きらめき 綴り

困難を抱えた子どもたちと、日々格闘しています。その中での心の煌めきを大切にしています。

朝日さん、おはよう。

気がつけばすっかり夜は明け、6時半を過ぎていた。

しまった。

タツで寝てしまった。

コタツムリだ。

冬にコタツムリになるようになってから5年余り。

今年はコタツムリにならないゾ!と決意した矢先だった。

 

今日は朝焼けを見逃してしまったなあ・・・。

そう思っていたのに、しばらくしてからふと窓を見ると、

いつも見る朝焼けよりも高いところに浮かぶ雲がなぜか、

うっすらとオレンジがかっている。

 

6時54分。

あぁ、昇ってきた朝日が、雲を下から照らしてるのね、きっと。

よく見れば、光芒が見えますね。

私、この光の筋が大好きです。

上の雲は下部が、下の雲は上部が、うっすら照らされ、輝いています。

なんだか心洗われます。

 

 

その15分後。

朝陽が昇ってきて、部屋を覗き、「おはよう」って言っています。

 

(同じ太陽の光も、条件によって見せてくれる姿が変わりますね。)

穏やかな、いい一日になる予感がします✨

 

 

ジャニーズ問題と同じ轍を踏んでいるゲーム問題。

ジャニーズ問題(旧というべきか)が、にわかに噴出してから、日本には、いろいろな功罪があるもんだなぁ、と今更ながら実感した。

 

日本の問題の傾向が色濃く出たし、「その時」が来てしまえば、覆すことなど絶対に無い、出来ない、と思うようなことでも、どんなに断腸の思いでも、あっという間にひっくり返り、長く続いた歴史でさえも消え去ってしまうということが分かった学び多い問題だったと思っている。

ここで、「日本の問題の傾向」と書いたのは、こういったことがジャニーズだけに収まらないよね、と思っているからである。

それに今、私たちは気がつかないといけないのではないか?気がつかないと、同じ轍を踏んでしまうのではないか?いや、もう踏んでいるのかも、と危惧していることがある。

 

その同じ轍を既に踏んでいるのでは?というのは何かというと、ゲーム問題だ。

「ゲーム問題」というだけで、ムクムクと反発の気持ちが湧き上がる方達もおられるのではないかと予測する。

冷静にこの記事を読むことは難しいと思う。

いや、自分は冷静に読むことくらいできる!という方や、この問題に強く関心を持っている!という方、殊更に子供たちを大切に思い、真剣に考えている方は、特に、是非最後まで読んでみていただきたい。考えるのはそれから。

 

 

ジャニーズが無くなると聞いた時、この問題が今の時代、決して許される問題ではないと重々承知していても、心はそれを受け入れがたく、なんともやるせない気持ちに私もなったし、恐らく大勢の人達も同じ思いだったのではないか?と思う。

SMAPは国民的アイドルだった。嵐、KinKi Kids関ジャニ∞SixTONES、、、挙げればキリがないほどたくさんのグループがいて、TV画面を華やかにし、長い年月私たち老若男女を楽しませてくれた。不景気でも、ジャニーズが明るく世の中を照らしてくれていた。ジャニーズの無い世の中なんて、クリープのない珈琲のようだ(この言い回しが分かる方は恐らく50歳以上)、と言っても過言ではなかっただろう。

 

もう皆さんがご存知の通り、この問題は昔からチラホラ世間で漂っていた。一般人にとっては風の噂の域を出なかったけれど、なんとなく「知っていた」ことになると思う。

芸能界なら尚更に、今ご意見番と言われる方達が次々「知っていた」と表明しているから、暗黙の了解だったのだろう。

 

なのに、今になって、世界ではタブーと言われる問題だと急展開を迎え、断罪されることになったのは何故なのか?考えてみると、それはご本人が亡くなったこと、そして声をあげる当事者の方々が出てきたということが大きい。

 

ご本人がいる時は、もはや明るみに出ているように、業界ジャニーズへの忖度が存在していた。その当時なら、当事者が声をあげたとしても、もみ消されていたということのようだ。

ならばそれは業界にとって利益が大きく絡む問題だった、ということになる。

そこで働くアイドルの方々も、自分にとって大変な不利益があっても、売れればそれを上回る事(夢が叶う)があると、ひたすらにその夢を追いかけた点で、利益があった、ということになるのだろうか(そんな風に言いたくないけれど)。

世の中の多くの人々も、自分たちの心に煌めき、ワクワク、時に生き甲斐をくれるジャニーズのアイドルたちは、生活に、人生に、無くてはならないものになっていた。その点で、やはり利益があったことは間違いない。

そして、その三者(企業、国民、当事者)を取り巻く巨額のお金

日本にとって、ジャニーズは大きな経済効果をもたらしていた。

 

長年その三者の均衡は保たれてきたけれど、ご本人が亡くなったことと、時代の流れによって、その均衡は崩れることになった。

沈黙を貫いてきた当事者の方達が、声をあげたことによって、まずは世界が注目し始め、この問題はもはやスルーすることも、寛容な態度を示すことも難しくなった。

昨日までは味方だったのに、今日は突然敵になったような変わり身の速さ。

そこから分かることは、今の日本の動きは決して倫理観からのものではないということ。では何のためか?保身の為ではなかろうか?

 

本当にこの問題はスルーしてはいけない問題だと認識し、実態を知り、当事者のことを思っていれば、もっともっと早くジャニーズは断罪されて、今日と同じ流れを辿っていたはずだろう。

 

皆んな知っていたのに、不利益は全て当事者だけに背負わせて、自分たちの利益の為に黙っていたということになる。

 

日本は、そういう国だったのか、、、。と、愕然とする。

 

では、他にこれと同じような問題はないだろうか?

