こんなに空って分かりやすいんだ。
梅雨が明けた途端、この空だよ。
そりゃあ、息子も別人の様に、この1週間早起きできたわけだ。
オバケたちと、ボーダーがかわいい♡
今日、元気がない人たちに、プレゼント❣️
そういえば、、、。
前回お「お気に入りの店」で書きましたカフェ•シジャンでは、新しめの、割とお洒落めのK-POPが流れていまして、その曲たちも気に入って食事をしながら耳を傾けていましたら、その中で特に惹かれる1曲があったんです。
なんというか、どこか聞いたことがあるというか、ひっかかるというか。
私、以前、映画「ワイルドスピード ファイヤーブースト」を観に行って、エンディングの1曲を気に入ったんですね。勿論主題歌や他の挿入歌も良かったんですが、全体的にヒップホップの中で、その一曲だけが世界観が違っていて、印象的だったんです。
それは「Nothing Else Matters」という曲で、Jessie Murphという女性が歌っているものなのですが、なんというか、この気だるさと、個性的なしゃがれた声質が異彩を放っているんですよね。パンチがあるというか。
まだ若干19歳でこの感じ。すごいですね。
そのカフェ•シジャンでかかっていた曲が、なんだか何となく、その「Nothing Else Matters」を思い起こさせ、もしかしたらこの曲もJessie Murph が歌っているのか?と何気に思ったので、グーグルで調べたのです。
このJessie Murph は、アメリカのシンガーなので、K-POPの訳ないのですけれど、調べないと気が済まなかったんですね。
グーグルさんによると、この曲は、韓国グループEVERGLOWによる、「SLAY」 でした。
ほらね、全くの別。
聴き比べると、
曲調も、リズムも全く違います。
けど、なんか似てるものを感じませんか?
EVERGLOWはグループなので、1人が歌ってるわけじゃないんですけど、その内の誰かがどことなく声質が似てるのかもしれません。
曲調も違うけど、どこか多国籍感漂う音や、気だるさが似ているのかもしれません。
「Nothing Else Matters」に似ているか似ていないかは、置いておいても、このEVERGLOWというグループ、気に入ってしまいました。
そういえば。
もう一つ気づいたことがありました。
私、K-POPではBLACKPINKが大好きなんですよね。NewJeansなどの可愛い系よりも、ちょっとハード系の方が好きなんです。
EVERGLOWの「SLAY」 は特にBLACKPINK色があったから良かったのかもしれません。
そうすると、BLACKPINKとJessie Murph に共通項があるのか、ないのか?(笑)
よく分かりませんが、今私の最新のお気に入り曲「SLAY」でした!
これ、ちゃんとYoutube見れてます?
最近、夫婦で気に入っているお店がありまして、、、。
あれは猛烈に暑かった去年の夏の日。
私達は奈良大和郡山のイオンで開催されていたスポーツカーの催しに出かけていました。
イオンの駐車場に、所狭しとスポーツカーが並んでいまして、それはそれは圧巻でしたが、その日はとんでもなく日差しがキツく、さらにボンネットに反射する車の近くになど、とてもじゃないけれど立っていられない、といった状態でした。
ところが、スポーツカーとは、ただ眺めていればいいかというと、そうではないんですね。
みんな、そのエンジン音が聴きたいわけです。
といっても一斉にふかすわけにはいきませんし、ずっと、というわけにもいきません。
時間を決めて、希望するオーナーの車だけふかすようにプログラ厶されていました。
その時間まで、まだまだあって、とにかく外には長くいられないので、涼しい店内で早めのお昼ご飯を食べて待ちましょうよ、となったのです。
と、言っても広い大和郡山のイオン。多くの人がすでにお店に入って混雑しています。
一刻も早く入ってゆっくりしたいのに、なかなか決められないことに、余計に疲れながらも、ふと、ゆとりがある様に見えるお店がありました。
入口が大きく開放されていて、店内は白基調で高級感漂うそのお店は、どうやら韓国料理の店の様です。
ピビンバと冷麺のセットがメインなのか、大きな看板でアピールされていました。
ピビンバも冷麺も、大大大好き。
だけど、今は喉がカラカラ。できれば冷たい飲み物とデザートが欲しい。
見ると、そそられるかき氷もありました。
日本のかき氷に似ているけれど、なんかちょっと違う、、、興味ある。
う〜ん。
ビビンバ
かき氷
ビビンバ
かき氷
頭の中を2つがぐるぐる回ります。
夫はかき氷に心が固まった模様です。
このお店、外観が良いので他のお客さんたちも、入ろうかどうしようかと興味を持って覗いています。
辛いのが苦手な人は断念するのかもしれません。お店は満員とまではいっていないみたい。
その方がかえって私達は好都合やね、ということで、どんなお店かよく分かりませんが突入することに決定したのでした。
韓国料理のお店は勿論入ったことありますよ。だけどここには見たことのない飲み物やデザートがあって、メニューを見てもよく分かりません。
かき氷も、日本のものに似てる様な似てない様な、、、。
でも心は2人とも決まっていました。とりあえずかき氷を頼む!
