春の陽射しが明るいある日の午後。
遅がけに起きてきた息子とリビングで軽く会話を交わした。
年度末から年始にかけて揉めに揉め、大変だったが、本当に根気強く関わり、やっと自分(息子)以外の家族の思いが伝わりだしたところだった。本当はそんなことは昨年の今ごろにも伝わっていて、かなり改善していたのだけれど、ちょっとした弾みで妹と喧嘩してしまい、また転がり落ちて元に戻ってしまった。
息子は起きると一番にリビングの大きな掃き出し窓の前に立ち、前方に見える自然を眺める。遮るものがない空を見て天気を確認する。それが日課だ。
天気が良いことを確認すると、散歩へ行く。
しかし冬の間、外に出ることが減り、そのまま春を迎え、桜が咲いたよと伝えても、「桜など1回見れば毎年見なくても充分」などと可愛げのないことを言って、せっかく世界が春の到来に喜び明るい光に包まれていても、どんよりとした表情を浮かべまたベッドへ戻るといったことを繰り返していた。
そんな勿体ないことってあるだろうか?と、私が散歩に出たときに撮った桜の写真を、外の世界への呼び水になればと息子のラインに送ったりしていた。
口では憎まれ口を叩いていても、本来は自然や生き物が好きだから、心はじわじわと動いていたのだろう。
ソファに座る私の肩越しに窓から見える景色を横目で見ながら、話しの途中だったのに
「さあ、散歩に行こうかな」と言ったのだ。
やっと行く気になったのか♪
というような喜んだ素振りは見せずに、
「おう。それはいいね。いってらっしゃい」と冷静に返したら、
「一緒に行きますか?」
と珍しいことを言った。
うぐぐぐ。一緒に、か。それは面倒臭いぞ?
こないだまで険悪だったのに大丈夫か、、、どうしよう、、、
と逡巡していることも隠し、
「じゃ、行きますか」
と答えた。
息子は気づいていないが、晴れの日は機嫌や体調も良く、曇りや雨の日の調子がすこぶる悪い。それは子どもの頃からだ。
小学5年生の頃。ベテランの担任の先生をも頭を悩ませ、「30数年の経験を持ってしても、こんなに指示が通らない子どもは初めてだ」と言わしめた息子。手に負えない、ということだが、その息子がある朝、上機嫌で登校し校門を通り過ぎたらしい。どうしてその日、機嫌が良いのか?と不審に思った先生がその様子を連絡帳にて教えて下さった。
私はあくる朝の連絡帳に、こうお返事した。
「行動にはいつも理由があります。晴れていたからではないかと思います。是非本人に聞いてみて下さい」
それを読んだ先生は、いくら晴れていたからって、それだけでこの息子が機嫌良いなんてことあるだろうか?と信じられなかったそうだ。でも、聞いてみて、と言われたのだから、物の試しにと、次の晴れの日、また機嫌の良い息子に、
「どうして今日はそんなに嬉しそうなの?」
と聞いて下さったところ、息子は、
「だって、晴れだから♪」
と答えたそうだ。
「本当でした」と報告して下さった先生は、それからというもの、頭ごなしには怒らずに、いつも「行動には理由がある」と考え、その理由を探るように変化していって下さったのだった。こんなにベテランになっても、尚、子どもから学び変わって下さる先生がいるのかと感謝したものだった。
さて、だいたい息子が散歩に出た時、歩くコースは決まっている。
川沿いに進み、ヌートリアやその巣をいつもチェック。なんでもヌートリアの子どもが巣穴から出入りするのを見たこともあるらしい。「ほら、あそこに巣穴あるやろ?」と指差した方を見ると確かに、中洲の淵に窪みが見える。本当だ。息子が言うには、そこへキツネがやって来た場面も目撃したらしく、こんな街の側の川岸にもキツネっているんだと思ったらしい。
前に住んでいた場所はかなり自然豊かな所だった。「そこにもキツネはいたって本当?」と聞いてきた。「本当だよ、タヌキもイノシシも鹿もキジもキツツキもフクロウもハヤブサまでいたよ」と教えてやった。
それにしても私や夫が同じコースを歩いても、ヌートリアどころか巣穴さえ見つけたことは無い。でも息子は行けば必ず亀だの鷺だの、ついにはカワセミまで発見してしまう。カワセミなんて、小学生の頃のジャポニカ学習帳の表紙でしか見たことないよ、と半ば驚きすぎて呆れてしまう。実は息子は視力が恐らく2.0を超えている。昔テレビで一躍人気が出た、ブッシュマンのニカウさんの様なもの。その視力を使って次々と生き物を発見し、その生態を観察し知識に加えられていく。息子は子どもの頃から生き物博士だった。好きな物、得意なことは変わらないものだ。
そのまま進むと、道路の横に鬱蒼とした怪しい小さな森がある。怪しくて立ち寄り難いが興味はそそられる。この森に、息子は陽が暮れかけた頃、入ってみたんだそうな。よくそんな勇気があるなと呆然とする。が、息子が入れたのなら私も入れる♪と、兼ねて興味のあったその森へ息子をガイドにして入ってみた。頭上で複数のカラスが背の高い木の枝に止まって私たちの動向を見ている。自分たちの縄張りに入る人間を見張っているようだ。
中は意外にも拓けていて明るく、夜見るような怪しさは無かった。
思わぬ収穫(入りたかったところに入れた)にテンション上がりながら、その森を出て、また川辺りを進む。
土手にはカラスノエンドウが茂り、濃く深い紫の花が一面に咲いていた。こんなに綺麗な花だったのかと新鮮に思った。
子どもの頃はピーピー豆といって、この花の蔓に成る小さくて細い豆を取って、端を切り中を綺麗にして咥えて笛みたいにピーピー鳴らして遊んだ。沢山採ったものをおもちゃのフライパンに入れ、おままごとしたり。そうやって遊んでいたんだよと教えた。息子はそういう経験がないようだった。

