きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

ホルムアルデヒド漬けの白菜が輸入したかどうか分からないなんて怖すぎる。

あまり最近はテレビを見ていなかったのですが、5月頃の台風で屋根の上のアンテナが落ちてからというもの、我が家のテレビは完全に見れなくなりました。

だからもっぱらニュースはネットから仕入れています。

 

中国でのホルムアルデヒド漬け白菜のニュースは直接私たちの食卓を脅かすもので、知ったときはびっくりでした。怖いですね。

ずっと前から色々と中国野菜については言われていますから、それ以来なるべく中国産は買わないようにしていますが、タケノコとか、国産がなかなか無かったり高かったりして、どうしても使ってしまうこともありますよね。

でも白菜は盲点でした。

とかいって、白菜だけかどうかはわかりませんね。

これはどうしたいいのだろう?スーパーの惣菜なんかに使われている物も怪しいのだろうか?

そもそも、まさかホルムアルデヒドが使われるなど想定外だから検査していなかった、というから、色んなところに入り込んでいた、いるのではないだろうか。日本には輸出していないというけれど本当だろうか。

韓国や他の国に輸出されたもの、それとか中国内で加工されたものが入り込んではいないのだろうか?

もうニュースになったから、慌てて調べて怪しい品は、避けてくれているのだろうか?

などなど、ちょっと考えてみたりしました。

スーパーの惣菜、レストラン、お弁当、切った野菜の袋物、冷凍食品。どれも、該当しそうなものはピックアップされるのだろうか。

その後のニュースを追っていないので、分からないが、ピックアップされたものを廃棄するとなると、それはそれでまたロスになって勿体無いことですね。

もう私など、人生の半分を終えてしまったのだからいいのですけれど、若い方や子どもたち、それからこれから赤ちゃんを育てようとするお母さん方には本当に悪影響を及ぼさないで欲しい。

 

ひたすらに、それだけを願います。

オメガ3は魚の香り。

オメガ3、オメガ3、オメガ、、、って夫が再燃してましてね。

夫は元々凄く健康志向で、食材に厳しいこだわりを持つ人でした。

魚は青魚、オイルは、エゴマ、亜麻仁。

なぜなら、オメガ3を含んでいるから。

炒め物にはオリーブオイル。

結婚してから、菜種油、キャノーラ油、サラダ油は我が家から消えました。マーガリン、植物油と表示された物も避ける徹底ぶりです。

まあ、少し私と一緒になって、緩和しつつありますけども。

私は何が苦手って、トマトジュースやゆで卵にエゴマや亜麻仁オイルをかけられるのが苦手です。だってね、苦いんですもの。

私がブーブー言うので、次第に買うことが減ってきました。このところはオリーブオイルが活躍中です。炒め物ものには米油、胡麻油も加わります。

オリーブオイル、米油、胡麻油にはオメガ3は殆ど含まれていませんが、代わりにオメガ6やオメガ9が入っています。

ですが、オメガ3は抗酸化作用があり、体内の炎症を抑えてくれる働きがあります。目の網膜にも必要な栄養素なんですね。私は網膜の病気を持っているので、本当は摂取しなくちゃいけないんですね。

米油や胡麻油も優秀なんですが、摂りすぎると逆にオメガ6が体内で炎症を起こしやすくするんですって。え〜。

私は既に更年期ですし、元々アレルギー体質なので、色々と拗らせております。それを夫が心配していまして、炎症を抑えるアロマ水を作ったり、身体にいい食べ物を勧めてくれたりするんですね。

これまでも色々と調達していましたが、最近になり、チアシードを購入されていました。

チアシードなら、私は好きですよ。

前に流行りましたよね。飲み物なんかに入れると水分を吸ってチアシードがプルプルしだすあれです。ダイエットにもいいとか言って。

今回はチアシードの抗炎症作用を知って購入したみたいです。

なので、これを最近気に入って飲んでいる紅茶豆乳に入れて混ぜ混ぜ。暫く置いていたらプリンみたいになるよ、と言われましたが、なりませんねぇ。そのままスプーンで掬っては、プチプチと噛みながらチビチビ、デザートっぽく食べ(飲んで)いました。

