何年も前。多分5〜6年前に買った桜草(プリムラ•マラコイデス)。何度も冬を越え、その度に少しずつ花の付きも悪くなってきた。
2株あったうちの1株は、そばにいたアジアンタムに乗っ取られてしまい、消失した。胞子の力よ。
残る1株。
あまり手入れも行き届かず、肥料もたまにしかあげられていないので、萎びてしまいるようにも見える。もう限界かなぁと思いながらも、時折水をあげていた。
Xmasを彩ってくれたポインセチアは、寒さにやられ、枯れてしまった。実は寒さに弱いらしい。水が多いとかえって寒くて弱ってしまうとか。
それから私は他の植物たちにも、今冬は水やりの回数を抑えていた。植物も水の冷たさを感じるらしい。あげる時は、ほんの少しお湯を足し、冷たすぎないようにだけ注意した。
だからなのか、アジアンタムは急に繁々と育ちだした。他の植物たちも、その方が調子が良いようだ。
店には早くからパンジー、ビオラ、ジュリアン、ポリアンサ、が並んでいた。私の好きな花たち。お店の花は本来のシーズンより、随分前から咲いている。きっと早く咲くようにコントロールされているのだろうな。
新居の花壇はまだ前の持ち主が作ったまま、レンガの囲いが残っている。組み替えて、自分たちの好みに変えたいなと思いつつ、手間がかかるのでそのままに、取り敢えず一年草の花たちを植えた。
でもちょっと高さが足りない。
プリムラ•マラコイデスは多年草。でもきっと今残っている1株のように、これから何年かは咲いてくれるだろう。そう期待して3株買い足し、パンジー達の後ろに植えた。
その後、珍しい9センチの積雪にも負けず、可愛い花を咲かせてくれている。すごいな、と感心。
室内の植物たちは、窓際に置かれているので夜間は逆に寒かろう。だからポインセチアも枯れてしまったのだ。可哀想に。
室内にいる古株の桜草は、ちょうど庭で咲いている仲間たちが見える場所に置いている。仲間を見てどんなことを思っているのだろうか。
と思いつつ、古株の桜草をよく見ると、真ん中から1本の茎が立ち上がっていた。ひっそりと顔を伏せるようにして、そこに立っていたのは、まだ小さく、硬く閉じた蕾だった。かすかに白い花びらが見えている。
この花は確か薄いピンク色だったはず。
花は何年も咲く内に栄養が足りなくなると花の色が薄くなることがある。
とうとう、この桜草も色褪せてしまったかな、と思った。栄養をあげていないんだもの。当然といえば当然。と、少し申し訳ないような気持ちになる。
それから数日。
次第に葉も伸び、元気を取り戻している。成長する内に、花は頭をもたげ、なんと淡いサーモンピンクの花を咲かせた。
そうそう!あなたはこの色だったよね。と思い出した。
何の手入れもしてやっていないのに、この古株はいつもと変わらぬ可愛いサーモンピンクの花を咲かせた。
何にもしてやっていなくても、自分が咲く季節を知っていて、時期が来ると、ちゃんと元気を取り戻し、独りでに花を咲かせる。
住まいが2度も変わり、気温にも若干地域差があっても、放っておかれても、ちゃんと同じ時期に咲くんだね。いつ、どうやって、自分の時期が来たと知るんだろう。
本当に不思議だなぁ。
どこにプログラムされているの?自然の神秘だ。
その日は少し鼻がグズグズ。もしや花粉症?
