きらめき 綴り

困難を抱えた子どもたちと、日々格闘しています。その中での心の煌めきを大切にしています。

そ〜ら、空だよ。

あ、ごめんなさいね。

ちょっと、ダジャレでした〜。

 

大切で真面目なお話が続いたので、ちょっとブレイクタイムです☕️

 

先週末は、久しぶりに山の上に出かけました。

街を見下ろし、空を見上げて、夕刻の2時間ほどですが、ゆったりとした時間を過ごしました。

こうやって、自然の中で過ごすことは、私たちの気分転換の一つです。

 

「視界が開ける」とはよく言ったもので、山に登り、木々の合間から下界が一望できる所に出ると、それだけで、パッと目の前が開けただけでなく、胸の中にもサーッと風が通ったような爽やかさが広がります。

物事をグッと突き詰めて考えている時の重苦しさが飛び、新鮮な空気が入ることで、また新しいアイデアが浮かび出すから不思議です。人間には、この、ONとOFFのバランスが大事なのかもしれません。

 

この日はやや曇りがち。

空にはたくさんの雲があって、今にも手が届きそうです!

こうして高いところに上り、視点が変わると、空と雲の間には層があって、空間があるように見えます。

その隙間を覗く様に、透かして見るのが好きなんです。

空の上の世界があるみたいで、想像を掻き立てられませんか?

 

 

今回は、その2時間ほどの間の、空の移り変わりをご覧いただけたらと思います。

 

 

ほら!雲がすぐそこに!(17:15)

 

雲の合間から覗く青い空が綺麗です✨秋の雲と入道雲

 

 地球はまぁるい!と感じます。

 

 

トンビを見るのも大好きなんです!

私の母は、若い頃、トンビを飼い、鷹匠のように手懐けていたそうな。口笛を吹くと舞い降りて腕に止まるって。

 

西の空が染まり始めました。(17:20)

 

西から南の空へと広がります。(17:27)

 

反対側の東の空も明るくなるんですね。(17:31)

 

(17:43)

 

可愛いピーチロゼみたいな空へ飛行機が飛び立ちます。さようなら〜。

 

ハワイの夕暮れみたいじゃありません? 行ったことないけど・・。(17:48)

 

木々の間から木漏れ日が。

 

沈みかけると太陽はいよいよ光を放ち、上空を照らすようです。(17:58)

 

雲が多いというのも照らされやすく綺麗です。(18:00)

 

あぁ、もう沈んでしまいそう。(18:12)

 

うしおととら?(虎模様)

 

なんだかとても風流な空。針のような月が出ています。もう沈みます。(18:23)

 

闇前の一瞬の深いブルー。(18:28)

 

 

ここから先は有料記事です。

まだ完全には真っ暗にはなりません。

なんとも表しがたい夕闇と夜空の混ざり合った、混沌の時間(18:34)。そして、

大都市ではなくても、人の営みがこんなに綺麗な夜景になる。それが分かる写真です。

今日のお疲れを癒すために、ご覧いただけると嬉しいです。

 

 

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夢のあと先。無名人にもドラマがある。そして大きな流れに導かれ。

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

私がブログを書く理由、それは、大きな流れが来たから。

 

1990年代に、日本テレビ系列で「いつみても波瀾万丈」というテレビ番組があった。

輝くスターたちの、知られざる人生秘話を、再現VTRと、ゲストとして登場した本人の話で振り返るトークバラエティ番組だった。

華やかな世界で活躍する憧れの人たちが、どんな子供時代を送り、苦労しながら、どうやって現在のようなステージに立つようになったのか、その物語を何の関係も会ったこともない私が、テレビの前に座っているだけで生い立ちから知ることのできるその番組が、私はとても好きで、よく楽しみにして見ていたものだった。

スターはいいなあ。普通なら、誰にも知られるはずのない生い立ちや苦労、そして面白いエピソードを、こんな風に国民に知ってもらえることができて・・・。

楽しく番組を見ながら、いつしかそんなことが頭を横切るようになっていた。

 

私は子供の頃に何度も転校を経験し、両親の別居、離婚を巡って、生活も一変。先行きの不安を常に抱える子供〜青春時代を過ごした。父と母の諍いが始まると、怯えてドキドキしたり、引越しや転校をする悲しさに胸が押しつぶされそうになっても、同情はされたくなくて、素直な気持ちを誰にも言えず、次第に心を麻痺させていった。

深刻な問題を抱えているほど、口から言葉は出ないものだ。そう子どもの頃は感じていた。

心は麻痺させていないと、周りで起こるショッキングな出来事に、いちいち動揺しては身が持たないと感じたからだと思う。防衛本能の一つかもしれない。もし、横で爆弾がドカン!!と爆発しても、「だから?」とゆっくり振り向くだけの反応しかしないだろう、というくらい、その頃は冷めていた。

当時は親が離婚する家庭というものは、周りに今ほど無い時代。だから余計に珍しく目立ったと思う。

大人になってから友達にも言われたが、そういう周りの環境の中では、私もまた「波瀾万丈」だったのである。

 

だけど、不思議とグレたりはしなかった。

今なら物議を醸すことかもしれないけれど、当時は「下を見て生きる」というような言葉がよく言われていた。これは最近言われているような悪い意味では聞かされておらず、終戦からまだ30年余しか経っていなかった当時はまだまだ戦争中の兵隊さんのことが世の中の話題に上がっていて、その兵隊さんたちの苦労に比べれば、こんな苦労は比べ物にならない、とか、食糧不足が深刻な国の子供達のことを考えたら文句ばかり言っていたらバチが当るね、というような、「不平不満を言わない」という意味で言われていたと記憶している。

こういったことを母からも懇々と言われて育ったので、とにかく不平不満を言わず、ただただ自分ができることを淡々と、でも一歩でも前に進めるように匍匐前進で辛抱強く最善を尽くす、といった感じで暮らしていたからだと思う。

苦悩の中を歩いていても、ずっと先に、きっと一筋の光が差しているはず。と、その光を見失なわないように生きていた。つもり。

 

日々の暮らしの中で、不平不満の気持ちや、怒りの気持ちが沸くと、それは自分が未熟だから・・・とも思った。

自分でいうのもおかしいけれど、あの頃は精神世界の中にいたなぁ、と思う。

「自分を律する」と言えばいいのだろうか。

実際、「この世は修行だ」と修行僧の様に10代20代の頃は思っていた。

 

私にも、人知れず胸にしまってきたドラマがある。スターの場合は、周りの人がそれを細かく調べ、世に出してくれるから、国民に広く知ってもらうことが出来る。どんな家に生まれ、どんな風に育ち、なにを思って生きてきたから今があるのか、理解してもらうことができる。自分で説明しなくても、皆んなが知っている。

私のドラマは、誰が見つめていてくれただろう?言わなくても分かってくれている人がいるだろうか?この、「言わなくても分かってもらえる」というところが、より強く憧れたところだろうと思う。

 

そうして誰かに知ってもらいたい、という気持ちは膨らんで、いつか自伝が書けたらいいなと思い出していた。

偉人でもなければスターでもない。ただの一般人の自伝なんて、誰が読むだろう。考えるとそれは現実的でない気がした。しかも私は自分の思いを言葉に表すことに抵抗があったし。綺麗な物を見て感動した気持ちでも、言葉に表すと途端に色あせた気がするし、悲しい出来事があっても、どんなにどれほど悲しい思いか、他者に自分のことのように共感してもらえるほど上手に言葉で表すことなど、到底できないと感じていたからだ。そいう意味で、私は子供の頃は、本当に読書感想文が嫌いだった。