そしたら昨夜、夫が何やら機械を取り出しまして。長いこと家で眠ってたやつですわ。

これで、チアシードをごーりごり。すりつぶしております。

これ、夫の数々ある嫁、いえ、夫入り道具の一つでした。組み立てられたの初めて見ました。その他にもパン焼き器、ヨーグルトメーカー、クルミ割り器などなどあります。

なんでわざわざすり潰すのかなぁと思っていました。

この方が吸収しやすいんだよ、と申します。

ふ〜ん。私はプチプチ噛むのが好きだけど、夫はとにかく効率主義なので、とにかく素早く吸収したいのね、と思っていました。

種の殻が吸収を妨げますからね。

そしたらですよ、そのすり潰したものは、私用だというのです。

少し夜ご飯にかけて食べていましたが、残りは必ず明日(今日)食べてね、と再三強調してから仕事に行きましたので、これは早く摂取して証拠隠滅しなければなりません。

買い物に行っていたので現在17時。紅茶豆乳にドバっと入れて混ぜ混ぜします。

あら、さすがにすり潰した方がもったりとして良い感じ。もっと入れればプリンみたいになるかもね。

 

これ、昨日、挽きたてを嗅いでみたんです。

チアシードってシソ科ですよね。紫蘇の様な香りがするのかなぁって思って。

そしたらば、なぁんか、ね、魚の香りがするんです。青魚の匂いですね。

ねぇ、魚の匂いしない?と聞きました。

え?そう?と夫もどれどれと嗅いでいました。

そういえば、オメガ3は青魚の匂いがするんだよ。と夫が思い出しました。

だからエゴマ油も魚の香りが少しします。

青魚の油だから青魚臭いんじゃなかったんですね。

オメガ3が入っているから、青魚はあの香りだったってことですか?

それならやっぱりすり潰さないで、そのまま食べたい〜、と言いましたが、却下されての今です。

ところが、気づきました。紅茶豆乳に入れたら、香りはほぼ気になりません。

よかった、よかった。これならこれからも取り入れられるぞ。

 

そう言えば、20年ほど前にはコラーゲンにはまり、アミノコラーゲンドリンクを飲んだことでお肌が復調したことを思い出しました。

コラーゲンも魚由来と豚由来があり、アミノコラーゲンは魚由来。少し魚の香りがすることが有ります、と書かれていました。確かにかすかに魚の香りでした。

すると?コラーゲンの香りも元々魚臭、、、じゃなくて、魚はコラーゲン臭でもあるということ?

 

ただ心配なのは、気に入って一つの物を食べ続けると、私アレルギーを起こしやすいんですよね。大丈夫かな。

 

でも認知機能の維持や情報伝達をサポートしてくれるんですってよ?

当然、子どもたちの生育にもオメガ3は取り入れたいですね。

 

 

 

「難しい」という言葉。

私が小学校で介助員(今で言う支援員)をしていた時、支援級には連絡帳というものがあった。

普通学級にも連絡帳はあるけれど、それよりも支援級の連絡帳は圧倒的に保護者からの悩みが綴られていることが多かった。

毎日ノートを開くと、そこには学校から帰って寝るまでの様子、上手くいったこと、上手くいかなかったやり取り、トラブル、こだわり、嘆き、悲しみ、といったことが綴られていた。

子どもが学校から帰ってきてから、宿題に一緒に取り組み、ご飯を食べさせてお風呂に入れて寝かしつけるまで。それがどんなに大変で戦場でサバイバルか、私は知っている。

だから、そんな戦場でサバイバルな中、子どもが寝静まった深夜や、まだ起きてこない早朝に、ノートを開いて起きたことを思い出しながらまとめ、書き出していく時間というものは、保護者にとって一種の写経のような、心を落ち着かす為の時間ともなっていることも知っていた。

頭の中に渦巻くあれこれに思いを巡らせながら、鉛筆を動かすことでアウトプットしていき、体外から出す行為。

それは形は違うけれども、上手く作用すればマインドフルネスの様な役割を果たす。

それは、私が実際にわが子の時に経験したことでもあった。

だから、知っている、のだ。

 

私は介助員だったけれど、この保護者から支援担に渡される連絡帳を共有していいということになっていた。

自分が支援担に代わって国算理社以外にも体育、図工、理科、音楽、家庭科などについていた時は、その時の内容や様子を書いて良いということになっていたからだ。

私は毎日、この保護者からの連絡帳を拝見するのがとても楽しみだった。

連絡帳は情報の宝庫だ。

昨日、寝付くのが遅くて寝不足です。

兄弟と喧嘩しました。

宿題せずに怒られました。

外食をしてご機嫌です。

お風呂場に数字のポスター貼りました。

など。

子どもは学校だけで生きているわけではない。家庭や習い事、放課後等デイサービスなど学校外の時間を含めた連続した時間の中で生きている。

だから、今日はなんだか元気がないなぁ、授業中に落ち着きがない、と思った時に、注意したり叱ったりせずに、あ〜、今日は寝不足なんだな、喧嘩してムシャクシャしてるんだね、と理解し、それなら、少し大目に見てあげよう、気持ちが軽くなるような関わり方をしよう、などと配慮することがらできる。

