まるで磁石のS極とS極の様に、目を合わせに行けば行くほど、逆にグリン!と反対方向へ向いてしまう自閉症圏の子どもたちの目。
こんな上手に躱すことができるだろうか???というくらい上手に合いません(笑)。
自閉症圏の子どもたちは、目を合わすのが苦手、とよく思われています。
人の「目」が怖い。
視線が刺さるように感じる。
不安。
だから、合わすのが苦手。
合わすのが怖い。
というように。
だから、合わせなくても、こちら側である私たちが、聞いていることを理解し、目を逸らしたままでも、会話は成立することができることを知っていればいい。
そう少しずつ理解は進んできて、自閉症圏の子どもたちと、やり取りできる人も増えてきました。
でも・・・、
それはあたかも自閉症の子どもたちを理解しているかのようですが、実はそれだけでは不十分ではないかと思うのです。
だって、それって、私たちはそのまま。
自閉症圏の子どもたちが私たちに合わせるという世界のままの話だからです。
「目が合わなくても話を聞いてくれていると理解して話を進める」というのは、私たちが歩みよった行動としては、一見進んでいるかのように思えます。
でも、それは「一歩」。
やっと一歩進んだ、というだけなのです。
合わせられない子どもたちの中には、
そもそもコミュニケーションとして相手の目を見ることの意味や必要性自体、まだ理解できていないという場合があります。どういうことかというと、
・目を見て話すとお互いの気持ちが伝わりやすいという実感がまだない。
・話している人の気持ちを想像出来ていない。
・気持ちを共有できる喜びの未獲得。
・話しかけの声の方向と目の動きが連動しており、相手の目を見ることで自分に話しかけられているのかどうかを確認できることに気付いていない。
というようなことです。
話している人の目は、見るべき対象だという認識がないということにも繋がります。
また、ずっと視線を上げて見るだけの力(精神力)がない、というケースもあります。対象物を眼球を上げて注視し続けるには、それだけの気力が必要です。
私たちは、何気なく周りを見渡し、相手の行動や目の動きを追って見続ける(追視)ことが出来ていますが、そういう自閉症圏の子どもたちを見ていると、それがどんなに精神力の要ることか思い知らされます。
目を合わすことが苦手とされる子どもたちの一人一人が、一体どういった理由で人の目を見ることができないのか?
不安だからか、先程挙げた様な理由からなのか、しっかり見極めてあげることは、この先のその子ども達にとって、大変大切な事柄です。
ただ、私達が、見ていなくても聞いていると理解して話してあげてさえいればいいのか?というと、それだけでは彼らの困難さは何も変わりません。
彼らが、彼ら自身の困難さから自由になり、少しでも楽になる為に、ちょっとした取り組みと関わりを続けることで、抵抗なく人の目を見て話すことができるようになるなら、私たちの方が多大な努力をして、学び、上手に導いてあげることが出来ればいいのではないでしょうか?
そして、更に、私たちが気づいていないことがあります。
気づいていないからこそ、私たちは、私達の方が変わる努力をせずに、「目を見ていなくても、聞いていると理解して話すね」ということで、あたかも「理解してあげている」かの様なアピールを、平然としてしまうのです。
これって、見方を変えれば、ずいぶん傲慢なことだなぁと感じます。
多くの自閉症圏の子どもたち、例えば、重度の知的障がいを併せ持つ重度の自閉症児から、中程度の知的障がいを持つ自閉症児、そして高度な知的能力を持ちながらも自閉症傾向にあるグレーゾーンを含めたスペクトラムの子どもたちが、人の目を見るのが「苦手」「見ることができない」といわれていますが、多くのこういった傾向を持つ大勢のお子さんと深く関わってきた中でわかってきたことは、彼らは、人の目を見るのが
「苦手」ではなく「見たくない」
のだということです。
不思議なことに、それは目を合わすことの必要性や意味をまだ理解していないと思われる、重度の知的障がいを持つ重度の自閉症のお子さんにも言えることだ、ということです。
「目が合わない」のではなく「合わせない」。
「合わないように巧みに逸らしている」のです。
それはあたかも目を合わせることによってどういうことが起こるか?を知っているかのようです。
目を合わせることの必要性や意味をまだ理解していないはずなのに、理解しているかのように逸らす、というと、矛盾しているようですが、実際にはそういうことが起こるのです。
なぜ、合わせたくないのか?
その理由は私たちにあります。
以下の文には、
その理由が書かれています。
視線が刺さるように見える、というのもその理由の一つではあります。
でも、もっと深い理由があるのです。
自閉症圏の子どもたちは、本当は目を合わせることができるのです。
その理由も、順を追って説明していきますね。