更に進むと今度は一面菜の花畑。


対岸は桜並木で、その足元にも菜の花がズラリと植えられている。このピンクと黄色のコンビは眩しいほどに春を演出してくれる。でもあまりこれまでに見た記憶はなかったなぁ。
私が子どもの頃は春と言えばどこもかしこも田んぼが蓮華畑になって綺麗だったんだよ。と話す。
「蓮華ってどんな花やった?」
息子は蓮華の花を見たことがないらしい。
ちょうど足元にシロツメ草の花が咲いていたので、こんな感じのピンクや紫の花だよと説明し、スマホで画像を見せてやった。
私が子どもの頃。昭和50年代。冬は乾いた田んぼに入り、刈った稲の根元を踏みながら走り回って遊んだ。春には一面の蓮華畑に変身し、また中に入って心ゆくまで摘んでは首飾りや冠を作った。畑の畝を飛び越えて追いかけっこしたって、誰にも怒られなかった。今思えばあの蓮華たちは、人工的に種を巻いて咲いたものだったのかもしれないな。
そんな昔の話を、ゆっくり歩きながら息子に話した。
黙って聞いていた息子は、今、その話しを聞いて、自分の頭の中で想像している風景と、私の脳裏にある思い出の風景は、全く違うものなんやろな、と呟いた。どうやってもその頃の光景は分からないもんな、と残念そうでもあった。
今から40年以上も前の風景など、今とは全く違うものだと私も思う。今の子たちには想像もつかないだろう。そうだ、と以前JR福知山線の廃線敷を歩いた時の話を思い出し、息子に話して聞かせた。昔は、宝塚駅周辺も空き地がいっぱいあったこと。大きな岩がゴロゴロ置かれていてそこで遊んでいたこと。その大きな岩は奥の山から切り出されたもので、私が住んでいた場所の近くに採石場があり、そこから貨物列車に載せて運ばれていったこと。だから、宝塚周辺は今と全く違う風景だったことなど。
この先、息子とは世帯分離をすることが話し合いの末、決まっている。
あとどれくらい息子とこうして並んで歩き、こんな昔話を聞かせてやる機会があるだろうか?
そう思ったから、話した。
単にこの周辺の地域の昔話かもしれない。だけど、そういう時代の光景の中で私は育ち、今に繋がっている。いわば私の歴史の1ページ。息子にとってはルーツに関係する話だ。
息子も興味深そうに聞いていた。
話しながら視線を川に戻した時だった。
「鷺がいる」
川の中ではない。土手に蒼鷺が一羽立って微動だにしない。

私たちも立ち止まり、鷺の様子を観察する。何かを狙っている気もする。土手に餌?鷺は魚を食べるんじゃないの?虫も食べるの?とひそひそ相談する。息子も鷺が虫を食べるかどうかまでは知らないようだ。
すると、止まっていた鷺が動いた。何かを捕まえたのかもしれない。私には見えないが、息子は鷺の嘴の先で何かがピチピチしているのが見えている。「トカゲやな」
鷺は私たちが間合いを詰めたことに気づいて、飛び立っていってしまった。

そやけど、貴重な瞬間を見たな。
また少し進むと今度はカラスが三羽川岸で遊んでいる。水浴びをするようだ。端のカラスから順番に水に入り、上手に頭で水をすくい背中にかける。羽もバタつかせ浴びている。一羽目が終わり二羽目が浴びる。ついで三羽目が入り、一羽目が岸に上がる。三羽目も満足したのか岸に上がる、、、。しかし二羽目がなかなか上がらない。バシャバシャいつまでも浴びている。それを一羽目と、三羽目のカラスがジッと待っている。先に帰ればいいのに、あの三羽仲いいなぁ。けど、どこにでもなかなか遊びやお風呂が終われないヤツっているんやな、と2時間くらいシャワーを浴びる息子に言ってやった。

ここはカラスが、いつも群れで住んでいる地域だ。低空飛行をしたり、絡まって飛んだり、遊んでいる様に見えることも多い。社会性の高い鳥だということが分かる。
鳥は、鳥目だから夜になると目が見えなくなる。巣に戻り次の朝までお腹が空いても餌は食べられないだろう。きっと朝から夕方になるまでお腹を満たせるだけ餌を見つけるのは大変だろうと思う。だから常に餌を探して飛んでいるだろうが、それだけじゃなくて仲間と遊んでもいるし、もしかしたらさっきの時間がカラスのお風呂の時間だったのかもしれないよ?カラスの行水。毎日16時頃見に来る?と、茶化して言っておいた。
さっきの鷺といい、カラスの行水といい、いつでも遭遇できるわけではない。これは息子が持っている何某かの運なのだろう。その運を是非仕事にして活かしてほしいものだ。
小さい頃から春になると元気になった。
しかし梅雨に入ると急降下。
恐らくこの日が一番調子が良い日だったのではないだろうか。
春の木漏れ日のような穏やかな1日だった。