反対に、学校の様子を詳しく書いてあげると、子どもが学校から家に帰ってきた時、何となく荒れている、とか、疲れている、何やらわからないことを口走る、と保護者が不思議に思うことがあっても、連絡帳を見れば、今日は体育で疲れてるんだな、とか、友達と上手くいかなかったのね、とか、このこと言ってるんだわ、などと会話がおぼつかなくても検討をつけて対処してあげることができる。

だから、お互いに、この連絡帳を使ってやりとりを小まめにするというのは、とても大切なことなのだ。

そして、発達障がいの子どもたちの育児をするなかでの切実な悩みを打ち明けている日などもある。

こだわり行動などに、どの様に接したらいいですか?という質問も多い。

もう、生きていくのが難しい、というような切羽詰まった気持ちを吐露されている時もあった。

学校で、こんな風にして欲しいという要望が書かれていることも多い。

保護者の方々の切実な胸の内を読むにつけ、1人孤独に家の中で悩み奮闘している姿を想像し、どの様にしてあげれば、この親子さんは幸せになるのだろうか、と思案した。

 

支援担の中には、ベテランから初任者まで、色んな層の先生がおられる。

初任者やまだ若い先生にとっては、障がい児に対する経験も浅く、見解は薄く、この悩み深い連絡帳にお返事を書くのはとても難易度の高いことだった。

1人ノートを抱えて、悩んだ先生が、何とか文章を綴ろうと思っても、何か良い案があるわけでもなく、「難しいですね」と書く先生が多かった。

ベテランの先生でも、幾つか検討した内容を書いたのち、「でも難しいですね」と、文を締めくくられていた。

中には、長いご経験の中で、それこそ、この保護者との連絡帳のやり取りで上手く行かなかった経験から、どんなに保護者が悩みを書いても、質問を書いても、「今日は元気でした。〇〇がんばりました」といったような簡単な内容で2、3行目しか書かない、と決めている方もおられた。

どんなことを書いても、読む人のその時の状態や気持ちによって、取り方が変わるから、思わぬトラブルになって「難しい」から。というのがその先生の持論だった。

保護者が寝るまも惜しんで、拠り所である支援担に、切々と悩みを綴る。それが1ページや2ページに渡ることもあった。

その量と、想いに対して、返事が2、3行というのは、あまりに素っ気なすぎるではないか。

忙しいのなら、「今日は時間が無く、また後日に」とたった1行書くだけでも保護者は納得し、数日待つことをしてくれる、

しかしそれすらないのだ。「はなから話す気は無い」というメッセージを出しているのと同じだ。

先生に、「大丈夫でしょうか?」と、尋ねても、固くなった思いは変わらない。

それならば、、、と、若い先生が困っている時や、先生が忙しい時、そして、悩みに対して何もコメントしなかったり、いつも難しいですね、で終わっている時などは、ついている授業の様子を詳しく書くついでに、対処法や労いの言葉などを書くようになった。

無論、怒られる時もある。だけど、段々保護者から良い声をいただくようになり、その内、代わりに書いてと言われるようになっていった。

退職するときには、固くお返事は2、3行しかかかないと決意していた先生までもが、保護者と揉めているが、どうしたらいいかと聞いてこられた。

私は、連絡帳に保護者が書いてこられる思いを受け取り、同じように親身にお返事を書いてあげてください。きっと真意は通じます。とアドバイスさせてもらった。

「やってみる」と私のアドバイスを受け入れ、それからその先生は別人の様に親身にお返事を書くようになられた。

やり取りされていた保護者は、非常に気難しい方ではあったが、その先生がお返事を書くようになってから、ガラリと態度を変え、その先生に絶大な信頼を置かれるようになり、関係性が良好になったと聞いた。

