きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

夢を叶える男。遠足は家に帰るまで。

どういう訳か、どん底になればなるほど、上がっていく、、、そんなことってありますか?

ここまで来ると、なんだ、きらめきは「不思議だ、不思議だ」が口癖か?と言う皆さんのお声が聞こえてきそうです。

でもね、不思議で仕方がないんですよ。

下がったと思ったら、上がっていくんですから。今は下がっているのか上がっているのか、どっちなんだい!?って分からなくなる感じです。

ただ、上がると言っても、皆さんが思うような、華々しいものではないんですよ。ごくごく、些細な上昇です。

それでも、なんだか、不思議なんです。

 

私の夢は家を買うことでした。

でも、こればかりは私の人生の中では叶わぬ夢なんだな、、、とずっと思ってきました。

最初の結婚では相手の両親との同居でした。相手の両親が一世一代の思いで建てた一軒家は、4台車を停められる広い掘り込み駐車場の上に、ドカンと2階建てが建った立派な9LDKの城の様な家でした。将来はそこが私とその時の夫の家になる予定でした。

でも、そこはやっぱり当然ながら両親の家です。熱い思いが籠もっています。窮屈だし、和風だし、引き戸だし。どうしても好きになれませんでした。贅沢なことです。

成り行きで、子どもを連れて出た先は、公営住宅でした。私にとっては底の時代。

でも、シングルになって直接公営が当たって入れる人なんて今までいないよ?と市役所の人に言われました。入った部屋は綺麗なクリーム色の壁になっていました。

白い家具が欲しくて買いました。窓からは遠くに夜景が。豊かな緑も見えました。夏には小さく花火も見えます。友達は、この部屋一番いいんちゃう?と言いました。古くて狭いけど、私の城でした。

それでも私は一軒家を買うのが夢でした。

でも、自分の力だけでは、難しいことでした。

20数年住んだ地域は高台で、眺望が良く自然豊かでした。その高台のその土地を出て、もっと便利な土地に行くことは、私にとってハードルが高いことでした。

 

その時の私の希望は、

高台を下りても、見晴らしがいい所(矛盾してます)。

できれば花火が見えるところ。

白い壁。

みんなでも住めそうな部屋数。

駅近。

自然が見える。

 

それを、叶えてくれたのが今の夫でした。

持ち家ではないけれど、固着した私の思いを引っ剥がし、高台を下り、市外に出て、全く別の市の駅前に引っ越しました。

 

自然は少ないけれど、川が近くに見えました。

自然は少ないけれど、5階以上のところなので眺望が良く、梅田のビル群まで夜景で見えました。

花火が目の前で打ち上がります。ベランダから観覧出来るという、夢に見たシチュエーションでした。

室内は憧れの真っ白な壁。持っていた家具は、ここに来るための物だったのかと思うほどピッタリでした。

特にそこは、大きなショッピングモールの近くで、昔から買い物に行っては、側に建つマンションを眺め、便利で良いなぁ、こんな所に住めたら良いなぁ、と密かに思っていた所でした。まさか自分がそこに住むとは思ってもみませんでした。

夫の牽引力がなかったら実現しないことでした。

ただ、自然が少なめ、持ち家じゃない。家賃が高い。エレベーター停止階じゃない。もし義父が倒れたら、母を招かねばならない。その時にエレベーター停止階でなければ、車椅子でとても不便。それだけが、ネックでした。

 

家賃が高いことについて、内心、そこに住むのは2年が目処だなと思っていました。その2年の間に、私に完全依存の息子をなんとか自立させねばと、再び同居に踏み切りました。結果的に行政の力を借りますが、丸3年経つ前に、息子と世帯分離を果たし、私たち世帯も規模縮小すべく動き出しました。

息子と同居の1年半は、シングルの時の底よりも過酷だったかもしれません。

 

さて、どこまで規模縮小できるかな?ということで、2 Kくらいの狭い賃貸から、本当にボロボロの家の価値など無いような500万くらいで買える家まで見て回りました。夫は意外とそういうのもへっちゃらで。だけど、そんなの私には考えられません。

