4年前に高校生に大切にしていることは何ですか?と聞かれて答えた言葉は「プライド」だったと昨日書いた。
不思議なことに、直前に聞かれた夫も同じ言葉を答えていて驚いたという話だ。
「プライド」というと、気位が高そうに思われるかもしれないが、私の場合、それは特に療育という仕事に関して血反吐を吐く思いで努力し、培った経験から、思考を重ね、研鑽して辿り着いたものに自信とプライドを持つ、ということを意味している。まだよく理解に達していない者が、軽く考え指示を聞かずに蔑ろにする様なことがあった時には毅然と向き合う、ということ。
ただ、それは過信とは違う。
常に異論があった時にはそれを一旦自分の考えに照らし合わせ、様々な角度から検討して吟味する余地を残している。もし、その異論にも一理あれば、自分の持っている意見にも修正をかけ、それを周囲にも伝える。
時に、蔑ろにする者が出た時、私にも感情はあるので、憤りを感じることがあるが、その感情のまま突っ走ったりはしない。
まず、その憤りは何に対してのものか内観する。
単に自分自身の保身や利益の為か。
それとも子どもや保護者の為か。
何度も自分に厳しく問うた上で、間違いなく、それは子どもや保護者の為だ、と答えが出た時、初めて自信を持って行動に移す。
自分自身に恥ずかしくない生き方をする、ということに「プライド」を持っている、ということだった。
前回は、その頃から4年ほど経ち、今は少し変化しているかもしれないということも書いた。
管理職を辞め、背負っていた大きな責任を下ろして、今は前と比べて少しのんびり過ごすことが出来ている。
ステージが変わったことで、以前のようにプライドを持って行動をする必要性が減ったということもある。
余裕ができ、以前とは角度を変えた立ち位置で物事を見ているようにも思う。
経験を通して、内面も豊かになり、心の襞も深く増えた。
そんな今、私の心に浮かんでいる言葉は
「慈愛の心」
今朝、朝食を食べながら夫にも聞いてみた。
4年経って、変わった?と。
夫はしばし考えてから、
「生活の中の小さなこと、些細なことにも感謝し喜びや幸せを見つけること」
と答えた。
2人して、以前の「プライド」から
もっと穏やかでささやかな心の内に目を向けるステージに移っていたようだ。