 

考えてみれば、女性の立場からすると、目を背けたい様ないかがわしい雑誌が公然とコンビニで売られている。子供たちの目にも入るのに。

街では風俗店もオープンにあることや、路上でお酒を飲むことも咎められないことを海外から来た人たちが驚いていた。

 

それによって不利益を被る人がいるにも関わらず、それらは大きく規制を受けていない。

何故なのか?

企業は勿論、私たち国民の一部にとっても利益があるからだろうと思う。不利益の部分は女性や子供に多く影響を与えているのに。

不利益を受ける人があると分かっていても、利益のある人たちの圧によって、そして企業への忖度によって、言ってみれば問題はスルーされているのではないだろうか?

 

この構図をゲームで考えてみるとどうだろう?

私は療育を仕事としていることから、子どもたちと多く接してきている。子どもたちの生活の中での困り事について、保護者と子どもの両方から悩みを聞く機会も多い。私自身の子育ての経験も絡めて、最低でもここ25年ほどの移り変わりを見てきている。

某ゲーム会社から初めてゲームが発売されたのは1983年だったそうだ。

TVとケーブルで繋がっていたものから持ち運びができるようになったのは1989年頃だろうか。

1996年には、さらに小型軽量化を果たした。私の子どもたちが誕生したのはちょうどこの頃と重なる。

私たちが子供だった頃もゲームは存在していたことになるが、家庭用ゲームは今のようなものとは違い、もっと単純なものだった。持っていた家庭はまだ少なかったと思うし、持っていても、まだまだ大人の娯楽程度のものだったと記憶している。

徐々にゲームは家庭に浸透しだし、私が20歳になる頃には、長時間ロールプレイングに嵌っている友達もちらほら見受けられ、休みの日は長時間取り組む人もいるにはいた。が、それによって学校にいけないとか、仕事にいけないという例は、まだ多くなかった。

それはなぜなのか?

 

それは、私たちの脳が、既に大人脳になり成熟していたからではないかと思う。

子供の頃の、脳は脆弱だ。大人になるまでに、私たちは散々外を駆けずり回って遊び、友達と喧嘩しては仲直りしたり、歌を歌って帰ったり、一緒に笑いあったり、虫をつかまえたり、ボールを追いかけたりとゲーム以外の楽しさを、いやというほど経験したし、詰め込み教育時代だったが、ある意味学習をすることによって、脳は絶えず刺激を受けていて、難しい問題を考え続けた後に解けた時の快感を知っていた。

そして、子ども同士の中で揉まれ、親から教えられ、我慢することや待つことといった忍耐力や行動抑制力を養う。分からない問題をう〜んと唸りながら考えたり、イライラしながらも待つといったことは、脳にかなりの負荷がかかるだろうと思う。(この、負荷がかかった状態がADHDの特性を持つ子どもたちは極端に苦手だ。)が、その経験を通して耐性というものを身につけていたのではないかと考えることができる。

ゲーム以外に楽しいことややり甲斐によってもっと楽しく満足できた時の快感があるということを既に脳も知っていたからこそ、ゲームしかない生活にはなりにくかったし、行動抑制力やコントロール力がついていたからこそ、しなければならないことがあるのにゲームに没頭してできないとか、疲れ切って体力が無くなるということがあると良い方に切り替えようとする理性を働かし、その状態から自ら脱出することができたのではないだろうか?

ある意味、刺激に強い脳になっていたのではないか?と思われる。だからこそ、ゲームを長時間したとしても、ダメージが少なかったのかもしれない。

 

ところが、それ以降の子どもたちというのは、生まれた時からゲームがある環境に置かれている。誰に?私たち大人にだ。

 

私の子どもたちが小学校に上がる頃には、ちょうどニンテンドーDSが発売されていた。どうしても、男の人たちは目新しいもの、機械物には目がない。あちこちの祖父や父親が、母親の反対を押し切って、孫に、子どもに、買い与えるといったことが周りを見渡しても、あちらこちらで行われていた。

まだ、やっと字が書けるようになったかどうかという年齢。体を目一杯動かして外を走り回って遊んだり、友達と直に話したり、議論を交わしたりといった意思の疎通を図る過程で得る楽しみを知るよりも早く、ゲームを手にした子どもたちが、この頃から急速に増えていった。子どもたちは、公園にもゲームを持っていった。母親が、外で遊んでいると安心しているのを他所に、寒い冬空の下でも、一所に集まり、じっと座って小さな画面を見つめている。体を動かして遊んでなどいないのだ。ゲームを持っていなければ、その仲間にすら入ることはできない。すなわち、遊び相手がいなくなるのだ。

このまま子ども達はゲームをしていて大丈夫なのだろうか?

そこから、私はゲームと子どもたちの関係というものについて考えるということに長年向き合ってきた。我が子が発達障害ということもあり、この問題は、決して他人事にはできない問題だったからでもある。

何らかの要因によって、過集中を起こす子どもたちと、そうではない子どもたちがいるということに気付いたのは、息子が中学生になった頃だった。同じようにゲームで遊んでいても、のめり方や、切り替えにくさに個人差が激しいと感じだしたのだ。

家庭によって、勿論、約束の仕方には幅があり、全く同じ条件のもとで比べることはできないが、それでもその背景を考慮しながら具に観察していると、親が普段から決してゲームで遊び放題にさせてはいないし、逆に厳しすぎてもいないのに、ゲームへの執着の仕方に大きな違いが出る子どもたちがいることが分かった。

今でいう、いわゆる視覚優位や聴覚過敏、衝動性が強いタイプ、そして過集中を起こしやすい、こだわりの強いタイプの子どもたちだ。

このタイプの子どもたちは、自分で自分の行動をコントロールしようと思っても、普段の生活の中での行動も、行動トレーニングなどを積まないことには難しい。なのに、そこに視覚的にも聴覚的にも強い刺激を与えるゲームが与えられると制御不能になってしまうのは考えれば当然のことだとお分かりだろう。

ではゲームを止めれば問題ないかというと、そう簡単ではない。

例えば、私たち大人でも、テトリスのようなゲームでも、サーキット系でも、ロールプレイング系でもいいから長時間した後、パッと止めて寝ようとしても、頭の中ではその画面や音がぐるぐる回り、しばらく再生されて寝られないといった経験をしたことがあるのではないだろうか?

