きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

きらめき療育論: 写真をとられるのが嫌いな理由。

「さあ、みんな、並んで〜!」

「カメラみて〜!」

「とるよ〜!」

「こっちだよ〜!見てみて〜!」

「お〜い!」

「笑って〜」

「はい!チーズ!」

 

これは皆さんお馴染みの集合写真をとっている場面です。

園で、学校で、お出かけで、生活の中で、複数の他者と一緒に並んで写真をとるという場面は意外と多いですね。

大勢が並んで丁度良いタイミングを見計らってシャッターを押すまでには、大抵時間がかかるものです。

みんなが疲れる前に撮り終えてしまうには、そこにいる皆んなの協力が不可欠。

ですが、、、

あれあれあれ〜?

「やめろ!はなせ!」

「勝手にとんな!」

と、暴れている人がいますよ?

 

時々、写真をとられることが大嫌いなお子さんがおられます。

こんな時大人は、

「ほらほら!ダメでしょう?」

「みんなで写真をとるんだから!」

「ちゃんと並んで!カメラ見て!」

と周りのお子さんのことも気にかけて、早く事態を収めようとして逆に手こずってしまいがちです。

 

自閉スペクトラム症ADHDの特性を持っている子どもたちの中には、何割かこの写真を撮られることが大嫌いな子がいます。

大人になるにつれ、段々経験を通して苦手な子は減っていくものですが、大人になってもまだ写真は嫌い!という人がいるとしたら、その人は「写真写りが悪いから」などの様な理由を割と明確に持っていて他者に説明できているはずです。

が、子どもたちはその説明が上手くできません。

できないだけで、実は色々理由があるようです。

 

中には、私たち大人が、え!?っと驚くような理由もありますよ。

 

発語がまだない、発語はあるけど状況説明が難しい、すぐにキレてしまって言語化ができない、といったお子さん達には、私達がその様子からなぜ写真をとるのが嫌なのか?予測を立てて先回りして動いてあげたり、説明をしてあげることで、スッと解消してとれるようになることが殆どです。

 

では一体、その多彩な理由とは?

きっとお子さんにも当てはまるものがあるかもしれません。

 

ヒントその①、さっきから、写真を「とる」とわざと平仮名で書いています。

はてなブロガーのぽっふんさんは、すでに①の答えを獲得済😊)

今回は、計5つのヒントと共に、発達障がいを持つ子どもたちが、集合写真を嫌いな理由5つを書いています。

なぜ、うちの子は写真をとるのが嫌いなのか、頭を悩ませているという方、是非その理由を知って対処してあげてください。

 

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33年の時を超えて。

私たち同級生は、高校を卒業してから、度々集まってきた。高校2年の時のクラスの男女仲良しのグループに、時々他のメンバーが加わったり、変化しながら今年35年を迎えた。

私は子育て時代や仕事をしていた超多忙時代にはあまり顔を出さず、最近になって時々参加する程度だが、会えばみんな元気で一気に心は高校生へと戻ってしまうのは同じだった。

 

私には高校2年生から4年間お付き合いをした人がいた。

その人は、ジェームス•ディーンの様で学年一かと言われるほど格好が良く、他校の女子高生からも駅で待ち伏せされるほどだった。

当時、私はそれが自慢などでは全くなく、ただただ、心がざわざわしていたことを思い出す。

二人共が広く浅くの人間つきあいは苦手だった為、お互いが拠り所、といった関係性だったように思う。

お互いの家を行ったり来たり。遠方に就職してからも、遠い道のりを買った愛車で会いに来てくれた。そのうち、結婚を意識するようになり、その人は自分の母親にも話していたようだが、「まだ若いんじゃないかな?」と言われていたようだった。

程なくして、私たちはひょんな事から別れた。20歳だった。

高校という青春時代からのつきあいとあって、私にとっては甘酸っぱく、いつまでも色褪せない思い出となった。

 

あれから33年。

1度も同窓会や集まりに顔を出したことのないその人が、今回初めて仲間の誘いに乗ってやって来た。

もう2度と、会う機会のない人なのだろうと思っていた。

会えば色々と聞きたいことがあった。

 

三ノ宮のあるお店で、私たちは何度も乾杯し直しながら美味しい料理を食べていた。

その人が現れたのは、初めの乾杯をしてから、だいぶ経ったころだった。

 

