しみの果ては 素晴らしい日々を送っていこうぜ

 

 

さあ、頑張ろうぜ!

負けるなよ そうさ 

オマエの輝きはいつだって

オレの宝物

 

言っていることと、やっていることに、嘘がない人である。

 

そして、その姿に背を押された人々が大勢いる。

 

「正負の法則」とは、負の出来事のあとに正の出来事が起こる、という現象のことだけではない。

負の出来事が起こったあとに、どれくらい俯瞰し謙虚になり、それまでの生活や周りの人々に感謝できるようになるか。

それによって、これまでと同じ日々であっても、それまで感じたことのないような大きな悦びを得られるようになる。

それが「正」なんだ、と気づいた。