それと同じようなことが、定形発達と言われる子どもたちにも当然起こるし、上に挙げたような特性を持つ子どもたちなら、もっと強く長くその刺激的な映像と音が脳内で再生されている。

これは、私の元にやってくる子どもたちへの聞き取りや観察からも分かる。

ゲーム依存を心配して保護者が相談しに来られ、預けられた子どもは、下校時間になると早く帰ってゲームをしないと!と言って泣き叫び、暴れ、壁や人を叩き椅子などを投げ飛ばしながらその衝動に耐えている。ルーティンのように、その時間になると、頭の中をゲームの画面が再生され出すのかもしれない。イライラし、暴れている時、私たちのことは見ていない。頭の中に流れる画像を見ているかのように目はあちこち空に動いている。

ゲームは、刺激が強いからこそ面白い。その面白さが脳を興奮させ、逆に疲弊させる。

疲弊していることに気がつかず、学校に行こうとか、勉強しようと思っても、すでにエネルギーは切れているから元気も集中力もないからできない。それに気がついていない大人は、なんでダラダラするの!なんでやる気がないの?と怒って叱る。

 

現在、ゲームを取り巻く問題で、各ご家庭で困っているのはこういった状態ではないかと思う。

 

ここで私たち大人は気がつかなければいけないのではないだろうか?

 

子どもは、自分でゲームを買うことはできない。

大人が、ゲームを買い与えてしまっている。

大人は、自分が買い与えたゲームによって、子どもを疲弊させている。

もっとゆったりとした時間の中で、体を存分に動かしたり友達と遊んだり喧嘩したり、自然の中で様々な経験を積むといった機会を奪い、子どもの健全な発達を阻害しながら、思うように動いてくれない育ってくれないと言って悩み怒っている。その怒りがまた、親子関係を複雑なものに変化させていく。

幼少期や児童期に、躾の一環としての行動トレーニングもまだできていないうちにゲームを渡し、制御不能になることによって生活サイクルが崩れ、それによって朝も起きにくくなり、食事も取れず、学校にも行きにくくなる。

 

不登校の何割かはゲームが関与している。

これが、悪循環の極みだということに気付いていない。

いや、知っている、「知っていた」大人は実は大勢いるのかもしれない。

 

ただ、世の中には、ゲームをする子は賢くなるなどと、保護者たちを翻弄する学者がいたり、不登校の子供たちが心の拠り所としているから、ゲームは必要だというニュースが流されたり、youtuberやゲームのライブ配信で収益を得る人などを見ていると、何が良くて何がいけないのか分からなくなっているのかもしれない。楽しんでいる子どもたちを見ていると、取り上げるのは可哀想な気持ちにもなるのかもしれない。

「可哀想」という気持ちは、大人自身の感情であって、子どもたちのものではないから、この「可哀想」という気持ちによって適切な対応ができないという人は、子どもが大切なのではなくてこの「可哀想」という痛みを伴う自分自身を大切にする行動を取ってしまっていることにも気がつかれた方がいい。

 

そして、今一番厄介なのは、子どもたちにとってゲームが良くないと、勇気を出して問題提起をする人が現れた時、必ず「科学的根拠」に乏しいといって反論する人々が出てきて、総出で声を揉み消してしまうことだ。

それは誰か?

自分たちにとって大きな利益が絡む企業大人たちではないだろうか。

科学的根拠、エビデンスが必要で大切な事柄であることは勿論分かるが、子どもたちが今、上記のような大変な状況になっていて、その様子を見れば一目瞭然であるにも関わらず、それを何とかスルーしようと、利益のある人々がその言葉を振りかざして世の中を撹乱する。「科学的根拠」がなければ、子どもたちを守ることは出来ないのだろうか?

科学的根拠を出すにはそれだけのデータを出す為の時間を要する。

それまでの間に、子どもたちがゲームによる不利益を被ることになったとしても、利益を得ている大人たちは時間を稼げさえすればいいのだろうか?子どもを犠牲にしても、自分たちが利益を受け取れる期間を引き伸ばしたいのだろうか?

 

既に、WHO(世界保健機関)によって、2019年5月にゲーム障害は国際疾病に正式認定されている。これは、私がゲームには依存性があるし、脆弱な脳の子どもたちには悪影響があり、特に快楽に弱い(依存体質)ADHDの子たちは特に問題となりやすいと、我が子や周りの人に発信した頃から10年も経ってのことだった。

 

2020年に香川県が施行させた日本初の「ネット・ゲーム依存症対策条例」は日本でゲーム依存症対策に特化した条例としては初で、未成年者がインターネットやコンピューターゲームを利用する時間を制限することを推奨する内容なのだそうだ。

では、推奨される利用時間はどれくらいか?というと、、、

一日60分。

さあ、これを、皆さんは短いと思うか、長いと思うか?

私は、妥当だ、と思う。

このニュースを聞いた時、よくそこまでこの問題に切り込み、目安まで決めてくれたものだと思った。

なぜか?その理由は後ほど書きたいと思う。

 

さて、この条例、施行されてからは不満の声が噴出したそうだ。

この、不満の声、どんな人から出されているのか?それが問題だと思う。

香川県議会の発表では、県外の約70の企業や団体で賛成は0%、県民は約2600人のうち約87%が賛成だったとか。この、県民の賛成意見については、いろいろ物議が醸されているので、どこまで信憑性があるか分からないが、疑問点は、どうして県外の70もの企業や団体が0パーセントなのか?