この先生は支援のトップの先生だった。そして散々私にノートを書くなと注意をした方でもあった。

でも、結局、連絡帳の一つ一つに心を砕いてお返事を書くことの大切さを最後に認識してくださり、私はそれがこの上なく嬉しかった。

私がやり取りさせていただいた保護者からは、みなさん、連絡帳は宝物だというお声をいただくようになっていた。

支援担の先生方よりも、信頼している、と言っていただくようになっていた。

介助員を辞めてから10年が過ぎた今でも、その時のお母さん方との関係性は続いている。

5年の介助員経験の中で、勿論良い時ばかりではなく、保護者もわが子の障がいが重ければ重いほど悩みも重かった為、私が書いた内容が良い意味に捉えられなかった時もあった。

それでも、その方も連絡帳を書くことを止めなかったし、私も変わらず心を込めて書き続けたことで、真意はしっかりと伝わることができた。今ではその方は私の友達になっている。

 

私は今でも療育の仕事をしているが、介助員の頃から変わらず1番大切にしている言葉がある。

「できると思って関わるとできる。」

「できないと思いながら関わるとできない」という二文。

相手の可能性を信じて関わると、それが言葉がけやジェスチャーなどの中にも表れ、それが相手にも伝わって良い効果に繋がるという【ピグマリオン効果】と、

最初から、どうせ無理に違いない、と思って関わると、表面上は隠していても、ちょっとした仕草や言葉尻りなどから、否定的なメッセージが伝わり、本当にできなくなる【ゴーレム効果】だ。

全てがピグマリオン効果でできるかというとそうではない。「可能性の芽」を見つけておくことが重要だ。

ゴーレム効果は、表面上、肯定的なメッセージを打ち出し、前向きなポーズを取っていたとしても、心の奥底で、「きっと無理」「難しい」と思っていることが不思議と伝わってしまうのだから恐ろしい。

先生方が心の中で思っていたり、または文末に、「難しいですね」と書いたことは、このゴーレム効果と同じで、向き合っているようで、相談に乗っているようで、これ以上、この話を続ける気はないよ、というメッセージを保護者に突きつけていることになるのだ。

難しいという言葉にも複数の意味があるが、ここでいう難しい、は、考えることが難しい、というような意味。

だから、私は極力、この、「難しい」という言葉を使わないように気をつけている。

どんなに難しそうな問題であっても、意見が違う相手であっても、私から「難しい」と言って、背を向けて、シャッターを閉めてしまうことはよっぽどでない限りない。

可能性がある限り、相手が言っていることはどういうことだろう? 本当にできないだろうか?と関心を持つことをやめない。

実際に、「難しい」ことはあると思う。

それでも、すぐに「難しいですね。」と、言っているのを聞くと、本当に難しいだろうか?と、つい考えてしまう。

 

 

 

マリアか般若か。

同じ物•者を見ても、人によって、見え方、感じ方は変わります。

見え方•感じ方は、見る側の人が、これまでに何を学び、どんな経験を積んできたかに影響されます。

その人が、その時、どの様な精神状態だったか、ということも、大きな影響を与えます。

ある人にはマリア様のように優しい人に見えても、別の人からは、まるで般若のように怖い人に見える、なんて、真逆に見えることだってあります。

例えば、少し慌てたらパニックになってバタバタしてしまう人がいたとしても、イライラせずに穏やかに接して落ち着かせてあげるとか、仕事で失敗が続いても、まだこの人は成長過程だから、と責めたりはせず、必要なことを教えてあげて、成長するのを忍耐強く見守る、とか、どんな困難からも守ってくれるとか。

その上、温かな笑顔をしていたら、マリア様みたいだと思う人がいてもおかしくありません。

でも、同じように、根気強く見守ってもらいながら、分からないところを教えてもらったとしても、その時、教えてもらう側の人が、何度も失敗したことを気にして自信を失くし、とても引け目を感じているような時なら、普通に教えてもらう場面でも、

「何度も迷惑をかけて、この人は内心怒っているんじゃないか?」「何度言わせるんだ、と思っているかもしれない」

という風に感じ、まともに相手の顔を見れないこともあるかもしれません。

そうなると、ちょっとした声のトーンや目の動き、語尾、仕草が気になって、それがずっと頭の中でグルグルして忘れられず、段々不安になって、教えてくれた相手とはなるべく顔を合わさないようにしたいという気持ちが芽生えるかもしれません。

これは、同じ人が同じ対応をとっていたとしても、それを受ける人のその時の気持ちの状態で、受け取る印象や情報はガラリと変わるという例です。

 

でも、例えば、いくらマリア様の様に普段優しい人であっても、それを良いことに、失敗をしないように努力することを怠っていたり、我儘ばかり言っていれば、時にはその人の為に厳しく悟し、今後に繋げようとされることもあるかもしれません。