仲間の中には、昔の面影を期待していた者もいたのだろうが、33年も経つのだ。お互いに変わっていて当然だろうと思う。

勝手な期待値が高すぎた分、反動も大きかったのか、仲間の内の一人が乗り乗りで呼んだのに、来てみたら全く話しかけなどしないという手のひらの返し様だった。

 

でも人間、目の色は変わらないものだ。

その人は、日本人にしては随分と明るい黄色がかった茶色い目をしていた。

最近は、目の色について色んな言い方があるようだ。赤茶色ならアンバーアイ。もっと黄みがかった薄茶色はヘーゼルアイ。さすればその人はどちらかというとヘーゼルアイだろう。

で、その人の目の色が昔と同じだ!と、その場にいた誰もが気がついた。同一人物だ。

 

「久しぶりやね」

それが33年ぶりの言葉だった。

「お母さん、元気?」

「妹たちは?」

なんだか、こういった言葉から、4年の歳月の深みを勝手に感じた。

ただ、外で会っていただけなら家族のことを聞きなどしない。短期間のつきあいなら、恐らくお互いのその後に話題は集中するだろう。

下手をすれば、「あんまり覚えていない」と言われる可能性だってあるではないか。

ところが、記憶力の良い私だけでなく、その人も、ことごとく詳しく当時のことを覚えていたのだ。

高校への通学カバンを神戸のセンター街でお揃いのものを買って登校したこと。

胸に赤い薔薇の刺繍がされた当時人気があったKENZOの白いシャツが私のお気に入りで、当時よく着ていたのだが、これと同じシャツを私がプレゼントしていて、お揃いでよく着ていたこと(お揃いだったことを私はわすれていた)。

私が非常に車酔いが酷かったこと。

進路を相談せずに決めてしまったこと。

などなど、あれこれと一気に話していた時だった。

「その中でも、一番忘れられないのが、、、」とその人がさっきまでのトーンと変わってゆっくりと何やら切り出した。

「なに?」と訝しむ私。

「その中でも、一番忘れられないことがあって。それは言われたことなんだけど。ずっとそれを噛み締めながら今まで生きてきたことがある」「それは、、、ある時、『信頼は、1度失うと簡単には取り戻せないのよ』と言われたこと」

と言うのだ。

そして、

「いつも、ド•正論で、苦し紛れに何か言い返そうと思うんだけど、どこにも間違ってるところがなくて、ただただシュンとしていたw」「だけど、その『信頼〜』のくだりは、特に忘れられなくて、それからずっとその言葉を胸に入れて生きてきた。仕事でも、部下たちに、『いいか?信頼というものはな〜』っていつも話してるんやで」

と続けて話してくれた。

 

これには驚き、参ってしまった。

何故なら、その『信頼は〜』のくだりを、私は今でも強く思っているし、なんなら仕事ではやっぱり職員に対して言っていたからだ。

そして、その「ド•正論」という言葉、、、。

 

私の隣には1人女の友達が座っていたが、この友達と数日前にラインのやり取りをしていた時だった。

私の良いところとして「正論を言う」をその友達が挙げていたのだ。

 

普通、「正論を言う」とは、あまり良い意味で使われない。

堅苦しい正論ばかりを言って、相手にも感情があるということを考えていない人、というようなレッテルを貼る時によく使われることが多いからだ。

私としては色んな角度から検討した上で話しているつもりだけれど、こういう言われ方をしてしまうと、身も蓋もないなと半ばコンプレックスになっていたが、この女友達は、それが私の良いところだと言うのだ。

何故なら、私がそれを言うとすれば、よくよく考えた上で、それを言うに値するという結論に至ったということであって、そこにはそれだけの信頼性があるからだ、というのだ。

この女友達も、非常に記憶力が良く、他の友達が言うには洞察力に優れていたらしい。

他の誰よりも私のことを良く知っていた人物だった。

その人物が「それがあんたの良いところ」と言ってくれるのだから、これほど嬉しいことはない、と喜んでいたところだった。

その女友達と同じ言葉を数日の違いで、昔付き合った人の口から33年経った今聞かされることになるとは。

「そんなこと、私言ったんやね。いや、言いそう。というか、今でも言ってる。悪かったね。ごめんね。」

と若き日の非礼を詫びた。

ところがそこでその人は言った。

「いや、その言葉を大事に今までずっと生きてきたんだよ。それがあったから良かったんだよ。」と。

それを聞いた隣の女友達は、とても喜んでくれていた。

「ほらね。ちゃんと、あんたを理解してくれていたのよ。」

 