そして、ゲーム業界からは「専門的知見の調査及び専門家の意見を聴取したものではなく検討が不十分」といった反発の声もあったそうだ。

そして、この条約に反対した保護者がおられたとしたら、それは子どもを「可哀想」に思う人か、子どもがゲームを1時間以上利用できないと、出かけたり家事ができずに困るという人、またはご自身もゲームが好きで自分は大丈夫だから、なぜゲームに制限が必要か理解し難いと思う人、などではないかと予想する。

 

これらから、ゲーム問題を取り巻く現在の状況をジャニーズ問題と照らし合わせた時、

直接被害を受けたアイドルたち=子どもたち、

ジャニーズ事務所=ゲーム会社、ゲーム業界、通信業界

ファン=ゲームを楽しむ人たち(保護者、子ども本人を含む)、

そして、ゲームには依存性があることを薄々認識しながらも、反発を恐れて意見を言うことができない人、科学的根拠がなければ動くことが出来ない人、子どもたちが今、大変な現状にあるのに傍観している人たち、「知っているけど暗黙の了解で黙っている人は皆んな、ジャニーズ問題を黙認していた国民と=イコールなのではないだろうか?

 

ゲーム(スマホ、オンラインゲームを含む)の取り扱いに困っている保護者の皆さんは心当りがおありだろうが、家庭内で、ゲームに固執する子どもに時間制限を約束し守らせようと、どんなに掛け合い、話あっても上手くいかないということがあることと思う。親子の間であっても、一度決めた約束を簡単に破ってしまうとか、親との約束は、単に親が勝手に意地悪で押し付けているものだという認識の仕方を頑なにしているタイプの子どもたちには、療育の世界では、絶対的なもの(法律、警察、決まり事など)があることを伝えるという方法がある。例えば、法律で決まっている、迷惑防止条例で決まっている、学校で決まっている、といったことを話してあげることで、それまでの反発が嘘のように消え、素直に納得して応じてくれやすくなる。

香川県の条例が、周りの反発、バッシングを受けてでも、県内の子どもたちを守りたい、と思って制定されていることや、利用時間は「60分」と目安を打ち出してくれていることは、困っている保護者や、子どもたちにとってある意味救いになるのではないかと思う。

子どもを育てていると、60分が子どもにとって妥当な利用時間だということが分かるはず。それ以上になると、大人でも疲れるし、子どもなら尚更で、60分を超えるあたりから途端に執着が増すし、親もイライラし始める。何より生活も回らなくなってしまう。

 

この国は、企業の利益を最優先させているし、私たち国民もまた、見て見ぬふりばかり、自分たちの権利を主張するばかりで、困っている国民、子どもたちを犠牲にしていないだろうか?国全体で、ゲーム会社企業に忖度していないだろうか?

 

 

いつも明るく、楽しませてくれたジャニーズのアイドル達が、もう見れないかもしれない残念な気持ち、大好きなジャニーズが崩壊したことにショックを受け、信じられず心にポッカリ穴が開いたような何とも言えない気持ち。それと、

もし、ゲームに制限がかかったら、できなくなったら、ジャニーズの時と同じように、日本の経済も、ゲーム業界も、そして私たち国民も、大打撃を受けるかもしれない。今やゲームはなくてはならないものになっているかもしれない。

 

 

それでも、今、冷静に考えればどうすればいいのか?

皆さんにはもうお分かりなのではないだろうか?

 

スティーブ・ジョブズも、ビル・ゲイツも、自分が開発したIpadスマホを我が子にある年齢まで持たせなかったというのは有名な話。

 

今度は、海外から指摘を受ける前に日本も行動に移したいものだ。

 

 

 

 

 

私の応援歌。

寒くなってきましたね。

先週末から、グッと冷え込むようになりました。やっと秋が深まり冬支度をしている。そんな風に感じます。

私は暑がりなので、先週まで日中は半袖でした(上着は持っていましたが)。

はてなブロガーのニードルさんやnaruzawanさんの記事を読ませてもらっていると、すでにお住まいの地域は冬。雪が降っている様なのです。

なんと。

場所によって同じ日本で、こうも季節が違うとは。

夏が長いのも、冬が長いのも、どちらも大変ですが、雪かきの必要があるとなれば、そのご苦労は尚更ですね。

今年の夏の暑さでは、私の住む地域に近いところでも、遠い地域でも、その暑さからか行き倒れた人もおられたとニュースなどで知りました。今まで、そんなことってインドだけかと思っていましたが、、、。

そして大雪によっても、建物にも人命にも大きな被害がもたらされると大変です。

あ、この秋は秋で、熊も驚異の1つとなってしまいましたね。私、住む近くで熊が出たという人の怖かったであろうその気持ちを想像するあまり、熊と遭遇してしまう夢を見てしまいました。夢でも恐ろしかったです。小さい熊だったし、私はその熊に勝っていましたけれど?••••。

 

これだけ科学を発展させて、便利になっているはずが、自然の厳しさが逆に増し、困難さが増すなんて、なんと皮肉なことでしょう。

自然の驚異に打ち勝つことは、到底できないけれど、その中で翻弄されながらも向かい風に耐えながら、ほんの少しでもいいから歩を進め、より良く生きていけたら、と、そんな風に思います。

それは人生とも重なるところがありますね。

 

そんな冬ですが。

私には今大事にしている歌がありまして。

2020年に発売された曲なのですが、2019年1月から放送されたドラマ「後妻業」の主題歌となった歌です。ご存知の方も多いかもしれません。

たまたまテレビをつけたらやっていたそのドラマ。久々にコテコテの世界観で。

話の展開も目が離せないのに、その後ろに流れてくるその音楽が、なんだかあまりに泥臭く、インパクトありすぎで、耳を傾けずにはいられない、そんな劇的な出逢いの歌でした。

