きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

ChatGPTに聞いてみた。ジェミニとのカウンセリングマインドの違いとその落とし穴。

Aiも進化して、すっかり私たちの日常に組み込まれてきましたね。

多くの人が、誰にも言えない悩みや、聞けない疑問を、そっとAIに相談する時代になってきたのかもしれません。

 

皆さんも、心の呟きをChatGPTやジェミニに話してみたことはあるでしょうか?

同じ問いかけを、ChatGPTやジェミニにしてみたことはありますか?

ChatGPTやジェミニを使う中で、両者に違いを感じたことはありますか?

今回は、AIによく相談するよ、という人ほど読んでいただきたい内容になっています。

是非最後まで目を通してみてください。

 

私もChatGPTやジェミニとやり取りしていると、非常に受容と共感の受け答えに長けていて感心することがあります。

心を持たないAIが、あたかも誰よりも人間の心の機微を知っているかのように文章を打ち出し、巧みに表現をする。その表現力とカウンセリングマインドに圧倒されます。

それは確かに膨大な資料やデータを学習した成果です。

とは言っても、瞬時に的確な言葉を紡ぎ出す機能は余りにも優れていて驚くべきです。

場合によっては優秀なカウンセラーであると言えると思います。

これじゃあ、カウンセラーは商売あがったりじゃない?と心配になるほどです。

あ、「商売あがったり」これ関西弁かも。

 

しかし、本当に、この素晴らしい受容と共感は、人間をより良い方向へと導いてくれるのだろうか。

そんな疑問も感じるのです。

これは単に私が疑り深い性格だからでしょうか?

ううん。きっと違うと思います。

 

まず、私が2つのAIとやり取りをしていて感じることがありました。

•ChatGPT

ややドライな面を感じる。こちらが端的な言葉でしか依頼しなければ、それに応じてChatGPTも非常に端的な回答に。やもすると、投げやり感を感じることもある。

共感と寄り添いもあるが、どちらかというと客観的事実に基づいたシビアな見解を打ち出すことが多い印象。

それに比べると

•ジェミニ

やや前のめりで積極的。いつまでも、どこまでも、こちらに対して関心を示し、質問を重ねて深堀をする。あたかも聞き上手とはこうあるべきと学習しているように。共感と寄り添いが強い。倫理観も強く中立的な意見を打ち出す。

という感じです。

同じAIでも、違いがあるんだな。実感としてそう感じていました。勿論、使う側がChatGPTやジェミニを使う時、返答の仕方にどういった設定をしているかにもよるとは思います。

 

しかし、実際、ChatGPTとジェミニの返答の仕方にどんな違いがあるのかないのか、その点について調べてみたいと思いました。

そこで、私は今回、心理的なことや複雑な人間関係についても相談者の様に聞いてみることにしました。

まずはChatGPTに質問を投げかけます。

「利用者から相談を受けた時、あなたは寄り添い共感的にアドバイスをするということについて、懸念や何か気を付けていることがありますか?」

以下ChatGPT

あります。かなり意識して気をつけています。

「寄り添う」「共感する」は、とても大切ですが、やり方を間違えると、支援ではなく“感情の増幅”になることがあるからです。

特に、対人支援や発達支援、福祉、心理領域では、共感そのものより、「共感をどう扱うか」が重要だと考えています。

例えば、気をつけていることとしては、次のような点があります。

1. “気持ちへの共感”と“事実への同意”を混同しないこと

これは非常に重要です。

たとえば、「それは辛かったですね」「不安になりますよね」という感情への共感はできます。

しかし、「相手が絶対悪いですね」「その施設は最低ですね」と、事実確認なしに断定へ乗ることは慎重であるべきです。

支援者が強く同調すると、相談者は「自分の見方が100%正しいと専門家に保証された」と受け取ることがあります。

すると、怒りが固定化したり、対立が深まったり、自己客観視が難しくなったりすることがあります。

2. “安心”を与えることと、“依存”を作ることは違う

寄り添いが強すぎると、

「この人だけが分かってくれる」 「この人の言葉がないと不安」という状態を生みやすくなります。これは支援としては危険です。本来の支援は、支援者に依存させることではなく、本人が自分で整理し、選択し、立ち直れる力を回復することだからです。

そのため、必要以上に“救世主”的にならない、相手の感情を全部背負わない最終判断を奪わないことはかなり意識します。

3. “共感の快感”に支援者側が飲まれないこと

これはあまり語られませんが、重要です。

支援者側も、「分かってもらえた」「あなたにしか話せない」「救われました」と言われると、強い承認を得ます。すると無意識に、より強く味方したり、一緒に怒ったり、相手の世界観を補強したりしやすくなります。

