昨日、どうしてああいう記事を書いたかと言うと、私なりに理由がありました。
最近、このはてなブログでも、デモに参加した、と書いている方が増えていたからなんです。
デモに参加された方からすれば、デモなんて関心が無くて行かない人、デモにも行かないであれこれ言う人、には色んな想いを持っておられるだろうなぁと読ませていただきながら思っていました。
だって、デモに行かれる方の多くは真剣な思いで行動に移されているわけですからね。
それなら、私はどうなのだろう?
もし知人から誘われたら?
もし、もっと状況が切羽詰まって総出で行く必要が出たりしたら?
って、考えてみるわけです。
それこそ、対岸の火事でなく、自分事として。
すると、自分の中で、誘われても行きづらいな、と感じることの理由が見えてきたのです。
こんな話を書くと、お嫌な方もおられることでしょう?
朝からそんな重い話考えたくないわ、とか、こんなこと書く人やったん、とか、感想は人それぞれですよね。中には「戦争!」と聞いただけで受け付けられないって方だっておられると思います。実際に昨日読者が1人減っておられました。
でもまあいいのです。それも自由ですものね。
ただそんな中、こうして読んで下さる方には感謝でしかありません。
ご自分の考えや想いとは違うかもしれないけど、まあ一応どんなこと考えているのか読んでみよう、というお気持ちでしょうから。
それで、理由というのはですね、私も政治や選挙や世界情勢やらに詳しくないので、何も偉そうなことは言えないのですが、デモに参加されている方は、その参加したデモの主張をよくよく知った上で参加されているのかなぁ?ということが気になるのです。
例えば「戦争反対」と掲げているデモに参加されるとします。
「戦争反対」という主張には同意だけれど、そのデモは、それから先、何を主張している団体なのか?求めていることは何なのか?など、もう少し詳しいところまで調べて意見が一致しているから参加しているのでしょうか?
ということが気になるわけです。
私は別にサナ活派でも何でもないわけですし、自民党推しでもないわけですが、高市ヤメロと主張するデモに参加される方たちは、その後どのようなことを求めているのかの部分まで、意見が一致している方たちなのでしょうか?
一部は一致しているけど、蓋を開けたらその後の主張は賛成できるものじゃなかった!ってことは無いものなのでしょうか?
実際は同じデモに参加される方の中でもその後の意見は様々で混在しているんじゃないかなぁと思うわけです。これは私の想像ですが。
それなら、せっかくデモに参加しても、あれ?その後の意見が違ったよ?ってなるのは嫌だなと思うのです。
だって、デモって、ヘタをすると制圧されたりするんですよ?
自分がこうだ!と強く思う主張をすることによって制圧を受けるのなら、致し方ないと思えるかもしれませんが、掘り進んでみれば自分の信条と違った意見により制圧を受けてしまったら、後悔先に立たずだなと思うのです。
なので、もっと具体的なスローガンも分かる方がいいのかな、と。
その方が、分かりやすくて賛同しやすいじゃないですか。参加しようかな、と思う人が増えるかもしれません。
その為には「自分自身の主張」もはっきり見極めて言語化していかないといけませんよね。
でも、迷いますよね。
私も迷っているのです。
子どもの頃からずっとです。
だから、皆さんはどうお考えなのかなと思って書いた次第です。
きっと、若い頃、海外の方は自国の歴史についてよく知り、意見をしっかり待っている。でも日本人はそうではない。海外の方から問われた時、答えることができない。という話を知ったからだと思います。そこからずっと考えているのです。
なので、「戦争」と聞いただけで、アレルギーを起こしてしまう方にも。もし読んでいただけたら、考え始めるきっかけになればいいなと思って書いています。
なぜなら?
子どもたちが生きている間、私たちが生きてきたのと同じように平和な時代でいて欲しいじゃないですか。平和な日本や世界を残してあげたいからです。
じゃあ、我が子さえ無事ならいいのか?と思うと、我が子が結婚して子どもが出来たら、その子ども、いわゆる孫にも困って欲しくない、平和な時代を残してあげたい。そうも思うわけです。
その為には、日本は、どうなっていくのがいいのかな。と、1人1人が考えておかないとなぁと。
自分たちが平和でいたい、戦争は起こさない。そう思っていても、これってDNAなんでしょうね、戦わずにはいられない国、民族の方もおられるかもしれないなと思うのです。長い歴史の中で他の国々との関係などから刷り込まれていくものの影響もあるのだろうなと思うからです。すると、私たちが1人では生きられないように、国も単独ではやっていけないわけで、経済も含め影響を受けてしまうわけですよね。
大きな波に巻き込まれてしまうこともあるわけです。どんな方策をとっても、一長一短なのかもしれません。
その中で、何を選んでいくのか。
それが今、なんでしょうね。
そこで、こんなお話、したくないという方も多いですから、身近な人たちとは難しいわけで。でも、デモに行かれる方は一生懸命考えておられるわけですから、実際に伺ってみました。質問内容は「もし一方的に攻め込まれたらどうするか?」でした。色々と疑問がある中で、一気には聞けませんから、この質問は、これからのやり取りの中で「入り口」だったのだと思います。
すると、お返事としては、要約すると
一方的に攻め込まれたら、国民としては成す術がない。発言権も決定権もなくなる。だから、絶対に戦争を起こしてはならない。その一択だ。
というようなことだったと思います。簡単すぎてすいません。
そうか。一択なのか。
そう思いました。
「戦争反対」
それ一択。(勿論これはその方のご意見)
ここで、気づいたことがありました。
私も若い頃、戦争なんてとんでもない。戦争反対、それ一択なのだ。そう思っていたことに。強く強くそう思っていました。だからこそ、今でもこんなに考えてしまうのでしょう。
国民は国が戦争を始めたら、運命を預けるしかないのです。それは今でも変わらないでしょうね。だから、その時の身を守る準備も気になっているわけですから。
所謂、受身なわけです。
だから、戦争にならないことを考えていかないといけないんですが、戦争にならないことを考える、というのは、国側の視点になるわけですね。
首相はどんな風に諸外国とやり取りをしているんだろう?
