このところ、左膝関節に痛みがあった。
立ち上がる時、動き初めの時、段差でぐっと踏み込む時など、関節が固まっている感じで、どんと鈍い痛みから、ズキッとした痛みになり、動き始めると緩和する。
動けないことはなく、散歩には出てしまえばそれなりの距離も歩くことができるし、仕事で走ることもできる。
でも、止まるとまた動き初めが痛いのだ。
心当たりはあった。
3月まで講師をしていた幼児親子体操教室のプログラムの中に、走りながらタンバリンが鳴るとサッと床に座るとか寝転がるといった態勢を変えるものがあった。
講師はお手本にならなくてはいけないので、そのテンポでスマートに座るには、片足を伸ばし、もう片方の足を曲げてお尻を床につけるしかなかった。
いずれ膝を痛めることは明らかだった。
相手は2歳や3、4歳と、そのお母さん方だから、そんなに速いテンポに拘らなくてもよいのでは?と相方に提案したが、長年やって来たことを、覆すのは容易ではなかった。
そうこうするうちに、その教室でも参観日を設けたり、ビデオ撮影が入ったりすることになり、つべこべ言う間も無くなり、気がつけば、体が反応し、片足で座る態勢になっていた。
おそらくその積み重ねで、ふとした瞬間に態勢がやや左寄りに傾きが大きくなったのだろう。左膝の外側の半月板に傷がついたようだった。
同じ側の足ばかりで座らなければいいのに、と思うけれど、反対の右膝は昨年10月に12針縫うケガをしている為、負担はあまりかけられない。
かといって、左は左で数年前に7針縫っている。
左もあまり負担をかけすぎてはいけないのは同じだが、怪我から時間が経っている、ということが理由で今回のことのようになった。
ただ、ケガをした当時、内側の靭帯が少し伸びてしまっていると言われていたので、今回も初めはまた靭帯を痛めたのかもと心配していた。または、年齢的に考えると、軟骨がすり減ったのかもしれないなと。
そのどちらも、可能性も大いにあった。
バレーボールは18年もしてきたし、仕事は体を酷使するものばかり。すり減っていても何ら不思議ではない。周りの年配者たちも、無理してきた人たちは、こぞって関節をやられている。
そんなことを考え出すと、今後の仕事は温存を考えるのが賢明かも、と、そんなこともちらほら頭をよぎり出していた。
選挙管理委員会の手伝いだって、物を運んだりと結構ハードな場面が多いらしく、それなら仕事を始める前に病院で診てもらおう!と、いうことで整形に行きレントゲンを撮ってもらった。
なんというか、こういう時って嫌な気持ちがするものだ。何か宣告を受けるみたいだもの。
固唾をのんで、待った後、先生の説明を聞く。結果は、、、
「軟骨は大丈夫やね」
「まだちゃんと隙間が空いている」
だった。
なんと!
一縷の望みは持っていたけれど、半ば覚悟していただけに、少し拍子抜けして力が抜けた。
良かった!
これでまだ運動ができる(笑)
子どもたちに教えてあげられる。
それが本当に嬉しかった。
「でも、半月板に傷がついてるかもしれないね。薬を飲んで2週間様子を見てみよう。半月板は血流が少ないところだから、それで改善していなければ、痛みは残るかもしれないよ。」
とのこと。
ええ、ええ。いいですとも。すり減ってさえいなければ、それくらい(笑)
思えば、ずっと以前にもぎっくり腰をして、レントゲンを撮ってもらったことがあった。ヘルニアになったのではないかと思ったが結果は「骨は綺麗に並んでいます」とのことだった。
7cmヒールのサンダルを履いていて捻挫したこともあった。ひどく腫れたがそのままテーピングでぐるぐる巻にしてバレーボールにでかけた。それでも2週間経てば綺麗に治った。今も後遺症はない。
他にも若かりし頃、スキー場で、仲間に上級者コースに連れて行かれ、コブの下で転んでしまい、ヘタっている私のところに、上から人が降ってきてぶつかり押されて、ぐしゃっと音がしたことがあった。「これは内臓やられたな」と思ったが、恐る恐る立ってみると全然なんともなかった、、、ということもあった。
おかしいな(笑)
私はとにかく恵まれていると思うのだ。
骨格だけは丈夫だ。
筋肉もかなりあったので、サポートしてくれていたのかもしれない。
体に感謝でしかない。
そういえば、前回左膝を縫ったとき、伸びたといわれていた靭帯も、今回先生に聞いた所、
「大丈夫、伸びてない」
という返事だった。
治ってたみたいだ。
こうして、私は晴れて選管の仕事に就き、毎日過酷な通勤を続けている。
膝は、仕事が開始するまでの2週間で、かなり改善した。仕事をする、という意識が働くと、自然と体がシャンとして、気が紛れるということもあるかもしれない。
でも基本的に、人は動いた方がいいのだ。
筋力がつき、また痛めたところを補い回復してくれる。