そしてもう一つその人が言った。

「昔から、広く浅いつきあいよりも、狭くてもいいから深く人と向き合いたいと言っていたよ。」

 

まさに。

 

数日前のラインで女友達は

「陰で人のことを言うくらいなら、面と向かって相手に言うとも言ってたよ」

と教えてくれた。

 

そうです。その通りです。

 

この、

『信頼は、1度失うと簡単には取り戻せない』

『深く人と向き合いたい』

『陰で言うくらいなら面と向かっていう(それが例え上司であろうと)』

の3つは、私が今でも人に話している言葉たちだった。

 

30数年も前の、17、8の頃から、私は変わらず同じことを言っていたのか、、、。

 

ずいぶん私は大人になり、丸くなったと思っていたけれど、実はその『根っこ』は何も変わっていなかったということになる。

驚愕した。

 

そして、33年も経った今でも、私が恐らく一番大事にしているであろう、私の『根っこ』『核』の部分に当たる言葉を覚えていてくれて、私を表す『正論』という言葉を使って、さらにそれを私の良さだと言ってくれる2人が同じ日に、私の両脇にいる。

 

この不思議に私の胸はいっぱいになったのである。

女友達は言った。

「この歳になるとさ、深く理解してくれる人が数人そばにいてくれたら、それで十分だと思わない?」

本当にそうだと思った。

私達は、生きている間に、一体どれだけ深く理解してくれる人に出逢えるだろう。そして、心を込めて手渡したメッセージをずっと大事に生きてくれる人と、一体どれだけ出逢えるだろう。

そんな人と、出逢えるだけでも奇跡ではないだろうか。

そんな、一生涯に何回かの心と心がぶつかった時の煌めきを、私はずっと追い求めている。

 

 

その日はみんな終電で帰路についた。

夫は次の朝も早い為、すでに寝てしまっている為、次の日、この一部始終を話した。

夫は私よりも20歳も若いが、昨日の2人と同様に、私のことを理解してくれている。

そして、今、そういう人たちがいたことを、同じように喜んでくれた。

 

 

もう、あの33年前につきあっていた人とは会う機会はないかもしれない。

一番熟したタイミングで再会できたことがまた奇跡だった。

 

 

そういえば、、、

夫も、その人に似たヘーゼルアイをしている。

 

 

 

 

 

 

 

福の神の住む地。

あるところに、福の神が住む(といわれる)土地があります。

自然にただ囲まれて、静かで落ち着く、それだけとも違う、なんだか異空間を感じるその場所を、今回はご紹介したいと思います。

ただ、そこは、街の喧騒とは別世界で、本当に心身共に安らぐ良い場所で、私たちのお気に入りなので、是非皆さんにご紹介したいという気持ちと、ひっそりとしていて落ち着く場所だから、あまり多くの方が押し寄せてもいけないかなという気持ちもあり、特に関心がある!という方に、こっそりお知らせさせていただきたいなと思って、有料記事にしています。

ご興味をお持ち下さった方は、こっそり、覗いてみてくださいませ。

そして、1度訪ねてみてくださいませ。

 

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きらめき療育論: あのこはどうして支援学級にいるの?と聞かれたら。

さっきまで一緒に遊んでいたあの子が急に自分と違う学級に入っていった。

「あれ?〇〇ちゃん、どうしたの?どこ行くの?」

「このお部屋なあに?わあ!おもちゃみたいな物がいくつもあるよ。素敵!」

「トランポリンやバランスボールもあるんだ!いいなぁ」

あなたは入っちゃいけないよ。

「どうして?」

「どうして〇〇ちゃんは入っていいの?〇〇ちゃんは、ここで何してるの?」

〇〇ちゃん、というのは、支援学級在籍のお子さんです。支援が必要な程度は様々です。自閉スペクトラム症ADHD、学習障がいなどの発達障がいのお子さんの中にも、発語もまだ未獲得の重度のお子さんもいれば、知的には高いお子さんもいます。また、他の障がい名を持つお子さんもいれば、身体的な困難を持つお子さんもいます。

