月に一度、私が開いている会に参加してくれている男の子たち3人は、皆、この春から中学2年生になった。
地域の学校に通うお子さんもいれば、支援学校に通うお子さんもいる。
得手不得手こそ違うけれども、発達段階をトータルで見れば、みんな同じくらいのステージにいる。
比較的重い自閉症の特性を持つ子どもたちは、学校から戻ったら、そこから遊ぶ約束をして、自分たちで公園に行ったり、お互いの家を行き来して遊んだりすることは難しい。
他の子どもたちが味わっている、友達と遊ぶ楽しさや、ぶつかり合いながら成長する機会、共に育つ喜び、といったものを心の底から欲しながらも、得ることが叶わないまま育っていく。
お母さん方も同様に、我が子が迷惑をかけるのではないか、といった懸念から遠慮したり、悩みの内容が合わず理解を得られないという経験を重ねたりして、同学年のママ友の輪に入ることができず、孤独感を抱えておられることも多い。
それなら、似た特性を持つ子どもを持つ親子同士で遊ぶのなら良いかというと、そういうわけでもない。
子ども同士、お互いに関心があまりなかったり、片方が関心を持ちすぎて相手の負担になってしまうこともあるし、そもそも、子どもたちは母たちがゆっくり話す側にいて、「待つ」とか、「じっといる」とか、「一緒に遊ぶ」ということが難しい故に、落ち着くことがない。
だからこそ、その子どもたち一人一人とコンタクトを取ることができ、子ども同士の間を繋ぎ、関わりの持ち方を教えながら、適度な距離で見守ったり、親同士、遠慮なく話せるレールを引き、安心できる場の提供をする仲介者の役割が必要となる。
私はその役割をしながら、子ども達同士、親同士の横の繋がりを持つことができるよう、この会を開いているところがある。
この3人のお子さんのうち、お2人は小学1年生から数えて、もう8年目のお付き合いになる。お2人とも偏食が激しく、野菜、果物系は特に苦手だった。先日から続けて書いている🍓のショートケーキなどは、ご多分に漏れず、嫌いだった。
元の施設では、週の内に4、5日通ってきていたお子さんなどは、春になれば🍓、クリスマスになれば🍓のショートケーキ、というように、療育施設の中のおやつとして私が出すようにしていたので、4年生になる頃には、何ともいえない表情をしながらではあるけれど、偏食指導を受けていたので、お皿に出された🍓を残さず食べることができるようにはなっておられた。
勿論、わざと美味しい?とか、甘い?と聞いても、スルー。美味しいわけでもないし、甘いわけでもなかったのだろう。
もう一人のお子さんは、🍓については指導していなかったけれど、同じように通って来た日のおやつでは偏食指導を受けていた。
私は、この2人の様に、🍓のショートケーキが苦手なお子さんたちは他にもおられたのだけれど、「季節の旬の果物」としてとか、「誕生日」だから、とか、「クリスマス」だから、といった節目に出すことを辞めなかったのは、やはり、「🍓のショートケーキ」が「ハレの日」に出される可能性が高い食べ物だったから、という理由があった。
ハレの日に囲む食べ物は、別に🍓のショートケーキでなくてもいいのだけど、一つのシチュエーションとして、「ハレの日の🍓のショートケーキ」が背負っている役割があると考えていたのだった。
育ちの中で、誰かの誕生日の会に参加していて、みんなで🍓のショートケーキを囲みながらお祝いをする、という経験を積んでいった時に、子どもたちの中で形成されていく大切なものがある、というようなことだ。
何も🍓のショートケーキでなくても、チョコレートケーキやアイスケーキでもいいじゃないか。
という意見もあると思うけれど、チョコはチョコで圧倒的多数のお母さん方が子どもに提供されることに不快感を表されるし、アイスはお腹を壊しやすいお子さんがいることに配慮が必要だったりで、かえって提供しづらい面があった。
アレルギーのお子さんは例外で、食べられるものを用意する。
