きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

息子の引っ越し。

とうとう大晦日になってしまいました。

書きたいと思いながら、息子については書ききれない想いで、なかなか書き進みませんでした。

でもどうしても今年中に書きたく、今紅白を観ながら手直ししています。

 

 

私たちが新居に越してから、1ヶ月半が経ちました。

息子は私たちよりも半月ほど早い、11月始めに、最終的に自分で決定した部屋へと引っ越していきました。

私たちと再び同居を開始して1年と9ヶ月目でした。

私たちと同居していたマンションの一室で過ごしていたので、荷物は多くなさそうなものですが、元々大学時代は長野の松本で、その後も暫く地元で、私が扶養する中で一人暮らしはしていたので、それなりに荷物は多く、何気にインテリアに関心もあり、本棚、収納棚が幾つもあって、引越し業者の見積もりでも、単身パックでも3,4万はかかるとのことでした。

ただでさえ、初期費用や不足していた家電の買い足しなどで20万以上の出費。その上、引っ越し代までとなると、さすがに費用がかかりすぎます。

夫とも相談の結果、引っ越し屋さんには頼まずに、私と息子と2人で全て荷物の運搬をすることになりました。

 

息子の引っ越しに関しては、息子は引きこもっていて(買い物や散歩、散髪、病院などへは行けます)、所得がありません。

だからといって、簡単にこちらが全ての代金を出してやるわけにはいかないのです。

親のお金は無制限ではありませんし、何でも限度がある、と伝えることも、これから自分で歩んでいくという自覚に繋がる、そう考えました。

働いていなくても、所得がなくても。体調が万全ではなくても、もう成人した大人として、ここまでカバーしてもらえば、後はどこで、自分の働きを見せるのか。

もう大人ですから、丸ごと他人任せではなく、どこの部分を自分が担うか、といった視点をもってもらいたいと考えていました

しかも、自分の引っ越しですからね。荷物を運ぶことくらい、やむを得ないでしょう。

 

むしろ息子は自分の荷物です。私は巻き添え(笑)。業者に頼まないということは、私が大変になるということ。私とて、心は揺れました。

それでも覚悟を決めて、息子には「引っ越し代は出ないので、自分たちでします」と伝えました。

息子は唖然としていました。

 

前の記事にも書いた通り、とにかくマンションから荷物を運び出すことが大変なのです。初めから私もうんざりしていましたが、息子はもっとうんざりしていたと思います。

同居する時も、2人で運んだので、あの悪夢がまた再来!?と思ったことでしょう。それは私も同じでした。

 

引っ越し作業開始日が近づくにつれ、また息子の様子も少しずつ低迷していくのが見て取れました。これまでの扶養という形とは違い、今回は本当に私たちと世帯分離をするのです。その不安や葛藤はとても大きいものだったことでしょう。私は内心、本当に実行できるだろうか、とハラハラしていました。

実行できなければ、私たちも息子を置いてマンションを期日までに出ることができなくなります。息子の進捗状況と、私たちのそれを、私がコントロールしつつ、緊張の続く毎日でした。

しかし、グッと堪えて息子を信じて待つしかありませんでした。

いつ「引っ越さない」と言い出すかと、気が気ではありませんでした。しかし、息子は結局最後まで不思議とその言葉は口にしませんでした。

この頃になるとさすがに息子自身も、後には引けないことが分かっていたのでしょう。

ここが、一つ大きなポイントだったと思います。

 

ところが、「どうして業者に頼まないのか」と文句をたらたらと言うことだけは続きました。

「そんなに引越ししたければ、自分でしろ!」という言葉も飛び出していました。この手のやり取りは小学生の頃からありました。自我の境界線(バウンダリー)という、自分と他者の心の境界線が弱いタイプの息子には、この「自分」という言葉がその時々で誰を指すのかが分からない、という傾向がありました。発達障がいの子どもたちにも時々見られる傾向です。

「この引っ越しはあなたの引っ越し。自分というのはあなた。私はただの手伝いです」と説明すると、初めてハッとする表情を見せていました。自分の言っていることのおかしさにようやく気づいたのかもしれません。

 

今回は軽トラも借りません。

私の軽自動車で運びます。これがよく載るんです。ホンダのN-WAGON。N-BOXならもっと載ることでしょう。(でもN-BOXが好きじゃない、、、。それ故に、何度も何度も往復しなければなりません。

それが余計に困難を大きく見せていました。

 

初日。

息子は朝早く起き出し、段取りを私に確認した上で動きだしました。まずは、とにもかくにも大切にしている本の数々を運び出したいという意向でした。彼は人文学部社会学科でした。特に貧困層の子どもたちについて高い関心を持っていました。本の多くは社会問題や児童心理についてのものでした。

次に大切な服とハンガー類、そして本棚などを車に詰め込み、不動産屋で鍵を受け取りました。

買った冷蔵庫の受け取り、ガス開栓の立ち会い、ネット工事、と夕方までその日はしっかりと立ち回ることができていました。

しかし、疲れたのでしょう。

2日目は全く起きることが出来ませんでした。

残りの荷造りも7割できていません。指示を出してくれれば私も荷造りして運び出すくらいはできるのですが、潔癖症のところや拘りもあって、箱詰めは人に触らせたくないと強く主張するので手出しができません。無理にしても揉めるだけ。そしてこれは息子の引っ越しです。息子がするなというのです。それによって後が困ることになっても、それは本来息子の責任。そう自分に言い聞かし、この日は何もせずに過ごしました。

 