支援学級に在籍はしていても、インクルーシブ教育では原学級で他の子どもたちと一緒に授業を受けたり給食を食べたりして共にすごしているので、子どもたちからすれば、そこに隔たりはありません。

当然、休み時間には一緒に遊びに校庭にでていくこともあります。

支援学級の子ども達も、クラスの友達たちと休み時間に遊ぶことはよくあることなのです。

支援学級の子ども達は、その障がいの程度に関わらず、人気者のことが多いです。

特に低学年の間は、傍に大人がついていることもあり、自然とクラスの子どもたちが集まりやすいです。

重度の障がいを持つお子さんほど、友達から可愛がられることも、多いです。

さっきまで、一緒に遊んでいた〇〇ちゃんが、チャイムが鳴ると急に支援ルームに入ってしまい、友達は不思議な思いで、冒頭の様な声掛けをしてくれたようです。

ある子は一歩下がって入り口のドアの上に掛かっている札になんて書いてあるのか確認しています。

「この部屋、何の部屋だっけ?」

またある子は覗き込んでキョロキョロ見回しています。

またある子はドアに身を寄せ、寂しそうに〇〇ちゃんを見ています。

またまたある子は、「〇〇ちゃんは教室に戻らなくていいの〜?授業始まるよ?」と心配しています。

さて、皆さんは、この子どもたちから

「どうして〇〇ちゃんは入っていいの?〇〇ちゃんは、ここで何してるの?」

と尋ねられたら何と答えますか?

 

大人はいつかこの質問が来る、、、と思っていても、いざとなったら何と言っていいのかどきまぎしてしまい、結局、

「なんでだろうねぇ〜、、、」

とモゴモゴ言ってしまいがちです。

それは、大人である私たち自身が、心のどこかで、目の前の支援級の子どもたちを障がいを持っている子ども達だと思っているからです。

 

こういう時、私は、まずは問いかけることから始め、その後に難しい言葉や障がい名などは一切使わず、それでいて低学年の子どもたちでも分かるように話します。

聞いてくれた子ども達は、

「そっか」

「そうなんだ」

「わかった」

といって、怪訝そうにしていた表情をパッと明るく輝かせ、教室へと去って行きます。

その後、また、なんで?と聞いてくることはありません。

子どもたちの心は非常に澄み切っていて素直ですから、私たちもシンプルに話してあげれば十分大切なことを理解して受け取ってくれるのです。

そして、支援学級のお友達も、自分たちと何ら変わりのない大切な仲間、友達なんだと一番重要な人権感覚を持って育っていってくれるのです。

 

では、その問いかける内容とは?

その後に続く、ウソみたいにシンプルな説明とは?、、、

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地球上をテクテク歩く「アリ」のその後。

おっと・・・・。うっかりしている間に9月になり、5日が過ぎてしまいました。

 

ご心配くださっていた方もいらっしゃる車の修理は無事に終わりました。

ちょうど台風が来る前で(結局関西は来なかったんだけど)、私のお世話になっているホンダさんが、「台風が来るのに、車がなかったら不便だと思って〜」と、本当なら31日の土曜日に出来るはずだったのを、急遽1日早い30日に急いで仕上げて返してくださったんですよね〜。

それも、車がお店に戻るちょうど1時間前に連絡を下さり、それがまたちょうど私が取りに行けるギリギリの時間だったので、滑り込みセーフのグッドタイミングだったのです。

もちろん家からはトホホな徒歩ですよ。電車も乗ります。

だけど、ラッキーなのは、夕刻だったこと。

陽が陰り、気温がグッと下がっていたことで、ずいぶん負担は減って、私にとっては天の助けでした!

