きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

ニューヨーク州バッファロー&エリー湖 ネイバル•ミリタリーパーク(群海軍軍事公園)

このポスターに見覚えのある方はおられるだろうか?

20歳代の頃、モノクロの大きなポスターやパズルが流行っていた。この写真はその頃好きだったものの1つだ。

場所はニューヨーク•タイムズスクエア前。

日本がポツダム宣言を受け入れ第二次世界大戦終結の知らせがアメリカの国民に伝えられた直後、そこに居合わせた人々が歓喜に沸き、一人の水兵と一人の看護師がキスをした瞬間を撮ったものだ。

その名も「勝利のKiss」。見知らぬ者同士が、思わず抱擁し、熱いKissを交わすほどの解放感と喜びだったのだろう。どれほど第二次世界大戦アメリカの人々にとっても苦痛を強いられていたかが分かる写真だ。

後にこの2人が誰だったか、最近になって特定された。

水兵はジョージ•メンドンサ。看護師はグレタ•フリードマンだ。そして写真家はアルフレッド•アイゼンスタットだとされている。

 

私は、「戦争を知らない子どもたち」という曲が流行った頃に生まれた。小学生の頃はまだよくこの曲を耳にしたものだ。

母は戦後生まれ。その子どもとして、すでに戦争を知らない世代として扱われ、戦前、戦中世代からはジェネレーション•ギャップを感じられていたのだろう。そんな私たちは、日常の中に、今と比べるとまだまだ戦争の話題が色濃く残る時代に育ち成長してきた。

特に、戦争映画や語り部たちの話は、熱心に見聞きした。それは、小学生にも関わらず、戦争を知らない子どもたちだと言われる世代だからこその、ある種コンプレックスと、語り継がなければならないという責任感だったのかもしれない。

そんな私だが、大人になり、小学校で支援級の子どもたちを支援する仕事についた時には、私の上の世代(その頃50〜60歳代)の先生方が、戦争中に教師が子どもたちに軍国主義の教育を教え、戦争に送り出してしまったという反省を教訓とし、戦争が良いとか悪いとか、そういう植え付け自体も避け、子どもたちが自分で考えより良い選択をして生きていくことのできる力を育むことに重きを置いておられたり、国歌斉唱についても賛否分かれている姿に触れ、学ぶことも多かったし、逆に若い世代が真逆の考えに傾倒していく様も見て取れ、複雑な思いを抱えたこともあった。

若い方々や私たち世代も含む大人世代の中には、日本も軍隊を持ち、アメリカに依存することなく侵略者と戦い、自分たちの国は自分たちで守らなければ、と主張される方も増えてきた様に感じている。

これについては、どうすべきか私の中でも答えは出ない難しい問題だ。

ただ、私たち大人世代は良いとしても、もっと戦争の話題から遠い日常を生きる若い世代の方々は、いざ戦争が起こったらどうなるかについて、やはり映像や活字などで残された資料、そして語り部からの話をもっと聞くなどして、自分事として想像した上で吟味して欲しい、というのが私の願いだ。

私は、宇宙戦艦ヤマトより、銀河鉄道999の方が好きだった派ではあるが、最近になり、音楽や映像を時々目にすると、あの壮大なアニメーションの持つ力を感じ、感動を覚えることがある。戦艦ヤマトだけでなく、ハーロックアルカディア号やエメラルダスのクィーン•エメラルダス号などには格別の思いがある。

戦闘機や戦艦、戦車などに、格好いいとか、憧れるとか、そんな感情は、自動的に湧くものなのかもしれない。

しかし、それと、実際の戦争とは全く別物として、日常生活の隅々にまでどういった影響や変化が出るか、そして、自分たちはどうなるか、まで深く考えなければ、本当に戦争が起こった時、こんなはずじゃなかった、と恐怖に駆られ、愕然とすることは目に見えている。恐怖に駆られ、後戻りしたくても、出来ない。実際に戦うのは、自衛隊や軍隊だけでない、自分たち自身なんだ、それが現実なんだと理解した時、それでも同じ意見でいられるのかどうか。

そういった視点でも想像力を膨らませて考えていかなくてはならない問題ではないだろうか。

と、そんなことを昔からよく考えている。

 

 

そんな折り、カナダ•アメリカに着いて3日目。銀行での用事を終え、空いた時間を埋める観光地探しに難航していた時、偶然密かにいいなと思っていた2つの候補の内の1つ、AKGアートミュージアムに行き着いたことは前回の記事で触れた。惜しくも休館日だったが、建物や噴水横のアートを見ることが出来たし、側の池の散策や街並みを観ることもできたのは良かった。噴水横のアートは、初めどうなっているのかわからなかったが、帰ってから息子に見せたら、これはボートじゃない?と気づいてくれて、びっくりだった。

そこを後にしてからは、車をなかなか停められず彷徨う内に、視界が開け目の前に湖と建物、そして、「ある物」が現れた。

私が関心を持っていたもう1つの場所とは、題名にもある、「ネイバル&ミリタリーパーク」だ。

目指していたわけでもなんでもないし、よく調べてもいないのに、偶然に到着してしまったのだ。

ここも道沿いいっぱいに路駐ゾーンが続く。

この右手すぐは湖岸だ。

青い空、白い雲とドームの屋根。そして湖。いかにも平和なこの光景の中に巡洋艦が存在するという違和感。

下の写真で前に写っているのが、潜水艦USSクローカー。

皆さんは潜水艦を見たことはありますか?