やっぱり一般人とは、こうしてひっそり生きて消えていくのだな、、、。と、気づくと夢の様になっていた自伝を出したいという想いは大人になるにつれ、自然と目立たないようにひっそりと、陰を潜めていった。

 

20代後半になって、私は結婚し、子供を出産した。

生まれた子はとても元気で、元気で元気で、目が離せなかった。泣いて、寝ないで、抱っこもままならなかった。園も学校も行きしぶり、先生からもよくお電話をいただいた。幸い体が大きかったことと、物知り博士だったこともあり、存在意義は認められ、いじめにあうことはなかったけれど、やっぱり怒られることは多かった。

まだ発達障害のことが公に理解されていない15年ほど前のこと。学校の先生だってどう接したらいいか分からず困っておられた。専門家など、どこにいるのかも分からない。とにかく先生と連携を取り、家庭と学校の様子を密に情報交換するところから始めた。子供のことを理解してもらい、良い方に導いていただくにはそれしかなかった。ツールは連絡帳。高学年にもなると、書かれた内容も読み、理解することもできる。本人の目に触れることが少ないように、別の連絡帳を作った。今なら当たり前の支援の先生との連絡帳みたいなものだ。

毎日毎日、先生とあ〜でもない、こうでもないと考えあった。お互いに攻撃をするのではなく、相手を労い、敬って、尚且つ気づいたこと、考えたことは、例え相手の主張と違っても変に屈せず、きちんと書いた。先生側も懐深く、それを受け入れ、咀嚼してまた見解を返事として返してくださった。時に教育論であったり、文学や自然のことなど多岐に渡り教えていただき、それらが私の血となり肉となって今の私がある。

先生と連絡帳で、自分の子育てを振り返っていると、やがて自分の子供時代に想いを馳せるようになっていった。我が子に対して向き合う時、自分の子供時代に受けた禁止令が障壁となっていることに気付いていった。子供時代を辿っていく中で、今の私はあの時のあの出来事があって、こういう状態になったのだな、と分かっただけで、今の自分を認め、許すことが出来ていった。

我が子が寝静まった深夜に一人、ノートと向き合い鉛筆を走らせていると、どんどん胸の中に封印していた子供時代の辛かったこと、嬉しかったこと、嫌いだったはずの父との思い出などが蘇り、泣きながら毎晩書き続けていた。これがあったから、私は生まれ変われたのだと思う。麻痺させていた感情を取り戻したのだと思う。その後は我が子への接し方を変え、「〜〜しなさい」ではなく「〜〜しようか」と言えるようになった。自然体の自分で接することができるようになった。

先生とやりとりした連絡帳は7冊になっていた。このノートのおかげで、しょっちゅう顔を合わすわけではない担任の先生と、連携をとることができて、理解を深めていただき、その影響が回り回って子供に還元され、なんとか小学校を良い形で卒業することができたのだと思う。

そして、この連絡帳が、私の、考えや思いを言葉に変えて、文章にして相手に伝えるという力を養ってくれた。

その後、程なくして、私は困っているお子さんや困っている保護者、困っている先生の、少しでも橋渡しが出来、役に立つことができたらと考え、学校で介助員として働くこととなった。そこでは、お母さんに向けて連絡帳を書く機会に恵まれ、担任の先生が忙しくて見きれない所や分からないところを代わって書く毎日がやってきた。これについては紆余曲折があるけれど、保護者の方からは当時の連絡帳は宝物だと言っていただいた。私が我が子のことでやりとりした連絡帳の様に、お母さんにそう思ってもらえたことが何より嬉しかった。

そこから次は療育施設で働くことになり、その為のHPやチラシを作らなければならなくなった時、当事PCがほぼ全く使えなかった私だけれど、他人に案を考えられるのが嫌で、三日三晩徹夜してある程度の操作を身につけて、HPとチラシの原案を作成した。

そのHPとチラシには、私が大切に温めてきた大切な言葉たちを、溢れんばかりの想いと共に載せ、公開した。

それから1、2ヶ月経った頃、1本の電話が入った。もう会社名は忘れてしまったけれど、「本を出しませんか?」というお誘いだった。 

その溢れんばかりの想いを込めて載せた大切な言葉、フレーズが、その人たちの目に触れたらしい。

若かりし頃、夢みた「本を出す」という言葉に、びっくりしたけれど、素直に嬉しく興奮した。私にそういう機会が訪れるなんて!と。

 

ただ、自費出版にはお金がかかる。半分負担してもらえるという話だったが、その頃の私には別の夢(我が子たちを何とか大学に行かせてやりたい)があり、本にかけるだけのお金は手元になく、そのお話は丁重にお断りさせていただいた。

 

忘れかけていた夢がむくむくと顔を出し、またそんなことが出来たら良いなぁと考えていた頃、今度は子育てのお話を、市の教育フォーラムでお話してもらえませんか?というお話をいただいた。「え?私ですか?」と驚愕だった。

ところがこちらも、私には大きすぎる場だし、そこに裂ける余力もなかったので、即座に良いお返事はできなかった。

今考えれば、もったいなかったなぁと少し思うが、仕方がなかった。

そうして、大勢に向けて自分の思いを言葉に乗せ、発信するということには繋がらなかったけれど、療育という仕事をする中で、多くの親子さんに出逢い、自分の「考え」や「思い」を言語化して口にする機会が与えられたことで、しばらくの間、満足できていたんだと思う。

でも、それも束の間、やがて、今度は若い頃に積もっていた思いとは別のものが胸の中にいっぱい積もり出してしまった。

それは、療育の場で出逢った子どもたちへの思いや、療育に関する情熱、そして美しい自然への思い、などだった。

早く胸から出していかないと、次から次へと新しいきらめきや考え、思いが胸に入り、もうはち切れそうになっていた。

 

そんな時辿り着いたのが、このはてなブログだった。

 

私は苦悩に満ちた子供時代に、円満な家庭では育たなかったけれど、それでも不自由な想いをそこまで感じていなかったのは、ある意味幸運だったと思う。それを、勝手に「守られている」と感じていた。何に?それは分からないけど、ご先祖さまか何か。先に亡くなったおじいちゃんかもしれない。

私は石橋を叩いて叩いて渡らないタイプだった。でもじっと思案を重ねていると、その内、何か転機が訪れだしている気配は感じていた。行動力のなかった私はただひたすらその転機にひょいと乗って、次のステージに行くという感じで行動していた。

それがご先祖樣の働きかけだったのか、神様の采配なのかは分からない。ただ、「おじいちゃんが教えてくれてるのかもなあ」と思って「大きな流れ」に乗っていた。

はてなブログに辿り着いたのも、その大きな流れの一貫だったのだと思う。

 

苦労があったことには、何か意味があったのだろう。その意味とはなんなのか•••?と長年探し続けていた。苦労とは、した者でなければ、その立場に立った時のリアルな気持ちは分からないものだ。だとすれば、私がした苦労というものは、将来、困っている誰かの痛みを分け合い、軽くすることに役立てられるのかもしれない。と気づいた。

