きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

五月晴れの空の下。急激退行の回復期〜ダウン症

予報ではこれから数日気温が上がり、20度後半にもなるという。

昨日はいつも参加している障がいを持つ子どもと保護者の運動の会のイベントで、野外で飯盒炊さんするというものに行ってきた。

結構な人数になるので、飯盒や米やザルや鍋やと用意し、スケジュールを作り、経費の計算をして予行練習までされた保護者の役員の方々は準備が大変だったことと思う。

私は当日、米研ぎチームに加わり、子どもたちが米を研ぎ、水を入れ替えする時の補助係や、子どもたちが敷地内から出てしまわないようにとか、遊具で危険がないように安全を見守ることや、子どもたち一人ひとりの様子を見て、必要な介入をすることを請け負っていた。

朝の9時半ごろからスタートしたが、空はすこぶる気持ちのいい青空が広がり、山のふもとの施設で行っているため、日陰もあって快適だった。

私はアウトドア派に思われがちだけれど、以外とインドア派。汗かきなので、なるべくかかない活動が好きだ。なのに、仕事は汗をかくものばかりという、この矛盾。

そんな私にとって、五月晴れともいえる爽快な風が吹くこの日は、目立つほど汗をかくこともなく、とても助かった。

 

子どもたちは野外活動とあって、元気いっぱいだ。

園児から大人になった利用者までいるため、遊びは分散されてしまうが、発達障がいだからといって、集団が嫌いかと言うと、そうでもなく、長年一緒に活動してきた仲間とは、和気あいあいと遊ぶことができる。

この日、子どもたちが、なるべく主体的に火の当番をしたり米を炊いたりすることに携わることを目的としつつ、手が空いた自由時間には自由に遊んでも良く、小中混ざったグループは、階段で「グリコ」をして盛り上がっていた。

「グリコ」とは、じゃんけんをしてグーで勝ったらグリコの3歩、パーで勝ったらパイナップルの6歩、チョキで勝ったらチョコレートの6歩進めるという昔からある遊びだ。

このグリコをして階段を上がったり下ったりする子どもたちを、うっとりとした表情で階段下から見上げる人がいた。何ともいえない憧れの様な表情で見上げている。

すぐにそれは、このグリコをしている子どもたちの輪に入り、自分も遊びたい気持ちからだと分かった。

ダウン症のその人は、入りたいけど気兼ねして自分からは入りたいとアピールすることはできずにいる。

私はそっと近寄り、「私と一緒にグリコしよう」とじゃんけんを始める素振りをしたら、ノリノリでノってくれ、すぐ始めることができた。

それからじわじわとグリコをしている子どもたちに近寄っていき、「私と〇〇ちゃんも、グリコに入れて」と言いかけた時、子どもたちも気づき、「〇〇ちゃん、グリコする?わぁい、しよう、しよう♪おいで〜」と口々に言って招き入れてくれた。

1人では階段を上り下りしながら振り返ってじゃんけんをしたり、勝敗を確認して歩数を考え数えることは難しいので、私が介助として一緒に動く。

こうして階段を上って下りてと一往復分、みんなと楽しくグリコができて、その人は本当に喜んでくれて、ハイタッチしながらその気持ちを分け合った。

炊きあがったご飯を分け、各々持ち寄ったカレーなんかをかけて食べながら、先に食べ終わった人から自由に行動している中、先ほどの人は広場の中央の日が差し込む場所に立ち、空を見上げているいた。

日の光がその人に降り注ぎ、その恍惚とした表情や姿がキラキラと光輝いてみえた。

「なんと綺麗な」

と、私はその様子を見て、うっとりしていた。

このところ、その人は言葉を発することがなくなっていた。活発にお話してくれていたのに、それが聞けなくなっていた。お母さんと、私は、それを共に心配していた。

 

次のスケジュールまで時間が空いたので、希望者は隣の施設まで散歩に出ることになった。

道のりには結構急な坂道や階段もあり、私でもしんどいなと思いながら歩いていたが、もう1人、別のダウン症の方も保護者と共に来ていて、この坂道をがんばって上っていて感心した。さすが、若いなと思った。

隣の施設までの道のりは、しんどいけれど、緑の美しい遊歩道で、気持ちがすぅーっとする。隣の施設には温室もあり、小規模ながらとても雰囲気の良いもので、センスよく植物が配置されていた。

庭には人工的な池があり、メダカや赤や白の大きな鯉も泳いでいた。

その鯉たちを見て、私は

「きれ〜ねぇ〜」

と言った。

そしてまた先ほどの遊歩道に出て元の場所に戻ろうと歩き出した時だった。

「きれ〜ねぇ〜」と私が言った言葉と同じトーンと間合いで、その人が声を発した。

ん?とその時は流したが、暫くすると再び同じトーンで、「きれ〜ねぇ〜」と聞こえる声を発した。

後方にいるその人の方を振り向くと、楽しそうに口が広がりニカっと笑っていたが、目が合うとサッと表情が戻った。

また暫く歩いていると、また後ろのその人から

「わぁ〜〜」

っと、大きな伸びやかな声が聞こえてきた。

振り向くとまたサッと表情が戻る。

でも今度は私の方からその人に向けて、しっかりと手を降った。こちらをジッと見つめている。

ただそれだけのことだった。

道中一度だけ、

「お茶、飲む」

とその人からお母さんに言葉が発せられた。

お母さんは淡々とはいはい、とお茶を差し出された。

ただ、それだけ。

 

でも、この、「ただそれだけ」の出来事に、非常に貴重で重い意味が含まれていた。

その人には聞こえない小さな声で、お母さんに伺った。

「この数年で、家ではさっきの様にしたいことのアピールを言葉で発しておられましたか?」と。

「全くなかった」

というお返事だった。

 

