月に2回ほど、市内の障がいを持つ子とその親が運動する会に、ボランティアとして参加するようになり、そろそろ1年半が経つ。
中学生までと、それ以降の大人の部、それぞれが1時間ずつでぶっつけ2時間の会だ。
指導する先生たちは学校の先生方から有志で3〜5人来られるが、その方たちもボランティア。
多くの親子が参加されるので、人手は足りず、私の様なボランティアが多くて5、6人は来るだろうか。
広い体育館の中に、あれこれ器具を出したり、ゲームをしたりと場面転回が必要なので、人手がいるのだ。
子どもたちの補助は、保護者がされるが、そこは一筋縄ではいかない子どもたち。保護者の皆さんも内心はどうしていいか分からないまま、制御も出来ないまま、それでも子どもたちが楽しく目一杯体を動かせるようにと寄り添われている。
私はいつも、役があって忙しいお母さんの子どもさんについたり、みんなの輪から遠ざかり、1人の世界に入っている子や、遠巻きに見ている子、みんなの間を走り抜ける子、お母さんの手を振りほどき逆走する子などにつき、集団行動に自然と入っていけるように行動している。
私の仕事を知っている方が多いが、本当にはどれくらい出来るのか知らない方が殆どだ。知っているのは2人だけ。
あまり知らない人が我が子にグイグイくると、ただでさえ難しい我が子がパニックになるのではないか、我が子を一番知っているのは母、父である自分だ、と逆に保護者を刺激する可能性があるし、指導側の先生(教師)に失礼の無いようにというお母さん方の気遣いも感じるので、私は淡々と静かに出すぎないように補助に徹していた。
しかしそれはそれで、補助のコツもお伝えできないし、もっと深いお悩みにアドバイスすることもできない。なんならせっかく新たな挑戦が出来る場にいるのに、パニックを起こさせまいとして、皆んな子どもに遠慮して、触らぬ神に祟り無し状態で見守ることも多く、そんな時にグイッと介入してあげたくてもできないなと感じていた。
なので、昨年末に定期的に開かれる親の勉強会の様な時間にお邪魔して、1時間半お話をさせてもらった。
外見に100%現れているならいいが、私は恐らく至って普通の人に見えるに違いないと思っている。よっぽど透視能力でも持っていなければ、黙っている人の内面は見えないものだから、知って欲しければ自分から開示したらいいよね、と思ったのだ。
お話はとても喜んでもらえたようだし、しかも指導側の先生方にもその話は伝わるため、これで実質上、私は自分の思うように伸び伸びと動くことができるようになった。
運動療育は、主導者がいくら長けていても上手くはいかない。阿吽の呼吸で痒いところに手が届くように動く補助の役割があってこそ。そして1人1人の動きをしっかり観察して介助する必要がある。どちらかというと、こちらの方が重要かもしれない。
長年この会を引っ張ってこられた先生の目の動き、口元、素振りなどを見ていると、そういった補助ができる者を欲しているなぁと感じていた。
そういう意味でも、私が自由に動ける環境整備が必要だったから、主導の先生に私の意向が伝わったのは非常に良かった。お母さん方も安心するから。
こうして、私がボランティアに来ている意味合いが、しっかり認知されていった。
ある日、首を長くして来るのを待っていた中学生のダウン症の男の子がやって来た。
「きたきた♪」と私は1人でにんまり。
前に、ぽっふんさんがコメントに書いて下さったが、こうした大勢が来る場では1人1人にずっとつくことは出来ないし、次はいつ会えるか分からない子たちでも、毎回次に繋がるように、種を蒔いておくようにしている。
この、ダウン症の男の子にも、まずは私という存在を知ってもらうことから。そして少し活動への参加を促す。嫌だと意思表示があれば話を反らして一緒に遊ぶ。体と気持ちに動きが出たところで少し促す。みんなの側にさりげなく誘導。暫くまたそこで一緒に遊んだり会話(心と心の)する。そうして、私はあなたを待っていて、来てくれたことに喜び、一緒に遊びたいと思っていて、警戒しなくていい相手だということを、少しずつ、少しずつ、会えた時に伝え進めていた。
