きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

全ては人間の感情から。お金の要らない世界は果たして成り立つだろうか。

のどかな場所へ行き、木陰にレジャーシートを敷いて、ゴロゴロしては、地面を眺めミクロな虫や草花を眺める。

頭上は青い空と白い雲。

私達の上にはまだ青い小さな紅葉が、小さな恐竜の手の様な葉を幾重にも重ね、私達を日差しから守っている。

その葉の隙間から、キラキラと木漏れ日が光る。

 

そういう時間は、知らず知らずにいつもとは若干違う場所へと思考も誘われる。

 

〜お金の無い世界〜

今回の参院選、どこかの立候補者が、お金の仕組みを変える!と主張していた。

今の金融システムを見直し、自然と共生しながら生き生きと生きられるシステムを、この日本から世界に発信しよう!

という主張のようだ。

 

この、今の金融システムを変える。お金によって困らない世界、お金の必要のない世界、といったことを主張し、そんな世界が来ると信じ活動する人たちが増えていると感じていた。

アメリカに渡った友達だった人が言う。

これからはお金の要らない世界が来るんだよ。代わりに物々交換の助け合いの時代が!

と。

「きらめきちゃん、だから、お金はもう要らないんだよ!」とも。

うん、そりゃぁ、お金のことを考えなくても良い時代が来るといいよねぇ。そう思うよ、、、。

でも現実問題、今日明日を生きるお金は必要でしょう?

今すぐお金という概念を捨てて生きる、というのは難しく現実的でなくない?。

では、仮想通貨ならいい?それとか投資でファイヤー生活?

それも、結局お金の代替え品でしかないよね〜。

本当にお金の必要のない時代が来たりするのだろうか?

 

と、しっくりこないものを胸にしながら、ここ数年を過ごしていたところ、例の立候補者を知った。

立候補者を応援する女性のSMSによる発信を見つけたからだった。

応援している女性たちは複数人おられるらしい。

そして、その方たちの殆どがゆったりした天然素材に見える生地のワンピースをお召しになっている。ある方はオレンジ、ある方はピンク、またある方は水色、、、というように皆さん1色のワンピースを、それもロング丈のものをお召しになっている。

その画像を見て、思い出したことがあった。

お金が要らない世界が来る、、、という方々のグループは、宇宙、自然、無農薬、共鳴、磁場、などなど、という言葉を使って発信し、そこへ集う方がよくお召しになっている装いだ、ということ。

何か共通項があるのかしら?と不思議に思っている。

そして、そんなワンピースの女性や、宇宙、自然、無農薬、共鳴、磁場、ついでに科学者でもないのに量子論を謳う方々や集まりがじわりじわりと増えている、と感じている。

これは何を示唆しているのだろうか?

 

と、青空を見あげながらボンヤリ脳裏にこんなことが過ぎり、夫に話した。

お金の必要ない世界ってできると思う?

 

夫は、「じゃあさ、やっぱりみんな人の少ない自然豊かなところに引っ込んで、自給自足で生活すれば、最小限の物しか要らないし、お金をそんなに使わなくていいんじゃない?」と言う様なことを言った。

 

もしも、お米も野菜も自分たちで作れるとする。水も電気もガスも何とかなるとする。

それでも衣服や家具や農作業をする道具や移動に必要なものとか、やっぱりなんやかんや生活に必要で調達しなければならないものって出てくるじゃない?

それはどうする?と聞いた。

「その時は買えばいいんじゃない?」

「それじゃ、お金がまだ必要やん。」

「でも必要な物は作らないといけないんだし、、、」

 

そうなのだ。みんなが昔に回帰して生活しようと思っても、全く昔と同じようにとはいかない。

「必要な時には調達できる便利さも、病気になった時、医療にかかり薬や処置が施される保障も、そこそこの娯楽も、残したまま、お金が無くても回る世界が可能かどうかを考えてるの」

「その時に、物々交換だけで成り立つと思う?」

「物々交換といっても難しいよね。物によって価値が違うから」

「そうなんだよね。価値って概念がある以上、こっちの方が価値があるのに、とか、こっちのは作るのに手間暇かかってるんだゾ、材料がいっぱいいるんだぞ、なんだそれっぽっちか、なんて、問題になるよね」

原始時代でも石のお金があったくらいだ。(ギャートルズの見すぎ?)