閉鎖空間、しかも海底での任務は想像を絶する。過酷な訓練に耐えた精鋭たちしか乗ることができないそうだ。

こんな物の中に約80名もの乗員が乗っていたとは信じがたい。

横から見ればその大きさが分かりやすいかも

大きい方がUSS リトルロック ミサイル軽巡洋艦だ。

その横に寄り添う様にいるのがUSS ザ•サリバンズ 駆逐艦

ザ•サリバンズ→リトルロック→クローカーの順に艦内を見学できるようだったが、思案した末、断念した。軍艦内に入るなど、一生の内にそうあることではないのだから、という思いもあったけれど、この暑さに、閉鎖的な空間に入る気力が欠けていたように思う。それに時間の関係もあった。

でもいつの日かまたここに来て、艦内を見てみたいと思う。

それは憧れなどではなく、戦時中に、乗組員たちがどんな生活をし、その目にはどんな物が映っていたのか、少しでも知りたいと思う気持ちだけだ。貴重な体験となることは間違いないのだから。百聞は一見にしかずだろうと思う。

すぐ近くには、軍人頸彰碑が建ち並んでいる。ここは軍人たちのメモリアルパークでもあり、これまでの功績を称え、後世に残す為記録として残している。

この写真も息子に見せたところ、食い入るようにして英語を読み出し、熱心に訳し始めた。こちらは疲れているというのに、あまりの熱心さに、いかに私たちの帰りを待っていたか、アメリカに関心を寄せていたかを感じ、止めることはできなかった。息子はTOEIC840点らしいが、これまで戦争に関心があるという話も英語の発音も聞いたことがなかった。そういえば昔の日露戦争などの映画も観ていたし、息子も戦争に関心を強く持っていたのだろう。蛙の子は蛙だ。

関心のある方は、拡大して読んでいただければと思う。

1812年米英戦争ではエリー湖までイギリス軍が侵攻し、当時発足間なしのアメリカ海軍は18隻しか可動できない中で勝利し伝説的な戦いとなった。その陰には兵士の内の1/4というアフリカ系アメリカ人の活躍があった。

1つ1つ見ていくと分かることがある。

それはどの戦争についても、ここに登場する軍人、兵士たちは皆、アフリカ系アメリカ人だということ。

2022年に建てられたこの記念碑では、アフリカ系アメリカ人が、アメリカの全ての戦争で国を守るために数百年に渡る貢献と犠牲を称えている。

オバマ前大統領とパウエル元国務長官についても記載されている。)

アフリカ系アメリカ人は、奴隷制度の元に連れてこられたアメリカで、自分たちの国のためにという愛国心で、自ら常に戦いに臨んだかといえば、決してそうではないことが読んでいくと分かる。

最初の動機は、奴隷制度からの解放、自由を求める一心だったことだろう。しかしその活躍をよそに自由や満足な報酬を得られることはなかったようだ。

戦争に動員される中で、次第に活躍を認められ、地位を得たいという渇望も加わわっていったのかもしれない。白人が占める重要な地位に自分たちが就くことができるということは、その身を挺した貢献の歴史が認められたということになる。

しかし、その願いは長年に渡って叶えられることがなかった。

近年、アメリカではBLMによる大規模な暴動が多発していた。特に南米での奴隷制度を進めてきた英雄たちの像を引き倒すといった、長きに渡って抑圧されてきた不満と怒りが暴発し、大きなうねりとなってアメリカ全体を巻き込んでいっているのかもしれない。

このメモリアルは、そういった流れを意識してのものなのかどうかまでは私には分からないが、建設が2022年というところから、その可能性もあるのかもしれないと感じている。

ここにはアフリカ系アメリカ人以外の人々の貢献についても称賛する石碑が数多く建てられている。

下はイラク戦争アフガニスタン戦争での戦没者の名前が刻まれている。

次は第二次世界大戦におけるポーランドの貢献を称える石碑。

実は前日、クリーブランドからの帰り道で、すでに夜中近くになっていたが、道端にこのポーランドの国旗のマークがついている会社なのか店なのかを見かけ、なんだろう?と夫と話して調べたところだった。ここでこのマークと再会するとは。

何でも疑問に思い、調べてみることだなとつくづく思った。

これは真珠湾攻撃による戦没者の記念碑。

永遠に記憶される不名誉な日として1941年12月7日が記されている。

次は敵の攻撃の損傷により自沈した潜水艦USSグレナディアの乗組員たちの為の碑。日本軍に全員捕らえられ終戦まで投獄されていた。ポーランド収容所で命を落としたとされる。