そして、それはきっと、私のアイデンティティ確立の為の旅だったんだろうと今では思っている。

 

読書感想文が嫌いだった私は、大きな流れに乗る内に、思いを言葉に載せて、文章にして書くということができるようになっていた。

流れ流れて辿り着いたこのはてなブログで、心に湧き起こるきらめきや、困っている誰かさんへのメッセージなどをこれからも書いていけるといいなと思う。

それによって、私も助かることができたら、、、。

 

夢が叶ったも同然なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

不登校の子どもたち、そして日本の未来について考える⑵

いつも、このきらめき綴りをお読みくださりありがとうございます。

先日から書いている一連の記事について、お読み下さった方々は、様々な思い、感想をお持ちになられたことと思います。

賛否両論色々あることと思います。

不登校」という、社会現象とも言われるこの問題については、私たち大人がこれからも真剣に考えていかなければならない問題だろうと思います。

身の回りに、困っている親子さんがおられない時は、あまり身近なこととして捉えにくいかもしれません。

また、ご自身が、実際にいじめにあってこられたり、学校に対して良い思いがなく、苦しんでこられた方も多いかもしれません。

反対に、学校が大好きで良い思いしかなかったという方もおられるかもしれません。

 

この不登校という問題は、本当に深い問題で、みんなで一緒に真剣に考えていかなければいけないことだと思うのですが、最近色々な人と話していて痛切に感じることは、それぞれが、自分の感情や体験を主体にして考えがちだったり、他人事だったりで、これから将来のある子どもたちや真っ暗闇のトンネルの中で悩む保護者の方の立場に立ち、客観的に考えて、意見を交換し建設的に話し合うことができる人がなかなかいない。難しい、ということでした。

 

学校が好きでいい思い出があるから、学校には通ったほうがいい。学校には嫌な思いしかもてなかった、本当に大変な目に合ったから、通わなくていい。と、主張をぶつけ合うのではなくて、その当事者の方にとって、本当に大切なニーズはなんだろう?リアルニーズはなんなんだろう?という視点で、みんなで考えて行かなくては、まとまっていけないのではないかと思うのです。また、そういう視点からのアドバイスでなければ、当事者の方は困り、苦しくなってしまうだろうと思うのです。

 

ニーズとは、その人の意向のことです。

子どもが「学校に行きたくない」といえば、それがニーズです。

しかし一方で、子どもたちはまだ幼く、成熟した存在ではないため、自分が大人になった時のことまでは想像し考えることは難しいです。本人の意向(ニーズ)はあるけれども、これから続く長い将来への道のりを考えた時、それが本当にそのお子さんやご家族の最善の利益、幸福になり得るのかどうか、ご本人たちとじっくり向き合い、話し合い、心の奥底の願いを聞き、受け取り、考えながら、模索し熟考して、本当に大切なニーズを探して見極めていかなければなりません。これを療育の世界では、リアルニーズと言います。

リアルニーズは様々な観点から、物事を多角的にそして俯瞰的に考えて導き出さなくてはならないので、それ相応に勉強する必要があります。

 

それぞれの親子さんが置かれた状況は違い、命を守るために学校から距離を置く決断をせざるを得ないケースもたくさんあると思います。学校から離れた場合、それでも傷ついた心を癒やし、治癒に向けて行く中で、他者との交流や学びを受ける権利、自分らしく生きる自由、安心できる居場所の確保が大切です。

でも、そうではないケースもあるのです。背景に発達障がいが絡んでいると、見えない難しさがたくさんあって、その世界に慣れていないと、なかなかに理解がしてもらいにくいのが現状です。

なので、知らない方にもこれを機に知っていただけたらと思います。少し知っている方には、もっと知っていただきたいと思います。

 

私が「不登校の子どもたち、日本の未来を考える⑴」に書いた内容は、私が学校が大好きで、学校が第1主義で、何が何でも登校優先と考え、書いたものではありません。

長年の間、この問題を見つめ、学校に入って、その内から問題を考え、療育の世界で色々な関係者と話し、更に深く当事者のお子さんや保護者の方々と膝を突き合わせて話して頭を悩ませ、この子が我が子だったら、という気持ちを忘れずに、学校や関係機関とやり取りしてきたことから見えてきたこと、発達の問題や家庭の問題に取り組んできたこと、などなどから考えた内容です。

ここに来て、急速に不登校のお子さんを取り巻く環境が変わろうとしています。

ある意味、混乱期に入るだろうと思います。

私立に行きたいと願った親子さんではないのに、高いお金を払わなければお子さんに合った教育を受けられないとか、近くに学校があるのに遠くに通わなければならないとか、そこに友だちがいるのに離れなければいけないとか、みんなと一緒に通えることなら通いたいのに、断念しなければならないとか、ただ理解してほしいだけなのに、こんなに揉めるのかとか。

どうしてそんな思いをしないといけない親子さんが出てくるのか。

どうして、外部の機関に任せるのか。

特例校やフリースクールは、本当に理解があるのか。

認可外のフリースクールは、国がちゃんと把握してくれるのか。それとも放ったらかしになるのか。

適切な教育を受けられなかった子どもたちはどうなるのか。

そんな新たな課題に直面するのかなとひしひしと感じるのです。

だから、本当にその方向性しかないのか、みんなで自分事として、勉強しながら考えていけたらいいなと思うのです。

私の文章は、時にやや圧が強いことがあるかもしれません。嫌な感じを受ける方がおられるかもしれません。

ただ、言っていることって、どう言うことなんだろう?と考えてみていただけたら、有り難いのです。

嫌だな、なんでそんな考え方なの?という気持ちの動きからでもいいので、色んな角度から考え初めて欲しいのです。

 

 

では、前回からの続きを始めます。

 

⑴は、様々な問題が絡んでいるから複雑で難しいように感じるけど、よく見れば問題はシンプルなんだよ、タイプ別の解決策ってあるんだよ、戻れる子たちもいるんだよって話を書きました。

⑵では特例校やフリースクールに触れ現時点での私の疑問や心配、問題提起について書いていきたいと思います。

 

文部科学省は、「学校に登校する」という結果のみを目標にするのではなく、、、ということで、フリースクールの活用も積極的に視野に入れるようにもなりました。

不登校の特例校というものも現れました。不登校のお子さんの実態に合わせたカリキュラムで教育を実施してくれる学校だそうです。

でも、例えば関西圏なら大阪、兵庫、岡山、広島、それに九州の半分といった広い範囲にその学校は今のところなさそうです。

特例校の無い地域の不登校のお子さんは、どうしたらいいのでしょうか?

