きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

これもきっと何かのお導き。

Uの字に家が並ぶ路地の一番奥の家には大型犬のポインター

その家から2軒手前の白い家。

家同士の隙間がほぼ空いていない長屋のような家々。

その路地から出て左に曲がると右手にはこじんまりした神社。

左手には横長の和風の家。

神社の入り口には灯篭と鳥居がある。

くぐると左手に公民館。

道を真っすぐ行くと水路の上にかかった小さな橋。その先は空き地。

突き進むと大きな中学校。

中学校の前を右に曲がり、ずっと真っすぐ行くと幼稚園と小学校。

 

家の路地に戻り、今度は右に曲がると細い路地が水路沿いに伸びる。

先に進むと大きな車道に突き当たる。

真正面には大きな水路。

そして大きな大きな工場が壁の向こうに覗いている。

左に曲がると左手に、畑とテニスコートが見える。

テニスコートと畑の間には大きな水路が神社のほうへ延びている。

この水路は底なしだ。

 

 

この光景を、私はもう50年近く、繰り返し繰り返し思い出している。

夢に見ることもある。

 

当時私は幼稚園の年長。父の転勤で引っ越してきた。

前に通っていた堺の幼稚園で、先生に促されみんなの前で挨拶した光景を今でも覚えている。

新しい園では、優しい女性の先生が大好きになった。卒園文集?には好きな人の欄にその先生の名前、好きな食べ物にはイチゴと書いた。

その園と同じ敷地に建つ小学校に入学し、2年生まで通った。

放課後や日曜日には、家の前の路地や神社の前の道で友達とゴム跳びやボール遊びをした。神社の前の和風の家は友達の家だ。

このころから私はボールが好きだった。

2年生だったと思うが、畑とテニスコートの間を流れる水路にボールがはまり、ゆっくり流れていくのを見て、焦った私は自分からその水路に入って取ろうとしたことがあった。幅も広く、水嵩も腰まである水路。

そろそろと足を水の中につけ、底に足をついたが、底にはヘドロが厚く堆積し、ずぶずぶと足がめり込む感触があった。ボールを拾えたのかどうか、そこは定かではない。ただ、腰から下は真っ黒に汚れ、家まで恥ずかしくてもじもじしながら帰った遠い記憶だけが鮮明だ。

 

神社では、近所の友達や年上の男の子たちと良く遊んだ。

入り口付近に漆の木があり、近寄るとかぶれるよとよく注意された。

その向こうの木にはちょうど手ごろな高さに枝が出ていて、まるでお父さんの腕にぶら下がるかのようにその枝につかまり、足を上げ、ひっかけてよじ登ったものだった。

割りとお転婆な子ども時代。その子ども時代の遊びが今の私の仕事に活かされている。

夫にも、よくその話をしていた。

 

本殿の後ろには森が広がる。

でもなぜか、森には入ってはいけないような気がして、いつもチラチラ振り返り、気にしながらかくれんぼや鬼ごっこをして遊んでいた。

神社の端にはフェンスがあり、その下にはブロック塀が森の奥へと続いていた。

そのブロック塀の上を行ったり来たり、みんなと遊んでいた時、私は足を踏み外して内太ももをすりむいてしまった。近所のお兄ちゃんが大丈夫?と声をかけてくれた。

優しいお兄ちゃんで、この人が私の初恋の人だったと思う。初めてバレンタインにハート型のチョコをあげた。

 

神社の向こうの細い橋までは、小さな妹たちと飼っていたアヒルを連れて散歩に行ったものだ。

家の2軒隣りの家の大きなポインターは、カッコよくて大好きだった。

 

 

繰り返し思い出すこの場所だけが、これまで引っ越した場所の中で思い出を頼りにまだ探していない唯一の場所だった。

 

記憶の中の光景は、本当にあったものだろうか。記憶は美化されるとも聞く。

50年近くも経つと、自信も揺らぎだす。

 

昭和50年代初め。なのに今でもありありと思い出すこの光景の真否を、いつかこの目で確かめたいと、そう思っていた。

 

 

先日、子宮頸がんが見つかった妹は、無事に手術も終わって退院し、数日前が再診日だった。

まだ、お腹は痛むらしい。

散歩がてら自分で電車で行くと言うが、この暑さだ。手術後の身には酷。

検診や入退院の送迎は、彼氏やそのお母さんが親切にもしてくださったが、今度は私が行くよと申し出ていた。

妹は心配性で、待ち時間長くないかな、駐車場がいつも混んでるからな、などと言っていたが、停められなかったら、近くの商業施設に行ってるから大丈夫だよ、と言うと、安心して前日には依頼がきていた。

 

今の家に引っ越してから3年目になるが、実は最近まで妹が車で20分ほどの場所に住んでいるとは知らなかった。

いや、地名は知っているが、実際の場所との位置関係が分かっていなかった。

今回の送迎に当たり、住所を詳しく教えてもらい、経路検索で調べてその近さに笑ったくらいだ。なんてことはない、川を渡ったすぐ向こうの地域だったのだ。

 

当日、川を越え、割と大きな道を進み、目的地が先に見えてきた時だった。

左目の視界に小学校が入った。

「○○小学校」

動体視力の良い私は一瞬だったが校門に書かれた文字が読めた。

 

「え?」

○○小学校。それは、私が入学して2年生まで通った小学校名ではないか?

こんな大きめの道路に面していたっけ?

私がくぐっていたのは反対側だろうか?

 

妹のマンションはすぐそこだったが、まだ約束の時間まで5分ある。

ええい、曲がってしまえ。

学校の角までの数メートルで決断し左に曲がった。

 

細い川がある。

川沿いを真っすぐ行くと別の大きな学校。

もしやこれは中学校?