その歌と同じような感覚に陥った曲が過去に1度ありました。

布袋寅泰さんの「スリル」でした。

ソロになってからの曲を聞いたことがなかった私はラジオから流れるその歌を聞いて、「誰!?」と耳を疑いました。おじさん感のあるザラッとした声質。お世辞にも上手いといえない歌。その時はそう感じました。なのに、聞いているとただ者ではないビート感。それが布袋さんだと知った時の衝撃。そして納得。

それと同じ感覚を呼び覚ましたその歌は、、、。

 

宮本浩次さんの「冬の花」です。

今の時代にマッチしない様な演歌的とも思える曲調に、1度聞いたら忘れられない特徴ある声。どちらかというとおじさん感ありあり。魂こもりまくりで、私は何故か心鷲掴みに。

調べてそれがエレファントカシマシの宮本さんだと知った時の衝撃。布袋さん以来でした。

エレカシの宮本さんはずっと前から知っていました。ダウンタウンのHey Hey Heyにもよく出ていました。髪がモジャモジャで、いつもグシャグシャしてて、やっぱりただ者ではない感満載でした。ずっとなんだか気になる人でした。

その宮本さんがこの歌を何故歌っているのか?と疑問に思い、そこで初めてソロ活動を始めたことを知りました。

ソロデビューしてからの宮本さんは、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

アルバムのROMANCEも買いました。どの歌も素晴らしいの一言なのです。私が子どもの頃の歌ばかりですが、あの頃は日本中がTVの歌番組を通して同じ歌を聞いていたようなものですから、子どもだった私にとってもくり返し聞いた馴染み深い歌たちでした。その上ヒットした曲ばかりです。メロディーが美しいものばかりなのは当たり前かもしれません。宮本さんは、この女性ばかりのカバー集に収録されている曲のどれも、歌っている本人かと一瞬耳を疑うような綺麗な声を出しています。エレカシの時の男臭い、がなり声からは想像もつかない繊細で優しい声です。ご存知の方も多いかと思いますが、宮本さんは子どもの頃、NHK東京児童合唱団に所属されていて、そこで声楽指導をみっちりされているのです。

ボイストレーナーをしている人は、宮本さんは楽器だ、体を深く曲げるのも、腕を大きく広げるのも、発声の為にしているのではないか?と言っていました。そうすることで、思うような声を出せることをきちんと学び、身につけている人なのでしょう。

その声と歌唱力には定評があり、ROMANCEというアルバムは、それを存分に表に出したといえます。

エレカシの時の、あのメチャクチャで破天荒で自由に見えるスタイルも、基礎をきちんと学んだ土台の上にたゆまぬ努力を更に積み重ねてこそ出来ることなのだと、歌っている姿を見る度に感嘆し唸ってしまうのです。

この人は、全てを歌に注ぎ込んでいるのかもしれません。中国茶器でお茶をじゃんじゃん飲むのも、大量に古い時代の本を読むのも、せっせと歩くのも、筋トレするのも、全て歌の肥やしになっているのだと思います。

 

「今、人生のどの辺り?」とよく宮本さんは歌います。必死で真剣で全力で、でも、綿密に求められていることを計算していて、命を削りながら歌い、あとどれくらい歌えるだろうか?と残りの時間を気にしながら走っている、そんな宮本さんが歌う姿は、私に根底から湧き上がる生きる力を与えてくれます。

もはやシャウトの域を超えた絶叫は、魂の叫び。困難を乗り越えて大きな花を咲かせた宮本さんもまた、不屈の人です。

 

そんな宮本さんが歌う「冬の花」は、私にとってどんな逆境になっても後ろ向きになることなく倒れてもまた立ち上がり、前をしっかり見据えて進もうと、力を与え、何度も助けてくれる大切な歌になりました。

どんなに落ち込んでいても、聴き終わる頃にはメラメラと静かな闘志が湧いてきます。

 

「悲しくて 泣いてるわけじゃない。生きてるから涙が出るの。」

 

「旅みたいだね。生きるって どんな時でも」

 

冬は、

この歌が似合う季節です。

 

 

 

 

 

 

またまた不思議なお話。

お題「不思議な話」

 

何の変哲もない日常の中で、そうそう不思議な出来事など起こるはずもない。

そう思っているあなた。

ところが、よーく目を凝らして見渡してさえいれば、ちょっとした「不思議」というのは案外身近に転がっているもの・・・かもしれませんよ?

 

そういう私は、この間から、「不思議」と言うワードのついた記事を2つ続けてアップしていました。

が!

 

またまた起きてしまったのです。不思議なことが。

 

と、自分で自分のハードルを上げる・・・。

 

それは一昨日のこと。

今私は、絶賛介護母と引きこもり息子へのバックアップ中で、どちらかというと息子に全力集中して対応しているので、あえて考えがあり雇われの身を辞めているのですが、その為に、次の入金日まで、あと数日、手元に現金が無い!という事態に陥っていました。(母が働くと息子があてにしてまだ大丈夫と余裕をかます為、あえて追い込んでいる)

夫にお願いしなくても、あと二日ほど、生き延びる(大袈裟)方法はないものか?とあれやこれやと考えを巡らしておりました。しかしこれといって目立った得策もなく、大人しく過ごすに限る、と諦めた・・・矢先のことでした。

 

ピ〜ンポ〜ン🎵

 

ほぉ〜。

このタイミングでピンポンねぇ。

 

我が家は宅急便しかほぼ来ない家。

はて?何か頼んだかな?と一応インターフォンの画面を覗きます。

「ゴニョゴニョ」

なんと言ったか全然聞き取れません。

それが相手の手法か?と思いつつも出てみたところ・・・。

 

