久々に昭和さながらのパワハラを見た。
私も昭和生まれだし、若い時も大きな企業で働き、数え切れないほどのパワハラ、モラハラの中を生きてきた。
今となっては懐かしくもある時代。
それから時が経ち、私も幾つもの修羅場をくぐり、その都度たくさんのことを学ばせてもらってきた。
平成、令和の時代に管理職を務めた経験は、パワハラやモラハラについても学ぶ機会も多く、人権を扱う仕事だけに、研修として職員の方々に伝える役目も担ってきた。
日々の中で、若い世代の職員と接していると、指摘を受け、目から鱗で気付かされることも多かった。
人生経験を重ねてきた職員の方々と、それぞれが抱える人生の重しについて語り合う中で学ばせてもらうことも多くあった。
その年月は、結果的にずいぶん私の意識を改革するのに役立ってくれたのだと思う。
久々に、繰り広げられる昭和あるあるのパワハラ、モラハラに目が点になってしまった。
パワハラ、モラハラを繰り出しているのは、正規の職員ではない。
年齢の高い非正規の方々だ。そしてそこに歯向かうことができず懐に入る為にお上手ばかり言って持ち上げ追従する50代、、、。
いや、私も50代なんだけど、、、。
お世辞を言う、お上手言う、強いもの(長いもの)に巻かれる、群れる、が大嫌い。
時代錯誤な人々には、引いてしまう。
全てを笑顔で流してしまうと容認してしまうことになるので、距離を空ける。
ねぇさん、さすが!と持ち上げ気持ち良くしてくれる人は可愛がるけど、そうでない人は冷遇する。そんな光景を眺めながら気づいた。
いつの間にか、昭和さながらのパワハラに眉をひそめ、渋い顔をして見つめている自分を。
それならやはり、身を置く環境が大事ということなのかもしれない。
パワハラ、モラハラを自分が行っていることに気づけずにいる人は、周りに誰も注意してくれる人がいなかったのだろう。または自分たちもそうやって罵倒され蔑ろにされ蔑まれてきた経験が強く残っている、のかもしれない。
実際に、その方々は、昔受けた処遇を時々ネタにし披露している。
昔は、えへへへと笑うしかなかった。とも言っておられた。
そうなのだ。昭和な時代はそうだった。笑うしか術がなかった。
パワハラ、モラハラはそれくらい世の常で、いかに上手く交わせるか、処世術に力は注がれてきたのではないだろうか。
でも、今は違う。
愛嬌があるなしに関わらず、ヨイショが上手下手に関わらず、良いことは良い、良くないことは良くないと、なるべく公平に判断されるべきではないだろうか。
笑ってやり過ごせるくらいの余裕や柔軟さがあるのも良いのだが、笑ってやり過ごす人や、怒らせまいと更に煽てて余計に煽ってしまう人がいれば、余計にパワハラやモラハラを助長してしまうことになる。
懐に入り気に入られた人は良いが、その反対側では被害に合う人を作り出してしまうことにも気が付かなければいけない。
目の前でパワハラ、モラハラが繰り広げられているのをやり過ごし、「良し」としてはいけない、ということになるのだろう。
もし身近な人が、そんな時代錯誤な人々の餌食になったら、相手が誰であろうと必ず庇うし毅然と接する。
自分がされても同じだ。
波風も立つし、そういう方々は凄まじいパワーもお持ちだから、下手をすると痛手を負ってしまうだろう。
それならば、距離を置く、またはそういう環境からは離れてしまう方がいい。
離れる人が増え、上にきちんと訴えかけていけば、いつかその方々の所業の実態が把握され、その組織にとって悪影響を及ぼしていると認知される時が来るだろう。
だから。
NOと言おう。
色んなお互いの背景や状況を差っ引いても、こんなことを言われる筋合いはない、行き過ぎている、と結論が出たならば、毅然と伝えよう。
今感じていることを。率直に。
体を壊してからでは誰も代わりになってくれない。
そうしていく内に、パワハラ、モラハラの強いところは次第に減っていくだろう。
なるべく身を良い環境に置くことは、連鎖を止めることにつながる。