 

車は何事も無かったかのようにピカピカになって戻ってきました。

でもあれですね。保険が使えるとなると怖いものですね。

少しでも傷があるものは全て直しちゃう。

15万くらいと聞いていたものが、蓋を開けると30万少し越えですよ。

私の負担額は免責分で5万ですが。

保険屋さんも、「よかった、これなら割合で免責分も戻りそうですよ」だなんて。

倍ほどの金額になって、私はびっくりです。でもそれで「良かった」なんて。

 

そんなこんなで手元に戻った車に乗って帰る道中、とても幸せと安心を感じました。

「ホッ」としたというか。

だって、トホホな徒歩では駅から遠いところへは、なかなか行けないんですもの。

行ける仕事の幅も狭まります。

重いもの、量の多いものは持って帰れないし(今はネットというものがありますが)。

 

でもね。

逆に車ではいけない細い路地のお店や駐車場がないお店に行ける楽しみも見つけました。

転居してから1年と少し。

まだまだ土地勘が無いのですけれど、少し自分の足でテクテク歩いて生きていける逞しさも身に付けた気がします。

 

そうそう。

車が無い間に、息子は市役所に用事が出来まして。

なぜか一念発起して、「バスで行く!」と立ち上がったんですね。

「おお!」と驚きつつ、「是非そうして下さい」ということで、台風の影響でどんより空だけど大丈夫かな、と心配しつつ、

「折り畳み傘持っていった方がいいよ」とだけ言って、後ろ姿を忍々で見送りました。

「いってらっしゃい」

この言葉を彼にかけるこの新鮮さ。

「はい、行ってきます」

と清々しく出て行った・・・

と思ったら、ガチャリ。ドアを開ける音。

見にいくとすでに姿はありませんが、そこには持って出たはずの折り畳み傘が・・・。

 

そうなんだよなあ。子どもの頃から傘を持っていくのを嫌がって、置いて行くんだよなあ、、、。で、降られて濡れて帰ってくるパターン。

ま、子どもじゃないからね。何とかするでしょ、と、家事をしていましたら、電話が鳴ります。

息子から、、、。

まだ用事が終わるほどの時間は経ってないよねぇ。何事?

慌てて出ました、その電話に。

「あのさぁ、どこか分からんとこに着いてんけど?」って。

どうやら、初めてこの土地のバスに乗った彼は、行き先を間違えた様です。

ついたのは市役所から徒歩で40分ほど離れたショッピングモール。

「えええっ!どうする?そこからもバスで市役所行けるんちゃうかな?歩いてでも行けるで?」

と言いましたが、

「もう、面倒いから迎えに来て!」

って言うんです。

 

「いや、、、だから、、、車無いんだって。」と私。

「あ、、、そうか。ならいいわ。」

と息子。

まだそれでも徒歩圏内ですからね。いざとなったら歩いて家まで1時間半くらいもあれば帰れる距離で、良かったなって思いました。

とんでもなく遠かったら、バス代くらいのお金しか持ってないのに、どうしようもないですもんね。

こんな時、つくづく車の便利さを感じたのでした。

彼は結局、歩いたり、バスに乗ったりしながら帰ってきました。

雨にも濡れて、、、。

市役所にも行かず、、、。

 

これで、私の地球上をテクテク歩くアリ気分生活も終わりです。

 

 

 

それで〜、、、痩せたかって?

痩せませんよ(笑)

 

 

 

 

全ての子どもたちに愛を。

はてなブログに『「生きる」を考える』、という名のブログを書いておられる天然!(id:aki3nak)さんという方がおられます。

この方が以前に、「子どもは野放し 公共施設でのマナー」と題して、斎場を走り回る子どもたちのことについて書いておられました。

この方自身が斎場にお勤めということで、お仕事柄、生と死をこの方の視点から綴られていて深く考えさせられるものがあり、この斎場を走り回る子どもたちについても読んだ後、しばし私の中にも余韻が続きました。

内容は、亡くなった親族の火葬を待つ間の子どもたちの行動が、あまりにもその場にそぐわないものであったことと、それを親や親族たちが誰も注意をせず、各々知らんぷりであったということに対して問題提起されているといったもので、私たちにとっても決して他人事ではないなと身につまされるものでありました。(是非皆さんも、1度この方の記事をお尋ねください。)

私がこの記事が気になったのには理由がありました。

読む前日のことです。

私は近くのスーパーに買い物に出かけました。

カートを押して、広い通路から、目当ての物が並んでいる棚と棚の間の狭い通路へと曲がろうとした時、小学生の2人の女の子が、通路に対して斜めに置いたカートにつかまり止まっているところに差し掛かりました。