「あの・・・何かリサイクルはありませんか?電化製品など。」とリサイクル業者の訪問しらみつぶし商法でした笑

普段なら、即座に「ありません」と丁重にお断りするところですが、ちょ〜どオーブンレンジを廃品回収に出したい!と思っていたところ。

我が家のオーブンレンジは、私が離婚してすぐ購入したもので、もう12、3年くらいは使っています。娘が小学生の高学年の時に留守番をしていて、作り置きして行ったオムライスを温めようと、うっかりスプーンを入れたままのお皿ごとチン!してしまったようで、ものすごく火花が散り、驚いた娘は念のため、急いでレンジを止めてお皿を出してから、もう一度スプーンを抜いてチンしてみたのだとか。

ところが、直後からさっきまではなかった「ガリガリ」という不快音が出て、新しいレンジを壊してしまったと動揺した娘が大泣きしながら私の職場に電話してきて、なんとも一人で留守番をさせて怖い思いをさせてしまったと不憫な思いが胸を駆け巡った・・・という、思い出のオーブンレンジです笑

それからというもの、ずっと、「ガリガリ」異音を慣らしながら我が家の食卓を温め続けてくれていました。

でも、不安だったんですよね、ずっと。

いつ、「バーン!!!」と爆発するか、と冷や冷やしながら使っていました。

 

そんな時、母の介護に和歌山に行った時、義父が「お〜い。レンジ要らんか?さら(新品)やで」と言うのです。「さら」と言っても、買ったけど使わないまま、何年も眠っていた、ということだと思うのですが。

でもレンジもオーブンもついているので、恐らく何も問題はなさそう!これはラッキーなこと。いるいる!と即答して我が家に持ち帰ったのでした。

でもなぁ。まだ使えるしなぁ、処分するのも大変だしなぁと、現役レンジに未練もあり、取り替えることもしないまま、新しいレンジは放置していました。

 

この機会を逃すと、このまま年を越してしまいそうな予感、、、。思い切って査定してもらうことにしました。

ただ、今の今まで使っていましたからね。お掃除もしていませんし。値がつくとも思えません。

「他に何かありませんか?まとめて査定いたします」

 

ほらね。

売ってもいいなと思っていた指輪とイヤリング、そして他の貴金属店では値がつかないものを数点お見せしました。

 

結果、

レンジは年数も経っているので値がつかないけど、代わりにアクセサリーをまとめて一万円でどうですか?とのこと。

 

はい、お願いします。ついでにレンジも持って帰って。

 

ということで、新しいレンジもレンジ台にセットしてもらい、古いものは持ち帰ってもらい、手元には一万円札が1枚残りました。

 

 

さっき、諦めたばかりだよなぁ。

で、家を一歩も出てないのに、何故か今、お金を手にしている、、、。

 

不思議ないつものこのパターン。

 

一体、なんなんだろう???

 

 

 

療育者たちの勉強会。

先日、私の元へ、勤めていた療育施設の指導員の先生たちがやって来た。

先生たちは日々子どもたちへの対応を自分たちで考え、試行錯誤している様子。

私の元で切磋琢磨してきた先生たちは、まだまだ荒削りだけれども、しっかりと療育者としての倫理観や人権感覚を身につけ、「療育がしたい、ちゃんとした療育を学びたい」と、いつの間にか志高く成長している。

それでもやはり、療育というものは奥が深く、少し慣れたからといってできるようなことでは全くないのが実情。

障がいを持ったお子さんたちと接する毎日は、アウトプットの連続だし、とにかくその展開の速さに更に一歩先をいく判断や動きをしなければならないので困難を極める。毎日精神的にも肉体的にも極限に追い詰められ、すり減るばかりだから、常に勉強してインプットしておかなければ後手に回り、あっという間に室内は無秩序で荒れ放題となってしまう。

それがどんな状態かは障がいを持つお子さんを育てておられるお母さん、お父さん方なら、容易に想像されるに違いない。

お母さん、お父さんに至っては、お子さんがお生まれになってからずっと、1日中片時も目を離さずに大事に守って育ててこられ、いつも頭が下がる思いでいる。

私たち療育に携わる者は、そんなご両親の少しでもお役に立ちご負担を軽減できるよう、そして困難さを持ち困っているお子さんたちが自分が思ったように体を動かすことができ、他者と意志の疎通を計る楽しみを知り、将来自分の意思で少しでも選択しながら生活することができるよう、たゆまず研鑽をしていく必要がある。

 

そこで、やはり研修が必要か!ということで、大抵の人は会社の研修をあてにするだろう。昨今は、療育施設にも「月に何回」と研修をすることが国から課せられている。私から見れば、この頃の研修動画などは良くできているし、どこかの大学教授のお話を聞かせていただく機会などもあり、至れり尽くせりのように思う。私が療育を目指していた時は、まだ障がい特性や対応方法に詳しい人など、周りにはほぼいなかった。情報がなく、少ない本を頼りに自分の行動を精査しやってきた。

ところが、この研修というものは、「考え方」は教えてくれても、個人にあった「具体的、効果的で即効性のある方法」というものは教えてくれない。

療育というものは、一人一人にあった言わばオーダーメードのようなもの。関わる人みんながチームの一員として、知恵を出し合いより良い方法を作り出していかなければならないからだ。

と、いうのは簡単だが、実際は豊富な知識と経験、高度なスキル、強靭な精神力、そして障がいを持った人やそのご家族を思う心と熱意を持った人はそうそういない。

いくら話し合っても、次の一手が決まらない、といったことの方が多い。

 

私は兼ねてから、指導員の先生方に「勉強してください」「勉強が必要だ」と伝えてきた。定期的にどんなふうに行動に移したか皆んなで発信し合う機会を作ってきたけれど、それでもほぼ「していない」に近い状態が続いていた。疲れて帰宅するのだから、無理もない。

その代わり、申し送りと振り返りの時間を使い、プチ研修として毎日大切なことを伝えてきていたので、本気なら、既にかなり高スキルの療育者が一人は出現していても良い頃のはず・・・。が、どうしても、人は受け身になりがち。