ピビンバも頼む!ただし、暑いから石焼じゃないやつ笑
ピビンバと冷麺のセットは魅了的すぎるじゃないですか。暑いけど、そんな時ほどしっかり食べてエネルギー入れないとね!
この冷麺はフローズン。
それとですね、なんだかソソられる飲み物があるんです。
ごまソルティってやつです。ごまの入ったクリームがコーヒーの上にかけられているものです。カフェオレみたいな感じです。
ごま+ソルト+コーヒー?
想像できませんよね。これも頼もう!と意見一致。
ジャジャン!
これがごまソルティ。白いクリームはごまの風味がしっかりします。それでいて塩味がほんのり。初めての味を体験しました!
初めはクリームを楽しみ、暫くすれば混ぜ混ぜしてコーヒーとのコラボを堪能してください。
抹茶ソルティってのもありますよ。
かき氷です。日本のと似てるけど、なんだか違う。きなこかかります。これもすごく良かったです。
さて、このお店、カフェ•シジャンといいます。
凄く美味しくて2人で気に入っちゃいました!
ところがそれから暫くして、奈良まで行かなくても、もっと近くにこのカフェ•シジャンができたことを知りまして。
こんな嬉しいことはありません。
それからというもの、知人と、息子と、友達と、夫と、と何かといってはこのお店を利用しています。
息子曰く、このお店は白基調の店内に明るめの茶色のテーブルなどが置かれていて、それが「今の韓国流行りのインテリアやな」なんですって。「韓国っぽ」と呼ばれるやつらしいです。
へえ。それは初耳。
息子は引きこもりなだけあって、毎日パソコンで世界のニュースを見ていて世界通です笑
是非それを仕事に活かして欲しい。
ということで、店内は落ち着いたナチュラルカラーで居心地が良いです。
あまり混んでいないと思ったのは、座席と座席にたっぷり空間があるからでした。
圧迫感がないんですね。
そしてインド料理店と違って、韓国の曲がかかってはいますが、民族音楽よりではなく、オシャレな今のアーティストのものなので、その当たりも違和感なく楽しめます。
土日には、2日続きで通ってしまいましたよ。
これはブルーベリーケーキとごまソルティ。甘い同士でどうしよう?なんてダジャレを考えていたら、これがどうして、ソルティなんで、絶妙な塩加減が合うんですね、このケーキに。ケーキも、韓国らしい甘さを感じつつも、甘すぎない。
ケーキ屋さんじゃないのに、美味しかったですね。とても。
手軽でおしゃれに韓国料理を楽しめるお店です。
存在感あるシジャンのマーク。
さあ、とうとう夏休み突入ですね!