色んな家がありました。住むのは嫌だけど、なぜか胸に残る家もありました。

でも、心の中で思い描く家は、

南海トラフの影響が少ない山よりの場所。

2階の窓から自然が見える。

庭のある一軒家。

庭で大好きな花を植えたり、野菜を作れる。

駅やスーパーに徒歩で行ける。

車2台停められる。

母が来てもいいように、階段が無い。

家の周りを難なく通ることができる。

洋風。

真っ白な壁もいいけれど、少しこれからは落ち着きも欲しい。

お風呂が今風で綺麗。

トイレは2つ。

ベランダで洗濯物を干すことができる。(1階にもルーフがある)

などなど要望盛り沢山(笑)

 

散々探した結果、行き着いたのは、

「駅やスーパーに徒歩で行ける。」だけを外して後の項目は全てクリアの家でした。

「駅やスーパーに徒歩で行ける。」を外したのは、今は車に乗ってどこへでも行けるから。私は毎日通勤も要りません(今のところ)。10年。そこに住んだ時、私は64〜5歳。その後も、そこに住んでいるかは分からないのです。

状況だって、変わるだろう。

 

そう考えて、どうせならゆったりした土地で、という夫の希望を取り入れたのでした。

 

でもね、実を言うと、次のその場所、私が好きな地域だったのです。

いつか住みたい地域。次は住みたい地域。で、狙っていた所でした。

そして夫もまた、好きな地域だったのです。

 

家が見つかったのは、カナダ、アメリカ、ナイアガラの旅から帰ってから2週間後のことでした。そう、まだ3週間しか経っていないのです。

家を買うために、アメリカまで渡り、圧の強いお洒落Bunkerに果敢に挑み、1200㌔の道中を運転し、日本からアメリカへ電話しまくって突破口を開けた夫に頭が上がりません(上がってるけど)。

自分たちの中で、一番ローコストで一番小さな家を探していたはずなのに、気がつけば、月々の支払いは一番小さく、規模は一番大きな家に行き着いてしまったという不思議です。

新築じゃないけれど、先鋭的でもないけれど、落ち着く申し分のない家。

雑草引きに追われると思うけど、好きに花や野菜が植えられる家。

南海トラフが来た時に、その辺りでは一番揺れの少ない震度5の家(え?)。

津波も洪水も来ない家。

憧れていた通りの今流行の形式のお風呂。

なんで、そんな家に辿りついたかなと不思議で仕方がありません。

 

アメリカのお金は夫の亡きお母さんと叔母さんが遺してくれたもの。

恐らく夫の為に、天国のお母さんと叔母さんが力を貸して下さったのかもしれません。

そう言えば、アメリカのお金が出せない時に、うちの義父が手付金を急遽貸してくれました。明日返すのだけれど、そんな周りの力があって辿りついた家でした。

どうして、こんな流れが来たのかな、、。今でも不思議です。

でも、夫が私の夢を次々叶えていることには違いがありません。

 

 

昨夜寝る前に夫が、何回かに分けて第2の口座にチャージという形でスライドさせていた残金が全て移動し終わったよ、と報告してくれました。

その後、貸付の銀行から来た正式な審査結果の報告を確認していた夫が、素っ頓狂な声を挙げたのです。ええ!?と。

どうも、申請していた金額よりも確定金額が何十万も少ないらしく。どういうことだろう、仮審査では大丈夫だったのに。その差額を自腹で払わなければならないのだろうか、、、なるべくアメリカからのお金を残したいのにな、、、でも仕方がないか、、、とショックを受ける夫。私はなすすべもなく行く先を見守ることしかできません。

ショックを和らげるべく、眠りについた数時間後、スッキリした頭で再度計算していたときでした。もう23時を回っているというのに、不動産やさんの26歳の担当者からメールが届きました。そこには貸付金額の明細が。

それを見て、差額の内訳は手付金と火災保険の見積もり変更分だと判明しました。不動産やさん、ナイスタイミング!

ということは、更に自腹で払う必要はないということです。

でももし払う必要があったとしたら、アメリカの残金が全て、こちらに移せた直後でセーフでした。なんというタイミング。なんだか、スレスレの人生だなぁ。危ない、危ない。

私のモットーの1つに、「遠足は、家に着くまで」というものがあります。家に着くまではどんなことがあるか分からない。最後まで気を引き締める、という意味です。油断大敵。

夫にも注意喚起しています。

 

そうこうしている内に、1つのニュースが舞い込みました。

再来年春。買った家のすぐ近くに、新しいスーパーがOPENすることが決定!とな?

 

ほら来た!

なんと。「歩いていけるスーパー」もクリアしそうです。