「すいません」と遠慮気味に小さく声をかけて横を通ろうとしたところ、横で商品棚を腕組みをして仁王立ちで見上げていた若いお母さんが、姿勢はそのままで、ゆっくりと顔だけ斜め下に向け、子どもたちが押しているカートが通路を塞いでいるのを確認されました。

お母さん、気づかれたな、と思った次の瞬間でした。

腕組みをしたままのその若いお母さんは、姿勢は前を向いたそのままで、少し離れていたそのカートを、長い足だけをぶっきらぼうに使い引っ掛けて、ご自分がいる商品棚の方へガン!と押して寄せられました。無言で。

 

絶句しました。

足で?と。

 

そのままお母さんは私の方は見ずにまた何事もなかったかのように商品棚の方へと目線を移されました。

 

私はもう一度「すいません」と言って通り過ぎましたが、なんだか複雑で後ろ髪が引かれる思いがしました。

立ち止まって、何か言おうかと迷いました。

でも言えませんでした。

 

自分たちが他者の邪魔になっていることに気づいても、すいませんの一言も言わずに迷惑そうにカートを避ける女性たちはよく見かけます。なんなら避けない人もいます。

それに比べると、このお母さんは気づいて娘たちが押すカートを動かして避けてくれたのですから、きっと悪い人ではないのだろうなと思いました。

でも、足で避けた人は初めて見ました。

足でもなんでも、避けたのだからいいではないか、そうも思おうとしました。

ただ、気になったことが一つありました。

 

カートを押していた2人の娘さんたち。

その娘さんたちが、お母さんが足でカートを引っ掛けて押して片側に寄せた直後に、二人共が一瞬、ビクッ!と小さく飛び上がったのです。

それが何を意味していたのか、、、。

一瞬ですから勿論分かりません。

分かりませんが、娘さんたちがお母さんの態度にびっくりしたことは明らかでした。

日頃からそういった態度にびくびくしているのか、はたまた自分のお母さんが足だけでカートを寄せるといった行動にびっくりしたのか。どちらかではないかなと思いました。

 

この、2人の娘さんたちのことが気になりました。大人しそうな娘さんたちでした。

ビクッとしたということは、このお2人にとって、そういった行為というのはまだ普通にはなっていないということではないかなとも考えられます。

このお母さんと共に暮らすそのお2人は、これからどういった道を育っていかれるだろうか?とひっかかるものが心に残りました。

余計な老婆心といえばそこまでですが。

 

これは私が小学生の子どもたちを育てていた20年程前の頃のことです。

髪をキンキンに染めていたママ友だちがいました。

そのママ友だちの息子さんが高学年になった時のことです。友達と一緒に下校している所に私は遭遇し、行き先が同じでしたので、しばらくその息子さんたちの後を歩く形になりました。

息子さんに友達の一人が話しかけました。

「なあ、おい、お前の母ちゃんさぁ、頭キンキンやなぁ」

あらあら、何てことを(汗)と聞いていた私が焦ります。

息子さんが答えます。

「そやねん。めっちゃイヤやねん。うちの母ちゃん目立つやんか。周りのお母さんみたいに黒い髪にしてほしいわ」

と。

 

案外、多くの子どもたちは、自分のお母さんがあまりに目立つのを嫌がる傾向があります。

意外と子どもたちって保守的なんです。

幼い子どもたちは、私たち大人のことをよ〜く見ています。見比べていると言っても過言ではありません。子どもたちは私たち大人の世界をその曇りのない目でしっかりと見ています。

子どもたちは、親以外の大人たちとも、学校や生活の中で接しています。

知っている大人の中で、誰が信頼できる大人なのか、なども結構シビアに見抜いています。

だからこそ、自分のお母さんが取った行動が、あまりにも周りの大人と違った場合、イヤだ!と思ったり、恥ずかしい!と思ったりすることもありますし、同じことはしないでおこう!と反面教師にすることだってあるのです。