崖っぷち、本当に窮地に立たないと、お尻に火が点かないものなのかもしれない。

 

ところが、私が管理職を退いたことで切羽詰まった人が出て来た。

ここに来て、私から学んだことが頭の中をぐるぐる回り出している様子。

子どもたちへの対応が上手くいかない時は、私がいたらどうするだろう?私だったら何というだろう?とみんなで相談しているという。

 

だったら、勉強会に来ませんか?と声をかけておいた。費用は格安にしておきますよと。本当なら無料にしてあげたいところだったが、考えがあって最低限の金額だけれどもわざと費用を提示しておいた。

 

私だったら、喜んでお願いするだろう。声をかけてくれなくても、こちらからガンガン教えてもらいに行くだろう。実際、そうして来ている。そして、一度聞いたことは忘れない。

 

さあ、指導員の先生たちはどうするかな?と暫く返事を待つことにした。

 

何せ、先生たちは常勤や非常勤、主婦もいる。忙しい中時間を合わせることだけでも難しい。これ以上ないと言うほど格安の費用でも、主婦ならご主人の許可がいるかもしれないし、給料をもらうために働きに行っているのに、なぜ逆に仕事のためにお金を払わなければならないのか?と引っかかる人もいるだろう。会社がもっと自分たちが望む内容を教えてくれる研修をしてくれればお金を払わなくてもいいのに。などなど、人それぞれ、沸く気持ちがあるかもしれない。

その気持ちも理解できる。

 

ただ、会社が研修をしてくれるのを、またもや受け身で待っていても、思うような効果は得られない。会社が人材育成にどんどん投資してくれるようなところならいいけれど、実際は「仕事をしてもらうにあたって、最低限これくらいは知っておいてくださいよ」という程度の研修しかしてくれないところの方が多いのではないだろうか。

最近は、お給料ももらうし、それに必要な情報や知識までも会社からもらって当たり前と思っている人がいるが、そもそもは、お給料をもらえるだけの働きをするからこそ、それに見合った対価を給料としてもらえるのだ、というところを理解していない人が多いなあと感じている。

ましてや、療育という世界では下手をすると可愛い子どものお世話をするだけ、と思ってこの世界に入る人もいたり、ただ決められたスケジュールをこなし、子どもたちを帰すことの繰り返しになっているところもあるようで、それで満足している人も多く、自分でどんどん本を読んだり、外部の研修やセミナーを受けに行く、といった土壌にないように思っていた。

 

だからこそ、なんとか私の元で働いてくれていた先生たちに、最低限の金額でもいいから、自分でお金を払い勉強に行く、という「学びの姿勢」に入って欲しかったのだ。

 

紆余曲折していたが、少し私からもアドバイスを入れて、やっと「勉強会に行こう」と重い腰を上げてくれることとなった。

 

当日、目覚めた先生が数人、私のところにやってきて、午後13時から18時まで、5時間ぶっ通しで日々子どもたちと向き合う中での悩みや上手くいかないところについて質問が飛び、私のアドバイスを聞き漏らすまいと熱心に耳を傾け、ノートに記録していった。途中、しんどい〜というので、休憩しようと言ったが、時間がもったいなかったようで、休憩する人はいなかった。

まだまだ話は尽きなかったが、もう外が暗くなりお開きとなった。

参加者は、高揚した表情で、満足いった様子だった。思い悩んでいたことに解決策が分かると、一筋の光が差したように気持ちが晴れるのだろう。しかし、学んだことを忘れずに持ち帰り、明日から即実践だ!と、引き締まった表情にもなっていた。

更に私がこれまで出逢い、読んで学んできた本が並ぶ本棚を公開し、どれでも借りて読んでいいとしたところ、何冊か借りていた。

本屋で大量の本を前にどれから読んでいいか分からず、結局何も買わずに時が過ぎるよりも、実際に指導者が選び読んできたものを読んでみた方が早道なこともある。それに、いつも聞かされている内容がどこから来たものなのか探すこともでき、宝探しをするようなものだ。私は、人の歴史を知ることが大好きだから、「この人はどうやって今この立ち位置に立っているのだろう?」と強い関心が出たメンターたちの読んだ本や辿ってきた歴史を聞くのが好きだから、今こうやって、私が読んできたものを他の人が関心を持って読んでくれることは無上の喜びだ。

そして「これでその料金でいいのか!という充実すぎる内容だった」と喜んで帰っていってくれた。

 

本来、療育は、話しても話しても話し足りないほど、奥深く面白いものだ。苦労して関わったことにより、子どもたちの言葉が増えた!ジャンプできなかったのができた!友達と喧嘩せずに遊べるようになった!と子どもたちの姿に変化が起き、成長に繋がることほど嬉しいことはない。それまでの過酷なまでの日々の苦労が報われ、それが本来唯一の私たちへのご褒美となる。そういう仲間が増えてくれるのはとても嬉しいことだ。

 

 

次の日の夕方、勉強会に来た先生からメッセージが入った。

早速、習った通りに実践したところ、あるお子さんと膠着状態だったのが解け、良い方向へ動き出した、という嬉しい報告だった。手応えを感じた出来事になっただろう。

「また、勉強会に行かせてください!」とのことだった。

 

ようこそ。「自主的な学びの世界」へ。

 

長年の友達。

先日、友達が遊びに来た。

彼女とは、小、中、高校と同じで部活も同じという数少ない貴重な友達だ。

といっても、中学3年間の内、2年間は私が家庭の事情で隣の学区に引っ越して転校したので空白なのだけれど、また高校で再開し今に至る。

お互いに社会人になってからは数年に1度、他の友達を交えて会うことがあるくらいだったが、この所急速に関係が縮まり、出逢ってから41年目にして初めて2人で会うことになった。