その物の価値に見合うものが無ければ、そもそも交換ができないとなれば、財力がない、権力、体力、知力もない者は、やはり必要な物を手にすることは叶わない。

例えば、工業製品と農作物では農作物をどのくらい充てがえば工業製品の価値と釣り合うのか分かりづらい。

石のお金は、比較できない物と物との価値を合わせる問題を無くす為に誕生したのだろうから、やはり共通の「何か」は、必要なんだろうか、、、。

そこで、もう一つ、私が考えていたことを話した。

「物に対する『価値』という概念がある以上、いざこざは起こるよね。だから、『価値』という概念から考え直すといいんじゃないかなって思うんだよ」

「どういうこと?」

「だからね、もし、机が欲しいなぁ、鉄が欲しいなぁとか思うでしょ?じゃあ、机だとか鉄だとか、持ってる人に下さ〜い、って言うの。そしたら、はいは〜い、って言ってくれるの。そして、こっちからはその時にあげられるものをあげるの」

「価値が合わないんじゃない?」

「価値という概念はいらないの。」

「?」

 

「価値を合わそうとすると無理になるから。

だって、身体の弱い人もいれば、病気の人もいる。障がいを持つ人だっているから、合う価値の物を探したり作ったりしようとしても、できなければ結局手に入れられないもの。

だから、そういう時は、その人がその時に持てる力を一生懸命に使って得たものや作ったものをあげるとか、出来ることをしてあげることでお返しすればいいの。

でも、本当はお返しも必要ないかも。

 

中には自分は医療に関心が強いから携わりたい、電気に興味があるから電気工事の仕事がしたい、鉄で物を作りたいから工場で働きたい、とか、志のある人もいると思うから、そういう人はその仕事をすればいいと思うの。

それで、じゃあ、鉄で物を作ってる人が、その製品をあげちゃって、次に作る鉄が無いよ〜って時には、鉄の材料を持ってる人にちょうだい、って言うの。

そしたら、またはいはい〜って材料を持ってる人があげたらいいの。

そうすれば、価値もお金も、本来お返しも、無くても世の中が回るってことにならないかなぁ(笑)

その人が持てる力を精一杯使ったことや物なら、、なんでもいい、ってなれば、それが本当の公平?ってことになるんじゃない?

理想郷(笑)」

と、一気に話すと、夫は意表を突かれて

「、、、、」な様子だった。

 

そんな理想郷ができたら、いいよね。みんな困らない。

お金が必要の無い世界は、

そういうこれまでの概念をひっくり返したような世界ができなければ、実現は不可能だと思う。

 

 

「でもね、もし、そんな世界ができたとしても、物と物の対価が釣り合わなくてもオッケーで、精一杯の力でできることをすれば良いって思ってても、人間って段々、これって自分が差し出したものより相手のものが小さくない?とか、これって凄い手間暇かかったんだけど、相手の物って、それに見合わなくない?って気持ちがまた沸々と沸き上がって来ちゃうのかもしれないよね。

すると、ケンカやトラブルが起きて、紛争が起きて、やっぱり対価を合わせた何かが必要じゃないか!って、元に戻るのかも。

 

人間が1人残らず欲望や煩悩を捨てて、感情が波立たないように修行して、妬みや嫉みや恨みつらみを克服しないと無理なのかもしれないよね」

 

お金の為に働くのではない。

誰もが自分のしたいこと、好きなことをして一生懸命生きる。

そんな世界になる為に、1人残らず聖人君子の様になる?

それは不可能だろう。

 

 

人間に、「感情」というものがある以上、「お金が必要ない世界」はやってこないのかもしれない。