でも、窓の外は明るい陽射しが広がり、久しぶりに暖かい。
この陽気を無駄にしたくないな。そう思い、庭に出た。
今日は前の持ち主が残していった小さなプラスチック製の池の水を掻き出すぞ。中には土や草の根が絡まり堆積している。生き物はいない。
春になり温かくなるとボウフラが沸く。だから、早く対処してしまいたいと言う気持ちが募っていた。
今日はその片付けにちょうどいい。ちょっとしんどいけど、やってしまおう!と踏ん切りをつけたのだ。
池の水を掻き出す為の柄杓はすでに買ってある。ようやく出番がきたようだ。
水を池の横にどんどん掻き出す。小さい柄杓だから回数が必要だけど、それ以上に堆積した物が重くて大変だ。
なんとか水をすくい上げ、堆積物だけになったので、シャベルと芝生の掃除用の熊手みたいな金属製のもので挟んで、うんとこどっこい、と池の脇に持ち上げ出していった。かなり大変だった。が、その甲斐あって、すっかり池は空になり、やれやれだ。
こうなると、せっかくだから他にも庭をいじりたくなる。前の持ち主はかなり園芸に力を入れておられたようで、庭の半分は和風テイストで色々木を植えておられた。今では切り株になっているけれど、それをどうするかが当面の課題だ。
この間、気になっていた大きめの切り株を1つ、1人でうんこら掘り出した。根が張ってこちらもとても大変だった。
今回は、それよりは細いが幹が5センチくらいありそうな株を掘り出すことに決めた。
周りを掘っていくが、こちらもなかなかの根の太さ。結構遠くまで伸びているかもしれない。芝の根なども張り巡っていて、なかなか困難だ。掘る範囲を広げながら、土は横に積んでいった。
結構根っこが石を抱えている。ガチガチシャベルが当たりながら掘り出す。
掘り出した石っころの中に、一つ気になるものがあった。小さくて、他の石と同じように灰色だけど、なんだか形が妙だ。
目が止まり、メガネをかけてよく見てみるが、はっきりとは見えない。でも、、、なんとなく、、、なんとなく、、、
カエルに見える。
カエルがしっかりと手足を閉じ、固まり、コロンと出てきたようなのだ。
最初、死んでしまったカエルを前の持ち主が埋めてやったものを掘り出してしまったんだと思った。しまった!なんてことをしてしまったのか!とショックだった。
でももう掘り出してしまったものは仕方がない、と、脇の土のところに避けると、視界の端でコロコロと転がったような気がした。が、あとで確かめようと、ぼんやりと転がった先を見ただけだった。
それからまだしばらく掘り続けたが、さすがにしんどく、その日はもう無理だなと断念した。でも、掘りながら気づいたことがあった。
もし、死んだカエルを前の持ち主が埋めたとしても、すでに1年以上経っている。分解されていてもおかしくないのでは?なのに、掘り出したカエルは硬くコロンとしていた。
ま、さ、か。
冬眠中?
しまった。冬ごもりしていたカエルさんだったのではないだろうか!?
慌ててさっき確かめておいた場所を探すが、見つからない。あれ?おかしいな。どこ行ったの?
ま、さ、か?
目が覚めて逃げていった?
呆然として、立ち上がった視線の先に、さっき掻き出して空っぽになった池が見えた。
ここは山手の住宅地。池。冬。カエル。
もしや、あの池でかえったカエルが、冬になり、そばの花壇にもぐって冬を越していたのかもしれない。
他の生き物はいなかったように思うけど、、、。
でも、こんな住宅地の小さなプラスチックの池にも、きっと前の持ち主は、お元気な頃、魚などの生き物を飼い、愛でておられたのだろう。その一環に、カエルもいたのかもしれない。
なんらかの要因で、やって来たカエルも、主がいなくなっていたこの土地で、生まれ、成長し、陸に上がり、冬が来る前に土に潜り冬眠し、春を待っていた。ということか。
思いがけず、先住ガエルに遭遇し、そんなことを考えた。
ここにも、小さな身体で、誰にも教わらないのに、季節が巡ると独りでに土に潜り冬を越すという知恵をもった生き物がいた。
本当に不思議だなぁ。
自然の生き物たちのプログラミングの凄さを感じる。
春になったら、このカエルにまた逢えるだろうか。