内閣ではどんな相談がどんな風にされているんだろう?
戦後81年という年月と時代の流れと共に、国の内部と外部でどんな変化があるのだろう?
第二次世界大戦後に分かってきたことから考えて、日本はこの先どんな道を進めばいいのだろう?
と、言ってみれば一国民の私が考えても仕方がないことではありますが、考えてしまうわけです。いや、実際は多くの方が考えていることでしょうけれど。
なぜ考えるかというと、首相の気持ちになってみないと、国民として動きようがないから。そんな風にも感じています。
戦争が起こる「前」に、国民の意向「民意」を伝える場面があれば、示さないといけないわけですよね。主権者だから。
それには細かく選択していかなければならないことがあるわけです。
戦争には反対なのは分かっているけれど、その先どうします?どんな準備します?あんな方法、こんな方法ありますけど、どれがいいです?と聞かれているのと同じなわけです。
でも、「戦争」なんて考えたくない!ぎゃ〜!と拒否反応が出てしまって、意向が分からない、となったのでは、進まない、ということになってしまうし、実際にそうなってきたんでしょうね。
だから、考えている人たちで進んでいってしまうのかも。
高市首相も聞きましたよね?私でいいですか?って。そしたらみんな多くの人が、いいですよ〜って答えたわけです。
それで民意を得た!って、進めたら、今度は辞めろ!ってなるわけでしょう?
なぜこうなるのかな?って私なりにも考えてみました。
それはデモもそうですが、選挙には名前しか書けないからでは?と。
一人の立候補者に対して、打ち出す政策は複数あるのに、選べるのは名前だけ。
この政策はいいと思うけど、こっちの政策には反対なんだよなぁ、ってこと、ありますよね? 打ち出す政策の全てがオールOKなんてこと、ないじゃないですか。
それならば、この人のこの政策は支持するけど、こっちの政策は支持しない、ってことまで分けて投票できたらいいのにね。複雑すぎるけど。
そして、そのデーターがちゃんと集計して示されるんです。私たちも国民の他の人がどう考えているのか分かるし、立候補者にも伝わりますよね。通らなかった政策は没になります。
当選してからも、変更点があれば国民に聞くんです。国民の判断の元に進めるので、当然もっと踏み込んだ説明が必要になります。
そう考えると、もっと民意を示せるツールがあるといいのでは?
そんなツールはあるかいな?と調べてみましたが、一応個人の意向はメールなどで伝えられるみたいですね。でもみんなの意見はそこでは伝えられない。
そういえば、チームみらいの安野さんが言ってましたよ。選挙の時にもっと国民の意見も伝えられるツールが必要だ、と。デジタル民主主義、デジタル目安箱って提案ですね。(念のため言っておきますが、別に私はチームみらい推しなわけでもありません。)
じゃあ、こういうツールを使って、いつでも民意を伝えて統計とって、国民に示して理解を得て、、、なんてことももしかして今の時代出来るのかもしれませんよね。
そしたら、そしたら、今ふと思いました。
国民の意見って、デモじゃないと伝えられないのですか?
今までは、他に手段がないから、デモをするしかなかったじゃないですか。だけど、こういうツールがあったら?
デモに行く人も、他の参加者が実は深いところではどう考えているか分からないことや、
デモに行かない人が、周りの人がどう考えているか分からないから考えられない、ということや、
今、他の国民の人の意見がどんな風に変わっているか実際に掴めるとか、
そういう一目で分からなくて疑心暗鬼になっていたところが解消されるのではないかなと。
そうなると、国民は受身ではなくなるはずです。
関係ない、とか、考えたくない、とかは言っていられなくなりますね。
勿論、ただ多数決任せで決めるわけではない、政治的意思決定は責任をとれる主体である人間が行うべきと考える、、、と書いてますね。安野さん。ホームページに書いてありました。
ちゃんと細かいところまで主張が開示されていたら、デモだって、参加しようと思う人は増えるのかもしれません。
行ってみれば分かることかもしれませんが、行ったことがないので、まだまだデモはベールに包まれているし、ベールに包まれているから、関わりたくないと避ける人もおられるのかもしれないなと思いました。
ただただ心の安寧を願って、日々の生活を淡々と送り、平和を紡いでいくことも大切なことです。
どちらか一方ではなく、考えることも、紡ぐことも、そして、周りの人、色んな人の想いや意見を知ることも、大切なことなのではないかなぁ。
そんなこんなをこのところ、感じ、考えていましたので、書いてみたところです。
こんなことを話して、意見でも違ったら、大変なことになる場合もあるのかもしれません、人によっては。だから、何とかと政治の話をご法度、って言われる所以でしょうね。
でも人の意見をフラットに聞く、知る、交換するって大事だと思っています。
秘めておかなくても、発信してみるということも良いのではないかと。
それが受け入れられないのなら、世界の平和だってあり得ないですよね😊
きらめきを綴るブログなのに、どこがきらめきやねん。そう思う方がいらっしゃったらすいません。
でも、時々こんな濃いものも出現します。
よろしかったらまた読みにいらしてくださいませ。