そうだとしたら、ここを左に曲がれば神社があるはず。

 

昔ながらの住宅地の中を、勘で彷徨ってみたが、道が細い上に、一方通行が入り乱れ、進むのがままならない。

小学校の裏側のフェンスも見えているのに、近づくことができない。

おかしいな。こんな細道を通っていたのだろうか、、、。

なんとか学校の際まで行きたいのにタイムリミットだ。諦めて妹のところへ急いだ。

妹はマンションの外にすでに出ていて、訝しげな表情で待っていた。来ると思っていた逆方向から私が来たからだった。

 

その理由を説明するには経緯を話さなくてはならない。

妹にとっては、1歳か2歳の頃の話で、記憶になくて当然のこと。

は?という感じは否めないが、それでも一通り話を聞いてくれた。

そう言えば、神社あったなぁ、、、と呟きながら。

その妹が、今通ってきた小学校の正門側の大きな道路は後から整備された道だと教えてくれた。

 

取り敢えず、病院で再診を済ませ、診断書をもらい、買い物などして帰路についた。

妹は、医師から「恐らく悪い部分は取り除けたと思う」と、説明されたそうだ。

でも念の為、また3ヶ月後に健診。

一先ず安心した。

お土産にお互い551の蓬莱の豚まんを買い、車内に美味しい匂いが充満しながらまた妹の家へと送る。

家が近づくにつれ、この、「妹と(片割れだけど)今一緒にいる」ということに、何か意味があるんじゃないかという想いが何度も過る。

「やっぱり昔の家、探しに行っていい?」と妹に聞いた。

「まあいいけど。」と、しぶしぶの許可をいただき、妹の家とは反対のゾーンへと向かう。

実は診察が終わるのを待つ間に大方Googleマップを見て目星をつけておいたのだ。

 

まずは1番目立つ中学校へ行き、そこからスタートした。

中学校を背に右手にストレートに行けば小学校。

前に真っすぐ進み、先を左に90度に曲がると神社のはず、、、。

段々視界が開けてくる。

スロモーションで現れたのは、なんとずっと記憶に残っていた通りの神社の姿だった。

40年以上も夢にまで出てきた思い出の神社!

 

入口には灯籠と鳥居。そして左には会館がある。この会館で私はお習字を習っていた。その時の様子も覚えている。

真っすぐ奥にみえるは本殿。そしてその奥の森、周囲を囲むフェンスとその足元のブロック塀。何もかもが奇跡の様に当時のままだった。

いや、本殿はもしかしたら建て替えたかもしれない。何と言ってもこのあたりは阪神大震災の影響も少なからずあったと思うから。でもそれからも30年近く経つ。

 

そして何より確かめておきたいのは木だ。

私がいつもよじ登っていた木。

お父さんの腕の様に突き出た枝はどこかいな?と探す。

が、低学年の子がつかまれるような高さの枝か見つからない。

そうだよなぁ〜と思いつつ、もしや?と思いついて、目を凝らしゆっくりと上を見上げる。

かなり上だが見覚えのあるような枝がある!角度が記憶と合致している。

かなり成長していたんだ。そうか、40数年も経てば、こんなになるのか、と感慨深かった。

 

神社の駐車場に車を停めたまま、今度は家を見ようよと、蚊に刺され不機嫌になった妹を無理やり誘ってすぐそこの路地を曲がった。

 

ああ、ここもそのままだ。

記憶のままの家たちが並んでいる。

私が住んでいたと思われる家も、おそらく当時のものではないか。手は加えられているが、面影がある。ポインターがいた家もそのままだ。

まるで過去にタイムスリップしたかのような空間が広がっていた。

ここは震災の影響を免れていたのかもしれないな、と思った。

 

ただ、子どもの頃に見ていた家や路地の道幅が、ミニチュア?と思えるほどに小さく感じられた。

路地から出て右手の細い水路沿いの道の幅も半分ほどしか無かった。突き当たった工場前の水路も道路もそうだ。

神社の奥深く広がる(と思っていた)森も。

 

その分、私が大きくなったのだ。

住んでいた家を正面から見ていると、まだオムツを履いていた妹たちが、オムツ一丁で玄関からアヒルと一緒になって、ワラワラと出てくる映像が目に浮かぶようだった。

妹とアヒルと散歩した水路にかかる小さな橋は、今はもう埋め立てられて無かった。

私が自らハマったドブももうない。

私が住んでいた一角だけが、ほぼ大きく変わっていなかったことに感無量だった。

そして、住んでいた家を今、妹と一緒に眺めていることが不思議だった。

 

蚊にさされたことをいつまでもぼやいている妹をなだめながら神社の駐車場に停めた車に戻った。

また今度は夫とこの神社に来れるといいな。

 

そうそう。私は子供の頃から、やけに素盞嗚(スサノオ)という神の名が気になっていた。天照大御神の弟といわれる神だ。

お祖母ちゃんが教えてくれたお願い事の言葉には「天照大御神様」という言葉が入っていた。素盞嗚尊はその天照大御神様とセットで出てくることが多い。

大人になり、あちらこちらにこの神の名がつく神社があることも知った。

素盞嗚神社」と、見かければ何故か足が止まるのだ。

神話が好きだったから、こんなにこの名前に惹かれるものがあるのだろうとこの日までずっと思っていた。

が、、、。

 

ここへ来る時にゆっくり姿を現した神社の入口には、もう読みにくくなってはいるが、しっかりと

素盞嗚神社

という文字が書かれていた。

 

私の中で長年の想いがなんだかしゅ〜っと昇華する感覚があった。

 

そうか、そうだったんだ。

私は長年、ここに呼ばれていたんだ。と。

 

妹と一緒のこの日に、ここへ来ることになったのも、何かのお導きだったのかもしれない。