片山さつき財務大臣が言った。
「感動した」と。
自分が大臣をしている間に、日本でシェルターの基本方針が固まったことに「感動した」のだそうだ。
私だって感動しましたよ。
こんなことがようやく日本でも決まるとは。
片山さつき大臣のこの言葉には、心底長年憂い、動き、阻まれ、悔しい思いをしながらも、決して諦めず流れをみながら水面下で進めてきた人の重みがあった。長年思い続けていなければ出てこない言葉だ。
長年、大きな流れに揉まれながら、決して光を見失うことなくタイミングを図り続け、ここぞという時に本領を発揮するのは容易いことではない。
逆に、これまで自民党の男性たちは何をしていたんだろう?とも思う。(私が知らないだけかもしれないが)
確かに日本がこれまで平和であり続けたことは、これまでの政治家たちの仕事のお陰であるとも言える。
戦後焼け野原になった日本を立て直すことが最優先で、今日を生きることに精一杯の人々にシェルターを課すことなど到底できなかったかもしれない。
戦争が終わった直後、また日本に危険が及ぶなど想像もできなかったかもしれない。
でも、世界では紛争は続き、冷戦時代も長かった。
永世中立国でシェルターを備えたスイスと日本を比べたら、違いはたくさんあって同じにはなれないかもしれない。
だけど、60 年の違いは大きいと思う。
まるでアリとキリギリスだ。
どうしてもっと実際に国民の身を守る方法をとってこれなかったのだろうか。
ここで1つ思い出したことがある。
もうどなたが言っていたことかは忘れてしまった。
だけれども、子育てに関連して上った話題だったことには違いがない。
確か、
テレビで事故のニュースが流れたとする。
女性はそれを自分事と捉え、ニュースを教訓にして、身の回りを見直し、自分は同じ失敗をしないようにしなくては!と考える傾向が強い。
今聞いたニュースは決して対岸の火事ではなく、いつ自分の身に起こるかも分からない問題だと捉えて備えようとする。
それは子どもを守らなければならないという本能からくるものなのだろう。
男性は、ニュースはニュース。今すぐにどうこうと自分には関係がないことだ、と感じやすいそうだ。大局観的な物の考え方なのだろう。対岸の火事だと捉えて「自分にも振りかかるかもしれない」とまでは思いにくくて、対策をすぐに取らないので、結局同じ失敗をしてしまうことがある。
というような話だった。
例えば、子どもの事故のニュースを聞いた時、母親は、それは大変!と早速同じ様な状況になった時の対応をシミュレーションするのに対して、父親は、大丈夫やって!と取り合わないので母親がキィーっとなってヤイヤイ言う、、、ってやつである。
心当たりのあるご家庭もあるのではないだろうか。勿論、「女性」「男性」と一括りにできず、人による、とは思うが、そういった傾向がある、という風に落ち着いて聞くと、腑に落ちるのではないかと思う。確かに私が前に嫁いでいた家ではそうであった。
これは、「想像力」の違いによって起こることなのだそうだ。
そう考えると、女性である高市首相と片山大臣が、以前からずっと、間に合わない、間に合わない。早くしないと間に合わないと口走っている言葉は、台湾有事も、世界情勢も、もはや対岸の火事と悠長なことは言っていられない、と自国のことと捉え、自分たちの国民を守らなければ!と必死になっている、ということなのではないだろうか。
どこまで本当かは分からないけれど、「軍事費ではなく防衛費」なんだともいっている。「防衛」の為の力を強化するんだと。
私も、戦争は反対だし、憲法は変えたくない。もう戦争はしない、という憲法は変えてはならないと思う。
だけど、台湾に向けて撃たれたミサイルの、起動が変えられて本土に向かってきたら?
アメリカが日本のことはもう守らない、といって、それ今だ!と他の国が攻めてきたら?
その時、今の憲法と現状では国民の皆様を守るには「一旦、地下に潜っていただくしかない」。
そう片山大臣は語っていた。
いや、本当にそれしかないと思う。でもそれだって普通に地下駐車場や建物の中なんかでは意味をなさないだろうけどね、
でもどうして今までの男性議員たちはそういったことを、進め、発信してこなかったのだろうか?(石破、岸田さんのころから計画は進んできたらしい)
どうして野党ももっと具体的に国民を守る策を考え、直接訴えてこなかったのだろう?
