今、また世界はスポーツカーブームが来ているらしい。
私が幼かった頃、カウンタックやランボルギーニが人気で、男の子たちがよくミニカーを持っていたものだ。
高校生から20代にかけて、F1に魅了された。丁度アラン・プロストとアイルトン・セナの時代だ。私はマクラーレン•ホンダと精密な走りをするプロストが好きだった。
20歳頃には真っ赤なユーノス•ロードスターは憧れだった。免許を取ったら乗りたい車だった。乗り心地は最悪だったけど。
それから暫く、コンパクトカーやミニバンが全盛期で、スポーツカーはいつしか影を潜めていたように思えた。
日本は白と黒の車ばかり。たまに赤が走っている。
ホンダがフィットのCMに、黄色を使った時には、誰が黄色なんて買うんだと思っていた。当然町中を走る黄色のフィットなど殆ど見なかった。
ところがどうして、ここ数年は、黄色の車なんて珍しくもなくなったし、なんならゴールドの車もバンバン見かける。
緑にピンクに水色に、、、。日本の車も随分カラフルで自由になったなぁ、と思っているうち、同時に、街にはあっちにもこっちにも外車が走るようになっているではないか。
ランボルギーニは神戸に行くとウロウロしている。
ポルシェなんて、珍しくもなくなった。
アルファロメオやバルド コンペチオーネ、マセラッティと、子どもの頃には聞いたことがなかった車も今はたくさん走っている。
いつの間に?と思っていたら、、、。
先日近くのシボレーにコルベットの試乗に行って教えてもらった。
今またスポーツカーブームなんですよ、と。
やっぱりそうだったのか、と、凄く腑に落ちた。
ワイルドスピードの人気も、拍車をかけているかもしれないな。
そんな時代がまた到来したからか、誰もが知っているあのフェラーリ社を題材にした映画が公開された。
その名も「FERRARI」。
創始者であるエンツォ・フェラーリとその妻、ラウラ、二人のフェラーリの物語だ。
レースの模様とエンジン音ばかりかと思ったら、とんでもなく重厚な物語だった。
スポーツカー界の今があるのも、こういった過去の上に成り立っていたのか、と思うと、何事においても言えることだが、「歴史を知る」ということは、養老先生の言葉を借りて言うならば、「遅れて来た者」として、非常に大切なことだなと、この映画を観ても思わされた。
スポーツカーは、いつの世も憧れ。
でも、
フェラーリのセリフを借りるならば、それは
「死と隣り合わせの情熱」
なのだということを、忘れてはいけない。
私たちの仕事もそうだが、他者からの苦言や忠告を受け入れ立ち止まることをしなければ、必ず大きなリスクに繋がる。
この物語のもう一人の重要な人物として、無くなった息子ディーノがいる。
ディーノ、、、。
昨年の夏、私は夫に連れられて、姫路にあるスポーツカーの博物館へ行った。中村俊根さんがオーナーの個人所有の博物館だ。今では希少価値のビンテージカーがぞろりと並んでいて圧巻のこの博物館。
ここに、私と夫が心奪われたスポーツカーが展示されていた。
その名も、ディーノ。エンツォ•フェラーリの息子アルフレード・フェラーリ氏のニックネーム「アルフレディーノ」からつけられた名だ。
洗練された品と美しさで、数あるスポーツカーの中でも特別だった為、心に残っていた。
たまたま出逢ったディーノと、一年経った今日、再会した気持ちになった。一年越しの伏線の回収。ここに繋がっていたとは。
もう1つ。ラウラを演じる女優が誰だか、皆さんは見てすぐお分かりになるだろうか?
映画というものは、繰り返しテレビでも放送される為、いつでも俳優たちの若々しい姿を見ることができる。パイレーツオブカリビアンでジャックと肩を並べ、女海賊として物語を盛り上げた。あれから13年。当然彼女も年齢を重ねていることは分かっているけれど、このFERRARIでの彼女は、同一人物とは思えない。劇中の回想シーンで見せる艷やかな姿が本来なのだろうが、この映画の中では全くそれを感じさせず、心の中に蔓延している黒い煙を全身に纏い、重々しさと苦しさが見ている私たちにものしかかる。あまりのインパクトだった。
ラストでは、このラウラへの印象は逆転する。ラウラなしには今のFERRARIはなかった。
同じ女性としては、身につまされる想いを度々味わうことになる映画だ。
是非、皆さんに見ていただきたい。
(DINO 246GTS 長男アルフレード・フェラーリが生前開発に関与した、V型6気筒エンジン搭載)