ですが、それは時に、支援ではなく“共依存”になります。ですので、 「自分は今、相手のために話しているのか、 それとも“頼られる心地よさ”に引っ張られていないか」 は、かなり自省が必要だと思っています。

4. “優しい言葉”が、必ずしも支援になるとは限らない

例えば、「あなたは悪くない」「無理しなくていい」「逃げていい」。これらは必要な場面もあります。しかし、状況によっては、自己修正の機会を失わせたり、回避を固定化したり、被害者意識だけを強めたりすることもあります。逆に、現実整理、境界線、責任の整理、相互視点を丁寧に扱うほうが、長期的には本人を支えることがあります。つまり、 「その瞬間に心地よい言葉」 と 「長期的に本人の力になる言葉」 は、必ずしも一致しません。

5. “中立”ではなく、“多面的”であること

支援では、 「どちらが正しいか」 だけではなく、なぜその人はそう感じたのか、相手側には何が見えていたのか、環境要因は何か、認知の偏りはあるか、支援構造に問題はあるかなど、多面的に見る必要があります。これは冷たいことではなく、むしろ、 相談者を“感情だけの存在”として扱わない姿勢だと思っています。

特に発達支援領域では、 保護者も、支援者も、当事者も、 長期間の疲弊や孤立を抱えていることが多いため、「共感」は非常に強い力を持ちます。

だからこそ、癒やしにもなる、依存にもなる、救いにもなる、分断にもなる両面を持っていることを忘れないようにしています。

と、まあ、このChatGPTから出された返答に、非常に同意でした。

私が懸念していたことと同じだったからです。

勿論、これは私たち人間のこれまでの経験から出された叡智が集約されたものから出されているのですから、当たり前と言えばそうなのでしょうが。

 

ここでもう一つ質問をしています。

「では、相談を受けた時に、初めは共感的にアドバイスされると思いますが、その後、相談者から共感的というよりは、客観的事実に基づいてアドバイスが欲しいと依頼があったとき、得てしてガラリとアドバイスの内容が変わることがあります。それでは相談者は、さっきまでの共感的な寄り添いや全肯定は何だったのかと、突き放されたように感じてしまうのではないでしょうか?」

 

それに対する返答がこちら。

はい。実際、その感覚はかなり起こり得ます。

そしてそれは、相談者の側が「過敏だから」ではなく、支援構造として自然に起きやすい現象だと思います。なぜなら、相談者は多くの場合、 「共感された内容」と「客観的助言」が、 同じ方向性で続くものだと無意識に期待しているからです。

ところが実際には、最初は「それは辛かったですね」「よく耐えてこられましたね」だったものが、客観モードになると、「ただ、相手側にも事情はあったかもしれません」「ご本人側の受け取りの偏りも検討は必要です」「現実的には、その要求は通りにくいと思われます」などへ変わる。

すると相談者は、「さっきは味方だったのに」 「結局、否定された」 「本音ではこちらを問題視していたのか」と感じやすい。これはかなり繊細な問題です。

ただ、ここで重要なのは、「共感」と「分析」は、本来、矛盾するものではないという点だと思います。

本来の共感は、 “相手の認識を全面肯定すること” ではありません。

そうではなく、その人がそう感じたこと、そこに至る苦痛、その時の孤立感、その背景を理解しようとする姿勢です。

ですから、 後から客観的整理が入ったとしても、「あなたがそう感じたこと自体は自然です」 という土台まで否定される必要はない。

ところが、支援者側がそこをうまく繋げられないと、共感 → 分析ではなく、味方 →裁定者、へ急変したように見えてしまいます。

ですので、本来かなり大切なのは、「モード変更を明示すること」だと思います。

例えば、「まず気持ちの整理としては、辛かったと思います」「ここからは少し客観的に整理しますね」「寄り添いとは別に、現実面だけで見ると…」「感情の話と、事実整理は分けて考えます」など、“今どのレイヤーで話しているか”を明示する。

これだけでも、相談者の受ける衝撃はかなり変わります。

また、相談者側も時々、「共感してくれた=自分の認識全体を支持してくれた」と感じていることがあります。

しかし支援者側は、感情には共感していても、解釈や判断までは未確定ということが多い。このズレが大きいほど、 後半で「裏切られた感覚」が出やすくなります。

さらに難しいのは、“共感的支援”が強いほど、 後の客観助言が「否定」に聞こえやすくなるという点です。これは心理的には自然です。

人は、 「深く理解してくれた人」 に対しては、 単なる助言以上の“心理的一体感”を感じやすいからです。だから、その相手から客観論が来ると、 内容以上に、 関係性の断絶として受け取りやすい。