精神的に安定している人からすれば、「あぁ、あれは怒られても仕方ないよね」と見えることも、精神的に不安定な状況にある人からすれば、「なに?鬼みたいに怖い人」と見える可能性もありますよね。

でも実は相手はマリア様でもなければ般若でもないのです。

見え方は、お互いの関係性の中で変わってくるもの。

それ以外のところで、見えてくる姿。

それがその人の核にある本質的なものです。

そして、言葉には場面によってもかわる複数の意味や意図があり、相手はどんな意味や意図でもって、その言葉を発したのか、前後の文脈を落ち着いて振り返りながら検討する余裕がほしいものです。そうしたとき、咄嗟に受け取った時とは違った意味で、捉え直すことができ、相手が話した内容の本質を掴むことができます。

 

自分の機嫌や、他責思考や過度な自責思考、他者からの無責任な評価といったものに振り回されず、相手の「本質」を見る目を養いたいですね。

捨てる神あれば拾う神あり。

前回アップした記事「頼られる」に、登場した方から今日もまたラインが届いていた。

一緒に写真も一枚、送ってくださっていた。

とっても可愛い笑顔のお地蔵さんの写真だった。お顔がまん丸◯。

その方は、このお地蔵さんが大好きで、よくお詣りにいかれるらしい。少々の雨でもへっちゃらなんだそうだ。

きっと、お体のことやご家族、お孫さんのことなど拝んで帰ってこられるのだろう。

今回はなんと、私と夫のことまで拝んで来てくださったらしい。家内安全。

え〜。もう。感謝でしかないんですけど。

どこのどなたが、自分の家族以外のことをわざわざ思い出して拝んでくださる?

そう考えたら、有難みしかない。

 

そういえば、もうお一人の70代後半の方も、何度か書いたことがあるが、中山寺さんや、京都にお詣りに行かれた時には、いつも私や私の家族のことを祈願してきてくださる。

本当のところ、どうして私たちの為に祈願してくださるのか、そこのところ分からないでいる。

それは、私がどうこうというよりも、恐らく、その方たちが積んでおられる徳の部分なのだろうな、と思っている。

自分の家族以外の人のことまでわざわざ祈願しようと思える信心の心、に違いない。

 

そして、今日の方は、そのお地蔵さんのなんとも丸くて柔らかい微笑みのお顔が、私の笑顔に似ていて良い感じだ、と書いてくださっていた。

このさりげない言葉に、今の私はとても癒された。

人の評価というものは、見る人によって分かれる。

同じ物、者を見ていても、評価は分かれるのだ。

そのことを知っているかどうかや、何を学んできたか、どんな経験を積んで来たかによっても、見えてくるものは違ってくる。

そんなことを考えている時だったから、余計に癒されたのだろう。

 

我が家の安泰を願ってくれる方々には、何が見えているのだろう。

 

 

頼られる。

コストコに行った昨朝、夫を会社に送るべく、車を運転していましたら、知人からラインが入りました。8時過ぎのことでした。

そういえば、一昨日もラインいただいていたのに、眠くてお返事できてなかったわ?

だからかな?と、焦りながら、夫を会社で降ろし、近くのコンビニへ。

ラインを確認したところ、

何やら私にご相談がある?とのこと。

昨日もお会いしたところだけれど、どうされたのだろうか?と気になりました。

9時半に電話したい。と書かれていたので、すぐ、「いいですよ〜」とお返事しました。

ちょうど、コストコの駐車場で開店まで待機だから、停まってお話できるわ。と。

 

キッチリした方なので、ホントに時間ちょうどにかかってきました。

「はいはい〜、おはようございます〜♪」と出ましたら、

「あぁ、先生、もう、お声を聞いただけで、私の相談は済んだようなものです」

と仰るのです。

「はあ。いったいどういうことで???」と頭の中には?がいっぱい。

この方は数年前に私が事業所を退職するまで職員としてお勤めくださっていた方。

来年70歳になられる方なんですが、今も運動の会に一緒に参加しているんですよね。

とてもお元気な方なのに、昨年ご病気になられて、現在治療をしながら活発に活動もされているのです。

一時、その病気の症状から、寡動になっておられましたが、お薬が合って、日中はそれまでと遜色なく動いておられます。

 

