かれこれ3年近くになる。
月に2度ほど、某市の障がいを持つ子どもたちと、その保護者の為の運動の会に、ボランティアとして参加させていただいてから。
園児から小学生。
中学生から大人まで。と、年齢層は幅広く、
クラスは2つに分かれ、開かれている。
もう、何十年も続いている会で、小さな頃から通い、すでに40歳手前になる方たちもおられる。
保護者の願いを受けて、当時の学校の先生3人が有志として開かれてから、大勢の親子さんたちが、この会に参加し、体を動かし、動くことの楽しさを覚え、人と関わる喜びを見つけていかれたことだろう。
その時の先生方が、そのまま今でも指導者として、この会を支えてこられた。
教員としての激務を熟しながら、週末にボランティア同然でこの会を続けてこられたなんてことは並大抵のことではない。
そんな、大御所の先生たちも、みなさんすでに御年60歳を大きく越え、そろそろしんどいと仰るようになられた。
私は、この会が開かれている同じ市で療育施設の管理者と計画の責任者をしていた流れで、退職後、ボランティアとして後方支援として参加していた。
できれば、これから年齢を重ねるしかないこの先の為にも、体力を使わなくても良い方向へと舵は切りたかったが、神経の連携を促進させて発達を促すには運動は必須。アドバイスだけでなく、どうしても、運動の場にも身を置きたい、という思いも強かった。
私に出来ることといえば、やはり療育だと思うし、これまで身につけたことをこのまま埋もらせるしまうのも忍びなかった。
何より障がいを持った子どもたちが大好きだ、と、退職したことで、更に認識を強くした。
ところが個人で大きな体育館のような場所を借りるというのは、色々と制約があり難しさがある。
運動するには器具も必要だが、高額だ。
大人数でないとできないこともある。
そう考えると、この親と子の為の会というものは、貴重な場だと分かる。
何より私は体育館が大好きだ。
だから、そういう環境的に恵まれた場に参加できることは私にとって喜びでしかない。
やってくる様々なタイプの子どもたちに、率先してつき、補助したり、誘導したり、動きの個別指導をしたり、アドバイスしたり、安全基地になったりしながら一人一人に丁寧に関わっていると、それまでできていなかったことが、みるみるできるようになっていった。
それを先生方も、親御さんたちも、見て知って下さっていた。
ただ、この会は親子と学校の先生との交流の場でもある。保護者にとっては学校の先生に見てもらえるというところが大きな魅力でもあり、運営を継続していく上でも、市と連携していく為には重要で切っても切れない存在だ。なので、「指導者」には、これまで園を含めて教員免許を持って実際に市内の学校園に所属されている方しか入ることができなかった。
私は学校所属の教員ではないので、民間出として後方支援に徹していて、また、それが私の本分でもあるのだけれど、持っている運動のプログラムを活かすことができない点では残念に思っていた。
毎年総会の名簿を見るたび、複雑な想いが胸を過っていたが、それでも私はどうしても諦めることができないでいた。
私は今では、その会が開かれている市には住んでいない。
今住んでいる市町村で、教室を開いたりすることもできるだろうし、場所を借りる料金は今の場所の方がずっと低料金で、ニーズもあるだろう。
それならそれで、拠点を今住む土地に移してもいいのかもしれない。と思いかけていた。
なぜそれほどまでに、今まで前の土地に思い入れがあったかというと、それは、自分が子育てをしてきた場所であり、受けてきた恩恵を還元したいという思いで、これまで10数年活動してきた場所だからだ。
その土地にすむ子ども、保護者、学校の先生方に還元したいと強く思ったからこそ、今の仕事にたどり着いたのだから当然といえば当然。
私の奥底では、やはり今でもずっと、その会のある市が本拠地なのだ。
自分の教室(広い場所で)を持つことは難しいから諦めた方がいいか、、、と思う反面、心のどこかでは、
いつか、叶えばいいな。
いや、叶えてみせる。
そんな風に、心の中では遠い先を見つめながら信じることを諦めていなかった。
すると、転機は訪れた。
祈る気持ちが通じたのか。
この春から、指導者の一員となったのだ。
ここは、言ってみれば金銭的なことは別として、私にとっては本命だ。
だからこそ、売り込むのではなく、要望される形を望んで待っていた。
その願い通り、保護者の方々の方から「指導者に」と声をかけていただいたのだ。
ここ一番、という時にはじっくり準備だけしておいて、後は「時期」が来るのを待つ、ということを大切にしている。
ご縁というものは、あちらからやって来るもの。
その流れに乗り遅れないように、流れを読むことと、準備を怠らないこと、そして焦らず待つこと。それをしていれば、願いは叶うことが多い。
昨日は私が指導に立つ初日だった。
それまでも取り入れられていた動きに、視覚支援としてのプラカードを加えて、子どもたちに提示、説明したところ、発語のない園児から小学校高学年の子どもたちまで、はち切れんばかりの笑顔で応え、躍動感たっぷりで動いてくれた。
何十年も続いてきたこの会の歴史を大切に、少しでも長く、指導者の一員として、この市の障がいを持つ子どもとその親と一緒に活動し、発達の底上げに力を注いでいきたい。