月曜日の朝、母が夢に現れた後、暫し考えてから、すぐこのブログにそのことを書いた。忘れないようにしようと思って。
そして、落ち着いてから午前中の間に買い物へ出かけた。
いつも車で外出するときは、ほぼ音楽をかけていると言っていい。
専らロック系、時々昔の音楽、という感じか。
でも昨日は母が昔好きだと教えてくれた歌をかけることにした。私が子どもの頃に教えてもらった歌。それは
「すみれ色の涙」岩崎宏美さん。
「四季の歌」芹洋子さん。
の2曲だ。
それからも母が好きになった歌はあったと思う。テレサ・テンさんの曲は好きだったと思う。意外なところでは安全地帯のワインレッドの心が好きだった。
だけど、最初の2曲は、母というものを良く表している歌だと子どもの頃から思っていた。
亡くなってからも、それを思い出していたのに、実際にはまだかけることができていなかったから、母が夢に現れたのをきっかけに、聴いてみようと思った。
「すみれ色の涙」、、、岩崎宏美さんの澄んだ歌声が素晴らしい。私は子どもの頃、「マドンナたちのララバイ」が好きだったが、この「すみれ色の涙」は、岩崎宏美さんが若い頃の歌だから、声もその分余計に清らかだった。
母は、この歌と同じように、野原にひっそりと咲く「すみれ」が好きな人だった。華やかな薔薇や大輪の向日葵などではない。目立たないけど、ひっそりと静かに咲くすみれが好きだった。
メロディが心に染みる。運転しながら聴いていると、母がもっと元気だった頃、義父の運転する車の助手席に乗り、会話しているという後ろ姿が一瞬脳裏に浮かんで消えた。そんな風に2人の姿を後部座席から見たことは一度もないのに。
「すみれ色の涙」の曲調の成せる技だったのだろう。
13時過ぎに帰宅し、ご飯を食べてから、このブログを開いた。
コメントが来ていたのだ。
同じはてなブロガーの宵闇の夜(id:yoiyaminoyoru)さんだった。
母が夢に現れたことで、きっとここから好転するだろう、と記事に書いたことに対して、「どんなことが起こるか楽しみです」とくださっていたのだ
なので、「私の好転とは、きっと良い形で物事が収まるだろうということなんですよ」とお返事させてもらった。スマホを見ると14:30頃になっていた。
母が亡くなってからというもの、義父との関係が難しくなっていた。俄に私たちには無縁だと思っていた相続の問題が出てきたり、納骨を巡って義父と意見が合わなくなるなど、急に雲行きが怪しくなってしまっていたのだ。
どうも、義父に偏った話をする人がいるようで、頑固な義父が余計に頑固になり、疑心暗鬼にもなり、話が通じなくなってしまっていた。さすがに義父も高齢で、認知面でも考慮しなくてはならないかと案ずるほどだった。
私たち娘は行き詰まり、娘同士でも波風が立つようになりだして、母の葬儀が終わった途端にこれまでの関係がガタガタと音を立てて崩れたようで、まさかこんなことになろうとは、と、人生の厳しさに項垂れる数日間だった。
妹たちや夫は、もはや、義父とは話をするのは無理では?と気を揉んでいたが、私一人、「いや、きっと、話が通じる日が来る」と信じたかったが、万事休すか、と娘や夫の言い分が正しかったのかもしれないと思いかけていた。
それでもじわじわと時間をかけて、義父の様子を見ながらやり取りを続け、相続は一方的な義父の言い分を受け入れ、それで良しとし、遺骨も義父が分骨を提案したので、のむことにした。 これ以上、話が長引くことは、義父の体調から考えると避けたいという思いがあったからだった。
分骨といっても、喉仏と体の各部分を少しずつの小さな骨壺だ。僅かな骨を分けることは、忍びないが、それしか着地点がなかった。
しかし、調べると分骨して納骨するにも証明書が必要らしい。
そこで、この日の午前中出かける前に、母が住んでいた土地の市役所や斎場に電話をかけた。
斎場の記録から、再度証明書を出してもらえるかと思ったが違っていて、初めにもらった証明書を持っていき、それを見ながら申請書を書かなければならないと斎場の人は言う。