朝から晩まで子どもたちと一緒でどうしよう?と頭を抱えているのお父さん、お母さんに、私から提案があります。
この長い休みの間の時間を使って、「学校では教えてくれない話」を、お家で、お父さんやお母さんからお子さんたちへ、午前中、または午後ののんびりした時間を使って、1回1時間程度で、お家教室(仮名)を開催し、楽しくお子さん方に話していってあげて欲しいのです。
私からの提案は3つあります。
1つ目は何のために勉強をするのか?学ぶとはどういうことか?
2つ目は生活に必要なお金の話です。
3つ目は、大きくなるということはどういうことか?です。
私は療育施設では、そこに通うお子さんがある程度の学年(3〜6年生)になってきたらみんなを集めて、こういったことについて、話す時間を設けています。
画用紙などに絵と文字を簡潔に書いて一目見て分かるようにしたものを何枚か作り、紙芝居形式で話して進めます。
文章は入りません。
言葉が長くなると、途端に集中が途切れるためです。
言葉は単語、または要点だけに絞ります。絵は、それを表すイメージで、簡単でいいので、書いてあげてください。
普段どんなに暴れてもいても、こういった話しにはみんなとても関心が強く、知ってるんじゃないかな?と思えるようなお子さんでも、真剣な眼差しで話を聞いています。
私の説明の一つ一つに驚いたり、うなだれたり、感心したりしながら学ぶ姿は普段の学習時とはまるで違います。いつもは黙っている子も、率直な意見や疑問を積極的に発言します。
きっと、そういったことが本当は一番知りたかったことだったからなのでしょう。
こどもによって、概念が抜け落ちているところが違います。
こういう話題をメインに丁寧に話をしてあげ、今思っていたことを聞き取りしていくことで、どういったことが分からなくて、日頃困ってきたのかが見えてきます。その概念の抜け落ちているところを、杉山登志郎先生の言葉をお借りすると、「概念の穴」といいます。
最後にはみんな、
「そんなにお金がかかるとは知らんかった」
「そうか、だから勉強しなあかんのか」
「よし、高校や大学やな。やりたい仕事探さなあかん!」
と、将来の自分のことについて主体的に考え始めます。
気づいたこども達は、その後明らかに変化していきます。
この先へのビジョンを持ったこども達は、成長のステージを一段上がります。
苦手な精神的、肉体的負荷があることも、足掻きながらでも自分からまた立ち上がり前を向いて歩んでいこうとします。
自分の周りを漂っていた、漠然とした不安、気持ちの悪さ、そういったものが剥がれて、少しずつ周りがクリアになっていくのでしょうね。
普段は学校から帰っても、残された時間は少なくて、じっくりこんな話しをする余裕はないと思いますが、夏休みは違います。
お出かけや旅行など、普段できないことをするのも大切で良いのですが、それ以外にもこどもたちが集中して話を聞くことができる時間に、テーブルを囲み、私が提案したもの意外にも、何日かに1つずつでもテーマを決めて話し合っていくことが出来たら、お父さんお母さんにとっても、こどもたちにとっても、有意義な時間になることは間違いありません。
家事に追われながら言葉だけで片手間に話すより、「今から〇〇の話をします」と言って話す方がまとまりが良く、こども達も話を聴く態勢になってくれるので、しっかり伝えていくことが出来ます。
是非、この夏休み、親子で対話する時間を作ってみてください。
「おうちの〇〇教室」などと名前をつけると、お子さんたちも喜んで参加されると思いますよ。
それでは一つ目の何のために勉強をするのか?学ぶとはどういうことか?ですが、
学校は、勉強を教えてくれるところです。毎日6時間の授業を通して、年齢に合わせた内容を学びます。国、算、社、理、英、体、音、家、道など、広範囲に渡り緻密な内容が習えるように、そしてそれを学年が上がる毎に深く学び習得できるようになっています。そして先生方も、勉強を教えることにかけて、研鑽を積んでおられます。
