きらめき 綴り

療育アドバイザーとして活動しています。日々の心の煌めきを大切にしています。

神々の山。所変われば山変わる。

先週の火曜日から木曜日にかけて、岐阜・富山・石川方面に出かけた。

夫は中部地方出身で、半年ぶりの帰省だ。

一年前は、行きの道中の滋賀あたりから大雪で、危うく山中で車が進めなくなり遭難しかけた。帰りは高速道路に乗ると猛吹雪になり、風が吹いた途端、視界が真っ白になって、恐ろしさのあまり路肩に何とか停車して難を逃れた。あれがホワイトアウトというものか・・・。そりゃあ、事故にもなるわ・・・くわばらくわばら。などと考えながら、止みそうにもない吹雪を前に、途方にくれた。

(これは去年の米原辺り)

 

さて、今回はというと、やはり豪雪地帯の米原辺りは高速から見渡すと真っ白で、ところどころ吹雪いていたが、去年の比ではなく、ホッと胸を撫で下ろした。

 

前回は、高速が好きではない夫が、地道で帰りたいというので、10時間かけて、えっちらおっちらと帰り大変だったのだが、そのお陰で、道中様々な景色を見ることが出来て良い経験になった。特に、関ヶ原には一際何か感慨深いものがある。歴史など、高校時代は大嫌いだったはずなのに、ここが昔、関ヶ原の合戦になったところか、と思うと、なんだか助手席で寝てはいられない気分になり、キョロキョロと見渡す。不破の関所もあるし、風格のあるお寺も多い。合戦で亡くなった者たちを弔う為にできた寺たちだろうか・・・などと思いを馳せてみる。この辺りは壬申の乱でも戦地だったようだ。

今年はその関ヶ原を高速で通過する。ふと高速の横を見ると、ポツポツと民家が見える。こんな山中の、高速の側に住んでいる人がいるのか。と少し不思議に思えた。関ヶ原のこの地に、それもこんな山中に、どんな思いで住んでおられるのだろうか?もしかしたら、昔から代々住んでおられる人なのかもしれないな・・・と思った。

 

そんなこんなで、この関ヶ原を抜けると、急に周りの風景が変わってくると感じる。

何が変わってくるのか?というと、「山」だ。山が変わるのだ。

関ヶ原には鈴鹿山脈伊吹山地の途切れ目があり、東西の文化の合流地点でもあり、分け目でもある。それゆえに古代から大きな戦いの場になってしまったのだが、それと同時に、地形もそこを境に違いが生まれているなと思った。

 

生まれてこのかた、関西以外に住んだことのない私。旅行も恐らく皆さんよりも機会が少ないのでは?と思う。

そんな私は、丸くて低い山を見ながら仕事に行く毎日だ。毎日見る山。見慣れた山。毎日見ているからこそ、この関ヶ原を越えた辺りからの、山の違いに気づいたのかもしれない。徐々に山は穏やかな関西のそれと違って、高さを増し、険しい表情を見せていく。その険しさからは、火山活動による地殻変動の激しさを連想させる。私の目には、それがとても新鮮に写り刺激的だった。

 

岐阜高山に入ると乗鞍岳穂高連峰が現れる。

今回は、思いつきで2日目に石川県金沢市に行こう!と思い立った。温泉と、美味しい海の幸を食べに行くのが目的だ。

岐阜から片道1時間半~2時間で行ける予定。

 

途中で白川郷の上を通り 富山県南砺市に突入。ここで、学生時代が私よりも20年も近い夫が、「こういう、富山の平野に立つ家の特徴で、周りに大きな木が囲み、森みたいになっている家が一軒一軒が離れて立っているのを“散居村”というらしいよ。確か学校で習った」と言い出した。見ると確かに夫の言うとおりだ。学校での勉強は、役に立つものだなぁ。と感心。

 

程なくして石川県金沢市に到着。ここでは温泉に浸かり、美味しい海鮮丼を食べた。そのことについてはまたの機会に。

 

 

帰り道。

分かりますか?

丁度真ん中辺りの白いもの。まるで雲の様に浮かんでいますが、雲ではありません。蜃気楼でもありません。山です。立山連峰かなぁと思います。

私はこの、上空に浮かぶ山が信じられないのです。関西にある様な低い山の、遥か上に姿を現す三千メートル級の北アルプスの山々。冬は雪を纏って真っ白になり、その険しさが荘厳さとなって美しく、神秘的というより、もはや神々しい。

この神々しい北アルプスの山々が日常の中にあり、それを見ながら生活する人々の心に、この景色は一体どんな影響を与えるのだろう?と、ふと思った。そう思うと、昔から山岳信仰というものがあるのにも納得がいく。

 

中部地方は私にとって、長く縁もゆかりもない地域だった。

ところが、今や岐阜、長野、富山は私にとって特別な地となっている。

 

それは、何年か前に、息子が長野の大学に行く!と急に言い出したのを皮切りに、娘までもが富山の専門学校に行きたい!と言いだしたのがきっかけだ。

どうして長野の大学に通うことになったのか分からないまま、息子の為に、下宿探しと引っ越しの為、二週続けて週末に長野に通った。いざ、関西へ戻る時、とにかく山の高さ形に圧倒されて、こんなにも山の形が違う場所に、我が子を1人置いていかなければならないなんて・・・と、身を切るような思いで1人新幹線に乗り、三時間涙が止めらなかった。それ以来、日本アルプスの山々は私の頭の中から離れない。

娘には、富山への思いを思い止まらせる為に富山へ同行した。

にわかに沸いた長野、富山への縁。その1年8ヶ月後に、岐阜出身の夫と結婚することになった。これは偶然なのだろうか。

私の運命は息子を中心に動いている。息子が長野に行かなければ、もしかすると今の運命はなかったのかもしれない。

息子と共に見た初めての日本アルプスの山々が、その後の私の運命を変えた。