窓の外には、とても明るい青空が広がっています。
今日は日差しがあるけれど、風はさらりとしていて、動いてもあまり汗をかかずに済みます。
一歩外へ出ると、穏やかな曲線を描く 見慣れた山が見えてきます。この山を、毎朝眺めながら仕事に行くのが私の日課です。
春には、ほんのりピンクの桜餅や青海苔のおはぎの様な、淡いなんとも言えない美しい色になり、夏には、新緑で一回り大きくなって、まるでこちらに迫ってくるかのような迫力に。秋には紅葉で染まります。冬には葉が落ちて、枝ばかりになった木々が両手を上げていて、透かし模様が重なりあい、それぞれ木の枝に個性があって見事です。
坂を下る道の両側には、桜、雪やなぎ、百合、コスモスなどが咲き、目を楽しませてくれます。
子どもの頃から、川の流れや木漏れ日のキラキラが好きだったけれど、いつからかもっと深く、胸の奥で自然の移り変わりに心をときめかすように。
様々な困難をもつ子どもたちと、他愛もないダジャレを言って遊んだり、小さい胸を痛めて悩んでいることの相談にのったり、真正面からぶつかって伝えたことが通じたりした瞬間。胸が吸い込んだ空気でいっぱいになる温かな感覚。濃い毎日を送りながら、一人一人が愛おしく、私がこれまでの人生の中で見聞きしてきたことや、持てる限りの力を尽くして1つでも多く彼らに手渡したい。そんな風に思うのも、年々強くなっている気がして。
竹内まりやさんの「人生の扉」という歌のように、それは、私があとどれくらい生きていくことが出来るだろうかと、心が揺れる年齢になってきたからなのかもしれません。