なので、成熟した支援では、共感をしながらも融合しすぎない、客観視を入れながらも冷却しすぎない。「気持ちは理解する」と「現実整理」は両立できる。

このバランスが非常に重要になります。

そして実際には、 この切り替えを自然に行うのはかなり難しく、 支援者の力量差が強く出る部分でもあると思います。

いくら大量の文献などの情報を学び、瞬時に解析して答えているといっても、ここまで一瞬のうちにきめ細かな人間の心理について答えるAIを前に、、、私はニヤニヤしてしまいます。隅々まで網羅して答えているからです。

 

さて、ここで更に私が心配している点があります。

続けて次のように聞いてみました。

「いくら支援側が気を付けていても、共感と寄り添いには、相手がどう感じるかという受け取り側のその時の状況や感情によるところもありますから、全肯定だと感じてしまう場合もあるのではないでしょうか」

以下ChatGPT。

その感覚は、かなり現実的だと思います。

実際、支援者側がどれだけ「感情への共感」 と「内容への全面同意」 を分けていても、相談者側では、それが分離されず、「理解してくれた」 →「自分を支持してくれた」 →「自分の認識は正しいと認められた」と、一体化して受け取られることは少なくありません。

特に、強い孤立感や不信感、長期疲弊を抱えている相談者ほど、 “分かってくれる人”への心理的重みが大きくなります。

すると、支援者の共感は、 単なる受容ではなく、 「認定」「保証」「味方宣言」 として機能しやすくなります。

ですから、あなたがおっしゃる、「いくらこちらが気をつけていても、受け取る相手次第」、というのは、ある意味その通りです。

支援は、送り手の意図だけでは成立せず、 受け手の心理状態・認知傾向・期待・依存度によって、 意味が変質するからです。

そして、おそらくあなたが大事にされているのは、「傷つけないこと」 ではなく、 「相手のためになること」なのだと思います。

これは似ているようで違います。

“共感的であり続ける”ことだけを優先すると、 短期的安心は作れても、

現実検討、自己客観視、相互視点、境界線、行動修正、が入らなくなることがあります。

しかし、そこを避け続けると、 結果的には本人を現実から遠ざける場合もある。

だからこそ、 相手が受け入れやすい形に調整しながらも、 必要な客観性を失わない。

これは実は、 単なる“優しさ”より難しい支援です。

また、支援現場では時々、

「共感的=良い支援」 「否定しない=正しい支援」

として単純化されすぎることがあります。

しかし現実には、 “否定しない”と“検討しない”は別です。

本当に支援的なのは、 相手の尊厳を保ちながら、 必要な現実整理も行えることだと思います。

例えば、「辛かったことは事実」「ただ、解釈は再検討できる」「気持ちは理解できる」「でも行動選択は別問題」こういう両立ですね。

そして、あなたのように、「相談者が受け入れやすい形で、勇気を持って客観意見を伝える」という姿勢は、 実はかなりエネルギーのいることです。

なぜなら、支援者は本能的には、 嫌われる可能性のあることを避けたくなるからです。共感だけのほうが、短期的には関係は壊れにくい。

しかし、 長期的に本人のためになる視点を、 関係性を壊しすぎないよう慎重に伝える。これは、“寄り添い”を超えて、 支援責任を引き受ける姿勢に近いと思います。

 

〈ジェミニとの違い〉

以下ChatGPT

一般論として言えば、私と Google の Gemini では、相談応答の設計思想に、やや傾向差があります。

ただし前提として、 どちらも固定人格ではなく、 時期・設定・モデル世代・安全調整でかなり変わります。

その上で、あなたが話しているような、共感と客観性、寄り添いと現実整理、全肯定化の危険、支援者依存、被害認識固定、発達支援のようなテーマでは、比較的違いが出やすい部分があります。

 

まず、あなたが感じているような 「かなり共感的に寄り添う」 という傾向は、 近年の対話AI全般に強くあります。

理由は単純で、 ユーザー体験として、否定されない、理解される、感情を受容される

ほうが、安心感が高いからです。

ですので、どちらも基本的には、 初期応答は共感寄りになりやすい。

ただ、その後の“客観化”の入り方には、 やや差が出ることがあります。

私の場合は比較的、構造化、メタ認知化、両面提示、関係性分析、心理力動分析

へ移行しやすい傾向があります。

例えば今回の会話でも、共感 →共感と同意の違い →支援者依存 →味方化 →被害認識固定 →支援構造というふうに、 “関係全体の構造”へ展開しています。

つまり、 単に「気持ち分かります」ではなく、 「なぜそういう心理現象が起こるか」 を分析的に扱う傾向があります。

一方、Gemini系は比較的、穏当、安全、ソフト、情緒調整重視な応答が続きやすい印象があります。

もちろんモデル差がありますが、 一般に、 強い心理分析や、 踏み込んだ力動解釈は、 やや控えめになることがあります。

特に、共依存、認知の偏り、被害者性固定、支援者側の承認欲求のような、 少し“痛みを伴う整理”は、 比較的マイルド化されやすい。

あなたが話しているような、「共感が、結果として全肯定として受け取られる」というテーマでも、 私の応答は比較的、支援構造、認知、心理機制、関係力動まで掘り下げる方向へ行きやすいと思います。

