きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

あの日の幸運。

今の家に引っ越してもうすぐ2年が来ようとしている。

私はこの家に決まった時、

「2年だな」

とまた予感のような確信のようなものがピン!と脳内を過っていた。

それはこの家が私たちにとってはやや家賃が高いことから来ていた。

阪神大震災経験者の私としては、ハザードマップの地盤と津波浸水域は常に気にかかるところで、仕事場を決める時も、ある一線から南には決めないと決めているくらい気にしている。

でもその家はハザードマップ上でも真っ赤な地域の中に立っていた。もし、津波がきたら5メートルの浸水が予想される場所だ。ただ、割と高層階というところが唯一の安心材料(いや、それは気休めですって)。

 

そういった家賃と立地の不安材料があり、私は反対していたが、反面、息子や娘、そして母と同居する可能性もあったので、広い家が必要だった。

そして川が近くにあることが大いに夫の気に入るところとなり、結局この家に決まった。

 

人は、想いが他者によって遂げられなかった時、後悔し未練が残る。

でも1度達成した後、自分自身で振り返り、違う道を選ぶ決断が出来た時には納得がいくものだ。

だから、私は不安材料があったけれど、一旦この決定にのって、行方を黙って見守ろうと決め引っ越してきたのだった。

 

それが運命なのかどうかは分からないけれど、そろそろ2年が来るな、と思っていたところ、あれよあれよと流れが「転居」の方面へと動きだした。

息子と世帯を分ける可能性が出てきて、それならこの広い家の必要性が無くなることが大きかった。

娘も自立した。母も今すぐどうなるということでもなさそうだ。

夫の気持ちも踏ん切りがつき、「引っ越しを考える」と言い出した。

そこで初めて「実は元々2年だと思っていた」と打ち明けたのだった。

 

 

息子の引っ越し先もまだ決まっていないので今すぐという訳にはいかないけれど、もう、夫の気持ちはまだ見ぬ未来の新しい家へと動いている。

まずは住みやすい地域を探そうと、候補地をウロウロしてみることにして、この(日)(月)とあっちこっちと行ってきた。

今日は宝塚方面へ。

逆瀬川から甲山の方面へと上っていくエリアは魅力的だ。私は低学年〜23歳までずっとこの宝塚、西宮界隈で育っているから、このエリアに来ただけでホッとする。

夫は自然が大好きなので、そうなると山に近づき、必然的に見晴らしは絶景になる。

絶景は、私の中でも優先順位が高いけど、それだとどうしても駅から遠く不便にはなるなぁとか何とか言いながら、もう夕暮れで、暗くなってきたので帰ろうか、ということになった時、ふと、以前住んでいた小林の家が近いことを思い出した。

23の頃。母は再婚相手の元へ行き、その家には私と妹たちだけが住んでいる状態だった。

長く住んだ門戸厄神から引っ越す時に、母からは家賃の安さから塚口方面の二戸一の住宅に行きたいと言われていたが、猛烈に反対して小林のその家を強硬に選択したのだった。

母にとってはギリギリの選択だったかもしれず、後になって母の立場も理解できるようになり、わがままを言ったものだと気にしていたこともあった。

 

そうこうして小林に移ってやく2年。

1995年1月17日に阪神淡路大震災が起こった。

 

揺れが収まり慌てて外に出て驚いた。

周りの一戸建てが全て斜めに将棋倒しになり、玄関が菱形になっていたのだ。

私が住んでいたハイツが潰れているならわかるけれど、逆にしっかり立っていて一部損壊に留まっていた。

引っ越してくる時に母が「ここのオーナーしっかりしてる人みたい。建物は鉄筋やな」と言っていたことを覚えている。

2階建ての1階に住んでいたので、もしこのハイツが木造だったら、崩れた2階に押し潰されていたことだろう。

門戸厄神で住んでいた家は、周囲の家々と同様に跡形も無く潰れ、みんな生き埋めになり大変な思いをされたと聞く。実際、その後に見に行った時にはきれいさっぱり更地になっていた。

恐らく塚口の二戸一も無事ではなかっただろうと思う。

母から言われたあの日、白い壁で二戸一よりはしっかりしていそうな建物に惹かれ、小林の家を選んだことが幸運だったと今でも思っている。

 

 

今日は結局、30年前に住んでいた、その家に辿りつくことは出来なかった。

夜ご飯を食べながら、それでも気になり、グーグルマップで、消えかけている記憶を遡り、探してみた。

震災で建物は軒並み変わり、なかなか見つけることが出来ない。住所も分からない。

ところが、マップを大きくしたり小さくしたりしている内に、何だか気になる地点が現れだした。

心当たりのある地名も出てきた。

誘導されるように道を辿っていく。

 

その時、辿る指が止まった。

遠い記憶が、

「これだ!」

といっている。

 

見覚えのある壁。

マップは丁度正面で止まってくれず、どうしても先に進むと行き過ぎてしまうのでよく見えないが間違いない。

あの日、私たちが住んでいた建物だ。

内壁は、向こうの部屋が透けて見えるほど柱と土壁の間が空いてしまい、外壁の角は亀裂が入り、住み続けることは不安で離れたその建物は、30年経った今も震災なんてなかったかのようにそこに建ち、綺麗に外壁も手入れされているようだ。

 

染み染み、あの日、私たちはこの家に守られたんだなぁと思い、スマホのマップの中で立っているその家に感謝のような気持ちが沸いた。

 

災害に合う時、軽い家がいいのかどっしりした家がいいのか、鉄筋が良いのか鉄骨がいいのか、海辺がいいのか山側がいいのか、1階や2階がいいのかもっと上層階がいいのか、本当にどこを選ぶかで生死が分かれる。

 

ただ、私は阪神淡路大震災の経験から、例え賃貸でも、几帳面でしっかりした家主さんが建てた建物かどうかが明暗を分けるな、と感じている。