ところが、その子どもたちもやがて大きくなります。大きくなる過程で、子どもの頃嫌だな、と思っていたお母さんの言動は何度となく繰り返され目に焼き付いていきます。

人は、ストレスを受けた時、無意識に自分も同じことをすることで解消しようとすることがあります。

例えば、虐待を受けて育った子どもは友達を叩いたり、大きくなってから我が子を虐待してしまうことがあります。虐待の連鎖です。

無意識の内に、繰り返し見たり聞いたりしているものは、心を傷つけていくのです。

暴言、暴力、そして無関心も子どもの心を傷つけます。

長い年月の間に蝕まれた心は麻痺し、見たり聞いたりしてきた言動は、体に染み付いていきます。

勿論、親と同じような行動を取ってしまう背景には、遺伝的要素も入る為、親と離れて生活していたとしても、似てくる可能性はあります。

しかし、親とは違う行動をする人も多くいます。その人たちは、育ちの中で、よほど、ああはならないぞ、と子ども心に刻み、自分の行動を振り返り、気をつけてきた人たちなのだろうと思います。

 

そう考えた時、あの2人の娘さんたちは、どちらの道を辿るのだろうか?という思いが私の中で燻りました。あの時声をかけることが出来なかったことがチクリと心を刺すのでした。

注意するのは簡単です。

でも、

娘さんたちの目の前で、通りすがりのおばさんから注意されたお母さんを見たら、娘さんたちはどう思うのでしょうか?

ああ、やっぱりあんな態度はいけないんだわ。そう学んでくれるでしょうか。

それともショックで傷ついてしまうでしょうか。

もし、やんわりと傷つけない方法で、お母さんや娘さんに伝わるメッセージを出す大人なやり方ができたら、一番良かったかもしれません。でも通りすがりの一瞬で、妙案は浮かばず、後ろ髪を引かれる思いで過ぎてしまったのでした。

では、その大人なやり方とは一体どんなやり方でしょうか。

 

それを考えていた時、天然さんの冒頭に挙げた記事をたまたま読み、そのスーパーでの出来事と重ね合わせて考えさせられたのでした。

 

これから育っていく子どもたちにさえ、しっかりと良い行動を教えていってあげることが一番の目的で大切なわけです。

それならば、その場に居合わせた大人、周りにいる大人、関わりのある大人が、良いと思われる行動を、子どもたちに笑顔でして見せてあげるのが一番丸くて大人なやり方ではないかと私は思っています。

 

よそのお子さんなのだから、そこのご両親が子どもの躾はすべきだし、それが出来ていなければ、非難されて当然なのだけれど、もう、よそのお子さん、自分の子ども、と分けて考える時は過ぎたようにも思うのです。

これは、私の子育ての最中につくづく思ったことに起因しているのですが、、、。

 

私の子どもたちが小学生だった頃、子どもたちはいつも複数の人数で子犬のように絡み合って遊んでいました。

クラスにはネグレクトの子や母子家庭の子もおりました。

みんな可愛く、屈託がありません。

ですが、しょっちゅう一緒に遊ぶとなると、子どもたちを通して様々なことが見えてきます。親からしっかりマナーを教えられている子、教えられていない子、物の貸し借り、お金に関すること、ケンカ、いじめ、ゲーム、遊ぶ時の約束の仕方、などなど、色々と考えなくてはならない事や問題がありました。

その時に、思ったのです。

昔は、「自分の子さえしっかり育てていれば」と、多くの親が我が子を躾けていましたが、今は自分の子だけしっかり育てていたのでは間に合わないのではないか?

物差しが無くなってきた世の中で、我が子にしっかりと物事の良し悪しの分別がつくように育てていたら、逆に生きづらいなんてことになるのではないだろうか?

教えられている子と、教えられていない子の間には、話が通じない溝が出来ていくのではないか、と。

物事の良し悪しを考える時に、その判断の基準となる物差しが無い世の中を生きるというのは大変に苦しく困難なことだと予想できます。誰も、何が良くて何が悪いか分からないのです。良くないと感じていても、自信がないから意見することもできません。いじめられている友達を見かけても、自信がないから助けることもできません。いじめが増えてきている背景には、すでにそういったことが要因としてあるのではないかと思うのです。

 

