きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

帰国子女の悩み。

ずいぶん前のお話になりますが、、、。

小学校で介助員(支援員)をしていた時のこと。

中学年(3〜4年生)に可愛いお子さんが転入してこられました。

礼儀正しくて、大人しいお子さんです。

私はその頃、支援学級に在籍しながらも原学級で何時間かを過ごせるようになってきていた重度の自閉症のお子さんと常に一緒にいましたので、原学級にいる時には、この可愛い転入生さんのことも気にかけていました。

日本語もしっかり話せますし、礼儀正しいそのお子さんは、周りから見て何ら問題がなく過ごせているように思えました。

ところが、転入したクラスが、その後、学級崩壊を起こします。

ちょうどその過渡期だったこともあったのでしょう。

ワイワイガヤガヤ不穏な空気の中、そのお子さんの元気が段々なくなっていくようでした。

そこの新任の担任の心が折れる頃、そのお子さんの心も折れてしまったのです。

クラスに入りにくくなった。

という連絡が入りました。

無理もありません。喧々囂々とした男の子たち、水筒を振り回してケンカするような、そんな殺伐とした雰囲気の中、きっと怖かったに違いありません。

言葉の壁もあったことでしょう。日本語は綺麗に話せていましたが、読み書き話す全てを日本語で、となると、まだ中学年ですし、分かりにくい面もあり、負担が大きかったのではないかと思います。

しかし問題はそれだけではありませんでした。

そのお子さんは、オーストラリアから帰ってきたのですが、オーストラリアの小学校と日本の小学校ではずいぶん違うところがあったのです。

住んでいたオーストラリアの地域は、学校にはスクールバスで通うことになっていました。低学年の間は授業も緩やかで、恐らく床がカーペットなのか、寝転びながら学習してもOKだったそうです。休み時間には芝生の上で転がりゆっくりリラックスすることができる。

そうそのお子さんからは聞いていました。

そんな風におおらかで、ゆっくりスタートな小学校で過ごしていたお子さんが日本の学校に入ったら、さぞかし窮屈で、しんどい思いをしたことでしょう。その上クラスが落ち着かなかったのですから。

しんどくなって当然。通いにくくなったのも、そのお子さんが悪いわけではありませんでした。

フリースクールに行きたい。

親御さんとその子が相談して、そんな希望を出して来られました。

驚きました。

他にもそういった希望を出されるお子さんたちはおられはしましたが、身近なお子さんが、という驚きでした。

でももっと驚いたのは、新任の後に来られたベテラン先生のひと言でした。

「仕方がない」

フリースクールに行きたいなら仕方がない。そういう意味でした。

いやいや、ちょっと待って。と私は慌てました。

そんなすぐ、仕方がない、でフリースクールに送り出していいのだろうか?と思ったのです。

そのベテランの先生とは、支援学級のお子さんや、支援学級には在籍していないけどサポートを必要とするお子さんのことでよくお話をしていましたので、すぐに

まずは校内に別室登校できる場所を設けてはいかがでしょうか、とお声をかけました。

やはり、段階を追って、対処してあげるのが先ではないかと思ったのです。

クラスに入りずらくても、他の部屋なら入れるか、担任の先生がダメなら、他の先生ではダメか。ずっと1時間勉強がしんどいなら、課題が終われば他のことをしても良い時間を設けてはどうか。そうやって、クラスがダメでも他の場所があるよ、他の手立てがあるよ、と、学校としての意向をしっかりと打ち出し、熱意を伝えてあげることが傷ついた保護者やお子さんには必要で大切なのではないかと直談判したのです。

学年団の他の先生方にもそんな話をしました。

急遽、会議室が充てがわれ、別室登校が始まりました。他にも不登校になりかけているお子さんもここで一緒に学ぶことになりました。

ところが暫くすると、やはりフリースクールに行ってみる、という意向が出されました。

入れ替わり立ち替わり空いている先生が出入りして関わるというもの落ち着かないものだったのかもしれません。

別室登校の仕方にも、配慮が色々と必要だったことでしょう。でも一度、こういう居場所がある、と保護者や子ども本人に伝えてあげることができたのは良かったと思いました。

会えなくなるのは寂しいけれど、絶望したままでなく、段階を経て、フリースクールにも行ってみよう、とするのは良いのではないかと思えました。

でもそこで、学校は決して見放すのではないよ、ということを伝えたい、と思いました。

私は介助員ですから、出過ぎたマネをすることはできませんが、ひっそりとメッセージを出すことはできると思いました。

フリースクールに移るという時、一通の手紙を書いて手渡しました。

そこに書いたことは、

一緒に過ごした時間が楽しかったこと。

でもしんどい部分があったよね。

その中でも友達が出来て仲良くしていたね。

クラスのみんなも落ち着けるようにがんばってまた戻ってくるのを待ってるね。

というようなことでした。

そして、

初めて入った学校がオーストラリアの学校で、そこが伸び伸びしていたから、日本の学校に来て、全然違うから、すぐには慣れなくてしんどかったよね。

だけど、オーストラリアの学校も、学年的に今ならもう机と椅子に座って授業を受けているはずだし、これからもし日本で〇〇ちゃんが過ごしていくなら、ゆっくりでいいので、慣れていくことも大切かもしれないね、、、。

みんなで待ってるよ。

というようなことを書いたのです。

その手紙を読んで、そのお子さんがどう思ったかは分かりませんでした。

ただただ、待つしかありませんでした。

 

