開花が遅れた今年の桜が、気がつけば一気に満開になり、慌てて昨日お花見に行きました。
自宅のそばにだって、桜はあります。なんなら、この辺りで一番たくさん花をつけているんじゃない?と思う木だって。
それでも、どこか、新たな桜を求めてあちこち見て回りたい、と思うのは、欲深いことなのかもしれません。
そんなことも思いながら、あまり遠出はできないながらも、どこかいいとこないかなぁとこれまでに見た桜の中で、素敵な思い出に残る場所をあれこれ思案。
その中で、まだ息子や娘が小学生だった頃、3人で行ったことがある、車で20分ほどのところにある商業施設のそばの小さな自然公園を思い出しました。
こじんまりした公園なのに、桜がたくさん植わり、愛でる人々が家族連れでお花見している、なんだかほっこりできるノスタルジックな異次元空間のように私の脳裏に残っていた場所です。
ずっと、また行きたいとそばを通る度に思っていたのに一人だと、満開の時期にそばを通っても、車を商業施設に置いてわざわざ行くのに躊躇してしまい、かれこれ10年以上行っていませんでした。
そのことを話すと、
「行ってみよう」
と、夫が言ってくれまして、思い出を辿るようにその公園に向かいました。
そこは自宅より少し北に位置しており、やはりまだ気温が低くかったのか、場所の日当たりか分かりませんが、10年余り前に来た時よりもずっと桜が少なく、まだまだ蕾もこれからの木たちが立っていました。
それでもきっとご近所の方なのでしょう。僅かに咲いている木たちの下に寝そべったり、お弁当を食べたりして、ゆったりと寛いでおられます。なんだかとても良い雰囲気です。
その間を、進ませてもらいながら、そう言えば、この先には川沿いに道が伸びていて、ちょっとした自然の中の散歩コースがあったことも思い出しました。
住宅地のすぐそばにありながら、一歩足を踏み入れたらもう森の中かと思わせるような素敵な散歩コースです。
転居先では聞かれなくなった鶯たちの美しい囀りが、森の中に響きます。空気も街と違い美味しいです。
歩を進めると足元の落ち葉の隙間に細い尻尾がしゅるるると消えていきました。蜥蜴です。
どこからか良い香りもします。柊の黄色い花でした。
ミツバツツジも鮮やかです。
川沿いの道が行き止まりになると、向こう側へ渡るレンガ造りの橋があります。
川はそこで広がりをみせ、池の様になっています。農業用水としてのため池なんだそうです。
森の中に続く小道を行くと、まだ誰にも踏まれていない青々とした美しい苔が道の端を覆っています。
その苔たちを立体的に撮れないかなぁとしゃがんで夢中になっていましたが、腰を伸ばして立ち、ふと頭上を見上げると、ずっと上で咲いている背の高い桜に気づきました。
人気のない森の中の小道の、少し開けた場所の背の高い桜に照らされているようなちょっとした憩いの場所。なんだか素敵だな、と思いました。
その先もまだ道は続きます。途中で、分かれ道がありました。その道の奥にはどうやら神社があるみたいです。ただ、寂れているような感じがします。
こんなところに本当に神社が?
怖いような気がしましたが、なにか惹かれるものがあり、足が勝手に進むような感じもあり、どんどん奥に入っていきました。
祠が見えました。
小さいけれど、立派な屋根の神社です。
でも奥の方を覗くと、誰も管理していないような雰囲気が濃厚に漂っています。不思議なのは、まだそう古くない、綺麗な赤い幟が立っていることでした。全くの荒れた神社ではないのかもしれません。
この神社の小さな敷地もまた、神聖な空気感というのでしょうか、独特の厳かさのある空気感が漂い、心落ち着く場所になっていました。
花曇りのこの日、近辺で他に二ヶ所場所を移して、満開の桜も見てきましたけれど、一番心に残ったのは、この小さな森のひっそりとさく桜たちでした。
本来の桜の持つ美しさを見せてくれた、そんな気がしました。