実はこのダウン症の人は、数年間言葉を失っておられた。出逢った時、すでに表情も失っておられた。お母様のお悩みは相当に深いものだっただろうと察する。

ダウン症の方の中には、成年期になり、急激に言葉、表情、動きがまるで後退するかのように減退、消失してしまうことがある。それまで朗らかで、笑顔が可愛らしく、楽しいことが大好きで、ダンスなどのリズムに乗って体を動かすことが好きだったのに、これらがまるで失ったかのように消えてしまうのだ。

これを、急激退行と呼ぶ。

原因は、一つではなく複数考えられている。

甲状腺機能の低下や脳波の異常がないかなど、医療的な検査、アプローチをしても原因がない場合、心理的な要因が検討される。

その一つは鬱である。

成人期といえば、それまでの学生としての環境から、就職、就労へと大きく環境が変わる時期へと移行する頃だ。

友達たちとワイワイ遊んだり学んだり賑やかで楽しい日々を送っていたからこそ、「大人」として就労し、働くことで対価を得る生活を送る毎日に適応するということに大きな心理的負荷がかかってしまうのだろうと思う。「嬉しい」「楽しみ」「喜び」といった面が生活からごっそりと抜けてしまうからかもしれない。

就労にはあまり長期休暇もないそうだ。生活のペースを守り、パニックを起こさなくていい環境の整備は、ご本人の為のみならず、ご家族の為でもある。

ただ、私たちでも大人になって環境が180度変わってしまうことに心身ともに追いつかず変調を来すことがあるのに対して、ダウン症の方々は、その自分の変調を自分自身がキャッチすること、言葉にして考えること、それを第三者に伝えること、に困難を抱えていることが多い。

絵を指し示す、サインやジェスチャーで伝える、文字に書く、断片的だけれど言葉で表す、という手段を普段から構築できていれば、まだ普段から小出しでも他者に発信し理解してもらうことができるかもしれないが、それでも大人になり、多感で心の機微が増えている年齢の心がキャッチする複雑さを的確に表せて分かってもらえ、望むような環境を得るというのは、かなり難しく可能性としては低いのが現状なのかもしれない。

多くは、就労で自分に充てがわれる仕事が難しすぎる、簡単すぎる、飽きてしまう、面白みを感じられない、といったことが悩みになりやすいようだ。

私事として考えてみた時、自分の世界から光が全く失われた時、言葉も表情も動くことさえ消えてしまうのは同じだと思う。

その時に、自分の気持ちを話せる人も機会も手段もなければ、そこにあるのは絶望だろう。

その絶望を、ダウン症の成人期に入った人たちが感じ、体調を崩し、停滞している。

そう考えた時、それが障がいを持っているから、とか、知的な困難さを抱えているから、とか、そういったことは関係がなく、同じ心を持った人たちとして、心配になるし、なんとかその塞いだ心に小さくてもいいから光が当たるように心傾けたい、と思う。

私ができることは少ないかもしれないが、月に2度会う時に、運動を通して、どれくらい彼ら彼女らにこちらの心を届けられるか。

そんなことをこの3年近く考えながらやってきている。

「きれ〜ね〜」といったトーンの声を発した人は、その3年という間、長い暗いトンネルを歩いてきたのだと思う。それがここ数ヶ月の間に、失っていた表情に笑みが見え、動きが増え、その挙句に声が聞こえだすようになったのだ。

ボール活動が好きだそうで、そのボール活動をしていた時だった。ボールが来るたびにその人に回し、触れる機会を増やし、上手くいけば、ハイタッチをして喜びを共有した。その時が私が初めてその人の笑みを見た瞬間だった。

そこから数ヶ月かけて、昨日の様に大きな発声を聞くまでとなる。

お母さんも、私も、その声を背中で聞きながら淡々と前を向き、歩を進める。しかし、心の中は驚きと感動と喜びでいっぱいだったはすだ。噛みしめるといった風に。

この瞬間をお母さんと共有できたことが密かな私の喜びでもある。

急激退行は、その退行という言葉から、元に戻らないような印象を与えるが、この人のケースから考えても、決して望みがないわけではないのだと思う。

できれば、早期。あれ?なんだか言葉が聞かれなくなったぞ?なんか表情が乏しくない?動きが緩慢なんだけど?気のせいか食欲がないなぁ。そう感じた時に、無理に励ますとかではなく、何か心配があるのか、気が進まないことがないか、不安やストレスが隠れていないか、今の仕事は適切か、喜びがあるか、と気にかけてあげることが大切になる。

表現する方法を早く見つけてあげて、感じていることを理解し、環境を見直すことや相談をすることを開始することが重要になる。

言ってみれば、私たちが重度の鬱になる前に、手を打つ方が改善が早いのと同じだ。

何も感じていないのではなく、何も分からないわけではない。

表からは見えづらくても、内面では深く傷ついたり、落胆したり、悲しんだり、自信を失っていたりする。

その状態のまま何年も何十年も、働き続けるしかないのは酷ともいえる。

だからこそ、大切なのは、余暇なのだろう。

仕事から帰ってからや、休日に、どれくらいその人が主体で楽しみや喜びを感じる活動を持っているか。心通わせられる人々との関係を持っているか。

ゲームやYouTubeの動画だけではいけない。

人と人との関係がダウン症の人々にも必要だ。

地域の小学校や中学校で育ってきた自閉症やダウン症の人ほど、より強く人との関係性を欲するように思う。人と交わることの喜びを学んでいるからなのだろう。

 

五月晴れの爽やかな空と空気の下で、塞いでいた2人のダウン症の人たちが、心動かし、明るくて美しい変化を見せてくれたことがそれを物語っていた。