きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

「今日はこの辺で終わりとします」

昨日の夕方17時過ぎ、買ったドーナツとマグロの細巻きをおやつに頬張ったあと、息子が言った。

「今日はこの辺で終わりとします」

 

いつもなら、ご馳走様でした、というところを、このセリフ。思わずきょとんとしてしまった。

が、その意味を理解して笑ってしまった。

 

ようやく暗いトンネルを出かかっている息子(このセリフ何度目か)。

このところ、私が暇になるのを見計らい、話をしにきたり、予定を把握しようとする様子がみられるようになった。

何か焦りが出てきたのだろう。

自分のこれからについて。

気力が出てきて、体力もつけようという意欲も見られるようになってきて、とっかかりを探しているように思う。

 

お盆明けの月曜日。

私が選挙管理委員会事務局の手伝いの仕事をしたこともあり、今回の参院選について調べて考えていたらしく、自分なりに日本のこれからを心配し、どこが政権を持つべきかについて、しっかりとした意見を持っていて、そのことについて話し合った。

恐らく私なんかより、ずっと詳しく知っているし深く考えていた。

自分でも、「そりゃあ、時間があってネットの情報をいつも見てるからな」と言っていた。

 

お盆の間は夫もおり、私はそちらの用事もあれこれあったので、私が空くのを待っていたのかもしれない。

 

そして次の日の昨日は、「100均に行きたい」「新しい服が欲しい」と、2つ要望があったので、一緒に出かけることにした。

精神面が安定を見せ、「一緒に出かける」ということに対するハードルが下がっている空気を感じる。

自然な空気の流れとでも言おうか。

笑顔も多くなった。

 

車で10分ほどの100均に行く予定だったが、元住んでいた街の100均の方が品揃えが多く、目当ての物がある確率が高いので、少し足を伸ばして15分ほどの店へ行った。

目当ての物がすぐ見つかっても、しばらく私のウロウロにも付き合う。

珍しく「帰りたい」とまだ言わない。

体力が無いと、疲れやすく、ひどい時には行きかけの途中で「帰る」となることもあったのに。

 

下の生活雑貨のフロアもついでにウロウロ。

まだ言わない。

しかも次の店に行くため車に戻るときには、「久しぶりなので少し1人でその辺りを散歩したい」とまでも言った。

息子が生まれ育った街。

どうぞどうぞと言って、先に私は車に行って待った。

結構長く歩いたようだ。

次の店はショッピングモールの中にあるユニクロ

ここでもそれぞれが試着し会計を済ますまでゆったりと行動できていた。

 

さて、最後は食料品?というところで、まだ大丈夫かな?と思い、「すぐ上の階の無印も見ていい?」と息子に聞いた。

 

え?と表情が変わり、、、

「それなら先に帰っていい?」

 

ついに出た。

もう一踏ん張りとはいかなかったようだ。

自分の買いたいものさえ手に入れば、もう用済みなのだ(笑)子どもの時からそれは変わらないんだな、と笑えた。

でもそのことも笑い話として共有でき、悪くなかった。

 

無印は断念して、食料品を買って共に帰宅した。

食材を冷蔵庫に入れる手伝いも率先して動いてくれた。

お盆休みの間、夫が私と買い物から帰ると必ず一緒に冷蔵庫へ食材を直していたのを息子は見ているな、と思っていたが、どうやら学んだようだ。

洗濯物の取り入れも自主的に手伝った。

 

だから、

「今日はこの辺で終わりとします」

なのだろう。

 

今日の僕の「仕事」はこの辺で終わりとします、と宣言したのだろうと思う。

 

「仕事」という意識を持って動いていたことが分かり、笑ってしまったのだが、もう終わるんだ、、、ということも面白かった。

まだこれから私は晩御飯の準備だし、夫は恐らく20時過ぎまで仕事だろう。

 

悪気は全くないのだが、彼の中では

「そんなことは関係ねぇ」

のだ。

でも、まぁ上出来。

「はい、分かりました」と承認した。

 

荒れに荒れた障がい受容期だったが、ようやく前を向き始めている。

 

長らく就職か就労か、という問題も葛藤があり揺れ動いていたが、何よりも本人が納得し受け入れる気持ちがなくては進まない。

自分の障がいを受容し、就労を試すという方向性が具体化してきて、気持ちが定まったからこその

 

「今日はこの辺で終わりにします」

なのだ。