皆さんは道を歩く時、空を見上げますか?
それとも地面を見つめますか?
私は空を見上げます。
若い頃は地面を見つめ歩いていました。
若い頃の私は、憂うことがたくさんありました。
どんよりとした、重苦しい、自分ではどうにもならないものを背負っている時、人は自然と俯き加減になります。ため息をつき、視線を落として、地面の一点を見つめます。
地面の一点を見つめていると、周りの刺激から隔離され、次第に頭の中は、どんよりとした重苦しい思いの中へ沈んでいくことができます。どうにもならない出来事が、あれやこれやと浮かんできます。
そういう時は、外を歩いていても同じです。
俯いて、地面がルームランナーの様にどんどん過ぎていくのを見つめ、やはり頭の中はやるせない思いがへばりついたまま、考え事をしながら歩いてしまいます。不思議と風景もどこか切なく見えてきます。
まるで自ら暗い感情の海の底へ沈んでいくかの様です。
誰しも辛い時、その目は伏し目がちになります。顔を上げ、目の高さを上げるには気力が要るからです。ずっと高さを保つには、精神力が必要なのです。
悩み事がある人は、心が元気ではありません。
だから、自然と目線が落ちます。
目にはその人の気力が表れるのです。
でも、悩み事、心配事を整理したくて、集中して考えたくて、俯いて思案していても、良い考えは浮かびません。
下を向いていると、文字通り、視点が固まるのです。視点が固まると、頭の中も同じ考えがぐるぐる回るばかりで、反芻思考から抜け出しにくくなるのでしょう。
それでも俯いている人は、まだそれだけの心の整理がついていないとか、まだまだ痛む心を感情の海に沈むことで慰めている状態にあるのかもしれません。
でも、ある時私は気付きました。
下を向いて考えていても、それは自分の感情の海に浸っているだけ。打開策は浮かんで来ないと。
転機は療育施設で管理者をしていた時でした。管理者をしていると、次から次へと待ったなしで難問が振りかかります。同時に子どもへの対応、指導員への指示なども熟さなければなりません。じっくり下を向いて悩んでいる暇はないのです。
降りかかる火の粉や災を跳ね除けて、良い考えを導き出すには、ぐっと前を見据え、進むべき道を見定めなければなりません。
道を探すには、下を向いていては見つかりません。
下を向いていると背中も丸くなり、肺に酸素も入りにくくなります。酸素が少ないと脳も酸欠になって考えが巡らなくなります。
でも、目線を上げると顔も正面を向き、自然と呼吸は鼻呼吸になります。鼻から深く吸い込んで、静かに呼吸していると、脳にも酸素が行き渡り、目にも力が宿り、覚悟も決まり、幾つか浮かんだ案の中からより良い方法を探り当てて、決断していくことができました。
道を歩く時は、遥か遠い山並みや、空の向こうを望みます。気持ちは戦国時代の武将ですw。
視野が広がると、文字通り展望が開けます。
くよくよとした気持ちは消え、凛とし晴れ晴れします。
問題解決に向かって、明るい見通しが立つようになるのです。
だから、家族や知人が下を向いて歩いているたら、上を向いて歩こう、と声をかけます。
すぐには難しくても、何度か誘っているうちに、やがて、顔を上げて歩く日がやって来ます。
さあ、顔を上げて歩こう!と。
そうなれば、もうその人は大丈夫。
上を向いて歩くか、下を向いて歩くか。
そこに大きな違いが出るとしたら、、、
あなたはどちらを選ばれますか?

(上を向く梅、下を向く梅)