与党や首相を倒すことしか考えられていない。だから逆にいつまでも自民党に取って代わることのできる力を持たないのだよ。
もっと、早く、実際に有効なシェルターでも整備していたら、、、。
もう、明日攻められたっておかしくはない。
だけど、私も含め、みんな、いや、まだまだ大丈夫だろう、多分。どこかでぎりぎり回避できるはず。だって、これまでだってそうだったじゃないか。そう思っているんではないだろうか。
そう思っていても、万が一の為の身を守る準備はすれば良いと思う。
そう思えることが、祈りとなって、日本を守るシールドを張れるくらいに、強い念となってポジティブに方向性を変えられるくらいなら、みんなで良い意味で心の中に絶対に大丈夫だ!という信念を持てばいい。
でも、それと、準備をしないということとは同じではないと思うのだ。
同じ様に、片山大臣は、とにかく国民を守りたいのに、どうしても国民から反対運動が起きてしまって進めてこられなかった、と言っていた。
これまでの首相から、シェルターの話など私は聞いたことがない。
女性議員が、苦労して訴えても、男性社会の政治の世界では取り合われなかったのだろうか?
ある意味トップが女性になって、共同して変化が起きた、というその部分は、一旦評価に値するのではないか、と思う。
そして、もう一つ気になるのは、デモのことだ。
これまた私は小学生の頃から、日本人は怒らなすぎる、と思ってきた。海外では政策に対して不満があれば大々的なデモが起こるが、日本ではそうした行動はなかなか聞かなかったから。
なぜ怒らないのか?
怒るところだぞ?
日本人はもっと正しいところでは毅然と怒らなければ。
と思ってきた。
これは日常の中においても感じてきたこと。
ところが、最近はそのデモが、日本でも多く起きている。日本人のデモは海外のそれに比べると、断トツ、ソフトだとは思うが、さすがに切羽詰まってきたということなのだろう。
日本人も、黙っていてはいけない、と考えるようになったということか。
だけど、、、。
高市やめろ。
戦争反対!
それだけで良いのだろうか。
本当に、高市首相が辞めれば、それだけでこの緊迫した状況は回避され、平和がもたらされるのだろうか?
他の男性の首相なら、この危機を乗り越えられるのだろうか?
戦争反対!は、どこに向かって言っているのだろうか?
防衛費だと偽って、どんどん戦争の準備をされたら勿論許せない。核武装だなんて本末転倒。
自衛隊が足りません、といって、徴兵制度が復活するなどあり得ない。
でも、日本は戦争しないと思っていても、他の国から仕掛けられたらどうしようもない。
なら、次はどうするのか?
私たち日本人はどうしたいのか?
もっと具体的な案を訴えていかなくてもいいのだろうか?
もっと世界に、日本は、日本人は、戦争を許さない、と訴えるうねりを作っていかなくていいのだろうか?
日本のうねりが、世界の人々の心を動かし、その国々のトップを動かし、戦争の無い世界へと流れを作る。
そんな風に訴えていかなくていいのだろうか。
先日、野党の議員が、何度も何度も首相に対して、トランプに戦争を辞めるように言ったのか?と、そればかり同じ質問を浴びせていた。
イスラエルやイランにはその様に言っている。アメリカには他のルートを使ってありとあらゆる方法で、沈静化を図る方向へと働きかけている。その内容は、外交上ここで明らかにすることはできない。
という返答が自民党からは繰り返しなされ、後ろで聞いていた片山大臣も何度もうんうん頷いていた。
高市首相がトランプに抱きついた場面などは日本人にとっては屈辱的だけれど、海外の評価は違っていた。
首脳会談が行われた時、記者からの質問で雲行きが怪しくなったが、茂木外相の「So‐so」で場が和んだ。帰国した茂木外相は会見で国際的な場でああいったことは普通発言しない、と怒っていた。
外交って、難易度高いな。海外経験がないとなかなか理解も立ち回りもできない。当たり前だけどそう思った。
正義感を振りかざして表面的な言葉だけを言っただけでは外交はできないのだなと。
だから、国会で野党議員が何度も「アメリカには言ったのか」ばかり言った時、大臣たちはうんざりした表情をしたのだろう。そのことに該当議員は気づいていただろうか?