ただ、「何故勉強するのか?」「何のためにするのか?」については、なかなか詳しく子どもたちの疑問に答える形では教えてくれません。
そもそも、「学ぶとはどういうことなのか?」「学ぶとどうなっていくのか?」について教えてくれる先生も少なくなりました。
子どもたちは、その1番大切な根本のことを知らないまま、分からないまま、朝起こされて、急かされて、ご飯を食べ、歯を磨き、服を着替えて、ランドセルを持って、集団登校で、または1人でトボトボと、学校へと通っていくのです。
私は以前に、「何のために勉強するのか」と、「学ぶとはどういうことか」について記事を書いていますので、一度お読みいただけると参考にしていただけるのではないかと思います。
どんなことが書いてあるかわからない、私のこの「学ぶとはどういうことか」を最後まで読んでくださったあなたは、学ぶことの本質を知っておられる貴重な方、なのかもしれません。それをこどもたちに、伝えてあげて欲しいのです。
さて、二つ目は、生活にかかるお金の話です。
この先、大切なお話が続きますので、こどもをお持ちのお父さん、お母さんには是非ご購入の上、最後までお読みいただきたいです。
若い頃の蓮舫さんは好きだった。
あの、ド直球さも、鋭さも、若かりし日の蓮舫さんをより輝かす材料でしかなかった。
テレビに良く出ていた蓮舫さんは、聡明で、生き生きとして、華やかだった。
都知事の選挙は東京に住んでいない私の様な者にとっても、その行く末はいつも気になるものだ。それはやはり日本を代表する首都を治める人を決める選挙だからだろう。
それが今回の様に多様な人が立候補し混乱を極めるとは。いつもよりも余計に驚き、どうなるかとハラハラした。
だからだろうか。
人々は、「落ち着き」や「安定感」を求めたのではないだろうか。
小池さんが最善だったかは分からない。カイロ大のことも本当のところは分からない。これまでに政党もコロコロ変わる人だと知人が昔言っていた。だから、本当の小池さんは分からない。
ただ、どんなに揺さぶりをかけられても、画面で見る小池さんは穏やかに目尻を下げて笑っている。その目の奥には到底私たちには伺いしれないものが宿っている。
本心は分からない。だけれども、時には嵐の中には立っていても、それに動じず、多くを語らず、ただ淡々と進む穏やかな強さ、その本心の掴めなさというしたたかさが、どこかどっしりとした安定感のようなものとして、都民の目には映ったのではないか、などと考えた。
蓮舫さんは、議員になってから、随分ご苦労された様子で、どんどん余裕を失っていったように私の目には見えていた。
応援する人たちの声に浮足立ち、興奮する姿をみていると、なぜだか逆に不安定さを感じてしまった。
あまりにテンションが上がったり下がったり、尖ったりすると、周りとギクシャクするのではないかと心配になる。
日本を代表する首都を治める人だからこそ、渦巻く思惑に絡め取られず切り抜けながら、しかし淡々とその目に微笑みを称える小池さんが、トップの器としては大きかったのかもしれない。
その是非は分からないけれど、私もそれなりに年齢を重ねてきて、どんな荒波に揉まれながらも穏やかに微笑んでみせる余裕を持ちたいものだ、と都知事選を見て思った。
今、また世界はスポーツカーブームが来ているらしい。
私が幼かった頃、カウンタックやランボルギーニが人気で、男の子たちがよくミニカーを持っていたものだ。
高校生から20代にかけて、F1に魅了された。丁度アラン・プロストとアイルトン・セナの時代だ。私はマクラーレン•ホンダと精密な走りをするプロストが好きだった。
20歳頃には真っ赤なユーノス•ロードスターは憧れだった。免許を取ったら乗りたい車だった。乗り心地は最悪だったけど。
それから暫く、コンパクトカーやミニバンが全盛期で、スポーツカーはいつしか影を潜めていたように思えた。
日本は白と黒の車ばかり。たまに赤が走っている。
ホンダがフィットのCMに、黄色を使った時には、誰が黄色なんて買うんだと思っていた。当然町中を走る黄色のフィットなど殆ど見なかった。