実は、この引っ越し、息子にとって、生活保護生活の始まりも意味しています。

体調が安定しないというのは本当です。

しかし、その「体調が安定しない」要素が複雑に多く絡み合っていて、それによって安定しないという面も強く出ているのです。

その中の一つの要素に、なんとしてでも親にすがって生きていこう、という気持ちが潜んでいました。本人は強く否定しながらも、時折ポツリとそれに関した気持ちを吐露しています。

私から離れまいと固執するからこそ、自分の思うようにならないと腹を立て、なんとか思い通りにさせようと、あの手この手で絡んできていたのです。これは自閉スペクトラム症の特性の中の一つでもあります。閉じられた空間、関係性の中に置かれると、その空間や関係性がパターン化し、視点を変える、思考を変える、出方を変える、関係性を変える、生活習慣を変える、といったことがしにくくなります。そして、本人もそのことになかなか気づけなくなり、揉めていくのです。

 

家族で体調が悪い者がいれば、家族内で面倒を見てあげることができればそれが1番良いと私も思いますけれど、こういった絡み行動が強く出る場合は関係性も改善しにくく、なかなかに困難であり、、私もいつまで元気でいるか分からない年齢になってきました。

このまま引きこもった状態で、私がいなくなった時、行政とも繋がらず、病院とも繋がらず、誰とも連絡を取っていなければ、彼は自室で成すすべもなく、困窮することになりますから、何としてでも私以外の他者との繋がりを作っておかなくてはいけません。

そこで、この1年と9ヶ月の間、本当に過酷なやり取りを重ねた結果、色々と事態が動きだしていました。

結果として彼が「まだ働かない」という選択をしたことによって、残された道は「生活保護を受ける」ということになりました。

自分の生活を行政に援助してもらいながら、これからの人生を他者との関わりの中で過ごす、という方向へとなんとか繋ぐことができたのでした。

 

息子は長い間、自分が親に依存してなんとか縋りつこうとして足掻き、余計に不安、反発、絡み行動が出ていることには気づいていませんでした。いえ、もしかしたらどこかで感じていたのかもしれませんが、認めたくない気持ちが余計に事を悪化させていたのだろうと思います。

だからこそ、体調が悪い要因の内の一つとして、世帯分離を図り、距離を取り、他者との環境に入ることで、それがどう作用するか、慎重に探っていく方が良い段階に来たのです。

甘えの効かない他者との関係性の中で、自分が理性的に振る舞えるかどうかで、それまでの自分の状態に気づくことになると思うからです。

親の関与がない、自分が主体の環境では、起こる出来事や状況は全て「自分の責任」です。1度そこに立ち返り、自分の認知の仕方を他者と話す中で修正していってもらいたいというのが私の願いです。

私ができること、すべきことは全て終わったのです。

 

さて、そういう考えで進めている世帯分離。

生活保護の申請の為に、引っ越しを完了しておかなければない日まで残すところあと4日。

3日目、昨日のゴネゴネが嘘の様に、朝から晴れやかな表情で起きてきます。2日目に体調が良くなかったのは本当だったのでしょう。

よく眠り、気分が良い息子は、さあ!今日は作業せなあかんな!とやる気を見せていました。そして、

「その前に、散歩に行って来るか♪」

と言うのです。

散歩ね。そりゃいいでしょう。お気に入りの川沿いの散歩コース、ここから行けるのももう最後かも。

ただ、せっかくチャージされた体力は、その散歩で消費され、きっと作業はできないことでしょう。

心の中ではそう思いつつ、やる気を削ぎたくはありませんし、「やる」と言った気持ちも尊重したいです。結果は分かっているけれど、それでも本人の本気度を見るために、

「そうですか、どうぞ」

とだけ言って任せることにしました。

とにかく散歩のあとは箱詰めを進める、という約束で、私たちは元々合った予定の為に夕方まで家を明けることになります。

出先からも気になり連絡しますが、反応はありません。

帰ったら即また運びだす作業を開始する約束でしたが、帰宅すると案の定、息子は寝ており、何一つ進んではいませんでした。

そう。息子は散歩で全ての体力を消耗したのです。

4日目、まだ朦朧とする息子を励まし、とにかく箱詰め作業を進めることを促しました。私は詰められた段ボールをひたすら車へと運びます。私の勢いが凄いのと、休まずひたすら運ぶので、さすがの息子も「少し休んだらどうですか」と声をかけてくるほどでした。

それでも手を止めない私を見て、恐らくその殺気に何か感じるものがあったのでしょう。

ようやく息子にも火がつき、そこからは二人三脚で、何度も転居先へと往復して運び、何とか、生活を始めている体裁か取れたのでした。

この頃になると、息子は別人のような表情になっていました。

 

こうして息子は一人で生活を始め、生活保護の担当者とやり取りしながら、自立の道を歩き始めました。

 

1年前、年の離れた友達の女性が、とにかく中山寺をお参りしなさい。必ず願いは叶う。と話してくれました。

私は彼女の言葉を信じ、夫と初詣は中山寺へ詣り、息子のことをお願いしました。

 

今年が暮れるという間際。本当に息子は私たちから離れ、他者の中で歩きだしました。

 

先日その彼女から電話をいただき、そのことを話しました。

 

願いは本当に叶いましたよ。と。

 

息子はこの大晦日、梅田にいました。

久しぶりの梅田です。

初売りで買う値打ちの服があるかどうか、下調べをしているのだそうです。

 

その声は張りがありました。

「そうか。いい服があるといいね。」

そう言って、電話を切りました。

まるで、今まで何もなかったかのような、普通の親子みたいな会話でした。