私は長年、なぜ日本は永世中立国でないのだろう?と思っていた。スイスみたいになればいいのにと。
しかし、スイスは武装中立国なのだ。オーストリアもそうらしい。
周りを列強国に囲まれているスイスはその地政学的理由から緩衝地域の役割を担っている。戦火に巻き込まれることが多かった。自ら乗り出すことも多かっただろう。だから、スイスがどの国の肩も持たない中立国になることは、スイスにとっても周りの国にとっても、都合が良いのだ。だからスイスが望んだというよりも国際的な要望もあり承認された形なのだそうだ。自分たちが宣言したからといってなれるものではないらしい。
中立国ということは、周りのどの国とも安全保障条約を結ばないということだ。
永世中立国になったからといって、戦争にならないという保証はない。万が一攻められても、どことも安全保障条約を結んでいないのだから、孤立状態で自国は自分たちで守らなければならない。
その為には自衛しなければならない。だからスイスは国民皆兵制だし、国土全体が要塞化している。橋、トンネル、道路には遠隔の爆破装置がつけられ、至るところに対戦車砲や対空砲がカモフラージュして隠されている国家要塞なのだ。あんなに素晴らしい風景の国が要塞化していたことに驚く。自国を単独で守り抜くだけの装備を備えるにはそれ相応の軍事費がかかる。更にスイスは備えてきた武器、施設等の老朽化によって、今戦力としては低下していることを認めている。再度強化するには更なる費用が必要になるが、どこからそれを捻出するかというと教育であり福祉の予算を削るしかないのではとも言われている。
中立国=平和国家と約束されているわけではないのが現状なのだろう。
しかし非武装中立国のコスタリカ、バチカンという国家も存在する。
では日本は?というと憲法第9条によって戦争は放棄しているが自衛隊がいて防衛を前提としている。実際その防衛費や防衛力は高く世界第7位ともいわれている。更にアメリカと安全保障条約を結び同盟国であることでなんとか平和を保ってきた国だ。
しかも日本国憲法はGHQの指導下で制定されたと言われている。侵略戦争を再びしない為に押し付けられたものだとする議論が長く続いている。
しかし多くの日本人はこの日本国憲法、特に第9条を気に入り愛してきた。自分たちが選びとった憲法だと思い信じてきた人たちも多いことだろう。
日本は軍事力を持たない代わりにアメリカに守られている。
トランプに正面切って他の国々と同じような言動をしろ、という人々は、それによりアメリカが日本と決裂する可能性は想像しているのだろうか?
決裂した結果、安全保障条約が解かれる可能性は想像しているのだろうか?
安全保障条約が解かれ、完全に独立状態になれるなら良いということだろうか?
その時日本は後ろ盾がなくなり、他の国にすぐさま攻め込まれる可能性があるが、それを守り抜くだけの軍事力はない。
シェルターもない。
だから結局、第9条を盾に高市総理はアメリカとの首脳会談をやんわりとくぐり抜けるしかなかった。
それは国民を守る為ではなかっただろうか。
それを私たちは責めることができるだろうか。
さて、話は戻るが、こうした背景を考えたとき、私たちの主張は
戦争はしたくない。
徴兵制はいやだ。
アメリカの言うなりになるな。
そしてシェルターは要らない。
防衛もしない。
と、そこには矛盾しかないというのが段々と見えてきたのではないだろうか。
最近は、それなら核武装をするしかない、と核武装説を指示する層も増えていると聞く。
戦わないなら核を持つことで抑止力とする、ということか。
しかし今や核もドローンの前には抑止力に欠くとも言われる。
この間の日米首脳会談では、結局、第9条があったおかげで日本の自衛隊は一旦派遣を免れることができた。
それを知って、安堵した日本人は多かったのではないだろうか?
ということは、、、今や日本を守る第9条は押し付けられたもの、という概念から脱却し、今回のことで「自分たちで選び守るもの」として認識を揃えて再出発するしかないのではないだろうか。
その上で、やんわり外交をするしかなかった高市首相や自民党を、同じ国民が非難し責めて体力、精神力を奪って危機的状況に自ら貶めるよりも、国民としてこれからどうしていきたいのか具体的な内容をデモでは発信し訴えていく必要があるのかもしれない。
そうでないと、誰が首相になっても、どうしてよいか分からなくなってしまうことだろう。
実際高市首相は民意を測りたいといって解散総選挙をして圧倒的多数で支持を得た形だったのだから。
どちらにしても、私たち日本人は、主張したその後に起こることを、もう一歩進んだ「想像力」を持って考えていかなくてはならないのではないだろうか?
第9条を守り、戦わず、滅亡した後、後世で名を残すのか。
アメリカから実質上独立し、軍事費を上げ、軍事力を持ち、国民皆徴兵制で自国を守るか。
戦いたくない、攻められたくもないから核武装するか。
それとも国民一丸となって世界に平和を訴えるうねりを作るのか。
具体案を考え、主張し、首相に考えを変化してもらうのか、、、。
アレルギーを起こさずに、しっかり想像力を働かせて考えていきましょうよ。
さあ、日本の皆さん、どうします?
どちらにしても、滅亡は嫌なら備えは必要かもね。