急に選択肢が広がって、保護者の方は焦りがでるかもしれません。

放課後等デイサービスの様に、サービスが受けられるとなると、受けなければ損してしまうのではないか?というような気持ちに駆られてしまうかもしれません。

ただでさえ、家でお子さんと煮詰まっているのですから、そうなると、他に方法はないか?と奔走されるかもしれません。そうすると、認可は受けていない認可外のフリースクールでもいいから頼らざるをえないと考える方が出てもおかしくはありません。

 

でも、これが、今回私がこの一連の記事を書く原動力となった、一番の心配事なのです。

 

困っているお子さんを抱えた困っている保護者の気持ちを上手く使って、「学校に行きたくなければ、行かなくていい」と言って、心を引き付け誘うところが出てきているからです。

表面上は、言葉巧みに優しい声と満面の笑みで、困っている方々がホッと安心して信頼してしまうような接し方で説明するところがあるかもしれません。

でも、お願いです。

大切なお子さんを預ける場所が、本当に適したところなのか、どうかじっくり吟味してから決めて欲しいのです。

そのフリースクール等や、そこの代表者が発信している内容を隅々までよく調べて欲しいのです。

学校と上手く折り合いがつかなかったとき、あんな学校よりも全然良いと、思わず大事なことを見落として、パッと目を引いたフリースクール等などに移ってしまうこともあるかもしれません。

でも、人格形成において大切な学童期の子どもたちの教育はとても重要です。

新しく通う先の先生方は、障がいや不登校のお子さんへの理解がしっかりされていますか?対応方法を知っていますか?きちんと目が行き届いていますか?

人間性は信頼できますか?

中には良く知らないで、参入しているところもあります。

パッと目を引くものでなくていい。環境だけに目を奪われないで。巧みな言葉には気をつけて。取り巻きの多さは関係ない。有名人とかも関係ない。

地味でもしっかりとした教育観、倫理観、社会通念を持ち、そして経験を持っている人のところを選んで下さい。

認可外ということは、何かあっても国は責任を取ってくれないのではないでしょうか。責任なんて、はなから取れないのですが、何かあってから調査が入っても仕方がないのです。

同じ日本の大切な子どもたちなのに、認可外のフリースクールを選ぶと、なんだか放り出されたような気がしてしまいます。困っているのに、高いお金を出して通わなければいけないとか。遠くに行かないといけないとか。

なんだかな、、、と腑に落ちません。

 

さっきも書いた様に、学校なんて行かなくていいとか、勉強なんてしなくていいと、子どもたちが喜びそうな魅力的な誘い文句で呼び込むところには注意してくださいね。

自立の為だといって、学習する機会を奪って働かせるところもあるかもしれません。

自分が学校を好きでなかったからとか、勉強する意味が分からないからとか、気持ちが分かるという理由で開設している所もあるかもしれません。

自分がそうだったからといって、これから可能性が多いにある他人のお子さんたちに、自分と同じ道を歩まそうだなんて、よく考えるとおかしいですよね?高い知性を持っているけれど、今はまだ開花していないだけというお子さんたちもたくさんいます。どこまで伸び代があり、能力が眠っているか、じっくり観察しながら慎重に見極めて、力があるならゆっくりとでも伸ばしてあげる必要があります。なぜなら、子どもたちは発達途上だからです。

 

だから、子どもたちのことを本当に考えていたら、「もし学校に行きたくなったらいつでも行っていいんだよ。その時はちゃんと学校の先生と相談して、〇〇ちゃんが安心して通えるように頑張るからね」「勉強したくなったら、いつだって言ってね。できる限り教えてあげるからね。」と言ってくれるはずなんです。

なんなら、いつでも戻りたくなったら戻れるように、その時の為に必要なコミュニケーションスキル、衝動を抑制しコントロールする抑制力、忍耐力、共同注視の力や適応力などを身に付けられるように取り組んでくれるはずなんです。認知の穴を塞ぎ、概念形成が進むように教えてくれるはずなんです。

 

文部科学省は、「児童生徒によっては、不登校の時期が休養や自分を見つめ直す等の積極的な意味を持つことがある一方で、学業の遅れや進路選択上の不利益や社会的自立へのリスクが存在することに留意すること。」とも言っています。

 

認可外のフリースクールでは、卒業資格はもらえないところがあるのでは?それって進路選択上の不利益に繋がりませんか?

勉強しなかったら、やっぱり社会的自立へのリスクが増しませんか?

社会的自立は、手に職をつけても成り立つかもしれません。でも、学習って、いい学校やいい職に就くためだけではないんです。

「なんのために勉強するのか?」にも書いているように(購入下さった方はご存知のはず)他者とより良くコミュニケーションを取ったり、関係性を作ったりする為や問題解決の方法を導き出す為の思考力を養う為にも必要なんです。

それに、一個人の話なら、勉強しなくても収入を得ることさえできれば生きていけると考えるかもしれませんが、これだけ日本中で多くのお子さんが、学習する機会を奪われるとなると、将来日本はどうなっていくだろうか?と一抹の不安も感じるのです。

みんなで農業すれば自給自足で生きて行けそうに思えますが、国はどんどん衰退していくのかもしれません。

個人としては幸せになっていくはずが、国が衰退しては皆んなが窮地に立たされてしまうかもしれません。それってこの問題に関心がない人たちにだって関わってくる大問題です。

 

そして私の疑問としてもう一つ、特例校だって、「学校」には違いないのでは?というものがあります。

学校がキライな子が、特例「校」や、フリー「スクール」なら行けるのかな?

そこにも多分、大勢の人が通うと思うのに。

勉強するなら同じなのに。と。

 

それなら発想の転換をしてみては?

配慮が行き届き、環境調整がされ、少人数の生徒に手厚く先生がつき、個人に合わせた学習が提供されると、特例校やフリースクールには通えるんだとしたら、通常の学校も、クラスの人数を少なくして、特例校やフリースクールの先生を支援担当や、今募集中の先生の仕事を軽減する職員として配置して、先生に余裕が出たところで、個人にも合わせた学習にも対応して、子ども達が主体的に学びたいと意欲をもたらすような授業や声かけの仕方を工夫すれば?

人が増えて余裕が出来て、たくさんの目で子どもたちを見ることができれば、いじめにも気づくことができるんじゃないですか?

そうすれば、特例校やフリースクールと同じになるんじゃないですか?

特例校やフリースクールがなくっても、困るお子さんは減っていくんじゃないですか?

 

色々な角度から長年考えてきましたが、今は上手く回っていない面ばかりクローズアップされていますし、学校の先生方は、昔と少し違うかもしれませんが、それでも免許を取れるだけの学業を収めてきている人たちです。毎日毎日、会議を繰り返して子どもたちのことを考えています。質で考えると、確かに高いものを持っているはずなんです。

良い先生方もたくさんおられるはずなんです。

 

学校があまり急激に変わらないのは、大きく変わるとリスクが高いからだと思うんですよね。変化の影響は、何年も経ってからしか現れませんから、それだとその時小学生だった子たちは大人になってしまっているかもしれませんよね。失敗だった、と言われても取り返しがつきません

幼い間に刷り込まれたことは、その後の人格形成に影響が大きいです。だから、少しでもしっかりしたところで教育してもらう方がいいわけです。人の育成には時間がかかります。涵養でなければならないんです。急な変化には対応しにくいからこそ、国や学校は慎重なのだと思います。それでも国もやっと重い腰を上げて、改革に乗り出したのだと思いますが・・・。

 

でも、特例校やフリースクールというのは対処療法と同じではないのでしょうか。

特例校やフリースクールの先生が出来ることなら、学校の先生にだってできるはずです。もともと学習能力が高い方達なのですから。 

学校は、本気で勉強してより良い方法を取り入れて、みんなで知恵を出し合い力を合せて柔軟に変わっていくことは、本当にできませんか?

難しければ、その分野に長けた人々を配置するのはどうですか?

