私が子供の頃、第二次世界大戦は終わり、世界はアメリカと旧ソ連の関係が緊迫化して冷戦下に置かれていた。
冷戦時代は核の恐怖に怯え、テレビや映画でも核を扱った物が多く作られていた。
1970年代生まれの私は、「戦後の子供」として戦前、戦中のことをもっと知りたい、知っておかなくては、という気持ちが強かった。
だから、戦時中の話や写真、番組、映画など、気になるものがあれば熱心に見たり聞いたり調べたりしてきた。
そうしてきた中で、ずっと不思議に思ってきたことが1つあった。
それは、日本にはシェルターがない、ということだった。
世界中で読まれている「アンネの日記」には隠れ部屋が出てくる。主人公のアンネ•フランクはユダヤ系ドイツ人だ。その彼女や家族は迫害から逃れる為にオランダに移り住むが、後にオランダもドイツに降伏して占領され、アンネたちは屋根裏部屋に隠れ、身を潜める生活を送ることになった。
これを読んだ子どもの頃、私は、今戦争が起こり、アンネたちと同じような生活を余儀なくされたらどうなるだろうか、とよく考えた。
そう広くない空間に家族ではない人々と生活を共にし、日中は物音を立てないように息を潜めるようにして過ごさなければならない。トイレは水の音が響くので、朝と夕方。昼間は我慢しなければならない。食料の調達もままならない。何より見つからないように気をつけなければならない。
そんな暮らしが果たして私にできるだろうか。
という疑問はその後も長く私の中に残り、戦争というワードを見聞きする度に考えていた。
アンネの日記に出てくるような隠れ部屋は、他の戦争を題材にした映画などにもよく描かれている。特にヨーロッパが舞台のものでは多いと思う。
「シンドラーのリスト」でも迫害から逃れる為にユダヤの人々は家の中の隠れ部屋に身を潜める場面が描かれている。
しかし、私たちには隠し部屋など無い、という方が多いだろう。甲賀や伊賀の忍者の屋敷ならともかく、一般の家庭には本棚をスライドさせると奥に秘密の部屋が隠れている、などということはほぼ無いのではないだろうか。
子どもの頃からの疑問は、どうやって隠し部屋は作られるのか?だった。後から壁をぶち抜いて、作ることが可能なのだろうか。いや、現実には難しいだろう。
それならば、ヨーロッパでは元々隠し部屋ありきで建築されていたということだろうか?
アンネの日記に出てくるゲシュタポの様に、敵国が地上戦を仕掛けてきて、上陸し、しらみ潰しにしだすと分かってから、慌てて身を隠す部屋を作ることなど、どう考えても出来っこない。
では私たちはどんな風に身を隠して逃れればいいというのか。
では、ミサイルが飛んできたらどうしたらいいのだろう?大きなマンションに住んでいるなら、とにかく窓や壁から離れ、できるだけ壁に守られていそうな場所に身を置くしかない。
一軒家なら、やはり逃げまどうしかないのか。
昔は防空壕があったが、私が子供の頃にはすでに殆どが無くなっていて、実際にこの目で見たことは今の今まで一度もない。土地があれば、掘ることができるだろうが、現代の日本では各家に防空壕を掘るだけの土地を持っている家がどれほどあるというのだろうか。
それに、防空壕は一時避難用だ。ミサイルから一時避難した後は、そこから逃げ出し、安全な場所へと移らなければならない。そうでなければ生き埋めになったり、蒸されて命を落としてしまう危険がある。
そんな状況の時、どこに安全な場所があるというのか。
冷戦時代はとかく核戦争が話題になった。
映画は核戦争後の世界の終わりを描くものが多かった。
特に「ザ・デイ・アフター」は公開当時、核の被害を知らない人々にとって非常に強いショックを与えた映画だった。
核爆弾が投下され、警報が鳴り響く中、家にシェルターがある人はそこへ逃げ込み、外出していた人々はパニックを起こしながら地下鉄などの中に逃げ込む様子が描かれている。
しかし、そこに描かれる家の地下にあるシェルターは地下室を少し補強したもので、現実にはそれでは助かることはできないし、地下鉄に逃げ込んでも閉鎖されていない空間では爆風も放射能も遮ることはできないだろう。
もっと強固な作りのシェルターが家の地下にあるという設定のものも見たことがある。潜水艦のハッチの様に丸いハンドルを回して密閉するような頑丈なものだ。
現実に核が落とされたなら、きっとこれレベルでないと意味がないだろうが、酸素は?食料は?トイレは?などと考えると、シェルターがあったとしても生存は難しいのではと思わざるをえない。
でも、私たちにはそのシェルターも無い。
なぜ?