これは恐らく魚雷だと思う。私くらいの年代には魚雷の形はアニメーションの中などでも触れることが多かったと思う。だから、すぐに魚雷だということが分かるだろうと思うが、若い世代はピンと来ないのかもしれない。夫も、息子も、初めこれが何であるか分からなかった。

こちらはヒスパニック系の兵士に対する感謝の碑。

写真を撮っていると、4、5人のヒスパニック系の若者達が、明るい表情でやって来て、誇らしげにこの記念碑の前で写真を撮っていった。明らかにこの碑を確認して撮っていたので、恐らく何らかの関係がある若者たちなのだろう。親族が兵士だったとか、土台に国旗があるうちのどれかから来ているとか。

こちらは恐らく朝鮮戦争で戦った兵士への記念碑。

今回のトロントクリーブランドバッファロー、ナイアガラフォールズの旅で、私が初日からずっと抱いていた疑問や違和感。

それは私の予想を超えてアフリカ系アメリカ人やヒスパニック系の人々が多い、ということ。

特にカナダでは白人が多いと勝手に思っていただけに、宿泊先の周辺だけでも、見かけた人々の大半がそうだったことに何気なく疑問を持ち、次に訪れたクリーブランドの街中を行く人々も多くが同じだったこと。それに、決して裕福そうではない様子のアフリカ系、ヒスパニック系の人々が多かったこと、と、行く先々で、あれ?なんで?という私に、夫は恐らく首を傾げていたことと思う。

でも、その疑問や違和感というものを捨てずに抱えて過ごした結果、それには理由があったということが分かった。

私が単に知らなかっただけといえば、それだけなのだけかもしれないが、自分の肌でそれを感じ、見つけるということは大切かもしれない。

昔、アフリカから奴隷として連れてこられた人々は、奴隷制度の厳しい南部から、比較的人道的で受け入れる寛容さがあった北米へと移動したり、今でも積極的に移民としてやってくる人々がいるのだそうだ。

ラストベルト(錆びた工業地帯)と化したエリー湖周辺の北米の経済の活性化の為にも、このアフリカ系アメリカ人たちの力が必要とされた時代になったということらしい。

そして、戦争に駆り出された人々の子孫たちも多く、この周辺の地域に定着しているのだろう。

苦難の歴史を超えて、その貢献と極限の犠牲を払ってきたことが認められ、道が拓かれていくことはとても良いことだと思うけれど、その結果、また北米の地で、奴隷としてではないけれど、労働力として求められたり、戦争に駆り出されたりと、似たような位置に置かれることなく、他のアメリカ人、カナダ人同様に、ただそこに存在し生活するということが平等に保障され、生きたいように生きることのできる選択肢と自由とが認められるのであればいいなと願う。

ここにある、顕彰碑が真の物でありますように。

こんな小さな戦闘機に乗って、敵と空中戦を強いられるなんて。思っていた以上に華奢な作りだなと思った。

 

隣のゾーンに行く橋を渡る。

水路にはヨットが複数止まっている。

この旅行中、ずっと爽やかな晴天に恵まれた。唯一この日だけ日差しがきつい。

ここはエリー湖の外れ。

エリー湖からナイアガラに向けて水は流れ、やがてオンタリオ湖へと合流する。

この日、かなりの日差しのキツさで少々バテ気味になった。ようやくパラソルの中に入りホッとする。

アメリカの人々は日差しなんて平気なようだ。この暑さの中、それぞれのパラソルの中で、みんな会話を楽しんでいる。誰もスマホなどは見ていない。年代の違いだろうか?確かに日本でも年配の方々の集まりではそれぞれが俯いてスマホをいじるということはないかもしれない。ワイワイガヤガヤ話に花が咲いている様子は目に浮かぶ。

それなら、若い方々も、それ相応の年齢になれば、スマホは傍らに置き、今会っている人々との会話に集中し、楽しめるようになるのだろうか? さあ、それはどうだろう。

 

とにかく、アメリカの人々はよく話す。

メニューはGoogle翻訳で自分で見て選んだ。物価がとにかく高いから、手頃なところでハンバーガーにした。牛肉とあったから、塊が来るのかと思ったら、意外と柔らかい薄切り肉がぎっしりと挟まれたバーガーだった。

大きなピクルスとソースがアクセントになって美味だ。

しかしアメリカのワサビ的ホースラデッシュは強烈だった。少量ずつ合わせるバランスが大事。

 

店内はこんな感じ。

この奥には、ミリタリーショップがある。

入り口付近のエレベーターホールにあの「勝利のKiss」が飾られていた。

この写真は「20世紀のアメリカを語る1枚」と言われているそうだ。

今のエリー湖は静かだ。

遊歩道の横ではヨットに乗って楽しむ人々や自前のクルーザーでのんびり日光浴をする人も。とても優雅に見える。

木の一本一本すら、日本とは違い、絵になるのはどうしてだろうか。

それを見ながら先の灯台を目指す。

17時。湖面の煌めきが美しい。

 

 

 

さて、カナダ•アメリカの旅の記録もいよいよ終盤に差し掛かっている。

この後、私たちはもう一カ所、この旅の重要な目的地へと行く。

 

白い気球が上がっている。