そうすれば、学校が通いやすくなり「みんなが通う学校に、自分だけ行くことが出来なかった」と悔しい思いをする子どもたちが出ずに救われるはずです。

ハードが変わらなくても、ソフト面で変われることは、山ほどあるはず。

 

根本的に、何のために勉強するのか、学ぶとはどういうことなのか、私たち大人は、もう一度見つめ直してみませんか?

 

そして、お母さんたちは、幼少期は可能ならなるべく子どもさんのそばにいてあげてもらえませんか?それだけでも子どもたちは精神的に安定します。

 

たった1度、みんなで心のベクトルを変えるだけで、子どもたちの、そして日本の未来が変わるかもしれません。

 

元から不登校にならなくていい世の中作りを。

 

 

 

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不登校の子どもたち、そして日本の未来について考える。⑴

ずっと、考えていたことを、皆さんにお話したいのですが、かなり長くなったため、2回に分けてお届けしたいと思います。

是非、最後までお付き合いくださいませ。

 

 

私には、忘れられない不登校のお子さんたちがいます。

 

というか、出逢った不登校のお子さんたち、全員忘れられずにいます。

みんな、苦しく、もがいていました。

言葉にならない苦しさに、頭を抱え、泣き叫び、力の限り悪態をつき。

「学校なんて行きたくない!!!」と泣いているのに、その姿からは、「学校に行きたい!」という心のメッセージが聞こえてきました。

「友だちなんかいらない!!」と怒っているのに、「友だちが欲しい!」と寂しい心が伝わってきます。

先生方は諦め、お母さん方は混乱の渦の中。

みんな、どうしたらいいかわからない。

大人だけで相談し合う日々。

 

どうして子どもたちに聞かないの?理由は子どもたちが知っているのに。

「大人の都合」が邪魔をする。

 

本当は、シンプルな問題なのです。

いじめがあるなら、いじめを封印すればいい。ちゃんと、封印できる方法がある。

クラスに人が多すぎるなら、他の教室で少ない人数から始めればいい。

多くの人の目が怖いなら、みんなで見ないようにしてあげればいい。

笑われるのが怖いなら、笑わないようにしてあげればいい。

誰かが怒られていると、自分が怒られているような気がしてしまうなら、事前にあなたを怒ることはない、「もし誰かが怒られていても、あなたのことじゃないからね」と約束してあげればいい。

何をすればいいか分からないなら、隣で教えてあげればいい。

集中できないなら、集中できるように工夫してあげればいい。

学校が怖くて行けないなら、学校は怖いところじゃないよと教えてあげればいい。

先生も友だちも、みんな待っていて、仲良くしたいと思っていると伝えてあげればいい。

教室には入れないなら、「どこなら」入れる?と聞いてあげればいい。

「〇〇の部屋ならいけるかも」と言ったら、それは叶えてあげればいい。

先生に理解がないなら、先生に教えてあげればいい。

学校に理解がないなら、どうしてなのか?と学校にどんな都合があるのか聞いてみればいい。

友だちがいないなら、友だちを作ってあげればいい。

友だちなんて、たくさんいなくていい。一人でも話ができる人がいれば、それで十分なんだと教えてあげればいい。

あなたには、学校に行く権利も、未来もあるんだと教えてあげればいい。

 

そして、お母さんに側にいて欲しいんだ、と言われたら、お仕事を休んで側にいてあげたらいい。

寂しかったと言われたら、あなたが一番大切だ、あなたが大好きだ、と、大きくなっていても、恥ずかしがらず膝に抱えて抱きしめて、伝えてあげたらいい。

かまいすぎないで!と言われたら、少し離れて「信じてるよ」と言ってあげればいい。

みんな、あなたの味方なんだ、と教えてあげればいい。

世の中のこと、これからのこと、人と仲良くする方法、「分からないこと」を、教えてあげればいい。

「きっと、大丈夫だよ」と安心をあげればいい。

怖いこと、苦手なことには、少しづつ慣れるようにしてあげればいい。

何より、学校と担任の先生と、ご両親が連携し、心を一つにして良い関係を作ってあげればいい。

 

家庭の問題、学校の問題、いじめの問題、発達障がいなどの絡む問題、問題はたくさんあって一人一人対応策は違うけれど、一つ一つ、丁寧に、丁寧に、絡まった問題を解きほぐし、考え、根本に辿り着けばいい。出てきた課題に、一つ一つ、取り組めば、必ず糸口が見つかる。上手く行かないのは、きっとどこかにまだ忘れているところがあるから。

 

乱暴なようだけど、本当は簡単なこと。

だけど、みんな、コツを知らないんだね。

 

 

私の元に不登校の問題を抱えてやってきたお子さんたちは、ADHD自閉症スペクトラムの特性を持っていました。だけど、それだけではなくて、多くのお子さんが何かしらの家庭の問題を抱えておられました。

ご両親の不仲、離婚、下の子の誕生、引越し、所得の問題、健康、過干渉、ネグレクト、虐待、帰国子女、などなど。

その中で、一人でお留守番を小さい頃からすることを余儀なくされて、寂しい思いをしていたり、引越しで友だちを失い、新しい学校に馴染めなかったり。ご両親が体が弱くてお手伝いに忙しかったり、不安が多かったり。適切な養育をうけていないことも。

ゲームを家庭でのルールなく与えられ続けて、過集中から出られなくなったお子さんもおられました。いわゆるゲーム依存症です。

自分の困りごと(感覚過敏、集中力の低さ、過集中、対人不安、概念形成や体の発達の遅れなど)に加えて、自分では改善できない問題を抱えて絶望感を持つお子さんも多くおられました。

困難なことが重なって、どうしていいか分からなくなり、だんだん心の元気が失われていきます。

そんな時、ちょっとしたトラブルが起こっただけで、余裕のない心は対応がし切れなくって、過剰に反応してしまいます。

元気なら、反応しなくてスルーできることも、スルーできない状態なのでしょう。

でも、周りはそんなこと、なかなか気づいてくれません。

叱責が多くなったり、友だちがいなくなったり。

周りへの不信感や、溶け込めない気持ちは膨れ上がり、「学校」という集団の場に行くことが、より難しくなっていきます。

「どうしたの?」「何が嫌なの?」そう聞かれても、状況把握や自分や他人の気持ちの理解が苦手な子どもたちは、こんなざっくりした聞かれ方をしても、何から話せばいいか分からず、怒るか黙るかするしかありません。

「学校なんて行きたくない」「友だちなんて欲しくない(いらない)」と、苦し紛れに言ってしまい、誤解を受けてしまいます。

 

私が出会ったお子さんたちは、

誰一人、本当に友だちがいらないと思っていたお子さんはいませんでした。

誰一人、本当に学校に行きたくないなんて思っているお子さんはいませんでした。

そんなふうに言うことで、それぐらい嫌な気持ちなんだ!困ってるんだ!どうしていいか分からないんだ!という気持ちをぶつけ、表しているのです。

 

多くの大人たちは、この言葉を聞いてショックを受けます。この言葉「だけ」で、どうして良いか分からなくなって混乱します。

字義通りに受け取ってしまって、そんなに「行きたくないなら、行かなくていいのかも」と休む方向に行ってしまいます。

いじめや傷つく体験があったお子さんは、無理をしないで休ませた方がいいという風潮が強くなり、文部科学省も、「学校に登校する」という結果のみを目標にするのではなく、児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて、社会的に自立することを目指す必要がある、、、という方針を令和元年10月の通達で打ち出しています。