ところがどうして、ここ数年は、黄色の車なんて珍しくもなくなったし、なんならゴールドの車もバンバン見かける。
緑にピンクに水色に、、、。日本の車も随分カラフルで自由になったなぁ、と思っているうち、同時に、街にはあっちにもこっちにも外車が走るようになっているではないか。
ランボルギーニは神戸に行くとウロウロしている。
ポルシェなんて、珍しくもなくなった。
アルファロメオやバルド コンペチオーネ、マセラッティと、子どもの頃には聞いたことがなかった車も今はたくさん走っている。
いつの間に?と思っていたら、、、。
先日近くのシボレーにコルベットの試乗に行って教えてもらった。
今またスポーツカーブームなんですよ、と。
やっぱりそうだったのか、と、凄く腑に落ちた。
ワイルドスピードの人気も、拍車をかけているかもしれないな。
そんな時代がまた到来したからか、誰もが知っているあのフェラーリ社を題材にした映画が公開された。
その名も「FERRARI」。
創始者であるエンツォ・フェラーリとその妻、ラウラ、二人のフェラーリの物語だ。
レースの模様とエンジン音ばかりかと思ったら、とんでもなく重厚な物語だった。
スポーツカー界の今があるのも、こういった過去の上に成り立っていたのか、と思うと、何事においても言えることだが、「歴史を知る」ということは、養老先生の言葉を借りて言うならば、「遅れて来た者」として、非常に大切なことだなと、この映画を観ても思わされた。
スポーツカーは、いつの世も憧れ。
でも、
フェラーリのセリフを借りるならば、それは
「死と隣り合わせの情熱」
なのだということを、忘れてはいけない。
私たちの仕事もそうだが、他者からの苦言や忠告を受け入れ立ち止まることをしなければ、必ず大きなリスクに繋がる。
この物語のもう一人の重要な人物として、無くなった息子ディーノがいる。
ディーノ、、、。
昨年の夏、私は夫に連れられて、姫路にあるスポーツカーの博物館へ行った。中村俊根さんがオーナーの個人所有の博物館だ。今では希少価値のビンテージカーがぞろりと並んでいて圧巻のこの博物館。
ここに、私と夫が心奪われたスポーツカーが展示されていた。
その名も、ディーノ。エンツォ•フェラーリの息子アルフレード・フェラーリ氏のニックネーム「アルフレディーノ」からつけられた名だ。
洗練された品と美しさで、数あるスポーツカーの中でも特別だった為、心に残っていた。
たまたま出逢ったディーノと、一年経った今日、再会した気持ちになった。一年越しの伏線の回収。ここに繋がっていたとは。
もう1つ。ラウラを演じる女優が誰だか、皆さんは見てすぐお分かりになるだろうか?
映画というものは、繰り返しテレビでも放送される為、いつでも俳優たちの若々しい姿を見ることができる。パイレーツオブカリビアンでジャックと肩を並べ、女海賊として物語を盛り上げた。あれから13年。当然彼女も年齢を重ねていることは分かっているけれど、このFERRARIでの彼女は、同一人物とは思えない。劇中の回想シーンで見せる艷やかな姿が本来なのだろうが、この映画の中では全くそれを感じさせず、心の中に蔓延している黒い煙を全身に纏い、重々しさと苦しさが見ている私たちにものしかかる。あまりのインパクトだった。
ラストでは、このラウラへの印象は逆転する。ラウラなしには今のFERRARIはなかった。
同じ女性としては、身につまされる想いを度々味わうことになる映画だ。
是非、皆さんに見ていただきたい。
(DINO 24GGTS 長男アルフレード・フェラーリが生前開発に関与した、V型6気筒エンジン搭載)
今や多くの学校に配置されているスクールカウンセラー。
子どもさんのおられるご家庭なら、学校からスクールカウンセラーを利用できる日程を知らせるプリントなどで、そういう制度があることをご存知のことでしょう。
中には何度か利用してみた!という方もいらっしゃるかもしれません。
1995年に文部科学省において設置されてから28年。
不登校問題や発達障害に纏わる問題に対して、このスクールカウンセラー制度は果たして上手く機能しているのでしょうか?
