新居で初めての新年を迎え、落ち着いて、これからの一年を過ごそうと心新たに思っていた矢先、暮れの30日早朝5時、後ろでけたたましく救急車のサイレンがなる電話があった。
何度か着信があったらしい。
30日は私の会に参加している中学生のお子さんの膨大な冬休みの課題から、保健体育のレポート課題としてコミュニケーションについて一緒に取り組む仕事を受けることになっており、自宅に来られるので、その準備を遅くまでしていて、3時過ぎに就寝したばかりだったから、すぐには気づくことができなかったようだ。
連絡は認知症で寝たきりになった母を一人で見ている義父のスマホからだった。救急隊員の緊迫した声が耳に飛び込む。
それだけで、事態が飲み込めた。
前日に掃除をする為に訪問しようと思っていたので連絡したところ、義父が風邪を拗らせ、酷く咳き込んで、寝ていたいから来なくていい、とのことで、見送っていたからだ。
どうやら、息苦しくなり、迷ったあげく119番したらしい。きっと、母が一人になるので、極限まで辛抱したことだろう。
救急隊員はすぐに来れますか?と言う。
すぐにとは?と問うと、診察後一人で帰れなかった時のお迎えの為、という。
気管支炎ならすぐ終わるかもしれないが、肺炎なら長引くか入院になるだろう。それは診察してみなければ分からない。
私の所からはすいていれば高速で1時間40分くらいだろうか。果たしてそれで間に合うのか分からない為、念の為、もう少し近くに実の娘さんが住んでいることを伝えた。
しかし母のこともある。必ず行かなくてはならない。
その後も連絡を病院と取ったところ、入院が必要と分かった。
義父は実の娘さんへの連絡は渋っているようだ。迷惑をかけたくない、心配をかけたくない、など父の気持ちなのだろう。
母にはヘルパーさんが朝晩来て、食事やオムツ交換などしてくれる。週2で訪問看護。週1でデイサービスの利用がある。が、連れて帰らなくてもよいのだろうか。
夫はすでに早朝バイトに車で出ている。
私の車はあるが、連れて帰らなくてはならなくなった時、車に酔う母を介助しながら、果たして一人で運転して帰れるだろうか?
今日のレポート課題の仕事は?母は?義父の入院の用意は?今後のことは?難題が山積みだ。
寝ぼけた頭を無理やりフル回転。
さて、どうすべきか。
ひとまずレポートの仕事は断りのメールを書いた。
夫にも連絡したがすぐには繋がらなかった。
30日。年末最後のゴミ出しの日だ。帰れなかった時の為に最低限必要な物を用意し、あれこれ段取りの為、走り回りようやく車で出発した。
夫は仕事を抜けることもできないし、行ってもどれくらいかかるか分からないから、行かずに待機することになった。
初めから寝不足の目と頭で、どこまでできるか心配だが、行くしかない。
結局、義父は2〜3週間の入院。心臓が悪いことが分かった。今回は心筋梗塞も併発しかけていた。カテーテルが必要らしい。
気丈な義父も、今回ばかりは狼狽している。母や家のことが気がかりだろう。
義父の家や母に関する指示を、はいはい、と聞き取りつつ、義父の心中にも気を配りながら、私も不安だが、安心してもらえるように言葉がけし、とにかく家と病院を往復して義父、母共に質問なものを揃えた。
ヘルパーさんやケアマネさんと打ち合わせがとりあえずでき、母は介護のチームがついているので、取り敢えず、家にいて、私が通うということに落ち着いた。
何しろ年末年始。急には動けないのである。
こうして、息子の件がようやく落ち着いたかと思ったところに義父や母の件でまた走り出した2026年。
あらまぁ。と思うが、義父はよく持ちこたえてくれたと思う。私の手が空くのを待っていたかのようだ。もっと早くに倒れていてもおかしくなかった。ずっと母を抱え、踏ん張ってくれた義父に感謝しかない。
30日はひと時も休めないまま、あちこち行ったり来たりして、帰路についたのは18時を回ったところだった。
まあ高速が危ない危ない。意識が何度も飛びかけ、高速道路上で止まりかけていたことも数回。事故にならなかったのは年末で車が少なかったお陰だ。よく無事に帰れたなと思う。
31日はなんとか夕方から紅白を観ながらお節を作り始め、なんとか例年通り深夜にはなったが私たち用、息子用、娘用、そして少しだけ母用、と作り終えた。
そして、昨日の元旦。
私と夫はまた義父と母の元へ。
明後日は妹も引き連れ。
私には妹が2人いる。三姉妹にとって、親の介護とは配偶者側のこともあり、なかなか自分たちの思うようにはいかないものだ。だから、敢えて誰が見るとは決めないできた。それによって姉妹間で揉めることもあったが、それぞれに仕事や配偶者間との兼ね合いもありながら、自分の親に対してどういうことならできるのか、それこそ、誰かに指図されたからではなく、自分が親に対してどうしたいのか、どう考えるのか、という自主性に任せようと考えている。
一人は返信もないが、それはそれで放っておこう。
それにしても、子どもが小さい頃は、息子が落ち着けば、待ってましたと言わんばかりに娘の問題が出てきたものだ。
その時も、兄が大変なのを見ていて、妹である娘は無意識に良い子でいてくれたのだろうと思う。
娘の問題は、次は私を見て!という、それも無意識の心の現れだったのだと思うと、それまで辛抱してくれた娘を不憫に思いながらも感謝だった。
息子を行政に託したのも、娘や義父や母にも私の持つ時間と役割を分配しなければならないことが分かっていたからだ。
そう考えれば、上手くスライドしているとも言える。
夫は私がバタバタしていて可哀想だが、前の夫ではこうはいかなかったと思うと、夫にも感謝でしかない。
まあ、こうも次から次へと、とは思うが、私は子どもの頃から、誰かの役に立てるような自分になりたい、という思いをどこか持っていた。
皆が助けを求めていて、私がその役に立つのなら、それも本望なのかもしれない。
自分が大変だ、という感情は、もはやとっくに越えていて、やってくるオファーをとにかく「はい、はい」と一つ一つ熟すことに徹する。
一つ一つ熟すことで、不可能だと思ったことも、いつかは可能になっているものだ。
「万里の道も一歩から」
これも、私の座右の銘の一つかもしれない。
こうして、私の2026年は幕を開けた。2026年は私の介護元年だろうか!?それも、ワクワクでしかない。
年末の紅白。
福山さんと稲葉さんの「木星」が凄すぎた。鳥肌もの。今や大物のお二人だが、信頼できる相手を前に立つと、持つ力が存分に発揮され、とてつもないパワーが出るのだなと圧倒された。立体的なカメラワークも良すぎた。
私が一番好きなのは稲葉さんだ。その稲葉さんの肩を福山くんが鷲掴みにした時は、「あ、稲葉さんに何をする」と思ったが、その後その手をそっと、肩から背中に回す、何とも言えない労りや慈しみ、リスペクトの込められた動きに「おお」と納得。
このお二人のコラボを当日何とか繋げたテレビで観ることができた幸運と感動に酔いしれた。
今、私を支えているのはこの福山さんと稲葉さんの歌声と目に焼き付いた姿だ。
福山祭りの終着点は、ここなのか?
続きが楽しみだ。

(辛うじて作ることができたお節)