国も、学校だけが目標じゃないよ、と言っている中で、お子さんにこう言われてしまったら、ご両親も、「そうなのか、無理に行かせようとしなくていいのか、、、。本当にいいのかな?」と思いつつも、休ませる方向により行かざるをえませんよね。

それが必要なお子さんもいらっしゃると思います。

 

ただ、自閉症スペクトラムの特性を持つお子さんたちは、勿論不適応などを起こして挫折感も抱いているし、友だちや先生から注意ばかり受けて自己肯定感が下がっているなど、傷ついてもいるのですが、それ以上に「家」が好きです。一度学校に行かなくていいと、家に籠る生活に入ると、外に出にくくなってしまいます。自閉症スペクトラムのお子さんはパターンで生きておられるところもあるため、毎日学校に行くとか、一日のうちに外出する、といった家から出るルーティンがなくなると、「家から出ない」が知らず知らずパターンに入ってしまうことがあるからです。そして、将来へのビジョンを自分では構築して持てないことが多いため、「このままいつまでも子どもで家にいることができる」と思っていることが多く、休憩をとって元気になっても、自分を見つめてこのままではダメだ、と自分から外の世界に戻ろうとする動機には繋がりにくいのです。

優しいご両親、特別不自由のなく快適な生活、特別に問題がなさそうに見受けられるご家庭のお子さんなら、特にこの傾向が強いかもしれません。

反対に、何かしらご家庭に困難がある場合、精神的なエネルギー不足だったり、登校するためのバックアップがもらえず自力では家を出れないケースも多いです。

そうやって、家に篭ったら、籠もっただけ、外に出ることに時間と労力を要するようになってしまいます。

コロナ禍に、自宅生活が続いただけでも、普段は不登校でもないのに家から出ることが困難になってしまったお子さんも多くおられて、また通常の生活に戻すのに苦労しました。

そうして、様々な理由で、学校に行くことができなくなってから、大人が慌てて登校刺激を頑張っても、期間が1年単位で長くなると、人と話したりやり取りしたり、譲り合ったり、折り合いをつけたりといった社会生活を送っていないので、社会性の発達の遅れが顕著になります。

私は、様々なタイプのお子さんたちに出会ってきましたが、例え重度の自閉症や知的障がいを持っておられても、大勢の人がいる学校で集団生活を送り経験を積んだ方は社会性の面でも集団適応の面でも大きく成長され、その後社会生活がスムーズなのに対して、先ほどのような、長く集団生活から離れたお子さんほど、本人が戻りたいという気持ちが芽生えてからでも、周囲と上手く合わせていくことが難しく、少人数であっても集団への参加が困難になっているお子さんもいて、なんとも複雑な思いを抱いてきました。

また、不登校になったものの、高学年になってから家庭内暴力がひどくなるお子さんも多いです。

そんなお子さんの話を慎重に聞き取りしていくと、どうやら自分では気づいていないのですが、心の奥底では、漠然とした将来への不安、学校に行けない自分、本当は友達と遊んだり話したりといった関わりが欲しい、学びたい、という欲求がふつふつと上がってきているようでした。

高学年ともなると、思春期の入り口でもあり、この行き場のない思い、不全感のエネルギーが高くて、自分の力では抑えが効かずコントロール不能になるのでしょう。それが暴力という形で両親や下の弟妹に向けられてしまうのでした。いくらお薬を処方されても、ふつふつと湧き上がる思いはなかなか治りません。

それを私と話し、言語化していくうちに、自覚が芽生えていきます。

話をするうちに、将来へも目が向き始めます。それまで、ただ知らなかっただけなのです。自分が将来大人になり、働いて生計を立てるのだということを。高校に行くことさえ、分かっていなかったお子さんもたくさんいます。知らなかった、分かっていなかったことに、誰も気づき、教えてくれなかったのですから仕方ありません。私と話して初めて気づき、焦り、どうしたらいいかと考え始めます。

そうなるとチャンスで、学校と相談し、受け入れの準備をお願いします。

双方から働きかけることによって、上手くいくと好きな授業や行事から参加が始まることができます。

ただ、人生の中で、気づきに遅すぎるということはありませんが、あまりにも遅れを取り戻すことが困難になっていて、ご本人が頑張ろうと努力しても、壁が分厚くて乗り越えられないことがあるのです。

なりたい職業が見つかっても、それに必要な学力や知識がなくて、断念せざるを得ないといったことが出てきます。

できれば少しでも早く、子どもたちに大人が「何のために勉強するのか」、「学ぶとはどういうことか」を懇々と教えてあげることができていたら。少しでも早く、子どもたちを目覚めさせてあげることができていれば、その子なりのスピードでもいいので、ある程度の社会性や学力を、スモールステップで身につけてあげることができたかもしれません。

私が出会ったお子さんたちは、不登校になり、学校を巡回指導する先生も手立てがない、手遅れだ、学校にはもうできることがない(登校させなかった段階で)、と突き放したケースでも、半年で学校に戻っています。

 

小学校で介助員をしていた時は、クラスのお子さんが不登校になりかけて、担任の先生が「フリースクールに行くことも仕方ない」と諦めかけたとき、「教室は無理でも、他ならどこがいいか?どこでもいいから、そのお子さんが学校にいられる居場所をなんとかして作ってあげて欲しい、例えその子が一度は拒否しても、あなたを見放しはしない、いつでも待っている、居場所を作る用意がある、ということを、何度でも言ってあげて欲しい、学校の中で、いつでもそれが可能なように、相談や調整をして欲しい」と訴え、担任の先生が行動を起こしてくださった事で、フリースクールにも週に2日ほどは通いましたが他の3日は別室登校で学校に通う道を残すことができました。そしてその3日の間にケアをしたり、個別学習をして手厚く受け入れていく内に、嬉しいことに、やがてそのお子さんはフリースクールを辞め、教室に戻って来ることになりました。フリースクールは、他にもお子さんたちは通っていますが、学年が違ったり、気の合う人が少なかったりして、友だちがいないというのが主な理由でした。

フリースクールに通う他のお子さんたちの中にも、同じように友だちができなくて寂しくなった、クラスの友だちが恋しくなった、という理由で、学校に戻るケースを何人も知っています。学校にいつでも戻れるように居場所を作り、呼びかけをしてもらっていたお子さんたちでした。

功を奏したのは、不登校気味になってから、あまり長期になっていなかったことでした。

子どもたちも、長く学校を離れると、例え戻りたいと切に願っていても、いえ、願えば願うほど、今さら戻っても受け入れてもらえないのではないか?みんなから何か言われるのではないか?と不安にかられるようです。

だから、戻るなら早めがいい。お子さんの言動に少しでも戻ろうか?と迷いが見られだしたら、周りの大人も心や環境調整の準備を水面下でして、チャンスを逃さない方がいいのです。白鳥の様に、水面下では調整にバタバタ足を動かしていても、水面より上の見えるところではゆったり優雅に接してあげると子どもたちは過度なプレッシャーを受けずに済み、成功しやすいです。