もし、機能しているとしたら、、、。
不登校児は今頃減少の道を辿っているのではないでしょうか?
しかし実際は増加の一途。歯止めが効かないところまで来てしまいました。
ということは、上手く機能できている、とは言えないのではないか?と思うのです。
それはなぜなのか?について書いていきたいと思います。
皆さん、スクールカウンセラーに相談をした経験がある方はどれくらいいらっしゃいますか?
28年の間に、その存在は以前よりもずっと周知が進んではいるものの、その相談内容の特性上、周りの人に利用することを知られたくないと考える人は多いことと思います。そのためどれくらい利用している人がいるのか分かりづらく、しかも予約制のため、ハードルが高いなと感じるなど、受けてみたいなと思っていても、なかなか利用に踏み出せずにいる方も多いのではないでしょうか。
そういった中で、お子さんへの対応などで切羽詰り、勇気を出して予約に漕ぎつけ、限られた時間内で聞きたいことをできるだけ話せるように、と書き出すなど、準備にも時間をかけて、緊張しながら当日を迎えた結果、欲しかったアドバイスがもらえたよ、という方はどれくらいいらっしゃるでしょうか?
私の知る限り、
「確かに、話は聞いてもらえたけれど、、、
期待したような具体的なアドバイスはもらえなかった。」
というケースが圧倒的に多いと感じています。
確かにスクールカウンセラーは、カウンセラーなので、もちろん傾聴のプロではあります。ところが、保護者はただ話を聞いてくれる人を探していたわけではなく、あくまでも何らかの解決策を探していて、藁をも掴む思いでスクールカウンセラーに辿り着いたのですから、またそこで、ただ話を聞いただけ・・・というのでは、落胆して当然とも言えるでしょう。
まるで目から鱗のアドバイスによって、劇的に解決に進むんじゃないだろうか?という位の期待を持って臨んでいるのですから、期待外れに終わってしまった時、もう万策尽きて、頼れる人は他にもういない位のショックを受けると言っても過言ではないのではないでしょうか。
通常のカウンセリングを受けたことのある方ならご存知かもしれませんが、本当はカウンセラーは、話をただ聴いているだけではありません。カールロジャースが提唱した来談者中心療法なら、話を聴きながら、クライエント自身が本来持っている、良くなろうとする力を発揮できるよう、受容し共感的理解を示しているのです。そこには指示、教示は入りません。クライアントはカウンセラーに共感的態度で受け入れられ、話を進める内に、自由に自分を表現できるようになり、自ら問題の本質に向かい出すことで解決を目指していく方法です。
しかし、これには相性というものがあります。
実はカウンセラーは、傾聴する際には、あたかも自分が経験したかのように、クライエントの身になって共感します。その時、クライエントに対して発する言動が、自分の心の動きと一致していることが大切で、建前では共感しているのに、本当はそうは思っていないのではないか?とクライエントが疑心暗鬼にさせない為に、自己一致していなくてはならないとされています。
しかし、どんなに自己一致させているカウンセラーがカウンセリングしていても、回を重ねていくうちに、途中の過程として、クライエントが勝手に疑心暗鬼になることもあります。それ自体が、クライエントが持つ、生育歴などからなる特徴でもあるのですが、ここでクライエントがカウンセリングを止めてしまえばそこまでですし、逆に、疑心暗鬼になるのは自分の思い過ごしかもしれないと考えて継続していくうちに、カウンセラーへの信頼が回復して信頼関係を結ぶ中で多くの気づきを得て回復していく場合もあります。
全ての人がカウンセリングを受ければ回復できればいいのですが、お互いにタイプがありますから、上手くいくケースばかりではありませんし、上手く回復の道を辿っていくためには、こんなカウンセリングなどしても埒があかないと中断せずに継続させていくことが必要になります。
