きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

核家族のゆく末を憂う。

そうか、もう、そんな歳か。

 

5歳離れた妹が癌になった。

子宮頸癌だ。

しかし幸いなことにステージ0。極めて初期ということらしい。

神経の細い妹は、何の自覚もなかったのに、たまたま他の検査で見つかったことで、動揺し、なかなか眠れなくなり、強がってはいたが電話の声は震えていた。

今日はその手術日だった。

 

妹には内縁の夫、、、彼氏がいる。

数日前、入院の送り迎えや手術日の付き添いにはその彼氏がなるべく仕事を休んでくれるとのことだが、もし休めない時や親族でなければいけない時は姉である私に頼めるか?と打診があった。

二泊三日の手術で、それ自体は30分ほどとのことだが、何があるか分からない。

仕事は休んででも行くよ、と伝えていたが、病院から、親族でなくても彼氏で大丈夫だと説明があったらしい。

だから実姉なのに、お払い箱になった。

それはそれで、いいのだが。

 

一つ気づいたことがあった。

妹は彼氏に「もしお姉ちゃんも歳を取って動けないとか亡くなるとかしたら、私に万が一のことがあったら誰が面倒見てくれるのかしら?早く何とか(籍を入れて欲しい)してくれない?」と言ったと教えてくれた。

私にはもう1人妹がいる。今回手術した妹と双子の。そう。双子の妹がいるのだ。2人。

しかしその双子の妹同士は、すこぶる関係が悪い。仲が悪いのだ。

だから、2人はもう長らく顔を合わせていないし、コンタクト自体取っていない。

私が間に挟まっていて、どちらかと片方ずつしか会うことができない状況だ。

だから、その片割れの妹には、今回の妹の手術のことは伝えていない。

母は認知症で車椅子。自力では動くことができない。そして遠方にいる。

もう、妹には頼れる親族は私しかいないのだ。

そのことに気づき、愕然としている。

そういうことを考えなくてはならない年齢にもなったのだ。

 

もう一つ。

うちの家族は私がそれぞれを繋ぐ役割になっている。反対に言えば、それぞれがバラバラで私を介さなければ繋がっていない。

 

夫もまた、夫側の親族を繋ぐ役割を担っている。因果なものだ。

 

そんな私や夫がいなくなってしまえば、それぞれの者たちはどうなってしまうのだろうか?

と、ふと考えた。

 

急に、核家族のゆく末を案じる気持ちにかられた。

 

肝心な妹の手術は無事に終わったが、母もそれを知らない。