きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

駆り出される。

一本の電話がかかってきたんです。

 

出逢って8年になる女性からでした。

前の療育施設で一緒だった女性です。

 

「今度、短期の仕事があって、履歴書持っていったら、もう1人必要だって言うんだけど、きらめき先生一緒にしませんか?」というお誘いの内容でした。

そのお仕事とは、今度行われる参議院選や市長選に必要な準備を行う選挙管理委員会事務局の仕事でした。

公募をかける前に、伝手を使って身元の確かな人を集めるようで、今回その人を通して私にも声がかけられたのでした。

 

まずはその人と私のご縁の話になりますが、、、

前に勤めていた施設が立ち上がる前。

私は最初に勤めていた施設から大事なお子さんを連れて来る為に、適した集団療育のできる場所を探していました。納得のいかない事があり、初めの施設には見切りをつけて退職したものの、学校の介助員時代に出逢ったお子さんや、私の元に集まってくれたお子さんたちを置いてきてしまった事が気がかりで、一時は個人療育に進もうかと思っていましたが、可能性があるならもう一度集団療育に賭けたい、そう考えていました。

そんな時、探していた地域で開業予定の求人を見つけたのです。

もし、場所や条件さえ良ければ、そこへ移ることができる。そう考えて、私は代表者に会い、契約を結ぶ前から物件を一緒に探し始めました。もし、とんでもない場所に決まれば、契約はしないつもりだったのです。

でも、完璧ではないけれど、立地として子どもたちが通うことが可能な場所だった為、そこに雇われることを決めました。

それからは室内の改装の指示や、物品等の購入、そして求人募集内容や採用面接にも携わりました。

人員を集めるなら、今度は是非学校で介助員の経験がある人を採用したいという考えがあり、私のメンターの1人である、長年、通級指導一筋に携わってこられた先生にお願いして、紹介していただいたのが今回のその電話の主でした。

 

その人は、途中で1度保育や児童養護の世界へ移ったものの、やっぱり私の元でまた教わりたいといって戻り、その後、私が退職してからも残された職員と一緒に暫く子どもたちを守っていてくれたという人でした。

その人も辞めてからは介護施設の管理者になったのですが、色んな意味で環境が良くなく、私も心配して、それは労働搾取だから早く辞めたほうがいいと助言したほどでした。

なかなか苦戦した挙句、ようやく4月に辞めることができた時には、文字通り身も心もボロボロで、それはそれでまた心配で、頃合いをみて、そろそろ可愛い子どもたちに会いに来てはどう?と、月に2回ボランティアをしている障がい児の親子の運動の会に5月、誘い出し、また再会したのでした。

その運動の会は、市内の小学校の校長を務め、退職してから教育委員会に移られた先生や、園の副園長先生になられた方などが主導のボランティアとしておられ、もともとこれらの先生方と繋がりがある人でしたので、話す内に元気ももらえ、園で朝晩のお預かりのパート職員の仕事の話ももらえたのでした。

 

良かったなぁ、と思っていたところ、園は朝晩だけなので、空いた日中の仕事として今回の選挙管理委員会事務局のお手伝いの求人に応募した。という経緯でした。

選挙のお手伝いは、物品の用意や設営など、体を動かす仕事が多く、「もう1人要る」と言われて、その人の脳裏にピコン!と閃いたのが私だったわけです。

なんで力仕事で私を思い出すんだよ!と言いつつも、時間的には空いていたので、考えた後、あまり普段選挙の裏側に関心の無かった私にとってはまだ見知らぬ世界を見てみるいい機会かもしれない、と思い、受けることにしたのです。

 

今は違う市に住んでいるので、電車通勤になるのですが、若い頃以来で、実に28年ぶりです(笑)長く車通勤した身としては、たった30分ほどでも大変です。

やっと1週間経ちましたが、毎朝一緒に乗り換えで駅から駅の通路を早足で歩くサラリーマンを観察しながら、みんなこれを毎朝、何年も繰り返ししているんだな。ご苦労様やなぁ。などと感慨深いものを感じつつ、競争しています(笑)

まだ6月初めとはいえ、すでに朝は日差しがキツイです。市役所に着いたころには汗をかいていて、ロビーのソファでしばし休憩してから事務局に上がっています。

 

選挙といえば、一般市民の私などからは、期日前投票のお知らせを市役所やテレビやビラなどで知り、町中で立候補者のポスターを見かけ、候補者の理念を書いた新聞で読み、そして期日前に行く人は、そこで会場入りして投票します。会場には列が並んでいることもあるでしょう。当日行く人は、散歩がてらヒョイと会場に入り、前に座っている立ち会い人の視線を浴びながら、用紙を渡す係りの人からガチャンと用紙をもらって前を進み、衝立の前でやや緊張しながら指名する候補者名を記入し、折りたたんでBOXに入れて退出しますね。