そういったことから考えても、学校という多くの人が関わる場に1人のカウンセラーで、1人のクライエントに複数回継続して予約を取り面談していくということ自体、なかなか難しいと言えます。
また、継続していく中での回復を目指すやり方を通すカウンセラーと、一回の面談から具体的なアドバイス、教示がもらえると期待して挑む保護者とでは、温度差が出てもおかしくはないでしょう。
生徒へのカウンセリングを行うのには適していても、不登校児を抱える保護者への面談では、保護者や子どもの生育歴などの背景から要因を探るだけでなく、学校側としてどのような連携が出来、対応していくかについても率直に話し合うことが求められます。
また、スクールカウンセラーは、学校という特性上、発達障がいにも精通していなけれはならないとされています。本来は保護者からの相談に、専門家として具体的アドバイスをすることが出来なければいけないのですが、実際には、スクールカウンセラーの全ての人が発達障がいについて深い知識と経験を持っているわけではありません。むしろ、経験のないカウンセラーの方が多いかもしれません。
それ故に、保護者が藁をもすがる思いで相談に言っても、傾聴されただけとしか思えないような対応であったり、多くの人が、
「見守りましょう」
「登校刺激を与えないように」
と言われて帰って来てしまうのです。
これは、市の教育センターなどに在中する、心理士でも同じです。
もし、スクールカウンセラーが、発達障がいに深い専門的知識と経験を持っていれば、「見守りましょう」
「登校刺激を与えないように」
とは、言わないはずなのです。
経験の浅い、スクールカウンセラーは、深い知識と経験がないからこそ、
「見守りましょう」
「登校刺激を与えないように」
と、言うしか術が無いのです。
学校、支援学級の先生方、そして療育施設の職員たちは、いわば実戦部隊です。直接、発達障がいの子ども達と日々接し、切磋琢磨しています。肌感覚で、不登校になりかけている子どもがいても、まだご両親と相談して、何とかしてでも瀬戸際で食い止めたい、まだそれが可能だ、と熱い思いであれこれと作戦を練っている場合もあるのですが、一度、スクールカウンセラーから「見守りましょう」「登校刺激をしないように」と言われてしまうと、手出しが出来なくなってしまうのです。
挙げ句には、学校に少し登校するとしても、放課後誰もいなくなった教室に登校することを勧められます。勿論色々なケースがありますから、過敏で学校が怖いお子さんにはスモールステップで、人目も人気もない時間でもいいから学校にきて少しずつ慣れ、安全圏だと認識してもらうことが必要な場合もあるでしょう。
全く登校できないよりも、1時間でもいいから登校して、先生と学習できる時間を持つことは大切だと思います。
ただ、発達障がいの子どもたちの中には、朝が苦手(ゲーム依存や起立性調整障害や生活のリズムが後ろに食い込みがち)な子どもたちもいます。
学校が終わる4時頃から登校するパターンになると、それが習慣化され、朝7時には起きて、朝ごはんを食べ、8時前には家を出る生活には戻れなくなります。
1度崩れた生活パターンを、元に戻すのは簡単ではありません。しかも、それはお母さんが1人で奮闘せざるを得ない場合が圧倒的に多いです。カウンセラーや学校の先生は、家の中にまで介入して、子どもを起こして朝ごはん食べさせ、着替えさせて登校させるというようなことはしてくれません。
人目も、人気もない放課後の学校に幾ら長く通っても、友達のいるクラスや校舎に入れるようにはなりません。
もし、一時、自宅でゆっくりする時間が必要だったとしても、それが長くなる前には計画を立てて、上手に学校に戻れるようレールを引くことが必要です。
しかし、大抵は、そこの計画がされていないことが多いです。
何故なら、スクールカウンセラーからOKがでないからです。
実戦部隊で無い、カウンセラーは、