今週のお題「思い出の先生」
中学生の頃。
両親が別居し、それまで住んでいた家を出て、すぐそばの大通り一本渡った隣の学校区にある家へと引っ越した。
母と、妹たちと共に。
それまでの一軒家とは違い、古くて小さな家。
文教地区に立つ、大好きだった歴史ある中学校から、周囲を田んぼに囲まれ、あぜ道を通って通う荒れた中学校へ。
父親の言動に耐える母が不憫で、「もういいよ、別れたら」と言ったのは私なのに、ガラリと変わった環境に、多感な心は追いつかず、どこか隙間風がびゅうびゅうと吹きこんでいた。
転校した中学2年の春。
「転校生」は、それだけでとかく目立ち、不良たちを刺激してしまう。
天井に穴が開き、トイレの壁にかかっているはずの鏡など、一枚もないような学校。
そんな新しい学校と、美しい桜並木や楠通りに囲まれた風光明媚な前の学校とを無意識の内に比べてしまっていた。
年度初めということもあり、家庭訪問が行われる週で、私たち生徒は午前中で終わり帰ることができた。
学校から家までは徒歩10分ほど。
あっという間に着くことが出来るはずだけれど、その日私の足は新しい家には向かなかった。
よく晴れた爽やかな青空の日だった。
想いは小高い山の上に立つ、前の中学校へと飛んでいたのだろう。
2、3か月前まで通っていた道を、懐かしむように、また、辺りの風景を忘れないようにするかのように、見渡し確認しながらゆっくりと慎重に辿っていた。
それは何か考えがあってのことではなかった。
見えない力に引っ張られているかのような感覚だった。
登り坂を何本も越え、気が付けば、前の中学校を目の前にしていた。
生徒たちはすでにクラブの時間。
周囲を囲むフェンスの周りをぐるぐると回る。
校庭には腹筋台やスロープやバスケットゴールやアタック練習のためのバレーボールが吊り下げられているのが見える。私はこういったものを回るサーキットの時間が大好きだった。そういえば、同じクラスだった同級生が隣のテニスコートにいるはずだ。
しばらくフェンスにもたれ、ぼんやりと黄色いテニスボールが行き交うのを眺めた。
その後も大好きだった校門まで延びるストレートの道を見に行った。今となっては記憶が定かではないが、いつも下校時にはいい感じの洋楽のメロディーが流れていた。クラブを終え、急いで制服に着替え、この音楽が頭上に流れるのを聞きながら、この校門までの道を友達たちと歩いた。その時の曲は今、同級生たちに聞いても、先生に聞いても、誰もはっきりとは覚えている者がいない。ビートルズの「Yesterday」だったのか、カーペンターズの「Yesterday Once More」だったのか。ポール・モーリアの「恋は水色」という説もある。とにかくムーディーだった。こういうこともあって、この学校は美しい思い出になっているのだろう。
この日、私は知り合いと出くわすこともなく、坂を下り帰路に着いた。
ところが、家庭訪問は次の日も続く。
午後から時間が空いた私は、また、昨日と同じ道を辿り、前の学校を目指していた。
この日は迷いが無い分早く出発したので、前の学校に着いた時、5時間目の終わりごろだったようだ。
年度が変わっているので同級生たちも校舎が変わり、どこにいるのか分からない。
また周囲に張り巡らされたフェンスに沿い、手をかけながらとぼとぼと中を眺めながら回る。
一番フェンスから近い校舎を眺めていた時だった。
5時間目が終わり、生徒たちが教室から外へと出てくる様子が見えた。
一人、また一人、、、。
そのうちの一人が、「あ! きらめき!」と声を上げた。丁度目の前の校舎にみんなの教室は移っていたようだ。
慌てて同級生は近くにいた友達にも、そして教室の中にいた先生に伝えに行った。
しまった、見つかった。
と、同時に、嬉しかったに違いない。と今の私は思う。
先生は驚いたと思うが、落ち着いて教室から出て来られ、私を見るなり、とにかく中に入れと言った。
偶然にも、その先生は、去年の私の担任だった。
フェンスにつかまり、中を眺める私は、滑稽だったろうなと思う。
それでも、同級生たちも、先生も、みんな温かく声をかけてくれ、その上6時間目の授業に参加していけ、というのだ。
「え?参加?」