 

半年ほどしたでしょうか。

ひょっこりそのお子さんがお母さんに連れられてやってきました。

やはり学校に戻りたい。というご意向でした。

「フリースクールには友達がいない」

それが理由でした。

それは、フリースクールが登校しにくいお子さんたちがちらほら集まる形で、同学年がなかなか見つからない、他学年の集まり、という実情があるからでした。

集団や学習が苦手なお子さんが通われますから、学習も自分で好きなものを持ってくる自習スタイル。聞けば教えてもらえますが、マンツーマンで手厚いか、というとそうとも言い切れない面もありました。

そこに通う内に、やはり学校の方が良かった、と気持ちが変化したようです。

私はそれを待つしかないと思っていましたから、本当に気持ちが動いて戻ってこられ、再会したときは非常に嬉しかったことを覚えています。

そのお子さんは、「あの時手紙をありがとうございました」と、また丁寧に律儀に私に話し、お返事の手紙までくれました。

 

子どもにとって、「友達がいる」ということほど強い動機はありません。

仮に心が折れたとしても、

まずは学校はあなたを待っている。

通える場所を用意している。

あなたを見捨てたりしない。

友達が待っている。

ここはあなたの居場所なんだ。

と、離れる前に、先にメッセージを打ち出しておくことが大切です。

「仕方がない」

と言われた保護者や子どもたちは、ここに居場所はない、と失望しまうことでしょう。

例え、帰るという選択を取ることができなかったとしても、学校が、先生が、友達が、そういうメッセージを出してくれていた、ということは、後々その親子さんの心に響いていくことだろうと思うのです。

幸いにして、このお子さんは、フリースクールに行っても、友達がいないなら寂しい、自分の居場所は学校だった、と感じて戻ってきてくれることができました。

そこから、すぐにはクラスには入らず、暫く前の別室登校場所へと通って来られました。

先生方は、良かれと思ってのことですが、入れ替わり立ち替わり空いている先生が入り、元気すぎる声で、子どもを元気付けようとするのではなく、やんわりとした雰囲気で、押しが強すぎない慣れた先生が対応する、という方がいいと思う、と話したこともあってか改善していただき、落ち着いて過ごしていかれました。

その頃、その学校では2年ごとのクラス替えでしたから、1つ上の学年になっていましたがクラスは同じでした。

そろそろ大丈夫なんじゃない?

と、廊下で会ったそのお子さんの表情を見て感じ、伝えました。

数日後、そのお子さんの方から、

「もう、大丈夫です。クラスに戻ります」と言いに来てくれました。

「そうなんやね!また一緒に過ごそう。待ってるよ」と答えました。

数日後、本当にそのお子さんはクラスに戻って来られました。

まだ元気良すぎるクラスメートが、そばを通ると、ビクッとしていましたが、私の方を振り返り、肩をすくめて、うふふと微笑むことができるようになっていました。

体育の時間では、日本式の生真面目な授業に戸惑いはありましたが、そんな表情を見た時はそっと側に寄り添いました。

時と共にそんな戸惑いの表情も薄くなり、自然な姿でクラスに交わる様子が見られるようになった頃、

「もう、私は大丈夫です😊」

とまた、そのお子さんが私に伝えてくれました。

「そう。それは良かったよ😊」

それだけ伝え、そのお子さんの肩にぽんぽんとタッチして、私はその日からそのお子さんから完全に離れました。

3年目。

クラス替えがあり、そのお子さんのいるクラスへは私はあまり入る機会はありませんでした。

でも、廊下ですれ違ったり、全校体育で一緒になった時には、目が合うと、お互いに、うふふ、くすくす、と笑い合い、心の繋がりを感じました。

そのお子さんには、私だけでなく、下足箱近くにある事務所にいつもいる事務員の方もまた、その子の靴の上に面白おかしい手紙を置いて、やり取りしていた方がいました。

担任だけでなく、別室登校で関わった先生たち、介助員や事務員さん、と、複数人の人間が、それぞれの立場でそのお子さんのことを気にかけ、接していたことも、段々とそのお子さんが、ここは居場所だと認識していけることに繋がったのではないかと思います。

 

そうそう。

 

あの手紙のお返事には、

「先生からの手紙を読んで、元気が出ました。先生が言うように、私はこれから日本で暮らしていくことになると思うので、ゆっくりと慣れていこうと思います」

と書かれていました。

 

その言葉の通り、まだ幼かったそのお子さんは、じっくり、ゆっくり、自分の内面と向き合いながら、適応への道を進んでいかれました。

 

本来なら、フリースクールは学校に通い辛いお子さんたちの受け皿として、友達関係や学習の手厚いサポート、そして居場所として十分に機能していなくてはいけないと思う反面、機能しすぎても学校に戻るチャンスを失わさせてしまうな。と私は感じています。

そして、学校にいけないなら、フリースクール、または別の居場所へ。そう早急に大人が焦って考え行動しすぎるよりも、他にしなければならないことがあるのではないかというのが私の考えです。

そして、本人たちにちゃんとした情報を話し、長い先を見据えたビジョンをもたせ、信頼して考える余地を渡してあげることも大切だろうと思っています。

小さくても、自分のこれからを感じ、考え、選び、決めて行動していく力。

これを発動するために、どう大人たちが働きかけていくのか、またどんな問いかけをしていくのか、それが大切なのかもしれません。