子どもたちが復帰するには、環境調整ありきですが、本人の認知の歪みも少しずつ直してあげなければいけません。ちょっとずつ、思い違いをしていますから、それを丁寧に言い換えて、直していってあげるのです。それと将来へのビジョンと勇気を手渡してあげることが必要です。

 

療育の場で出会った不登校のお子さんたちも、学校に何度も掛け合い、お子さんたちの特徴と対応方法を説明しました。先生方も、よく知らない場合が多いのです。先生方にもプライドがありますから、そのプライドへの配慮は忘れないようにしながらも、ただ子どもたちへの理解を進めていただくために説明していることを、丁重にお話すれば、心ある先生方の大半は耳を貸してくださいます。

すぐに上手に関われなくても、少しずつ理解を進めてもらえるように密にコミュニケーションを取ります。

話し合いは、担任の先生だけで止まらないように、できれば教頭先生、校長先生にも丁寧に話されて、共有していただくとより良いです。

子どもたちの復帰は、保護者と先生、学校の協力が不可欠です。

保護者は学校という大きな組織を前に、たった一人の個人として向き合うことに、大抵の方は極度に緊張します。プレッシャーから、思わず強めに言い過ぎてしまうこともあると学校の先生方は理解してあげてください。子どもを思う親の必死な気持ちの表れと、なるべく良く理解してあげてください。

先生もまた一人の人間。40人近い子どもたちを一人で纏め、大変だということは忘れずに、難しければ、学校にはたくさん他にも先生がいらっしゃるので、どなたかは話を分かって下さる方がいるでしょう。

そして、学校の先生というのは、ある意味専門性を持っていて、それへの自負というものを強く持っておられます。その自負があるからこそストレスだらけの教師というお仕事を続けていけるわけで、もし、あまりにもその自負を砕いてしまったら、教壇には立てなくなって、たちまちクラスみんなが困ってしまうことにもなりかねません。

「学ぶとはどういうことか」でも書きましたが、教育は商品ではないので、消費行動の様にあまり突き上げすぎてもいけないわけです。その辺り、とても難しいのですが、お互いがお互いを労り合いながら、一番困っているお子さんの為に力を合せて、知恵を出し合ってもらえると、必ず良い方向に動き出すと思うのです。

 

続く。

 

 

この問題は、なるべくたくさんの方に読んでいただいた方がいいので、投げ銭的有料設定とすることにしました。

何か心に感じていただけたら、ポチッと購入いただけるとありがたいです。

 

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「学ぶ」とはどういうことか?

今日、書くお話は、8月31日にアップした「何のために勉強するのか」と、これから書く予定をしている「不登校」のお子さんに関する記事との3部作になっています。

できれば、有料記事にするまでに3つとも書きたかったのですが、何せ頭の中から、絡み合った多くの考えを統合しなければならなくて、時間を要してしまいました。

有料ではありますが、不登校のお子さんをお持ちの保護者の方々、そして、不登校の問題に関心をお持ちの方々、療育関係の方、学校の先生方にもお目通しいただき、一緒に考えていただけると嬉しいです。

 

 

 

「聞いてません!」

「教えてもらってません!」

「言ってもらわないとわかりません!」

 

この言葉を、若い方たちが言っているのを耳に挟むことが多くなりました。

大人の皆さんも、覚えがありますか?

 

私、この言葉を若い人から語尾強めで発せられるのを聞く度に、「ほぉ〜」「おぉ」と、思わずにはいられないのです。

 

私、若い頃、そんなこと、口が裂けても言えなかったなあ〜。

言えない理由は2通り。

1つは、そんな勇気はなかったこと。

もう1つは、プライド、かもしれません。

 

プライドって、気位が高いという意味のプライドではないんです。

もし私が聞き落としていたとしたら?それを確かめもせず、「私は聞いてません!」って言うと恥ずかしいことになりますよね。

それとか、「私、教えてもらわないと分からないんです」、「言ってもらわないと分からない力しか持ってないんです」と、自分で言ってしまうのと同じな気がして、そんなこと、社会人として言えないぞ、、、(汗)と、そこは社会人の端くれとして、言ってしまったが最後。そんなことは意地でも言えない、と言った最低限での意味のプライドです。

反対に、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざもあり、分からないままでいると、返って大きな失敗をするかもしれないぞ、、、と、どうしたらいいか思案に暮れるのも事実。

そこで、私が取る方法は、

聞いてないなら「あの、すいません。もしかしたら私が忘れてしまっているのかもしれないのですが、思い出したいので、いつ頃そのことについて連絡されたか教えていただけますか?」と相手に打診する、です。

そうすることで、実際は自分が聞いていたのに忘れているのか、本当に聞いていないのかを判断する情報をもらえますから。

もしかしたら自分が休みなど不在の時に連絡がされた内容かもしれません。確かめたことで、そういう状況がわかったら、「たまたま、その日はお休みいただいていまして、連絡を受けていないようです。お手数おかけしますが、教えていただけますか?」と返せば、お互いの間に何の問題も蟠りも、溝も生じませんよね。

でも、もし聞いていたのに忘れていたなら、そのことを詫び、再度教えてもらうことをお願いすればいいのです。

でも、最初に語尾強めで啖呵を切ってしまうと、「教えてください」とはなかなか言いにくくなりますね。

 

「教えてもらってません!」とは、いつまでも学生気分の抜けない言葉のように思えます。教えてもらって当然、当たり前だと言わんばかりです。社会人になったのだから、直接教えてもらっていなくても、先輩が日頃どのように行動しているかをつぶさに見て学び、それでも分からないところは、教えを請うという姿勢があれば、まず、こういった強気な発言にはならないものです。

強気な発言をすることで、自分の未熟さが露呈してしまっていることに気付いていない人たちが増えたなあ、違った意味で、プライドが高いなあ、いや、低いのか?と頭を捻ってしまいます。

 

今や、こういったことは社会現象の一つとして捉え、仕方がないので先輩たちは、なんとか自分たちの方の物の捉え方を変えて、若い人たちと円滑にコミュニケーションを取っていこうと努力しています。

若い方たちは、昭和な人たちのことを、頭の硬い時代遅れな人たち、と軽蔑しているでしょうが、自分たちの培ってきたやり方考え方まで投げ打って、若い人たちの考え方を取り入れ、理解しようとするこの大人たちは、逆に柔軟な頭を持ち、相手の育った背景から理解して受け入れようとする懐の深さを持つ、コミュニケーション上手なのではないか?とこの頃思うようになりました。

 

さて、こういった現象は、どうして起こっているのかについてですが、確か、昔に読んだ内田樹さんの著書の中で、内田さんは、これらは学校教育への市場原理の侵入による結果だと言っておられました。

高度経済成長を得て、物質的に豊かで便利な世の中になった日本は、学業に於いても、できるだけ少ない学習努力で、できるだけ価値の高い大学の学位を手に入れた方がいいという風潮になり、どれだけ少ない学習努力で「学位」という目標を達成するか、という考え方になったとか。やがてそういった風潮に合わせてシラバスというものが出だし、大学は4年間で修められる授業数や内容がいつ行われるかといった授業計画を学生に約束という形で渡すようになった。それはまるで契約のようだと。だから学生は、約束通り授業が行われないと契約不履行としてクレームをつけることができる立場として振る舞うように変化していったというのです。