と、そんなことを当時中学生になったばかりの頃から、ずっと考えている。
そんな子どもだったから、既に50を過ぎた今でさえ、その頃と同じことを考えることも多く、南海トラフの不安もある今は、兎に角少しでもマシなところに住みたいという気持ちが強かった。
あまり言うと家族が不安になるので、平静を装ってはいるが、いざとなるとどうやって身を守るか、シミュレーションをよくしている。
10月まで住んでいたところは空港も近く、自衛隊の駐屯地も近かった。
戦争が起きれば間違いなく標的になるだろう。
大きなショッピングモールが5分のところにあったから、いざとなったらそこの地下駐車場へ逃げるしかない。
その事を一応家族にはそれとなく伝えていた。しかし地下駐車場など、攻め込まれたら一貫の終わりでは?ということまでは言えず胸に仕舞っていたが。
そんな私を見て、家族は「何言ってんの?」「大袈裟な」と思っていただろう。それでもいい。
そして、家を買うに当たり、私の脳裏には、少しでも海から遠く、高台で、家族が避難できるくらいの広さはあり、土地は余裕があって野菜を作ろうと思えば作れる広さ、少し街から離れ山の方、という条件を夫には全部言っていないが根強く胸の中に持っていた。
そして、その条件に当てはまる家を見つけて、今住んでいる。
戦争だなんて、ナンセンスな、と少し怪訝に思っていた夫も、私が言っていた通りの動きをしている情勢に、驚き納得するしかなくなっている。
ここだって、本当に戦争になったら、気休めでしかないことは分かっている。
でも、これが今の私にできる最大限だ。
だから、ここで静かに流れを見るしか後はない。
本当に、世界で核爆弾を落とされた唯一の国なのに、戦後80年経っても尚シェルターがないってどういうことなのだろうか。
近頃は、政治家もYouTubeに出て、ざっくばらんな話を私たち国民に向け発信している。
片山さつき財務大臣も、その一人だ。
片山大臣は尖閣諸島を守る会の顧問をしていたそうだが、台湾有事において、いよいよ緊迫した状況になってきた、ということで、島民の安全を確保するためにシェルターが必要で、ひとまず沖縄にシェルターを掘ることを進めていて、次は本土だということを話している。更に、欧米のメディアから、日本は台湾から100キロしか離れていないのに、なんで今までそんなこともしていないんだと散々言われた、ということを話している。
この動画がアップされたのは11ヶ月前だから、高市政権が発足する前に撮られた動画だと思う。
高市首相のあの発言がまだ無い頃から、日本はすでに切羽詰まった状況にあり、片山大臣は何とか日本にシェルターを、と動いていたことになる。
ロシアとウクライナ、そして、今、米•イスラエルとイランが戦争状態になって初めて、私たち国民は危機がリアルにすぐそこまで来ていたことに気づくが、政治家、特に高市首相や片山大臣はもっともっと早くから、危機を知っていて、対策を練り、実際に動こうとしていたということになる。
ただそこでなかなか進まなかったのは、自民党も腰が引けていたし、国民もまた、どうしてそんな戦争が起きるかのような動きをするのだ、と反対運動が起きるからだとも言っている。
私がこの動画を観たのは、かなり前だが、正直なところ、ホッとしたところがあった。
日本にシェルターが無い!
一刻も早くシェルターを用意しなければならない!
と、本気で考え動いている政治家がいたのか、と。
そこから数カ月。
台湾有事どころか、アメリカからホルムズ海峡への援助を要請される、、、というような予想外の事態に巻き込まれ、懸念はもうすぐそこまで現実のものとなり近づいていた。
戦争など、まだまだ起きないと思っていた日本人も、さすがにこれはマズイと実感しているだろう。
満を持して、政府は、市町村単位で全住民を収容できるだけのシェルターの確保を進めるという基本方針を固めた。
ただ、シェルターといっても、地下鉄やショッピングモールの地下駐車場だ。
なんだ、それなら素人の私だって考えられたレベルではないか。
でもまだそれがあればマシな方で、近くに無ければ頑強な建物、公共施設などに避難するしかない。しかし現状はそれが全体の実に90%を占めていて、地下施設がある地域は圧倒的に少なく7%止まりだ。
そして、そういった地下施設があったとしても、シェルターとして核の脅威から逃れられるほど安全かというと、決してそうでもなく、長期に渡りそこで大勢の人が生存することは難しいのは明らかだ。
冷戦時代から40年経って初めて、シェルター計画が動きだした。
冷戦時代、常に私たちは核の脅威にさらされて、不安と隣合わせだった。が、結局40年も国民はシェルターもなく平和に過ごしてくることができた。
今、やっとシェルター計画が動き出し、実際に整備されたとしても、結局使うことは起こらず、せっかく作ったのに、古くなっちゃったね、と、また40年後に子どもたちが言えていればどんなにかいいのに、と願う。
日本の各家庭に、地下核シェルターが標準設備として備わる時代はやって来るのだろうか?
それともこれを機に、各国が核を放棄し、戦争の無い世界が実現したりはしないだろうか?