予想外の展開にテンパりながら、促されるままに教室の後ろに置いてくれた椅子に座る。
みんながニコニコ迎えてくれた。
でも、年度が変わってクラス替えしているから、同じクラスじゃなかった人たちもいるんですけどね。誰も気にしていないみたいだった。
恥ずかしさに埋もれながらも、この展開に、冷えていた心にじんわり温かいものが流れてくるのを感じながら、授業を聞いていた。
この先生は、生徒指導で強面。恐れられるけれど、それでいて、人情深く、愛される先生だった。担当は国語。達筆で、授業も面白かった。
去年、まだ転校する前。
この先生は私をクラスの議長にしたり、次年度の生徒会役員に立候補しないかと声をかけてくれたりと、今思えば目をかけて下さっていたのだなと思う。
でも、母が保護者面談で、家庭が不和で、長女として苦労していることや、父と別居することとなり、4月から転校が決まったことを話した時、非常に驚いておられたのを覚えている。全く学校ではそんな素振りがなかったし、朗らかだったから、気づかなかったと。
当時の私にとって、学校は、ただ友達に会い、クラブをして帰る。たったそれだけのことだったが、日常を忘れるためにかけがえのない場所だった。それに、私は可哀想という目で見られることを嫌った。境遇は恵まれなかったかもしれないが、「可哀想な子」ではないからだ。
だから、わざわざ、悩みを打ち明けることもなかったし、その必要もなかったのだ。
当然この面談で初めて母によって打ち明けられたのだから、先生がご存じなくても何ら不思議はない。
でも、その後先生がどのようなお気持ちで私を見ておられたのかは分からない。
緊張と照れの入り混じった中、6時間目の授業は終わり、同級生たちは私との別れを惜しんでくれながらも銘々のクラブへと去っていった。
先生は、「ちょっと待っとれよ!」と言い、中庭の向こうに見える職員室へと戻っていった。
「ちょっと」という割に、結構待たすじゃないかと思いながらも手持無沙汰でぶらぶらしながら10分か15分ほどは待ったのではないかと思う。
やっと職員室から出てきた先生の右手には、一冊の漢和辞書が握られていた。
その時もうすでに50代だったであろう先生は、貫禄があり、日ごろから言葉少なだ。
この時も、その漢和辞書を
「これ持っていけ」
とだけ言い、私に持たせた。
ええ?辞書?
戸惑いがあったが、先生から直にいただけることが嬉しく、よく意味は分かっていなかったがとにかく「ありがとうございます」と言って受け取り、その場で先生とお別れをした。
幾つもの坂を下り、自宅に戻ってから、ゆっくりその漢和辞書のページを捲った。
なんでこれ、くれたのかなぁ、、、。
その意図を思いあぐねながら、辞書の最後のページを捲った時だった。
裏表紙の内側に、大きく墨で書かれた文字が目に入った。
「繊細優美」
先生の達筆な字に間違いなかった。
この文字を書くために、時間がかかっていたんだと気づいた。
親の不仲で転校せざるを得ず、でも最後までそれを友達にさえ言わずに朗らかに過ごしていた教え子がひょっこり現れ、何か持たしてやるものはないかと思案もされたに違いない。
しかし、この四文字熟語にはいったいどんな意味があるのだろうか。
しばらく辞書を捲り、探したが、そんな四文字熟語は見つからなかった。
先生なりに何か私に今後の支えになる言葉を考えて下さったのかもしれない。
もしかしたら、その頃の心の中に葛藤を抱えていた私を見て感じたことを字に表してくれたのかもしれない。
真意はずっと分からないままだ。
40年ほど前のあの頃。
私は前の中学校に心を置いたまま転校してしまっていたのだと思う。
その心を探しに、心に呼ばれるまま、2日に渡り、前の学校へ足を向けていたのだろう。
でも、先生が、すでに他校の生徒になった私を、分け隔てなく授業に招きいれたこと、
そして一冊の辞書を下さったことで、私の置いたままになっていた心は、この辞書に書いた字に込められた先生の心と共に、私の手元に戻ってきたのだと思う。
私の心は、もう彷徨わなくなっていた。
その先生も、もうお亡くなりになられたらしい。
それ以来、一度もお目にかかることができなかったが、いつまでも私の心の中には生き続けておられる。