ところで、ご相談というのは、そのご病気を患ってから、最近になって、日中活発に活動して帰宅したら、途端に動悸や不安が押し寄せる、というものでした。

今朝もその動悸や不安がやって来て、ご家族はすでに出社したあとで、どなたもいらっしゃらず、私を思い出して連絡して来られたそうなのです。

 

でも、私の第一声を聞いて、もう安心したと。不安は解消して、楽になられたというのです。

もしや、昨日私がお返事してなかったからでは?と聞きましたが、いや、そうではない、とはっきり仰っていました。

 

そのご病気の方が運動された後、

血圧が低下したり、

自律神経の調整がうまくいかなかったりすることや、

不安障がいや鬱になっていく可能性があること、

でも運動の後のことは、そうした心理的なこととは断定できず、心体的な不調から引き起こされることもあるなど、

色々お話し、今度の受診時に詳しくドクターにその時の様子を報告してみてください、などとお話して、電話を切りました。

 

私の声を聞いて安心して復調するということは?やはり自律神経なのかな?と思ったり。過活動気味の為、急に止めると交感神経から副交感神経にすぐ変わりにくいということがあるのですが、私の声を聞くことにより、再び交感神経に切り替わることができたのでしょうかね。

自閉症の子たちも、私の声を聴いたら、シャキっと切り替われるし、、、などと考えながら、とにかく、不安な状態から脱することができてよかったな、と安堵したのでした。

 

 

そういえば、この方以外にも、70代後半の方で、定期的にお電話下さる方もいるのです。そろそろ、軽度の認知症の心配が出てきたとのことでした。

その方も職員として、一時共に働いてくださっていた方でした。

他には80代の義父。何かあれば必ずかかってきます。義父などは、三女にかければいいものを、やはり大事なところでは私になるようです。

 

最近、人生の先輩方に、頼りにしていただくことが集中して増えているなぁと感じた昨日の出来事でした。

 

(通りすがりに目が止まった御聖訓)

 

怒られる。

なんだか昨日はとても眠くて、午後も3時間ソファーで寝たのに、夫が帰宅して食事後、一緒にソファに座っていたら、また眠ってしまいました。すやすや。

いかん、いかんと思い、お風呂の準備をする為に2階に上がったのはいいけれど、用意をするだけして、また布団にダイブして、うたた寝。

はっ!と気がつくと、夜中の1時になっていました。

てへへ〜と1階に降りたら、夫から、早くお風呂に入って寝ないとあかんよ〜と言われます。

 

はいはい〜、と階段を上がっていく夫を見送った後、ソファがまた目に入りました。

立ち尽くすこと数秒。

 

てへへ〜、とまたソファにダイブ。

今日は運動の会のお話会があってエネルギー使ったんですよね。

寝ちゃいかんよ。いかん、いかん、いかん、いか、、、

と、またもや、そのまま眠ってたみたいです。

30分くらい寝ていたのかもしれません。

突然、パーーーン!!

と音がしました。夜中の2時ですよ。

鳴ったかみたかに、驚いて、

「はい!すいません!」

と、飛び起きました。

 

いい加減に起きなさい!

と、怒られたような気がしたんですね。

飛び起きてそのままそそくさとお風呂に向かいました。

 

音の原因は、見なくても分かっているんです。多分、キッチンの隅のドアつきパントリーの天井につけた、簡易のライトが落ちたんです。多分。こないだから、テープが弱まって何度か落ちてるんです。

 

しかしさあ、タイミングがさぁ、、、とブツブツ心の中で呟きながら、大人しく布団に入って寝ました。

朝になったら、会社まで夫を送っていく約束をしてたのです。

ついでにそのまま開店を待ってコストコにも行こう。ゴミも出さなきゃ。と、起きてから短期決戦になること間違いなしで、ぼんやりしてる間はないんですよね。だから、寝不足にならないように、早く寝なきゃいけなかったんです。

いや、寝てたんですけども、お風呂入ってない、用意してない、では、朝になってグダグダですもんね。

 

だから、見兼ねた人が、

「おっきろ〜〜〜!!!」

と、ライトを落としたんだと思うんです。

 

そういうことにして、すいません、と言って寝ました。

おかげで何とか6時20分起きで7時過ぎ出発が出来ました。

 

お買い物終わってからね、帰宅して、そうそう、、、とパントリーを開けました。

 

はい、期待通り、ライトが床で転がってました。

おつかれさん。

 

ところで怒ったのだれ?

 

よく叩き起こされるんやけど。

ムカデの時とか。義父が倒れた時とか。