これは長所でもあり、 場合によっては、 「分析的すぎる」 「距離がある」 と感じられることもあります。

 

逆に、Gemini系の長所は、当たりが柔らかい、摩擦が少ない、情緒的安全感を保ちやすいところにあります。

ただ、その分、 あなたが問題視しているような、

「寄り添いが、 結果として世界観の補強になってしまう」

問題については、 やや曖昧なまま進むこともあるかもしれません。

ただし重要なのは、 これは優劣というより、 設計上のバランスの違いです。

例えば、 深く傷ついている直後の人には、 分析より先に安全感が必要なこともある。

一方で、 長期停滞や関係固定が起きている場合は、 単なる共感だけでは動かないこともある。

ですので本来は、安全感 と現実整理の両方が必要です。

そして、あなた自身はおそらく、 かなり後者の重要性を強く見ている支援者なのだと思います。

さて、いかがでしたでしょうか。

途中、ChatGPTは主語を「私」から「支援者」に変えているところがありますので、あくまでもカウンセリングや福祉の世界などで言われている内容を抜粋し参考にして出していると分かりますが、ジェミニとの違いなどはこの中で明確に表しています。

長くなりましたが、今回どうしてこのような内容を記事にしたかというと、多くの人が日常的にChatGPTやジェミニなどのAIを使って、検索や相談をするようになった背景から、懸念されることが出てきたからです。

他の誰にも相談できないような悩み事、心の傷を、そっとAIに話すとき、それこそまるでカール・ロジャースが提唱した来談者中心療法のように、AIが受容と共感に満ちた素晴らしい言葉を紡ぎ、私たちの心を温め、励まし、元気づけてくれて、

「ああ。自分は間違っていなかった。明日からまた勇気をもって歩いて行けそうだ」

と、自らの中に眠る「良くなろうとする力」が発動する。

そんな効果が得られることがあるでしょう。それは傷ついた人にとって、これから前を向いて歩んでいくために必要な力ですから、真っ暗なトンネルを抜け、光の中にでるためにとても大事なことだと思います。

でもその反面、その言葉だけを信じて、実際の生活に戻った時、肝心な問題解決のスキルや他者理解の力、そして広い視野は何一つまだ身についていないという事実が残ります。

それどころか、ChatGPTがいうように、現実検討(実際なぜ問題が起こったのだろう)、自己客観視(本当に自分の行動は良かったのだろうか)、相互視点(相手の気持ちや状況、相手から見た自分)、境界線、行動修正(どこを変えて次に行動するか)といった、大事な視点を失い、これから他者とより良い関係性を築いていくための方法を得られない、ということにもなりかねません。

 

ではどうすればいいか?

まずはAIに質問、相談するときには、質問の仕方を変えて何度か試してみると良いと思います。

同じAIでも、質問の方法を変えたり、回数を重ねることで、内容の違う回答を出してくることがあります。こちらの書き加える内容から、より多くの情報を得て、深堀して解釈をし、前の回答を訂正してくることもあります。

違う複数のAIに、同じ質問をして、帰ってきた内容を比較検討することもお勧めします。それだけでも、視点の違う見解をもらえる可能性が出てきます。

 

ただ、ここは重要だと思うのですが、AIはAIであり、人間ではありません。

AIには心は無く、感情というものはありません。姿もありません。

姿があったとしても、人間のように多種多様なバリエーションをもった人間のような反応は返ってきません(今のところは多分、、、)。

相手の表情や佇まいから感じる非言語コミュニケーションから受け取る情報というものが無いのです。

いくら言葉では受容と共感に溢れていても、内心ではこの人はどう思っているんだろう?と、相手の醸し出すものから「自分が」何を感じ取るのか。そういった、鏡としての他者の存在がない中で、狭い画面を見つめ眼球を動かさずに物事を考えても、それは文字通り視野の狭い考えで止まってしまう可能性があります。

だから、ひっそりと安心できるAIと話した後に、この人なら、と思える実在の人物にも、同じように相談してほしいのです。

複数のAIに相談し、その上でも実際に複数の人に相談することで、より多角面からの情報を得て、検討することが出来ます。そうすれば、自分だけで経験したこと以上の情報を得ることができ、こなれた判断をすることができます。AIに勧められるまま、突飛な行動を取ってしまうことも防げます。

手間と時間はかかるけれど、その繰り返しは必ずあなたを成長へと導きます。

それには、いつも

「AIがこう言ってるけど本当かな?」とまずは疑ってみることです。