結果的に、とても楽しい濃い時間を過ごすことができた。

何が楽しかったのかというと、学生の頃は同じグループに属してはいても、お互い他に仲良しはいて、さほど濃い関係性ではなかった。かえって、それが少し距離のあるところからお互いを客観視していて、41年目にして話し合う、ということになったのが新鮮だったんだと思う。

お互いに、相手が子どもの時に抱いていた印象や、大人になってからの変化を見てきてはいるけれど、実際に相手がその時どんな思いでいたのか?については、今だからこそ分かることも多かった。

相手というのは鏡の存在だから、今そばに来た相手がどういう風な人なのかや、相手の言動、反応を介して自分というものが分かる。

そういう意味でも、自分のことを小学生から知っている人から得られる情報というのは貴重で参考になった。

 

考えてみれば、女性同士の友達というのは、ママ友なら子ども同士のケンカや、習い事、少し大きくなれば成績を無意識に比べたりして、なかなか手放しでリラックスした関係を作るのが難しいし、同級生とは結婚、出産の時期の違いや、配偶者の仕事の都合の影響を受けやすく、本人たちの意志とは関係なく疎遠にならざるを得ないことがある。

上手く関係を保って長くつき合っていても、子供時代から大人になるまで友達同士の関係性は、長い年月の間に変化も生じ、難しくなることがある。ポリシーというものが出来て、相容れないことが増えるからなのかもしれない。ましてや、我が子になんらかの特性があったりすれば、更に複雑な気持ちが絡み、複雑化する。

 

女性とは、性やら業やらが、なかなかに濃い生き物だ。

子供たちを見ていても気がつかれるかと思うけれど、一対一の関係を好むことが多い。

だから3人というのは難しいということも昔から言われてきている。

女性はひそひそと相手と親密に会話するのも好きなので、大勢で1度にワイワイとなりにくいのかもしれない。

下手をすると抜き差しならない関係になったりするから対応に困ることもある。

女同士の空気感を読めないと、仲間はずれにされることも多い。

 

日本人だから特になのかは分からないけれど、「一緒」「同質」であることを求めるのも特徴の一つなのかもしれない。

 

これらは女性という質としての難しさだが、また別に、上記したような人生の中での役割の多さというものも「友達関係の難しさ」にはあるのだろう。

奇跡的に、学生時代からの友達や、ママ友たちともスッと仲良くなれて、良い関係性を結ぶ条件に恵まれることが出来ればそれは間違いなく希少でラッキーで、幸せなことなのだろう。

 

兎にも角にも、そんな中で感じたことを長年の関係性の上に歯に衣着せず発してくれる友は大事にしたいものだ。

 

(これはシロガネヨシ)

 

 

失いつつある力。

「何かが違う」と感じたことはありますか?

理由は分からないけれど、「何かが違う」というやつです。

 

いつも食べている物なのに、今日は「何かが違う」。

毎日会っている人で、服装や髪型が変わっているわけでもないのに今日は「何かが違う」。

教室、または職場に朝行くと、いつもと空気が「何か違う」。

この人が言っていることは「何かが違う」。

 

というような「何かが違う」。

この、何かが「違う」という、「違い」に気づくことができるのは、ある種の力ですが、この力は、動物たちも持っている力だそうです。

 

飼い犬に、お薬を飲ますために餌の中に混ぜたり、練り込んだりしていると、食べかけたのに止めてしまい、その後どうしても食べてくれない。とか、野生の動物を捕まえようと、分からないように工夫して罠を仕掛けたが、動物は警戒していつも通るその場所を避けて通って行った。というように、動物も「何かが違う」と分かったのだろうか?と考えざるを得ない行動をすることから見ても、それは分かると思います。

 

生きていく上で、「違い」に気づける力というものは、無くてはならないものなのだから、なのかもしれません。

 

何かが「違う」ということを本能的に見分けることができないと、生き物たちは生きていくことが困難になるのかもしれません。ということは、「違い」を見分ける力は本能だということができるのでしょう。

 

ところで、人間には他の動物とは違う能力があるそうです。

それは「同じ」を理解する力だと、養老孟司さんは著書である「ものがわかるということ」の中で書いておられます。

 

ここで、その本に出てくる文章を。

『意識は脳の中で発生する能力と思われるので、その脳の中に入ってくる「入力」は知覚あるいは感覚と呼ばれます。感覚は世界の違いを捉えますが、ヒトの意識はそこから「同じ」を作り出します。「同じ」という能力は、ヒトの意識の特徴と言っていいと思います・・・・・「同じ」という能力は交換を生み、お金を生み、相手の立場を考えるという能力を生み出します。』

 

この文章を読んでも分かるように、私たちヒトには分類する力というものがあります。

 

例えば、

耳は大きく三角形で、顔や体はとても小さいチワワ。

毛がカールして抜けにくく鼻が細くて体が小さいトイ・プードル

鋭い目と牙を持ち、筋肉質な体を持つドーベルマン

美しくなびく長い毛に、しなやかで長い手足と体、優しげな顔を持つアフガンハウンド。

この全く「違う」4種の動物たちを、私たちは「犬」という言葉で括って一つの仲間に分類しています。

 

相手の匂いを頼りに大群で列を成し、甘い物に群がる蟻。

両手に大きな鎌を持ち、獰猛に餌を捕食するカマキリ。

大きく美しい羽を持ち、花から花へとひらひら舞って、花の蜜を吸う管を持つ蝶々。

細く長い4枚の羽と大きな複眼を持ち、自由に高速で空を飛び回る蜻蛉。

この全く違う特徴を持つように見える4種を、どうして私たちは「虫」と呼び、 同じ仲間だと一つの括りにすることができたのでしょうか。

 

私は小学校に勤めていた時、重度の・・・

 

 

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重度の自閉症と知的障害を持つお子さんの、潜在的に持つ「分類」の力についてと、私たちが失おうとしている力について書いています。

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