ここは無理して参加しなくてもいい運動の会。
でもお母さんも先生たちも、上手くこの子が心開いて活動に少しでも参加できたらいいなと願っている。
この日もやっては来たが、その内部屋から出ていって、外の廊下の壁にへばりつき、色んな人が誘いにいったが空振りに終わったようだった。
そろそろだなぁ。
なんとなくいつも空気の流れを感じる。
皆がわぁっと積極的に動いている隙間を縫って、私もそっと退出した。
いたいた(笑)廊下の壁にもたれてこちらを見ている。どっかに行ってしまいはしないんだ。えらぁ。
「ねぇ、〇〇くん。お友達のとこ行こっか♪」と誘ってみた。
「んだ(やだ)」発語はあるが不明瞭だ。
「やだ?そうなの?じゃ、先生と電車ごっこしよう」とこの子の前に立ち、手を腰の辺りで連結して、「しゅっしゅ〜、ぽっぽぉ〜」と円を描くように動かし、軽く前進するマネをした。
「んだ(やだ)」
「そうなんだ、やなんだ。先生は〇〇くんと遊びたいよ」
そう言って何回かトライした。
すると、また手を離されてしまったが、その手が私の肩にそっと伸びてきた。
「ん?」「あ、そっちね!」
彼はこれまでの学校生活の中で、電車ごっこ、じゃんけん列車といった遊びを経験していて、肩に手を置いていたのを覚えているのだろう。
「オッケー♪しゅっぱ〜つ」「しゅっしゅ〜ぽっぽ〜、ガタンゴト〜ン」と、その場足踏みから彼が足を踏み出すのを確認してから前進する。体育館の入り口まであと少し、、、おっと、直前で立ち止まった、が、そのままやや力を足して一線を越えさせる。
やった。体育館にきらめき列車入場しました!と1人心の中でほくそ笑む。
そのまま、彼のお気に入りの友達のところまで誘導しようとしたら、丁度皆がキックベースをしているど真ん中で座り込んでしまった。
しまった。ボールに囚われてしまったぞ?
ピッチャー役の先生の足元に集められたボールを四方八方に転がされてしまった。しばし攻防したのち、飽きて動き出してくれたところで、先生が足元にボールを転がしてくれた。1度目は蹴らずに持ち上げ、他所に放り投げてしまった。お母さんにたしなめられる。ちょっと彼も怒る。また先生がボールを転がす。怒りながら前に足を踏み出したのでお母さんに制止される。
「あ、今、蹴りたかったんだよね!」
とみんなに伝わるように声をかけたことで、先生にもお母さんにも気づいてもらえた。
もう一度先生からボールが転がされた。
彼はお母さんの手を振りほどき前進して足を振った!
残念ながらヒットとはいかなかったが、足がボールにかすることが出来た!
「おお!うまかったぞ!」と先生からお褒めの言葉がかけられた。ニヤッ。彼にも伝わっていそうだ。
次は彼の嫌いなダンスだ。両手にかちゃかちゃ音がする道具を持つ踊り。きっと音も嫌なんだろうな。
これまで何度かトライしたことがあるが、いつも投げ捨てられてしまっていた。
今回もそれを承知でトライする。
「〇〇くん、ハイッ」
そっと手渡す、、、か、見たかにボンっ!と投げ捨てられる。
また、そっと手渡す、、、ボンっ!と投げ捨てられる。
木で出来ているので、周りの人の足に当たると危ない。〇〇くんの体を、外側に向け、懲りずにまた手渡す。投げられる。
と、その時、見ていた主導の先生が来て、「投げたらあかんやろぅ?」と愛のお叱り(ぎゅっと抱きしめて言い聞かす)を受ける〇〇くん。木の道具を取り上げられそうになる。
「あ、すいません。」と手を差し出して取り上げられた道具を受け取った。
そして、、、私はまた、にんまりして、そーっと彼に道具を差し出した。
「ボンっ!ってしないよ」と静かに付け足す。
彼は、暫く差し出されたその道具を見つめていた。そして、そーっと道具に手を伸ばし、受け取った、が、ボンっ!ではなくて、ポトっ!っと足元に落とした。
「おお!これはイケるな」