だから、子育てを適当にした方がいい、ということではなくて、自分の子だけでなく、周りの子どもたちにも、分け隔てなく大切なことを手渡していこう、と思ったのです。

周りの子ども達も共に良くなれば、自然と我が子も生きていきやすい世の中になる。

ネグレクトの子も、母子家庭の子も、裕福だけど淋しい子も、荒れ狂う子も、障がいを持った子も、みんな生まれた時は純真無垢です。

しかし、その後の環境や背景によって変わっていきます。

教えられたように育つのなら、大きくなる過程で、どこででもいいから、信頼できる大人と出逢い、良い行動を学ぶことが出来たら、一滴の雫が波紋を広げる池の様に、その子の人生に良い影響を与えることができるという可能性もあります。

それには愛が必要です。

 

自分の子か、よその子か、には関係なく、どの子も我が子の様に慈しみ、愛情を持って関わっていきたい。

それが、療育の仕事に携わることになったきっかけでもあります。

 

昔、我が子の担任の先生が仰っていました。今の親世代は、丁度自分たちが教えた世代に当たる。だから、今の親世代を育てた責任は、自分たちにもある、と。

だとすると、今の若い親世代を育てたのも私たち大人ということになりますね。社会全体が子どもを育てるのですから。

 

 

周りを見渡せば、おやおや、おいおい、と思うことは山ほどあります。

そんな時、目の前の子どもたちに、今、私たち大人にはどんな役割ができるのでしょうか?

分け隔てなく優しい眼差しを向け、我が子にかけるような愛のある言葉がけや働きかけをすることが出来れば。

これからの子どもたちは、例え親から大切なことを教わることが出来なかったとしても、周りの大人からの良い関わりによって、より良く育っていくことができるかもしれません。

 

全ての子どもたちに愛を。

私たち大人が、お手本となって。

 

 

 

 

 

車なし生活1週間。

 

私、この度、車を修理に出しました。

 

このブログを続けてお読みいただいている方なら、ご存知かもしれません。

私、去年の終わりだったか、今年の初めだったか今となっては忘れましたが事故に遭ったんですね。

それから色々ありまして、世間でも保険会社のあれこれが話題になっておりますが、私の中でもなんだかな、と割り切れぬ思いを抱えております。それについてはまたの機会に書きたいと思いますが、とにかくやっと修理に出すタイミングがやってきたのです。

解決に向けて保険会社の方には全く何の進展もありませんが、ひとまず一歩だけ進んだ気分。

 

それにしても、徒歩はトホホです。

午前中にディーラーに車を預けた帰りの暑さは強烈でした。

駅のホームなんて、あまりの暑さに窒息しそうでした。

それでもせっかく出かけたんだからと、駅隣接のですがショッピングモールなどをあちこち見て回り足が棒になりました。

でも駐車料金に縛られず、時間的に自由というのはいいですね。

私はここ数年、移動と言えばもっぱら車でしたから、常に駐車場のある無しがついて回ります。そういう意味では便利だけど不自由な面があるかもしれませんね。

ただ、電車はともかく、行きたいところへはテクテクテクテク一歩ずつ歩かねばならないのです。地球の上を歩くちっぽけなアリの様な気持ちになりました。

自宅の最寄り駅に着いたころには余力があまり無く、保冷バッグを持たずに出た為それまで食料品を買っていなかったので、ここで買わないとまた出直して買いに出ることになるなあと思いながら、面倒くさくて、買って帰るか否か悩んだ挙げ句、後からもう一回なんて行かないなんて、言わないよ絶対(分かります?)、じゃなくて、もう一回なんて無理だと思い、やっぱりその足で買い物をして帰ったのでした。

氷は入れましたし、なるべく冷凍物を多めにして、買ったのですが、それでも強烈な日差しの中、たった自宅まで歩いて7分の距離ですら、買った冷凍物よりも速く私が溶けてしまいそうでした。

買い物袋が私の陰に来るように持ち替えながら気を遣うのにも余計に疲れ、家に着いたらバタンQ〜でした。

汗が滴り落ちました。

 

毎日徒歩や電車で通勤されているサラリーマンの皆さんや、ランドセル背負って通学している子供たち、そして小さい子の面倒を見たり買い物に行くお母さんたちは本当に大変だなと思いました。

いつもお疲れ様です。

 

さあ、私もこれから8月の末までの約1週間が恐怖です。

げっそりと痩せているかもしれません。

(好都合)

 

あ、因みに、買って帰った「しろくまアイス」は溶けずに無事でした。

 

昨日の夕焼け。