これは、入学の時点で、4年間で私たちがどれくらいの学びができるかを、あらかじめ知った状態で入るということになり、まるで、工業製品につけた「仕様書」のようだとも表現しておられます。

「わかった状態」でないと、僕たち動かないよ?「教わって当然」だよね?という若者が増えた背景がここにある、ということのようです。

 

現在、大学に行くということは、、、

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コロンブスの卵。

昔、コロンブスアメリカ大陸を発見した。

本当は、インドを探しに行ったのだそうだけど。

その後、貴族とのパーティで、「大陸発見は誰にでもできる」というようなことを言われ、卵を用意させて、他に何も使わずにテーブルの上に立てよ、とだけ返したそうな。

ところが、誰一人その場にいた者は、卵を立てることができなかった。

そこでコロンブスは、卵を手に取り、テーブルに片側を打ち付けて平らにし、テーブルに立てることに成功した。

それを見た周りの者たちは、コロンブスが言いたいことを理解したのだとか。

 

「え?そんなこと?」と誰もが思いついたり、出来そうに見えたりする方法なのに、それを最初に思いつき、行うのは非常に難しい。

だけれども、誰かがその解決策を見つけた後では、誰でも簡単に問題を解決できるように思えてしまう。

でも一番最初というのは、何のヒントもなしに解決策を見つけなければいけないのだから、それは至難の技で、時には常識を打ち破るような視点から、物事を見つめる頭の柔軟さが必要だ、というような解釈になるようだ。

 

さて、ここに出てくる「コロンブスの卵」。

果たして本当に立つことはできるのか?という興味がしんしんと湧いてくる。

机に卵のお尻をコンコンとして、そんなちょうどよく割れてくれるものなのかな?

中から白身がチュルンと出てこない?

生卵で大丈夫?

という疑問???が頭の中にいっぱい。

 

では実際にやってみよう!レッツゴー♪

 

生卵を恐る恐る机にコンコン。

なんと、ちょうど良い加減に割れてくれました。

白身も出てません!

そーぉっと、そーぉっと、机に置きます。

はい!本当に、上手に立ちました〜!

しかも、一瞬で。

 

この逸話には、疑念があるそうで、コロンブスの話の15年前には、建築家のフィリッポ•ブルネレスキという人が、設計図なしで大聖堂の上のキュポラなるものを立てることができる、といったとかで、周りの人が信じなかったけれど、「卵を大理石の上に立てることができる人がいたら、その人がキュポラを立てるだけの知性があるとわかるはずだ」という内容のことを言ったところ、周りの人は誰もできなかったのに、このブルネレスキだけが立たせることができた、という他の逸話があるそうな。

 

コロンブスだって、もしかしたら、このお話を知っていて、さも思いついたかの如く、卵を使ってみせたのかもかもかもね?、なんて思うと面白いですよね。

 

先日、何年も私の元で働いてくれていた方たちと、飲みに行く機会がありまして。

なんやかんやと今の職場での難しさを話して聞かせてくれました。

いつもダイナミックな技を教えてくれる体操の先生が、しばらくお休みになり、その間お預かりする子どもたちに、ダイナミックな技なく満足してもらうことが難しかった!とか、利用者が増えないのはなんでだろう?とか、悩みは様々ありましたが、その度に、

ダイナミックな技を危険を冒して教えられなくても、「これはチャンスだよ、みんな!体操の先生がお休みの間に、腕や足の力を強くしておこう!そうすれば、先生が出てきた時、うわぁ、皆んな手足の力がアップしたねぇ、じゃあ、もうワンランクアップの技に挑戦ができるね!って、言ってもらえるよ♫」と言って、手掌支持力や体幹を鍛える運動遊びをしてあげればいい。そうすれば、子ども達は、そっか!それいいね!そうしよう!って、その間の基本的な運動にも喜んで参加してくれるよ。

とか、

見学時に、構造化だといって、何もない部屋を見せてない?お母さんたち、ここじゃ何も教えてもらえないって思っちゃうよ。「構造化の為に、その時の療育に必要のないものは、ここに見えないよう直してあります」と、わざとシンプルにしているんだ、必要な物はきちんと揃っているんだ、とアピールすることで、「ああ、ここは、障がいを持った子どもたちの特性をよく知っているところなんだ」と、保護者に印象付けることができるよ。

などと話した。

そんなことが続いて、帰る頃には

「久しぶりに聞いた!〇〇節!」

「そうだそうだ、そうだった!」

と、喜ばれた。

 

そんな簡単な方法で?

そんな、思いも寄らない方法で?

と、目から鱗が何枚も落ちたらしい。

 

 

話は変わるけれど、このはてなブログでtakehasinayakade

tuyoiさんが、1冊の絵本「おふろじゃ、おふろじゃ」を紹介しておられた。

お風呂で遊ぶのが大好きな王様に、家来たちは大苦戦。さあ、どうすれば王様をお風呂から出すことができる?というお話。

私はすぐに、「お風呂の栓を抜けばいい!」と閃いた。

答えはドンピシャだったようだ。

 

なぜ分かったかって?

これはこどもたちへの対応と同じだから。

 

日頃から、

「先生、〇〇ちゃんが、もう帰る時間なのにパニックを起こして「もう帰らない!」と1時間くらい暴れているんです。どんなに説明しても、耳に入らなくて・・・。」と聞けば、

「先生もみんな帰るね。〇〇ちゃん、さようなら。真っ暗になるけどごめんね」と言って、教室中の電気をさっと消す。

たったこれだけで、次の瞬間、あんなに暴れていた子は、我に返って慌てて荷物を持って靴を履き出す。

「えらいね、それでいいんだよ。また次来たとき遊べるからね。」と褒めることまでできる。

 

コツは、「自動的に遊べない環境」にすること。

こうすることで、王様も〇〇ちゃんも遊びへの関心が途切れ、自分の世界から出てくることができる。これも、「場面転換」という方法の一つ。

ヤイヤイと怒ったり、説明するほど、相手は心を閉ざしてどんどん自分だけの世界の奥深くへ潜り込んでしまって逆効果なんだけど、多くは大人の方が「させなければいけない」と頭から思い込んでいて、その正攻法から自分で出ることができなくなってしまうの。

ちょっと視点をずらせば、簡単にその場の空気を変えて、お互いに苦労なく次の場面に移れるのにね。

 

簡単なんだけど、なかなかみんな閃かないみたい。

なんだ、そうだったのか。

 

みんなにとって「コロンブスの卵」なんだと初めて知ったことが、

私にとっての「コロンブスの卵」だった・・・というお話でした。

 

こんな感じで、日々、感じたことなどから、気がついたこと、療育の方法など、大切なことを有料部分の最後に書いていることが多いのです。

是非関心のある方は、もれなく購読いただいて、参考または共有していただけると嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

心地よい目覚め。

皆さん、おはようございます。

 

窓から、さわさわと風が入っています。

その風は、9時になってもひんやり冷たく、爽やかで涼しいです。

すごく気持ちよくて、うれしい。

まったりしながら、そんな風を全身に受け喜ぶひととき。

 

窓を開け、夜からそのままでも、こんなに心地よい風が吹き、快適でいられる。

こんな朝は久しぶりです。

 

まだまだ日中は暑いけど、秋ですね。

秋が来ているのですね。