初めの証明書は義父が持っている。
1日に義父の元へ行くには行くが、それは片付けの為であり、再び斎場に行ける時間の余裕はないだろう。
あとは義父に電話して、内容を教えてもらうしかない。直接行って、聞いたものを元に申請書を書く。斎場の方もそれでいいといっている。
ということで、義父にまた電話しなければならないな、、、と考えていた。
ら、、、電話がなった。
義父からだった。
別件での連絡だったが、その話の後に、それはそうとなぁ、と何やら義父が切り出した。
「今見てたんやけど(多分テレビだろう)、納骨やら永代供養やら、合祀やらなぁ、色んなパターンや考え方を言っててなぁ、」と、言っている。
「うんうん、ややこしいよねぇ?」と私。
「やっぱり、わしももうこの歳やろう?寺に納めるつもりやったんやけど、自分が亡くなってしまったらその後がなぁ、、、」と義父。
そこで、私はハッとした。
「そうやね。そう考えると、今後のことは、私たち娘にさせてもらえませんか」
思い切って義父に伝えた。
これまで何度も相続についても、遺骨についても、良いタイミングはあったのに、私が義父の気持ちを変に案ずるが為に上手く事を運べず、余計におかしな方向へと流れだしてしまったことを悔やみ、もし今度何か義父から発せられる事があったら、今度こそはすかさずキャッチし、流れを変えよう、と心に決めていた。
だから、ここだ!と切り出せたのだ。
「そうか。それなら今度持っていけ。そやから分骨はせんでいい」
と義父。
なんと!
あんなに頑なだったのに、あっさり承諾。
「わかったよ。じゃあ。そうしよう」と私。
その件はまさかの急な大転換点を迎えたのだった。
それが14:40。
宵闇さんに「きっと良い形で収まるだろう」とお返事してから10分後のことだった。
自分でも、あまりの急展開に驚いていた。
電話の向こうの義父は、付き物が落ちたように今までの義父に戻っていた。
短期は損気。じっくりと、義父の気持ちが落ち着き、出方が変わるのを待っていてよかった。きっと通じると信じていてよかった。
そう思わされた瞬間だった。
前回会った時には、娘代表として、大切なことは言わなくてはならなくて、よく飲み込めなかった義父は激怒し、怒鳴り、私を何かで叩こうという素振りまで見せる、まさに激昂状態だった。
でも、私はそれに動じることなく淡々と説明し、必要な場面ではきっぱりと言うべきことは言っていた。
落ち着いた義父は、
「お前、わしがあれだけ怒ってるのに、よく冷静にいられたな」と言っていた。
「わしは怒りっぽいんやで?」と言うので、
「知ってるよ?」と返した。
「でも、優しいんやで?」とも言うので、
「それも知ってるよ?」と返した。
「18年の付き合いなんやで?」と付け加えた時、義父は、うう、、、と項垂れていた。
今回のことは、血が繫がっていないからこそ起きた、それぞれの立場の違いからくる、想いの違いだったと思う。
でも、血が繫がっていなくても、時の流れの中で繋いできたものがあったとも思う。
義理の親子ではあるが、信頼関係はあったと思う。
それまで間に母がいたことで回っていたことが、亡くなった途端、壊れるのかと思ったが、どうやら母が裏で何か上手く行くようにお膳立てしてくれたのかもしれないなと思った。
夢は上手くいく暗示、とは思ったが、本当にその日に上手く着地できるとは思わなかった。
夢に出てきたのは、それを知らせる為だったかのかもしれない。
死に目に会えなかった私は、夢の中で母に最期のお別れの言葉を伝えることができた。
義父との間に詰まっていたものも、スッと流れた。
夢のおかげで、鬱々悶々としていた私の気持ちも晴れ晴れとしたものに変わっていた。
いたずらっ子ぽく笑う母の写真に向かい、「お母さんが上手くいくようにしてくれたんか?ありがとね」と声をかけた。
笑っている母の写真の横には、すみれ色のパンジーが飾られている。