あとはテレビなどで開票結果を見たり聞いたりするのを待つのみです。

そこに至るまでに、どれだけの人と物とお金が動き、どれだけの働きがあるかなど、目には見えないところです。

言わば、選挙管理委員会事務局の事務補助の仕事は裏方。それが、その裏方の凄さをまさに今初めて目にし、唖然としているところです。

 

例えば物品の多さ。

私たちから見えていた物は、会場前の看板、床に敷かれたシート、机、椅子、用紙を出す機械、衝立、BOX、紙、鉛筆、名札、腕章、、、くらいのものではないでしょうか。

それに入場券とそれが入っていた封筒。

でも実際は、テープや麻ひもや老眼鏡やルーペ、マジック、バインダー、ビニール袋、点字器、名簿が見えない為の衝立、スタンプ、ゴム印、ハサミ、延長コード、傘入れ袋、雑巾、蚊取り線香、針金、交付器、車椅子、扇風機、、、、などなど、書ききれないほどの物品の数々が、市内の期日前投票所と、当日の投票所の数の分だけ必要なのです。

それ以外にも、職員の方が、何とか用紙、何とか申請書、記録書、報告書、通知書、云々と、これまたこれでもかというくらいの用意をされ、用意されたものを私たちの様な係りが発送し、、、と、気が遠くなるような煩雑な手順、事務手続きを踏んで、行われているのだということが分かりました。

 

私が関わることになった市は、古くからの歴史や街並みやお店のまだまだ残る町です。

先輩たちは、選挙が行われる!と決まると招集されてきた、言わば特殊部隊。これらの役割を、もう20年近く果たしてきたベテラン揃い。しかも、それぞれその地に根付いておられる生き字引の方たちです。

60代、70代の方たちのお話は、その町の古くから隅々に渡り、大変面白いものです。

それに、その仕事が圧倒されるほど丁寧。

前回の選挙が終わった後に、もう手直しするところなど無いのでは?と思えるほどに、きーーーっちり、丁寧に準備され直されているにも関わらず、また、一から荷解きし、点検し、手入れし、準備することから始まります。その、前の準備された状態、そして、これからの手直しの方法を伝授するうちに、これは、「主婦の手仕事」である、と気が付きました。

どこどこの投票所の誰それさんが庶務担だから、ここは多めに用意してあげよう。ここは苦情が来やすいから、前もって気をつけておこう、これは使う人が困らないように、あの投票所は山が近いから蚊取り線香は多めに入れてあげよう、マジックは使い始めは出るのに暫く立つと掠れることがあるから入れる前に30 秒ほど試し書きして、物品を入れる不織布の入れ物は角が破れていたら当て布をして縫って補修しておきましょう、、、延々。

先輩たちも、お昼にはきちっと手作りのお弁当を持ち、小綺麗で、そこにある小さな手作りの箱に入ったお裁縫道具まで、それはそれは丁寧に入れられています。

昭和の時代、多くの主婦がまだ専業主婦で、外で夫が働く間、こうして家事を一つ一つ丁寧に行い、家を、地域を守ってきたのだな。

その主婦がいたからこそ、夫は外で仕事に専念することができ、日本は栄えてきたのだな。その丁寧な暮らしは娘や息子に伝えられ、「育ち」として表れていくのでしょう。

その生き字引の先輩たちの立ち居振る舞いの一つ一つを見て、その手仕事の素晴らしさを感じる内に、そんな日本の本来の良さを再確認していました。

これから代替わりして、私くらいの世代やもっと若い世代になっていくとき、この丁寧な仕事はどこまで引き継がれていくことが可能だろうか?効率化、システム化が入り込み、楽になった分だけ、廃れていく。その廃れたものはもう取り返すことはできないのかもしれませんね。

 

市町村によって、この裏方の担う部分に違いはあると思います。大きな都市では効率化が進み、業者が担当する部分も増えているかもしれません。

でも、昔ながらの歴史や伝統の残る市や町では、今でもその土地の人々の手によって、選挙に必要な準備が整えられ、支えられています。

それらは全て「一票の重さ」を表しているのです。

 

そんなことを漠然と感じながら、私は2年ぶりの平日フル勤務に生活リズムを戻しバージョンアップしながら、これから数カ月フゥフゥ言って過ごしていると思います。

 

 

それにしても、電話の主の彼女とは、趣味もバレーボール、子どもたちへの強い想い、介助員経験者、療育で切磋琢磨、と共通点も多く、お互いの仕事に、ひっぱったり、ひっぱられたり、意外と腐れ縁になっているのかもしれません。