そう思い、また拾って、そっと差し出す。
さっきの先生は、注意深く見守っている。恐らくきらめき懲りへんな、でもどうなるかな?と思っておられたことだろう。
お母さんも不安げに見つめていた。
「はい、どうぞ😊」
また暫く見つめたあと、彼はそーっと手を伸ばし受け取った。
「はい、カチャカチャ♪、手を回して〜!はい、カチャカチャカチャ♪」
と間髪入れずに対面で笑顔で、彼に振りを見せて誘導した。
「カチャカチャカチャカチャ」
なんと、動きに合わせたように道具を振っている。投げてない。そのまま暫く私と続ける。
そうこうする内に音楽が終わりみんなもダンスを終了した。
「はい、終わり♪上手にできたねぇ!ハイタッチ!」
彼は意識があるかないか分からない程度に軽く手を上げ、私の手と重ね、道具を渡してくれた。
お母さんが驚いた表情で来られ、「びっくりしました。道具、長いこと持ってましたね!あぁ、今日も無理やなって諦めてました!」「先生、凄いですね!」と言ってくださった。
見守っておられた主導の先生も、凄く喜んで温かく微笑んでおられた。
ダウン症のお子さんは比較的穏やかで温厚な性格をしていると聞く。しかし、意外と頑固で怒りっぽいお子さんにも多く出会う。見ていて感じるのは、動きが緩慢でしにくい上に、理解が追いつかないところに学校でもやいやいと、あれしよう!これしよう!と活動に参加するよう促されて来て、大変な思いを重ねてきたんだろうな、ということ。
促すのは大事なことなのだけど、やっぱりいかにして理解に繋げてあげるか、自発的に動けるように上手く誘導してあげられるか、そしてこれは自閉症のお子さんとも同じだけれど、しんどい思いを共有し、信頼関係を築くことができるか、が必要で大切なことなのだと思う。
「さあ、お友達の所へ行こう」
その足で、お気に入りの友達の側に誘導する。
床に座った彼は、いつになくご機嫌で笑って言った。「良かった!」
これは、お気に入りの友達と一緒に座れて良かった!って意味だ。
「良かったの?」聞くと「良かった!」ともう一度言ってくれた。こんな自発的に気持ちを言葉で表してくれたことは初めてだった。
やっぱり嬉しいと言葉が出てくるよね。いつも出来なかった事が出来た後は、硬く固まっていた気持ちも動き出す。気持ちが動けば言葉の回路も繋がる。
そういえば、この日はお正月明けて最初の活動日だった。私は彼に途中関わったので挨拶をしていなかった。
「〇〇くん、あけましておめでとうございます」
すると、彼も丁寧に頭を下げながら、「あ、、して、お、、と、ます」と返してくれた。さすがやね。毎年ちゃんと家族や先生と挨拶してきたんやね。と私の知らないこれまでの歴史が垣間見え、嬉しくなった。
ほら、あっちの友達のママにも挨拶しに行こう。彼と腕を組んで歩き出す。友達のママの前につき、私が挨拶するよ、と声をかけ、「あ〜け〜」と呼び水をすると彼も続けて挨拶することができた。
彼とこんなにスムーズに朗らかにやり取り出来たのは初めてだった。
お母さんに、このやり取りのこともご報告し、大変嬉しかったと私の気持ちもお伝えしたら、とっても喜んで下さった。
今日、上手くいったからといって、また次の機会も上手くいくとは限らない。それでも撒いた種は少しずつ、少しずつ成長し、芽をだし花をつけるだろう。
他者と関わる喜びを知り、活動に参加することで誰かのお役に立てる生活を将来送って欲しい。
しかし、高校を卒業した後に、彼が積極的に他者と関わることが出来るような働きかけが出来る人が周りにいるかどうかは分からない。
私の役割は、まずは彼らと良好な関係を築き、誰もが無理だとはなから諦めているところに介入し、可能だということを周りの人にも知ってもらうこと。そして、その方法を学んでもらうこと。
地道なことだけれど、今回もまたそれをお母さんや周りでみておられた先生方に手渡すことができた。
ああ、楽しかったな♪
と今回もまた、胸をホクホクさせながら、
体育館を後にした。