そんなこんなで、長年、自然と🍓や🍓のショートケーキが出る場面に立ち会い、みんなが嬉しそうに食べているのを見たり、「おめでとう」といったお祝いムードの中に身を置いて過ごすことで、段々と、
「相手の節目を祝う」という気持ちや、
「みんなで喜びを共有する」といった感覚を得ていくこととなる。
そして、そんな雰囲気の中に置かれている🍓のショートケーキという華やかな食べ物に対して、「ハレの象徴」であり、多くの「友達が喜んで食べるもの」、であるという概念が形成されていくことになる。
すると、🍓や🍓のショートケーキというものに対する見方というものが変化し、「みんなが食べているものを一緒に食べてみよう」という気持ちへと変化していくのである。
長年のこうした経験の中で、次第に誰かのお祝いの席では、出されたものを食べることができ、一緒に祝う心でその場に参加することができる、という立ち居振る舞いを身につけていくこととなる。
それこそが、私の狙いとしているものだった。
2人はこうした中で育ってきたお子さんたちだ。
今、私が開いている会では、毎回3種類のおやつを出している。
その中の1つは必ずみんなが苦手そうなものを入れている。2つ目は、あまり普段食べていない未経験なもの。3つ目は、みんなが好きなもの、をセレクトして出している。
先日、4月の会を開催した。
この時のおやつには、前前回書いた、イオンの🍓大福を出すことにチャレンジした。
おやつの時間になり、目の前のお皿の上に置かれた🍓大福を見て、子どもたちはテンションが下がり、固まっていた。
でも、誰も子どもたちには声をかけず、成り行きを会話しながら見守っていた。
1人は真っ先に口に入れ、悶絶していた。きっと「酸っぱい」のだろう。このお子さんは、嫌いなものから先に食べるということが身についている。
大抵、学校や療育施設では、初期の偏食指導では嫌いなものから先に口にし、ご褒美として好きな物を食べる、という順序で上手く誘導していることと思う。私はそうしている。
このお子さんは小学生の頃は私の療育には来ていなかったので、憶測だが、恐らくその様に学校やご家庭で教えられてきたのだろうと思う。
私の元に通っていた2人はというと、お互いの進捗状況をチラチラと気にして見ながら、隣の子が真っ先に食べたのを見て、1人は大福の周りから齧りだし、てっぺんの🍓を残して攻めていったが、最後に観念して🍓を口にしていた。
残る1人は、偏食指導していた頃は、やはり嫌いな物は最初に食べるように教えていたので身についていたが、嫌いなものも出されたらきちんと食べるようになってからは、自分の好きな順で食べていい段階になり、自由に食べるようになっていて、さて、今回はどうだろう?さすがに残すだろうか?と見ていたら、信頼性のある彼は、最後になったがしっかり🍓を食べ、完食となっていた。大福自体は好きだったようだ。
後の2人は、食べるときに、それぞれが他の2人がどうしているかキョロキョロと見て確認してから食べたところを見ると、他者に関心が低いと言われる自閉症を持ちながら、友達たちがどうしているか気にして確かめ、合わせた行動をしているのが分かる。
前置きしていたように、🍓のショートケーキを周りの子どもたちが喜んで食べているのを見ていく内に、段々と友達たちの気持ちを理解し、その気になってチャレンジしていった経験を持つ子どもたちだからこそ、隣の子が実際は嫌いだからだけれど、先に食べたのを見て、触発され、食べることを選んでいるのだ。
私の会では、自閉症という障がいを持つ子どもたちへの理解と配慮というものは充分にしながらも、子どもたちを私たちと何ら変わらない一人の人格をもった同じ存在として、大切なことを手渡すことを重要視して関わっている。
定型発達の子どもたちの様に、仲間と濃くて密接な関わり方はしないけれど、私の会の中で、刺激を受け合いながら、お互いを意識し、尊重して、心の底から欲していた「対等で安心できる友達づきあい」を手に入れ、毎回楽しそうにやってくるこの子どもたちを見ていると、本当に私は幸せだなと感じる。